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生きる意味を、知ろう。

日々是好日とは?

座右の銘としても人気のある言葉である「日々是好日」。
日日是好日」とも書かれています。

作家の武者小路実篤も好きだったのか、よく「日々是好日」と書いた武者小路実篤の書があります。
これを落ち込んでいる時に読むと、悲しく辛い出来事があっても物事の捉え方が変わり、前向きになる人もいるでしょう。
普通は日々をあるがままに受け止めて感謝して生きるというような意味に使われていますが、本当は仏教の深い意味があります。

今回は「日々是好日」の本当の意味と、つまらない毎日を「生命の歓喜」に溢れた日々にするための方法について、解説していきます。

日々是好日の意味

日々是好日は「にちにちこれこうにち」や「にちにちこれこうじつ」と読みますが、
日常会話では「ひびこれこうじつ」と言われることが多い言葉です。
日々是好日を「仏教用語」または「禅語」だと知っていても、誰の言葉なのか、正しい意味まで知っている人は少ないでしょう。

まず日々是好日の辞書の意味を見てみます。

日日是好日
にちにちこれこうにち
毎日毎日がすばらしい。
雲門文偃うんもんぶんえんの言葉。
『雲門広録』中を出典とするが、一般には『碧巌録へきがんろく』6雲門十五日によって知られる。
日常の一日一日に真理が実現しているということ。
馬祖道一ばそどういつの<平常心是道(びょうじょうしんぜどう)・(へいじょうしんぜどう)>に通じる。
『碧巌録』では「雲門垂語して云く、『十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句をち来たれ』。自ら代って云く、『日日是れ好日』」と言われているが、この「十五日」に関しては諸説があって確定していない。

このように書かれていますが、辞書の内容では分かりづらいところもあるので、以下では分かりやすく解説します。

今日の運勢は?

現代人の多くは「自分は迷信を信じていない」と思っていますが、
実はそうでもありません。
結婚式は大安の日を選ぶ人がほとんどです。
ですから、大安吉日は結婚式場がいっぱいです。

それに引き換え、仏滅の日はガラガラなので、安く結婚式が挙げられます。
大安とか仏滅なんか関係ないと口ではいいながら、
何となく不安になる心があるのです。
それで、念のため、大金をはたいても、大安吉日を選んでしまいます。

実際、日本で販売されているカレンダーを見ると、
ほとんどのカレンダーに、大安とか仏滅とか先勝とか六曜が書いてあります。
書いていないカレンダーはないくらいです。
それだけ吉日を信じている人が多いということです。

合理的に物事を考える欧米でも、キリスト教圏であるためか、
13日の金曜日を忌み嫌って、ホテルの13号室がなかったりします。
どんな国の人でも、日付にとらわれるのです。

他にも、今日の運勢を信じている人もあります。
占いをみると、毎日運勢が違います。
日によって、今日の金運、仕事運、恋愛運、総合運、ラッキーアイテム、ラッキーカラー、ラッキーナンバーなどが違うと思っています。
そして、今日はついているから行動を起こすなら今日がいいとか、
今日はついていないから用心してあまり派手なことはしないほうがいいと思います。

また、最近よく言われるようになった、最強開運日というのがあります。
旧暦の暦注の一粒万倍日いちりゅうまんばいび天赦日てんしゃにちの重なる日のことを言います。
新しく物事を始めたりするのに良い日だとされて、
その日に欲しかったものを買ったり、
新しいバッグや財布の使い始めの日としたりする人もあります。

そのような、日によって、ついているとか、ついていないとか、
日による吉凶ということはあるのでしょうか?

吉日や凶日はある?

日の良し悪し吉凶については、お釈迦様はこのように教えられています。

如来の法の中に良日吉辰をえらぶことなし。
(漢文:如來法中 無有選擇 良日吉辰)

如来の法」というのは仏の教えということで、仏教のことです。
良日吉辰」とは、「良日」も「吉辰」も同じ意味で、吉日のことです。
えらぶ」というのは区別することですから、
如来の法の中に良日吉辰をえらぶことなし」とは、
仏教では、いつが良い日(良日吉辰)なのかを区別することはない、ということです。
この日は良い日、この日は悪い日といった日の吉凶はないと教えられているのです。

大安や仏滅などの六曜は、仏教とは何の関係もないものです。
六曜などの日の良し悪しついて、詳しくは
以下の記事に書いてありますのでお読みください。
六曜(大安や友引、仏滅)の起源は仏教?

何か事をなすにあたって、今日は悪い日だとか、明日は良い日だとか、ある日は「今日は友引だから法事をしてはいけない」とか「大安だから結婚式をあげよう」とか、日の吉凶に左右されていては、生活を窮屈にさせるだけでなく、迷信を信じたせいで苦しむことさえあります。

いい日か悪い日かはどう決まる?

ではなぜ日の吉凶がないのかといえば、
私たちの運命は自分の行為によって決まるからです。
どのように決まるのかというと、お釈迦様はこのように教えられています。

善因善果ぜんいんぜんか
悪因悪果あくいんあっか
自因自果じいんじか

これは、善い行いをすれば、善い結果が現れる。
悪い行いをすれば悪い結果があらわれる。
自分のまいたたねは自分が刈り取らなければならない、ということです。
自分の運命は、日によって決まるのではなく、自分の行いによって決まるのです。
現代では、自分の運命をその日にちや運勢のような自分の外に求めるのではなく、
このように自分の内側に求める自責思考がうまくいく秘訣だといわれています。

仏教ではこれを昔から「自業自得」または「因果応報」と教えられています。

因果応報について詳しくは以下の記事をお読みください。
因果応報とは?意味を分かりやすく恋愛の実話を通して解説

その日が良い日になるか、悪い日になるかを決めるのは、自分の行いなのです。
善い行いをすれば良い日になるし、悪い行いをすれば、悪い日になります。
ここでよくいわれるのが「日々是好日」です。

日々是好日の使われ方

自分の運命は自分の行いによって決まるのだから、
その人の種まきによって、善い種まきをすれば良い日になりますし、
逆に悪い事をすれば悪い日になります。

だから「日々是好日」という時は、
毎日毎日良い日にしていきなさい
という意味で使われます。
これは仏教の教えにかなう使い方です。

吉日なんかありませんよ、
地道な努力が良い結果を生み出すから、善い種まきをしなさい。
逆に13日の金曜日が悪いということもありませんよ、
そんなことよりも、悪い種まきが不幸や災難を生み出すから、
悪い種まきは慎みなさい、
地道に善い種まきをしていきなさい、
仏教では、このように教えられています。

他にも世間では、もう少し分かりやすく、「日々是好日」を「毎日毎日良い日なんだ」という意味であるとして、日々の心の持ち方を良くするために使われることがありす。

人は苦しみを嫌い、楽を求めます。
それなのにこの世は楽しみは少なく苦しみが次々やってきます。
そんな人生において「『すべてのことは自分にとって悪いということはない』という心持ちで生きよう」という意味で「日々是好日」は使われたりします。

また他にも、その日その日が「好日」(良い日)だと迎え、吉凶の別を定めず、「おもい立つが吉日」でいつでも自分の都合の良いときに物事を行おう、という意味でも「日々是好日」という言葉が使われることもあります。

ですが禅宗で使われる「日々是好日」には、もっと深い意味があります。
日々是好日」は本当はどんな意味なのでしょうか?

日々是好日の正しい意味

日々是好日は誰の言葉なのかというと、唐の時代の中国の禅僧で雲門宗を開いた 雲門文偃うんもんぶんえんだといわれています。
『雲門匡眞禪師廣録』にこのようにあります。

十五日已前はなんじ に問わず、十五日已後、一句をち来たれ。
代わりて云わく「日々是好日」と。
(漢文:十五日已前不問爾 十五日已後道將一句來 代云日日是好日)

日々是好日が説かれた場面

これはどういうことかというと、禅堂では、問答を行う日が決められています。
五日毎に行う「五参」といわれるものでは、毎月1日、5日、10日、15日、20日、25日の6日です。
その中で、1日と15日が最も重んじられています。
その15日の問答の時のことです。
15日の朝、雲門が、弟子の禅僧に向かって発した問いです。
ですから「十五日已前はなんじに問わず」とは、
これまでのことについては、そなたたちには問わない、ということです。

「道將し来たれ」というのは、「道」には言うという意味があるので、言ってみなさい、ということですから、
「十五日已後、一句を道將し来たれ」は、
これからのことを一言で言ってみなさい、ということです。

ところが誰も答える弟子がなく、みんな沈黙していたので、
雲門が自ら「日々是好日」と言った、ということです。

このことを雲門宗の僧侶圜悟克勤えんごこくごん は、『佛果圓悟禪師碧巖録』という有名な公案集の中に記しています。

擧す。雲門垂語して云く、十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句をち来たれ。
自ら代って云く、日日是れ好日。

(漢文:擧。雲門垂語云。十五日已前不問汝、十五日已後道將一句來。自代云。日日是好日)

意訳は、以下のとおりです。

雲門が(十五日に)修行の為に集まっている弟子たちに向かって言いました。
「十五日、今日以前のことは問わないが、十五日以後、これからのことについて、悟った(開悟)ことがあるならば、それについて一句で言ってみなさい」。
弟子たちは静聴して無言なので自ら代わって言いました。
「日々是好日」。

過去のことにくよくよするな?

これはどういうことでしょうか?
普通に考えると、過去のことをくよくよするな、という意味かと思います。
多くの人は、あの時儲けそこなったとか、
あの時こういう判断をしていればよかったとか、
若い頃はよかったというように、過去のことを後悔します。

ですが、過ぎ去ったことは今さら取り返しがつきません。
取り返しのつかないことをくよくよしても仕方がありません。
そんなことをいつまでも考えていないで、
これからの一日一日をいい日になるように気持ちの持ちようを変えよう、
という意味だと思います。
それもいいのですが、実はそういうことではありません。

日々是好日の本当の意味

この雲門がいう「日々是好日」の意味ついて、こんなふうに解説されてたりします。

日々好日とは日々の好日を観念せよと云うのではなく、十五日已前も已後の概念もそのままにして、而もそれに囚われない観照の立場に立てと云う意味で、日々好日とは観照即ち超越の立場に於ける心持ちを現したものである。

つまり日々是好日の正しい意味は、日々の好日を思いなさい(観念せよ)というのではなく、
禅宗さとりの境地(観照即ち超越の立場に於ける心持ち)を表した言葉です。

世の中の人々は、雪が降れば雪が降ったと大騒ぎします。
暑い夏は暑い暑いとい大騒ぎします。
だけど、雪が降ればスキーが好きな人は喜ぶし、
暑い夏は、アイス屋さんはアイスが売れて喜びます。
宇宙は人間のためにあるのではないのに、
自分の都合で苦しんだり喜んだりしています。

ですが人それぞれ都合が違いますから、宇宙もすべての人を喜ばせることはできません。
宇宙はただ真理の法則のままに運行しているだけで、善もなければ悪もない。
絶対平等の真理を体得すれば、日々是好日であっていいも悪いもない、
という悟りの境地を言い表そうとしている言葉です。

禅宗の悟り

禅宗のさとりは、以心伝心であり、座禅によって言葉にできない大覚円成の仏の心をそのまま体得するものです。
仏の心を体得するとどうなるかというと、

動揺不安が自ずから取り除かれて、謂う所の安心立命の地はえられるわけである。

といわれ、物事に対して動揺することのない心になるようです。

また、このようにもいわれます。

(仏の智慧を体得せられた)人格を持って世に処すること日々是好日、些の屈託なく繋縛なく、平安な幸福な意義ある生活が営まれるべきは最早多く説くの要はない。

座禅によってさとりを得られれば、煩悩ぼんのうに縛られることなく、平安で幸福な生活を送ることができ、日々是好日の人生になるということです。

日々是好日になれる?

しかし残念ですが、座禅によって私たちは「日々是好日」という境地に至ることはありません。
なぜなら、禅宗の修行は、私たちの想像を絶するほど厳しいものです。
本格的に悟りを求める時には、出家が必須です。
そして戒律を守り、厳しい修行を行います。
そんなことができる人がいないからです。

昔の僧侶の中には、手足が腐るほどの修行をしてさとりを求めていた人もいましたが、現在の私たちにできる人もいなければ、求める人もいません。

禅宗については詳しくは下記に書いていますので、あわせてお読みください。
禅宗とは?総本山・開祖と教えの特徴を簡単に分かりやすく解説

日々是好日」の境地に至ることができないのであれば、私たちは毎日がつまらないと嘆く日々を、死ぬまで過ごすしかないのでしょうか。

そんなことはありません。
出家して修行をすることができない人でも本当の幸せになれる道をお釈迦様は教えられています。

つまらない日々を本当に良い日にする方法

今回の記事では、日々是好日の正しい意味を解説しました。

一般的には「毎日が素晴らしい日々だという心持ちで生きよう」とか、「大安友引など日の良し悪しといった迷信に惑わされず生活しよう」といった意味で使われます。

禅宗でいわれる「日々是好日」の本当の意味は、座禅によって至ったさとりの境地を表しており、それは動揺、不安が取り除かれた、物事に動じず、煩悩にも縛られない境地です。

しかし禅宗の修行は出家が必須で非常に厳しいため、現代人ではほとんど行うことができず、「日々是好日」の境地になることはできません。

では修行のできない者は、どうしたらつまらないと嘆く毎日を、人間に生まれてよかったという生命の歓喜が溢れる人生にできるのでしょうか。

その答えは真実の仏教を聞いて「苦悩の根源を断ち切る」ことだとお釈迦様は教えられています。

真実の仏教とは何か、苦悩の根源とは何かについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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