諦める。諦観たいかんとは?

あきらめようと聞くと、あなたはどう感じますか?
特に「仏教はアキラメ主義だから進歩向上がない」と悪口を言う人があります。
確かに諦めるというのは、仏教から来た言葉ですが、
仏教ではまったく違う意味で使われます。

この記事では、
・よくある諦めるの使い方
・仏教での諦めるの意味
・諦める方法
・諦めてより一層幸せになる
ということについて分かりやすく解説します。

諦める時

諦める」という言葉、普通どんな時に、どのように使われるかというと、
例えば失恋した時に、
あなたをふった恋人のことなんかもう諦めて」とか、
財布をなくした時に、
「見つからないからもう仕方ない、諦めた」とか、
テスト前に勉強していない時に、
明日の試験はもう諦めた
というように使います。

諦めると言えば、普通は、
断念したり、
悪い状態を仕方がないと受け入れること。

しようとしていたこと、無理なことを
やめるときに使われます。

本来仏教では……

この「諦める」という言葉は、
本来は仏教で「諦観たいかん」と書き、
あきらかにみる」が元でした。

ちなみに「諦観」と書くと、
世間では「ていかん」と読みますが、仏教では「たいかん」と読みます。
世間で「晩年に諦観の境地に入った」などというと、
やはり普通のアキラメの境地のような意味です。
また、「世の中の成り行きを諦観する」というと、
よく見るとか、じっと見る、明らかにみるという意味になり、
こちらは仏教の意味に近くなります。

その「あきらかにみる」が
だんだんと「諦める」になったのです。

試しに口に出して言ってみましょう。
あきらかにみる、あきらかにみる、あきらかにみる……
……諦める!

ほら。

では仏教で「あきらかにみる」とは?

では、「あきらかにみる」とは、
何をあきらかにみるのかというと、
真理をあきらかにみる」ということで、
大宇宙の真理である因果の道理をあきらかにみる
ということです。

因果の道理というのは、
「すべての結果には必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つもない」
という仏教の根幹の教えです。

特に、自分の運命についてはどんな因果関係があるのかというと、このように教えられています。

善因善果ぜんいんぜんか
悪因悪果あくいんあっか
自因自果じいんじか

これは善いたねをまけば善い結果
悪いたねをまけば悪い結果が現れる。
自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならない、
という自業自得の道理です。

悪い状態になった時、
自分がこんな結果を受けたのは、
一体どこに原因があったのか。

たいていは、
あいつが悪いんだ、もういいよ、あきらめよう

と人のせいにしますが、
仏教の諦観は、そうではありません。

一体自分のどこに原因があったのか
あきらかにみる、ということです。

例えば財布を落とした人に、
あきらめなさい
と言ったら、
その財布はもうないのだと受け入れて、 忘れなさいということです。

しかし、因果の道理からすれば、
財布を落としたことには必ず原因があります。

あきらかにみるとは、
その原因を明らかに見よ
ということです。

現在、普通に使われている諦めるの意味とは正反対です。

具体的な4ステップ

ですから、諦めることの具体的な4ステップを考えると、以下のようになります。

具体的な4ステップ
  1. 失敗を真正面から見る。
  2. 言い訳したりごまかしたりせず受け入れる。
  3. 対策を立てる。
  4. 実行する。

この「実行する」までやることが大切です。
あきらめなさい
と言われて、やめてしまったら、
進歩も向上もありません。

仏教では、
まかぬ種は生えませんが、
まいた種は必ず生える
と教えられています。

悪い結果を、
忘れるのでもなければ
ごまかすのでもなく、
根本的な原因を明らかに見て、
悪い種まきをやめて、
少しでもいい種まきをしようというのが
諦観なのです。

諦観を心がけると…?

この諦観を心がければ、
反省が深くなり、
向上心が強くなり、
反省と向上を繰り返す、
たくましい人生観が開けてきます。

仏教は、アキラメ主義というよりも、アキラカニミル主義ですから、
仏法者は、常に前進あるのみです。
世間一般で言われる
諦める」とは
180度正反対の、努力家になるのです。

お互い、日々、因果の道理をあきらかにみて、
諦観を実践してゆきましょう。

さらに、仏教には、そうやって進歩・向上して生きていく目的は何か、
生きる意味をも明らかにされています。
それについては、電子書籍とメール講座にまとめてありますので
見ておいてください。

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作