「現代人の仏教教養講座」

仏教の教えと生きる意味を分かりやすく
体系的に学べる仏教の総合サイト

日本仏教学院ロゴ 日本仏教学院ロゴ

生きる意味を、知ろう。

勉強するのは何のため?

勉強する子ども

「勉強するのは何のため?」
誰しも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?

勉強はつまらないですし、疲れます。
それなのに、無理矢理やらされます。
イヤイヤやらなければなりません。
勉強をやっていて泣いた経験のある人もあるのではないでしょうか。

それほどまでして、どうして勉強しなければならないのでしょうか?

学校の勉強は将来役に立つ?

学校

小中学校でする勉強は、将来役立つのでしょうか?
社会に出てから役立つのは、読み書きと四則計算くらいです。
中学校までの漢字は読めないとまずいと思いますし、
古文も漢文も私は必要があって使ってます。
計算も買い物できるくらいには必要でしょうし、
あと、確率も何かリスクのあることをする時に考えるかもしれません。
英語は、やがて通訳機や翻訳機ができると思いますが、
自分でできれば役立ちます。

ところが、学校で非常に重視されている数学の場合、
社会に出ると、中学生の数学の範囲でいっても、
因数分解も二次方程式も必要ありません。
社会人で二次方程式の解の公式を覚えている人は余程の記憶力です。
三角形の合同を証明するために図形に補助線を引くこともなければ、面積も求めません。
平方根も必要ありません。
もちろんそういうことが必要な専門職なら別ですが、
普通の職業なら一生使わないでしょう。

理科は、私は好きですが、社会では、オウムの法則もフックの法則も要求されません。
植物の細胞とか、先カンブリア紀の動物とか、惑星の動きもあまり関係ありません。
変に一般相対性理論とか量子統計力学とかが分かっていると、
変わった人だと思われるだけです。

日本史とか世界史とかは、
社会に出て人生経験を経てから学び直すと色々面白いので、
経営者の人たちなんかはよく学んでいますが、
歴史を勉強したから経営者になったわけではなく、
趣味の領域なので別になくても大丈夫です。

将来の生き方に役立ちそうな、
恋愛テクニックとか、お金の性質とか、
人間関係をよくする方法とか、人生の意味については、
学校で勉強するカリキュラムには入っていません。
なぜか、学校で勉強するカリキュラムのほとんどは、
将来は役立たないことばかり
なのです。

ところで、よく小学校の校庭で、薪を背負いながら本を読んでいる二宮金次郎は、なぜ勉強したのでしょうか?

二宮金次郎が勉強した理由

二宮金次郎

二宮金次郎(1787-1856)は、小田原(神奈川県)に生まれ、
江戸時代後期に関東や東北で農業や財政難を復興したことで尊敬されている人で、二宮尊徳ともいいます。
金次郎は14歳でお父さんを、16歳でお母さんを亡くしてしまい、
お祖父さんの家に預けられました。
ところが、そのお祖父さんは、金次郎を学校にも行かせず、
単なる働き手としてこき使いました。

金次郎は、
「訳も分からず働くだけの一生で終わったら嫌だ」
と思い、自分でこっそり本を手に入れて読み始めました。

ところが、仕事が終わって暗くなってから灯火をつけて読書している金次郎を見たお祖父さんは、
「本を読むための油がもったいない。勉強なんかやめろ」
と叱りつけます。
当時、百姓に学問はいらないというのは普通の考え方です。

金次郎はお祖父さんに言われた通りに油を使うことをやめて、考えました。
やがて金次郎は、川岸にアブラナを植えて、育て始めます。
一年後に菜種がとれると油屋に持って行って灯油と交換してまた読書を始めました。

すると今度は、お祖父さんは、
「そんな時間があったら別の仕事をしろ」
と怒鳴りつけます。

そこで金次郎は、言われた通り、夜勉強するのをやめて、
薪を背負って働きながら、勉強を始めたのです。

やがて金次郎は、誰も使っていない荒れ地に稲を植えで収穫するようになり、
20歳でお祖父さんの家を出て行きます。
24歳で家を再興し、25歳では小田原藩の家老の子供の勉強を助ける役目について、
自分も一緒に勉強して、学問を深めて行きます。

こうして70年の生涯に600以上の村の再興に携わって生産性を高めた上に、
二宮金次郎の思想は、トヨタ自動車の豊田佐吉、パナソニックの松下幸之助、
京セラやKDDIの稲盛和夫といった実業家に影響を与えています。

このように、二宮金次郎が勉強した理由は、
「他人からいわれた仕事をやって一生を終わりたくない」
ということからでした。

武士の時代は、武芸が優れていれば勉強しなくても活躍できたかもしれませんが、
そんな時代ははるか昔に終わってしまいました。
さらに現代では農業よりも、サービス業が主要産業になってます。
体よりも頭を使って生み出す価値が大きくなっていますから、
勉強したほうがよりよい生き方ができるのです。

勉強するのはよりよい生き方をするため

学校の勉強は平均的には元がとれる

ゲーリー・ベッカー
ゲーリー・ベッカー

学校で勉強することによって、適性を発見して知識や技能を身につけ、
社会に役立つという考え方は、アカデミックな言い方をすれば、
「機能主義」といいます。
機能主義の中でも、それによって本人の収入が上がるというのが、
ゲーリー・ベッカー(1930-2014)が体系化した「人的資本論」です。

大学に行くと、学費がかかります。
実家から通えなければ部屋代などの生活費もかかります。
その上、大学に行かなければ仕事に就いて収入が入るはずなので、
その収入が入らないという機会損失もあります。
それらの費用をかけて、どの位のリターンがあるのでしょうか?

この生涯賃金の差は、日本のある時点での年代別の平均収入などから算出して、
大体、教育費を年利6〜7%で運用した収益率にあたるといわれます。
もちろん人によるので一概にはいえませんが、
投資で、長期間この収益率を維持するのは極めて困難なので、
すごい投資対効果があることになります。

収入が増えれば選択肢も増えるので、
勉強したほうがよりよい生き方ができるというのは、一理あるのかもしれません。

その他の勉強する意味

他にも、たくさんの勉強をしてきた知識人の皆さんが、
色々な勉強する意味を提唱しています。

例えば、すでに分かっている世界というのは、閉じた世界なので、
知らない世界に出会って、未知の世界を切り開くために勉強する。
それによってまた自分とは何かを発見し、未来を切り開くという人もあります。

また、単純に楽しむため、という人もあります。
これは知識欲が満たされれば、当然喜びが起きます。
脳科学的には、目標を達成すると快感を感じるドーパミンが出るので、
難しい問題を解いたりするとスカッとします。
勉強の分野で何かの目標設定をすれば、勉強によって楽しむこともできます。

また、昔は生まれた時点で将来の職業は決定していたのに対して、
現代では、職業を自分で選んで生きて行かなければならないので、
自分を知り、自分の生き方や存在意義を自分で考えるために勉強をするという人もあります。

何のために勉強するのかと問われても、見当違いな回答をする人も多いのですが、
大体はこのような、未来や世界を切り開くため、楽しむため、自分を知るための3つにまとまります。

よくある3つの勉強の意味
  1. 未来や世界を切り開くため
  2. 楽しむため
  3. 自分を知るため
3つの勉強する意味

ところがこの3つは、
学ぶことや研究することを職業とする知識人であればそうかもしれませんが、
それは一部の人なのではないでしょうか?

例えば、未来の世界を切り開くというのは、特にすぐれた人がやることで、
ほとんどの人は切り開きません。
勉強が楽しい人ならいいのですが、ほとんどの人は楽しくありません。
自分を知るためというのも、わざわざ二次方程式を解かなくても別の方法がありそうです。

その他、考え方を学ぶためとか、視点を増やすためとか、色々言われますが、
それならいくらでも別の方法があります。

実際の学校の勉強の目的

では、実際には学校の勉強は何のためにやっているのでしょうか?

それは、いい大学に入って、いい仕事に就くためです。
それを言ってはおしまいですが、教師としても、教える内容は、入試で問われる内容です。
生徒にとって役立つ面白い内容を教えていても、入試に出ないことばかりだと、親が心配するでしょう。
親の本音としても
「いい大学に入って、いい仕事に就いてもらいたい」
というものがあります。

いい会社に入れば、きっと給料も良くて、安定しているだろう、公務員ならもっと安定しているだろうと考えます。
それが子供の幸せにつながると思うからです。

それで、子供から
「どうして勉強しないといけないの?」
と聞かれても、ハッキリ答えられません。
「将来役立つから」
といいますが、子供が考えても、将来役立ちそうもありません。
「これって社会に出てから使わないんじゃないの?」
といわれると、
「余計なこと考えないで、とにかく勉強して」
と言いかねません。

実際に日本は学歴社会ですから、学歴や出身大学でラベリングされます。
実際、企業側も、新入社員の採用にはコストがかかります。
たくさんの応募者の中から、どうやって、優秀な人材を見分ければいいのでしょうか。
詳細なテストを制作したり、厳密に実施するほど、採用コストが高くなります。
日本中に共通の学校制度が定着しているので、とりあえず学校名によって見分けるのが効率的になるわけです。

学歴=能力のシグナル?

これを学問的には「シグナリング」といいます。
大学名を、その人の能力のシグナルとしているのです。

シグナリング

機能主義の信憑性に問題があるのは、
学校で学んだことと関係のない職業につく人がかなり多いという点です。
理系なら、関係ある場合もそれなりに多くありますが、
文系となると、全然関係ない場合が多くなります。
そんな場合には、難関大学に入ったということは、
受験勉強を頑張ったのだから、仕事も頑張る可能性が高いだろうとか、
忍耐強い努力家なんだろう、と推測するのです。

このようなことから、学歴は就職活動の当初には有利になったりしますし、
その後も同じ大学出身者が集まる学閥のようなものができることがあります。
(東大の出身者同士は仲が悪かったりもします・笑)
社会に出れば、あとは仕事がどれくらいできるかが一番重要ですが、
学歴は一応、一生ついて回るのでやっかいです。

それで子供は、日本の文化や制度上、
受験に合格しなければ仕方ないということで、
自分を押し殺して好きでもない受験勉強をするわけです。

その証拠に、大学に入ると
五月病やスチューデントアパシーという無気力状態になったりして、
資格試験や何かの必要がない限り、ほとんどの人は勉強しなくなります。
大学の授業で何か役立つことが学べるわけでもなく、
もう目的の学歴は手に入れたので、用はなくなったのです。

勉強する本当の意味

この現実をふまえると、勉強をするのは、いい大学に入るためです。
では、いい大学に入るのは何のためかというと、いい仕事に就くためです。
資格試験のために勉強するのも、いい仕事に就くためです。

では、いい仕事に就くのは何のためでしょうか。
それは、より多くのお金を安定して手に入れるためです。
大企業に入ればたくさんお金がもらえて一生安泰かというと、そうでもありません。
リストラもありますし、会社自体が破綻するかもしれませんから、一生懸命働く必要があります。

越えなばと 思いし峰に 来てみれば
     なお行く先は 山路なりけり

(出典:『新続古今和歌集』)

続く山路

昔からこう言われるように、勉強は大変ですが、
それを乗り越えたら楽になれるわけではありません。
社会に出れば、もっと大きな山があります。

お金だけもらって、結果が出ませんでした、
では済まされません。
それだけの責任があります。

仕事が出来るようになってくると、
次は社内のライバルとの競争が出てきます。
出世するには上司との人間関係もうまくやっていかないといけません。
力がついてくると権力争いもあります。

あの山さえ越えたらと思って努力してのぼって行きますが、
頂上にたどり着くと、喜びは束の間、また次の山が見えてきます。
仕事と同時に、結婚相手も見つけなければなりません。
結婚すると、子育ての山も見えてきます。
どんどん山は険しくなる一方です。

やがて中年になると、体力や能力が落ちてきて、
若い頃できたことはできなくなり、人生は下り坂になります。
それでも山は登り続けなければなりません。
そして最後、ガンなどの乗り越えられないような険しい山がやってきて、
闘病あえなく最後は必ず倒れてしまいます。

それなのに、なぜ山を登って生きて行かなければならないのでしょうか。
それが、なぜ勉強しなければならないのか、を突き詰めていった時に出てくる根源的な問いです。

ここに注意!
  • 勉強の意味を突き詰めた時に出てくる根源的な問いは「なんのために生きるのか」

これは、何のために勉強するのかを少し考えれば、誰でも分かることです。
勉強するのはなぜかというと将来の仕事のため。
仕事をするのはなぜかというとお金を得るため。
お金を得るのは、生きるためです。
二宮金次郎が勉強したのも、よりよく生きるためです。

そうなると、なんのために生きるのかという問題に突き当たるのです。
それは誰でも分かるのですが、答えを後回しにしてしまったり、
みんな答えを出せずに諦めてしまいます。

ところが、この生きる目的をハッキリさせずに後回しにしていると、
快調に生きているようでも、山登りの途中で何かあれば、
実は生きる意味がわからないことに気づいて、途方に暮れます。

例えば、受験で絶対に入りたかった第一志望に落ちたり、
社内の権力争いに破れて左遷されたり、会社の業績不振でリストラされたり、
交通事故に遭ったり、ガンや心臓病にかることもよくあることです。

苦しいところを頑張っても、最後死ぬだけなら、
その時点で挫折して、自殺してしまうこともないとは言い切れません。
小学生でも、運動会に行きたくないといって自殺するくらいです。

なんのために生きるのかという生きる目的をハッキリさせなければ、
何のために勉強するのかの答えも出ませんし、
生きる目的がハッキリしてこそ、そのためには何を勉強すればいいのか、
なぜ勉強するのかも答えが出る
のです。

でも、生きる目的なんて、答えのない問いではないかというと、
そうではありません。
これ一つ果たせば人生悔いなし、
人間に生まれて本当によかったと大満足できる、本当の生きる目的が、
すでに2600年も前から仏教に教えられています。

それがどんなものかということは、仏教の真髄なので、
メール講座と電子書籍にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

➾目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。