十二因縁(十二縁起)とは?

十二因縁(十二縁起)」とは、私たちの12の迷いの元を教えられたブッダの基本的な教えです。

お経には、ブッダはこの十二因縁を順番に観察され、逆の順番に観察され、仏のさとりを開かれたと説かれています。
その十二因縁について分かりやすく解説します。
果たしてどんな教えなのでしょうか?

十二因縁と十二縁起の違い

十二因縁(じゅうにいんねん)」は、
十二縁起(じゅうにえんぎ)」ともいわれます。
この2つはまったく同じ意味です。

インドの言葉を三蔵法師が中国の言葉に翻訳するとき、
鳩摩羅什(くまらじゅう)は「十二因縁」と翻訳し、
玄奘(げんじょう)は「十二縁起」と翻訳したというだけです。

ですから「十二因縁」と「十二縁起」は
まったく同じものを意味しています。

ただ、玄奘の「十二縁起」のほうが新しい翻訳ですが、
鳩摩羅什の翻訳した有名な『法華経』では「十二因縁」といわれていることもあってか、
現在でもどちらかというと
十二因縁」のほうがよく使われています。

では、十二因縁は、何を教えられたのでしょうか?

十二因縁の目的

十二因縁の目的は、本当の幸せになることです。

ブッダは学問のために学問をする学者でもなければ、
科学の進歩のために研究する科学者でもなく、
どうすれば本当の幸せになれるのかという
自分の人生を問題とされていました。

そのため、世界がどうなっているのかとか、
他人のことを問題にする前に、
まず自分自身のことを問題にされたのでした。

ブッダが深遠な悟りを求められた目的は、
本当の幸せになることです。

こうしてブッダが本当の幸せを求めていかれるとき、
因果の道理を根幹として明らかにされたのが十二因縁です。

苦しみ迷いの原因を追及すること12回

十二因縁の因縁も
十二縁起の縁起も、
因果のことです。
因果とは、原因と結果のことです。
すべての結果には必ず原因がある」、
ということです。

私たちが何をやっても、何を手に入れても幸せになれず、
苦しみ迷い続けているということも結果ですから、
それには必ず原因があります。

トヨタ自動車の有名な改善の方法に、
問題について、なぜを5回繰り返し、
原因を追及していくという分析方法があります。

ちょうどそのように、ブッダは、
私たちが幸せになれない原因を
12回追及して行かれたです。

これは、極めて難しいことですから、このように『雑阿含経』に説かれています。

この十二因縁は見難く知り難し。

こうしてブッダは、
苦しみ迷いの原因を追及して行かれ、
ついに苦悩の根本原因をつきとめられたのです。

ついに発見された真理

この十二因縁は、私たちの苦しみ迷いの12の原因です。

それはブッダが作られたのではなく、発見されただけです。
他の誰かが作ったわけでもありません。
お経にはこう説かれています。

縁起の法は我が所作に非ず。
また余人の作にも非ず。
しかるに彼の如来出世するも、
及び未だ出世せざるも法界常住なり。

縁起の真理は、私が作ったのではない。
また、誰か他の人が作ったのでもない。
仏のさとりを開いた人がこの世に現れても、いまだ現れなくても、
大宇宙に常に存在しているのだ、ということです。

ブッダが地球上に現れようが現れまいが、
人間がいる限り存在している大宇宙の真理が十二因縁です。
その、もともとあった十二因縁を発見されて、
ブッダ仏のさとりを開かれたのです。
そのことをこう説かれています。

彼の如来は自らこの法を覚して等正覺を成ず。

等正覚」とは仏のさとりのことです。
ブッダは、この十二因縁をさとって、仏のさとりを開かれた、ということです。

お経に説かれる十二因縁

では、十二因縁はどんな内容なのかというと、
色々なお経に説かれていますが、
例えば『長阿含経』にこう説かれています。

智慧をもって生死の由るところを観察するに生より老死あり。
生はこれ老死の縁たり。
生は有より起る。有はこれ生の縁たり。
有は取より起る。取はこれ有の縁たり。
取は愛より起る。愛はこれ取の縁たり。
は受より起る。受はこれ愛の縁たり。
受は触より起る。触はこれ受の縁たり。
触は六処より起る。六処はこれ触の縁たり。
六処は名色より起る。名色はこれ六処の縁たり。
名色は識より起る。識はこれ名色の縁たり。
識は行より起る。行はこれ識の縁たり。
行は無明より起る。無明は行の縁たり。
是をもって無明に縁って行あり、
行に縁って識あり、
識に縁って名色あり、
名色に縁って六処あり、
六処に縁って触あり、
触に縁って受あり、
受に縁って愛あり、
愛に縁って取あり、
取に縁って有あり、
有に縁って生あり、
生に縁って老病死憂悲苦悩あり。

生死」というのは、輪廻であり、苦しみ迷いのことです。
智慧をもって生死のよるところを観察するに」というのは、
仏のさとりの智慧によって、苦しみ迷いがどこから生じたのかを観察すると、ということです。
次の「生によりて老死あり」とは、老いて死ななければならないのは、生まれたからだ、ということです。
次の「生は有より起る。有はこれ生の縁たり」とは、生まれた原因は有だ、ということです。
ここでは「」と「」は同じ意味です。
こうして、どんどん原因をさかのぼって、最終的に無明にたどりつかれます。

これを無明から順番に分かりやすく図示すると、こうなります。

十二因縁

1無明→2行→3識→4名色→5六処→6触→7受→8愛→9取→10有→11生→12老死

このことから、続けて次のように説かれています。

これをもって無明、滅すれば行滅し
(中略)
生、滅すれば老死憂悲苦悩滅す。
菩薩はかく思惟する時、智生じ、眼生じ、覚を生じ、
明を生じ、通を生じ、慧を生じ、証を生ず、
菩薩は逆順に十二因縁を観じて実の如く知り、
実の如く見をはりて即ち阿耨多羅三貎三菩提を成ず。

菩薩」とは仏のさとりを求めておられた時代のお釈迦さま、
阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とは仏のさとりのことですから、
お釈迦さまは、十二因縁を順番に観察され、
逆の順番に観察され、仏のさとりを開かれたのです。

では、十二因縁のそれぞれはどんな意味でしょうか?

十二因縁のそれぞれの意味

十二因縁のそれぞれの意味について、
天親菩薩の『倶舎論(くしゃろん)』によってみてみましょう。

1.「無明(むみょう)」とは迷いの根本です。
これが原因となって次の行を生み出します。

2.「(ぎょう)」とは行為のことで前生で行ったです。
これが原因となって次の識を生み出します。

3「(しき)」とは前生のが始めて精神的な結果としてあらわれたもので、
お母さんのお腹に宿ったときです。

4.「名色(みょうしき)」とは、識が具体的な形となったものです。
名色」の「」は心、「」は形を表しています。
私たちがお腹に宿ってから眼や耳ができるまでなので、
約4週間程度です。

5.「六処(ろくしょ)」とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六感ができて
六識ができるまでです。まだお腹の中です。

6.「(そく)」とは、初めて外界の事物を感覚し始める小さい頃です。

7.「(じゅ)」とは、外界から種々の言語や知識を受け取る時代です。

8.「(あい)」とは、精神が発達して色欲が強くなり、
愛憎の思いを感ずる青春時代です。

9.「(しゅ)」は、欲望がますます激しく起きる時代です。
あれが欲しい、これが欲しい、ほめられたい、認められたいという
欲の心に日夜馳せ使われます。

10.「(う)」とは、のことです。
は未来の結果を有するということで「」といいます。
」「」の煩悩に引きずられ、
色々な悪業を造って未来に輪廻転生する種を残します。

11.「(しょう)」とは、現世に造ったによって次の世に生を受けます。

12.「老死(ろうし)」とは、生まれてから老衰して死んでゆくまでです。

このように、十二因縁は三世にわたっており、
1番目から2番目までは過去世、
3番目から10番目までは現在世、
11番目、12番目は未来世です。

こうして私たちは、悪業を造り、
因果の道理にしたがって、
迷いの世界である六道を輪廻し、
永遠に苦しみ迷い続けて行くのです。

迷いを断ち切る方法

このように、仏教では、
すべての結果には必ず原因があります。
原因がなければ結果もありません。

この十二因縁が明らかになると、
苦しみ悩みの根本原因が無明ですから
無明がなくなれば、苦しみ悩みもなくなります。

では無明とは何でしょうか?
2つあります。

ほとんどの場合、煩悩と説明されていますが、
煩悩具足の私たちは、煩悩を断ちきるこはできません。
ブッダの目的は、すべての人を本当の幸福にすることですから、
煩悩ではない、もう1つの無明が
苦悩の根本原因です。

その苦しみ迷いの根本原因については、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

東京大学教養学部で量子統計力学を学ぶ。仏教は25年以上学び、日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。執筆や講演を通して、科学的な知見をふまえ、伝統的な本物の仏教を解説。先端技術を導入し、本当の仏教を誰でも分かりやすく学べる環境を作ろうとしている。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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