「現代人の仏教教養講座」

 

仏教ウェブ入門講座

仏教の教えと生きる意味を分かりやすく
体系的に学べる仏教の総合サイト

日本仏教学院ロゴ 日本仏教学院ロゴ

生きる意味を、知ろう。

愛別離苦とは?

どんな時代であっても、どんな場所であっても変わらない苦しみを、
お釈迦様は四苦八苦と教えられました。

その8つの苦しみの中でも特に大きい苦しみが「愛別離苦」です。
好きな人や大事なものと、離れ離れにならなければならない苦しみです。
愛別離苦」とは、どのように感じる苦しみなのでしょうか。
果たして克服する方法はあるのでしょうか。

愛別離苦の意味

愛別離苦」は、国語辞典にはこのような意味が載っています。

あいべつり‐く 【愛別離苦】
〔仏〕親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。
八苦の一つ。

このように国語辞書では、好きな人と別れる苦しみだけが書いてありますが、
仏教では、それだけではありません。
どんな愛する対象も入ります。
好きな物を失うことも入りますし、食事制限で好きなものが食べられなくなることも入ります。
愛するものと別れることは、大変な苦しみである
とお釈迦様は教えられているわけです。

愛別離苦は、経典をはじめ、仏典によく取り上げられています。
例えば有名な『法華経』にはこのように説かれています。

もし天上に生れ、及び人間に在ては、貧窮困苦、愛別離苦、怨憎会苦、かくの如き等の種々の諸苦あり。
(漢文:若生天上及在人間 貧窮困苦愛別離苦怨憎會苦 如是等種種諸苦)

これは、もし天上界に生まれ、または人間に生まれたならば、
貧窮困苦、愛別離苦、怨憎会苦といった様々な苦しみが存在するのである
ということです。

天上界や人間界にいる限り、愛別離苦の苦しみは絶対に避けられません。

一方で、愛別離苦の苦しみがない場所があります。
それは極楽浄土です。

心と事と相応すれば、愛別離の苦も無く
(漢文:心事相應無愛別離苦)

どういう意味かというと、
極楽浄土に往けば、自分の思いが事実とよく一致するので、愛別離苦の苦しみはない
ということです。

このように悟りの世界である極楽浄土に往けば、愛別離苦の苦しみはなくなりますが、
私たちは迷いの世界である人間界に生きていますので、
愛別離苦の苦しみを受け続けなければなりません。
そこで、愛別離苦の苦しみを人間界で乗り越えられる方法と、
完全に克服する方法について解説していきます。

まず、愛別離苦は、四苦八苦といわれる苦しみの1つで、
その中でも、特に苦しいのが愛別離苦ですが、
そもそも四苦八苦とはどんな苦しみなのでしょうか。

四苦八苦の意味

お釈迦様は、人生の4つの真理を教えられました。
それが、この四聖諦ししょうたいです。

四聖諦
  1. 苦諦くたい」:人生苦しみの実態は?
  2. 集諦じゅうたい」:苦しみの原因とは?
  3. 滅諦めったい」:本当の幸福とは?
  4. 道諦どうたい」:本当の幸福になる道とは?

四聖諦について、詳しくはこちらをお読みください。
四聖諦ししょうたい・仏教に説かれる4つの真理

お釈迦さまはこの4つの真理の一番最初に、まず人生の苦しみの真理を説かれ、
苦しみとはどのようなものか」を教えられました。
この苦しみの真理を苦諦といわれますが、それは八苦のことです。
このように説かれています。

いかんが苦聖諦くしょうたいなる。
いわく生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦なり。

(漢文:云何苦聖諦 謂生苦老苦病苦死苦 怨憎會苦 愛別離苦 所求不得苦 略五盛陰苦)

これは、苦諦とはどんなことか。
生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五陰盛苦である、ということです。

仏教では、生苦、老苦、病苦、死苦の4つの苦しみを「四苦」と教え、
これに怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五陰盛苦の4つを加えた苦しみを
八苦」と教えられています。
このことから、日常会話でも非常に苦しかったことを「四苦八苦した」と言います。
四苦八苦を表にするとこうなります。

四苦八苦
  1. 生苦しょうく
  2. 老苦ろうく
  3. 病苦びょうく
  4. 死苦しく
  5. 愛別離苦あいべつりく
  6. 怨憎会苦おんぞうえく
  7. 求不得苦ぐふとっく
  8. 五陰盛苦ごおんじょうく

四苦八苦のそれぞれがどんな意味かについては、以下の記事で詳しく解説してありますので、そちらもご覧ください。
四苦八苦の意味とは?苦難を乗り越える方法を解説

五苦

この四苦八苦の中でも、愛別離苦は、四苦に入っていないものの中では、特に私たちを苦しめるものです。
お釈迦様は、愛別離苦を、五苦の1つとしても教えられています。

八苦の中でも特に大きい苦しみ5つを五苦ともいわれます。
五苦とは「生苦しょうく」、「老苦ろうく」、「病苦びょうく」、「死苦しく」、「愛別離苦あいべつりく」の5つです。

例えばお経にはこのように説かれています。

濁悪不善じょくあくふぜんにして、五苦にめられん。
(漢文:濁惡不善五苦所逼)

どういう意味かというと、
濁悪の汚い世の中には、をしない者ばかりで、
みな五苦の苦しみに責め立てられている、ということです。

この五苦について、中国の高僧、善導大師ぜんどうだいし
以下のように解説しています。

五苦所逼と言うは、八苦の中、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別苦を取りて、これを五苦と名づくなり。
(漢文:言五苦所逼者 八苦中取生苦老苦病苦死苦愛別苦 此名五苦也)

これはどういう意味かというと、
観無量寿経』に「五苦にめられん」といわれているのは、八苦の中の
生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦をとって、これを五苦と名づける
ということです。

五苦のなかに愛別離苦が入っている理由は、
涅槃経』に、生老病死の四苦が大苦であり、
愛別離苦を「衆苦の根本」と説かれるからです。

まさに知るべし、生これまことに大苦となす。
(中略)まさに知るべし、老これまことに大苦となす。
(中略)まさに知るべし、病これまことに大苦となす。
(中略)まさに知るべし、死これまことに大苦となす。
(中略)愛別離苦よく一切衆苦の根本となす。

(漢文:當知是生實爲大苦(中略)當知是老實爲大苦(中略)當知病苦是爲大苦(中略)當知是死眞爲大苦(中略)愛別離苦能爲一切衆苦根本)

衆苦の根本とは、多くの苦しみの根本には、別れの苦しみがあるということです。
このようにお釈迦様は、愛別離苦はとても苦しいものと説かれています。

では、愛別離苦の苦しみは、具体的にはどのようなものでしょうか。
愛別離苦の話は、枚挙にいとまがありませんが、
ここで一部紹介します。
早く愛別離苦の乗り越え方を知りたい方は、
克服し乗り越える方法」の項目をお読みください。

愛別離苦のエピソード

愛別離苦のエピソードは、様々あります。
ここでは3つの有名な悲痛な詩を挙げますので、
愛別離苦がどんな苦しみなのかを理解してもらえると思います。

シャボン玉

1つ目の例は、みんながよく知っている童謡の「シャボン玉」です。
歌詞はこのようなものです。

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風々吹くな シャボン玉飛ばそ

この曲の作詞者は、野口雨情です。
この歌詞を読むと、子供たちが空を見上げながら、シャボン玉を飛ばして楽しんでいる情景が目に浮かびます。

一方で、この歌詞には深い意味が込められているともいわれています。

シャボン玉の歌詞が発表されたのは1921年(大正11年)ですが、
野口雨情は、長女みどりを、1908年(明治41年)に生後8日で亡くしています。
この時代は2~3割の子供が学齢前に亡くなっており、特別なことではありませんが、
野口雨情さんの悲しみが大きかったことは想像に難くありません。
野口雨情さんは、我が子が亡くなったことや、
親戚や周囲の亡くなった子供の鎮魂歌として、
このシャボン玉を書き上げたのではないか、と考えられています。

鎮魂歌だとすると、儚い命を、シャボン玉にたとえて、
こわれた」「消えた」は子供の死を表し、
風々吹ふくな」とは、
子どもたちよ、どうか、元気に生き続けてくれよ
という祈りのように思えます。

野口雨情は、仏教音楽にも関わっており、
仏教とも深い縁がありました。
子供の無常を通して、仏縁を深めたのかもしれません。

露の世は露の世ながらさりながら

次に2つ目は小林一茶の俳句です。

この俳句は、小林一茶が晩年になって詠んだ名句です。
小林一茶は江戸時代を代表する俳諧師ですが、
その人生は順風満帆ではありませんでした。
長男として生まれたにも関わらず、継母と折り合いが合わず、
江戸に奉公に出されたり、継母や弟との長年に渡る遺産相続争いなど
ずっと困難が待ち受けていました。

30代から頭角を現し、俳諧師として食べていけるようになると、
40代後半から「一茶調」を確立し、全国で名前が知られるようになります。
そして52歳になって初めての結婚。
これから幸せな毎日が待っている、と思った矢先でした。
生まれてきた子供が、夭逝してしまったのです。
その悲しみのあまりに詠んだのが、この詩でした。

露の世は つゆの世ながら さりながら

この意味は、
この世のことは露のように儚い浮世だと知っている。
無常の世の中だということは、よく分かっている。
無常の儚い世の中だと分かっているが、
しかしどうしても亡くなった我が子のことが忘れられない。
浮き世のことだと悟ってみても、悲しいかな、あきらめきれない。
小林一切の言葉にならない愛別離苦が伝わってきます。

勧酒(于武陵)

最後は中国の有名な漢詩「勧酒」です。

君に勧む金屈巵きんくつし
満酌まんしゃく辞するをもちいず
ひらいて風雨多し
人生別離

(漢文:勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離)

金屈巵」とは、黄金の杯です。
この詩は、井伏鱒二の名訳で有名です。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(この酒坏を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、「さよなら」だけが人生だ)

人生足別離」の部分を、
一般的には「人生に別れはつきものさ」と訳すところを、
井伏鱒二は「さよなら『だけ』が人生だ」と訳し、
人生は別ればかりだ」というニュアンスとしました。

人生は長く生きれば生きるほど、別れの数が多くなります。
実際に別れを悲しさを経験した人ならば、よく分かる表現であり、
共感せずにおれない名訳だといわれています。

この訳については、文学者の林芙美子が呟いた言葉を意識した、
と井伏鱒二は記しています。

「やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人足らず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら、左様なら」と手を振った。
林さんも頻りに手を振っていたが、いきなり船室に駆け込んで「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。
そのせりふと云ひ、挙動と云ひ、見ていて照れくさくなって来た。何とも嫌だと思った。
しかし、後になって私は于武陵の「勧酒」といふ漢詩を訳す際「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。
無論、林さんのせりふを意識していたわけである

別ればかりの人生、愛別離苦の苦しみを避けることができないのでしょうか。

諸行無常と愛別離苦

なぜ別れが避けられないのでしょうか。
それは、この世は、諸行無常の世界だからです。

諸行無常とは、この世の一切は常がない、ということです。
すべてのものは移ろい変わっていく。
1つとして留まり続けるものはありません。
友人関係も夫婦関係もビジネス関係も
いつかは解消される日が来るのです。

出会いがあれば別れがあるこの世の真理を、
諸行無常会者定離えしゃじょうりことわりともいわれます。
会者定離とは、「会うものは定めて離る」ということで、
会うは別れのはじめ」ともいわれます。
出会いと別れはセットなのです。
出会いの数だけ別れがあります。

ちなみに諸行無常については、以下の記事で詳しく解説してありますので、
そちらもご覧ください。
「諸行無常の響きあり」の意味と甚大な影響力

お釈迦様はお亡くなりになる直前、
涅槃経』にこのように教えておられます。

一切諸行は、皆悉く無常なり。
合会恩愛は必ず別離に帰す。

(漢文:一切諸行皆悉無常 合會恩愛必歸別離)

どういう意味かというと、
あらゆるものごとは、悉くすべて常がなく、移ろいゆく。
出会った親子や兄弟、夫婦などの愛情は、必ず最後、別れで終わる
ということです。

さらに『遺教経』には、このように説かれています。

世は皆、無常なり。
会うものは必ず離るる有り。
憂を懐くことなかれ。

(漢文:世皆無常 會必有離 勿懷憂也)

どういう意味かというと、
この世は無常であり、会うものは必ず離れるのだ。
思い悩んだり苦悩しないように、ということです。

なぜ最後、必ず別れで終わるのでしょうか。
それはすべての人は、必ず死ぬからです。

平家物語では仏教をもとに、このように歌われています。

生者必滅會者定離は、人界の定まれる習い

どういう意味かというと、
生きている者は必ず滅び(死ぬ)、出会った者は必ず別れる。
これが無常の世の中の普遍的な道理である
ということです。

諸行無常
会者定離
会うは別れの始め
といわれるとほとんどの人はすでに知っていることだと思います。
つまり誰でも元々分かっています。

ところがこれまでのエピソードでも見たように、
実際に自分の大切な人と別れなければならない時がくると
「どうして人は別れねばならないのだろう」と思います。
愛する人との別れはとても受け入れられません。
この愛別離苦から離れられないのが、人間の不合理で迷いの深いところなのです。

このように、私たちは、どう頑張っても愛別離の苦しみから、逃れることはできません。
それなら、この苦しみを克服するしかありません。
どうしたら克服できるのでしょうか?

別れの代表的なケースとして、失恋の別れと、死別の2つで考えてみます。

失恋の別れを克服し乗り越える方法

失恋の別れの苦しみを乗り越える方法として、
一般的にいわれる助言は、
悲しみの感情を受け入れる
ということです。

別れの時、悲しみ、怒り、喪失感など
さまざまな感情が湧き上がり、絡み合います。
これらの感情を、否定せずにまずは受け入れることが大切です。
感情を否定しようとしても否定できるものではないからです。
湧き上がった感情は受け入れ、乗り越えるしかありません。

しかし、苦しいのは別れを受け入れられないからです。
そこで、悲しみの感情を受け入れるプロセスを7つのステップにしてみました。
この方法を一つずつ試し、少しずつ別れの悲しみの感情を受け入れてみてください。

1.自分を大切にする

まずは自分を大切にすることが重要です。

冷静になれず自暴自棄になり、
ただでさえ傷ついているのに、もっと自分を傷つけて、
その傷みによって落ち着こうとする人もいます。
しかし、傷ついた心をさらに傷つけていては、
失恋の悲しみが本当に癒えるということはありません。

自分が傷ついている時にこそ、
一番自分が癒やし、甘やかし、大切にしてあげましょう。
温泉に入ったり、マッサージを受けたり、新しい匂いの香水を購入したり、
少し考えれば、自分を労る方法はたくさんあります。

少しだけ冷静になったところで、
次に自分の感情を、信頼のおける人に話をしてみます。

2.自分の感情を他人に話す

感情を抱え込まず、自分の悲しみを友達や家族など信頼のおける人に話すことで、
共感してもらい心が軽くなることがあります。

同時に話をする中で感情が整理され、
今の状況を冷静に判断できるようになります。
本当はそれほどまでに好きではなかったかもしれない、
ここまで自分が苦しむ必要はないなど、
今の状況を客観的に見ることで、苦しみが和らぐことでしょう。

自分の感情を他人に話したあと、
次に自分自身の言動を見つめ直していきましょう。

3.自分自身を見つめ直す

忙しい日々では、自分自身を見つめ直すタイミングが、なかなかありません。

しかし別れは、自分自身の振る舞いや、言動を見直すいい機会となります。
彼氏や彼女と一緒にいる時、自分はどういうことをやっていたのか。
反省していたり、後悔していることはどんなことなのか。
否が応でも考えてしまうからです。

この時、自分自身を見つめ直し、反省したことを自分自身の成長につなげることで、
前向きなエネルギーが生まれます。

自分の言動を振り返っていると、どうしても過去ばかりが気になってしまうことがあります。
次に過去に囚われないように心がけましょう。

4.過去に囚われない

しかし、いつまでも悲しみを友人に語り続けてばかりいては、
周囲からもうんざりされ、話を聞いてもらえなくなります。
過去の出来事に執着しすぎないように、心がけることは大事です。
過去にこだわることは、新しい可能性や幸せを見逃す原因となります。

チャールズ・ディードリッヒは、このように言っています。

今日という日が、残りの人生の中で一番最初の日です。
(Today is the first day of the rest of your life.)

過去につらいことがあっても、
いつも今日が残りの人生のスタートです。
最高のスタートダッシュになるよう、未来に向かって生きていきましょう。

また、ロバート・ゴダードはこのように言っています。

ロバート・ゴダードロバート・ゴダード

これだけは覚えておきなさい。
何もかも失ったと思える瞬間でさえ、
あなたの未来は残っているということを。

Just remember - when you think all is lost, the future remains.
(ロバート・ゴダード)

過去よりも未来に目を向けてみよう、ということです。

ですが過去に囚われない心がけをもったとしても、
そのままでは、なかなか忘れられるわけではありません。
どうすれば未来に目を向けられるかというと、
未来に向かって生きる方法として、
これまでやったことのない行動をしてみましょう。

5.新しい趣味や活動を見つける

別れという悲しい出来事があった時こそ、
あえて新しい趣味や、サークル活動に参加してみましょう。
気分転換ができます。
過去の別れがなかなか忘れられなくても、
多忙にしていれば、別れを思い出す時間が減ります。

芥川龍之介芥川龍之介

われわれを恋愛から救うのは理性よりも多忙である。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

何かきっかけがなければ、新しいことはなかなか始められません。
失恋がチャンスに変わります。
どん底だと思っていても、別れの苦しみを忘れるために行動し続けることで、
人生が好転していきます。

因果応報の世の中ですので、自分のやった行動が、自分の人生を変え、
気づいた時には苦しみをも乗り越えさせてくれるでしょう。

因果応報についてはこちらの記事をご覧ください。
因果応報とは?意味を分かりやすく恋愛の実話を通して解説

余裕が出てきたら、次に、自分自身の新しい目標を立ててみましょう。

6.新たな目標を設定する

新しい目標に向かって努力することで、将来に希望を見出せます。
未来を強く意識して生きることができ、過去の失恋の苦しさを乗り越える原動力となります。

目標を達成した時、
失恋があったからこそ頑張れた
と失恋を良い思い出として語れるくらい、未来に向かって生きていきましょう。

7.時間をかける

とはいえ、これまで色々なことを試してはみたものの、
やはり別れから立ち直るには時間がかかることを理解しなければなりません。
苦しく、恋に焦るあまり、すぐにろくでもない人や、好きでもない人と付き合って、
もっとひどい目に合う人も居ます。
焦らず、自分のペースで悲しみや喪失感を乗り越えていくことが重要です。

愛は時を忘れさせ、時は愛を忘れさせる」という言葉もあります。
失恋の苦しみは、いつか時間が解決してくれるのです。

アメリカのジャーナリスト・フィリス・バッテルは、このようなユーモアを言っています。

失恋は5年後に、人生を素晴らしくしてくれるのよ。
エレベーターで元彼に会って、太った彼が葉巻を吸いながら「久しぶり」と言っていた時に。

A broken heart is what makes life so wonderful five years later, when you see the guy in an elevator and he is fat and smoking a cigar and saying long-time-no-see.

時間の経過によって、失恋の悲しみが、喜びや楽しみに変わることもあるのです。

ここまでのステップをクリアし、悲しい気持ちが落ち着いた時、
きっとあなたは成長し、人生に彩りが生まれていることに気付くでしょう

死別の別れを克服し乗り越える方法

家族や親しい人との死別の別れを乗り越えるために、
遺族の「グリーフケア」というサポートがあります。
グリーフケアとは、喪失や別れに伴う悲嘆や喪失感(グリーフ)を理解し、処理し、乗り越えるためのケアやサポートのことです。

グリーフケアには、故人がなくなったという悲しみのプロセス(グリーフワーク)に寄り添いながら、
感情や心の健康を支え、個々の人が新たな現実と向き合い、生活を再構築するのを助けるという目的があります。

具体的には、以下のようなことが行われます。

1. 死別に伴う感情は自然であると知る

死に対する色々な情報を提供してもらい、
故人の喪失に伴う様々な感情(悲しみ、怒り、否認、受容など)は
自然な感情であることを知ります。

2. コミュニケーションをとり共感してもらう

他の人とコミュニケーションをとり、
自分の悲しみを聞いてもらいます。
特に死別の経験がある人に聞いてもらい、
共感してもらうことができれば、
少し気が楽になります。
そして、悲しい別れを経験したのは自分だけではなく、
むしろ経験していない人のほうが少ないと知らされます。

3. 葬式やお別れ会などを執り行う

葬式やお別れ会を催し、愛する人を追悼し、
感謝の気持ちを表す機会を設けます。

これらのものは、どれも自分自身でできるものであり、
必ずしもサポートが必要というわけではありません。
多くは前述した失恋の別れの克服方法と同じようなやり方で、
悲しみを乗り越えていきます。

別れの悲しみを受け入れ、自分が未来に歩むことが、
ある意味、故人の望むことでもあるのではないでしょうか。

また死別の別れには、もう1つ、
私たちが絶対に避けれられない苦しみが付きまといます。

自分の死を見つめる

全く関係のない人が亡くなってもなかなか気づきませんが、
身近な人が亡くなった時、
強烈に人生には限りがあることを意識させられます。

例えば母親が亡くなった場合、
深い悲しみや寂しさと共に、
自分を生み育てるために、
あんなに苦労してくれた母の人生は何だったのだろう
と思います。

そしてそれは自分も同じです。
限りある人生、
何のために生きるのか
本当の幸せとは何か
考えずにおれなくなります。

最大の愛別離苦

さらに、普段は気づいていませんが、死別によって死を意識させられれば、
自分が死ぬ時はどうなるのだろうと思い至ります。
死は絶対に避けることはできません。
老いや、病や、事故、災害、または寿命が尽きることで、
死ぬということがあります。

その時には、すべての人と別れねばなりません。
その時に、愛別離苦の中でも、最大の苦しみがやってきます。
それは、これまで大事にしてきた自分の肉体とも別れなければならないという事実です。

それはどういうことかというと、
私たちは片腕一本なくなっただけでも、大変な苦しみです。
歯が抜け落ちただけでも大騒ぎします。
目が見えなくなればもちろん、
耳が聞こえなくなったら、
私たちは大変な辛く悲しい思いをします。
ところが、死ぬ時には、肉体全部と同時に別れねばなりません。
自分の身体が全部なくなる時、
その悲しみや苦しみは、普段は想像もできない恐ろしい苦しみとなるのです。

このような愛別離苦の苦しみは、悲しみの感情を受け入れ、一時的に楽になったとしても、次の別れがやってきます。
その悲しみを受け入れ少し楽になったとしても、また次の愛別離苦がやってきますので、なくなりません。
そして、最後は自分の肉体と別れるという最大の愛別離苦がやってきます。
どうしたら本当の幸せになれるのでしょうか。

愛別離苦の苦しみはそのまま幸せになる方法

今回は、愛別離苦について詳しく解説しました。

愛別離苦は、八苦と言われる苦しみの1つであり、
四苦とは別に、残りの苦しみの中で特に大きい苦しみとされます。

愛別離苦のエピソードは様々あります。
出会い別れだけでなく、自分の能力や才能が衰える時も、
愛別離苦の苦しみを味わいます。

なぜ愛別離苦となるのかというと、
この世が無常の世界だからです。
常にうつろい、変化し続けます。
だから出会いがあれば、必ず別れが訪れるのです。

そして最後、私たちは必ず死んでいかなければなりません。
死別による最大の愛別離苦は、どんな人にも訪れます。
愛別離苦の苦しみは、避けられませんし、なくすことができません。

では、どうしたら幸せになれるのでしょうか。

愛別離苦がなくせないとすれば、
愛別離苦の苦しみがあるまま、本当の幸福になるしかありません。
それには苦悩の根元を断ち切ればいいと仏教に教えられています。

仏教に説き明かされた苦悩の根元を断ち切られれば、
人間に生まれてよかったという生命の大歓喜が起きて、
永遠に変わらない幸せの身になれます。
そして、死ねば愛別離苦のない、悟りの世界へ生まれるので、
苦悩の根元を断ち切られた人であれば再会できます。

では苦悩の根元とは何か、どうすれば断ち切られるのかについては、
非常に深い仏教の真髄になるため、
以下のメール講座と電子書籍にまとめてありますので、
ぜひ見てみてください。

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作