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嫌われる勇気(アドラー心理学)

アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』は、
168万部突破のベストセラーとなり、ドラマにもなりました。
韓国でも100万部、台湾で30万部の大ベストセラーですが、
一体どんなことが描かれているのでしょうか?
嫌われる勇気を要約して、あらすじを解説していきます。
最後にアドラー心理学の3つの問題点にも触れて、深く内容を理解していきたいと思います。
(ネタバレがありますので、気をつけて下さい)

嫌われる勇気を一言で要約すると?

嫌われる勇気』は、サブタイトルに
自己啓発の源流「アドラー」の教え』とあるように、
アドラー心理学のわかりやすい入門書です。

アドラーとは、20世紀の初頭、フロイトと並んで活躍し、
個人心理学」または「アドラー心理学」と呼ばれる心理学を創唱した
世界的な心理学者です。
その「アドラー心理学」がまとめられているのが『嫌われる勇気』なのです。

「嫌われる勇気」タイトルの意味

まずタイトルの「嫌われる勇気」とは、どんな意味でしょうか?

私たちの人生には、色々な苦しみがやってきます。
そのすべての悩みの原因は対人関係だ、とアドラーは言い切ります。
他の人から認められたいという承認欲求を充たすため、
嫌われないように立ち回る生き方は、不自由極まりないものになるからです。

そこでアドラーは、対人関係の問題を解決し、
すべての悩みから解放されるには、
「嫌われる勇気を持ちなさい」

ということです。

このことを解説するために、
嫌われる勇気』では、全体を5つに分け、
アドラー心理学を修得している哲人と、
それに挑戦する若者の対話形式で、
ステップバイステップで説明しています。

以下のあらすじは、まだ読んでない人も内容が分かりますし、
一度読んだ人も、復習の役に立ててもらえればと思います。

嫌われる勇気のあらすじ

『嫌われる勇気』は、このように全部で五夜からできています。

そのそれぞれをまとめて、『嫌われる勇気』のあらすじを解説します。

第一夜 原因論から目的論へ

まず、アドラー心理学では、全ての結果に対して、原因ではなく、目的を考えます。
すべての結果には必ず原因がある」と考えると、
過去の原因によって運命は決まっているという決定論になり、
未来を変えることができなくなるから。

例えば、引きこもっている人がいる時、
原因論では、不安という原因によって、外に出ないと考えます。

アドラー心理学の目的論では、
外に出たくないという目的によって、不安という感情を作り出している
と考えます。

そのため、トラウマも否定します。

フロイト心理学のような原因論では、
過去の災害や他人の言動などによる経験がトラウマとなって
現在苦しむと考えます。
それに対してアドラー心理学の目的録では、
今の目的にかなう経験を過去の記憶から探して、
トラウマにしていると考えます。

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

過去の経験は変えられませんが、今の目的は変えられますので、
この考え方によって、過去の経験や、環境、自分の感情にも縛られなくなります。
つまり今の自分の結果は、自分の選んだ目的によって変えていけると言うのです。

ライフスタイルの選択

では生まれつきの性格はどうなるのでしょうか?
『嫌われる勇気』では以下のように書かれています。

もちろん、意識的に「こんなわたし」を選んだわけではないでしょう。最初の選択は無意識だったかもしれません。しかも、その選択にあたっては、あなたが再三おっしゃるような外的要因、すなわち人種や国籍、文化、また家庭環境といったものも大いに影響しています。それでもな「こんなわたし」を選んだのはあなたなのです。

アドラー心理学では、性格や気質を「ライフスタイル」と呼び、
10歳頃に自分で選んだものだとしています。

「ライフスタイル」は自分で選んだものなので、
もう一度選び直すことができると言うのです。

人間が変われないのは、
過去のできごとや環境、性格などではなく、
今のままのほうが楽であり、変わるのは不安だからだといいます。
そのため、アドラー心理学では、
これまでの人生に何があったとしても、これからの生き方に何の影響もない
幸せになる勇気を持って、ライフスタイルを選び直しなさい
と教えているのです。

第二夜 優越性の追求と人生の3つのタスク

すべての悩みは対人関係

第一夜の目的論で考えることを前提とした上で、
第二夜には、対人関係に入ります。

アドラー心理学では、
個人で完結する内面の悩みは存在せず、
人間の悩みはすべて対人関係の悩み
と断言し、
宇宙に他者がいなくなり、自分一人になれば、
あらゆる悩みも消え去るだろう

といいます。

優越性の追求

対人関係を誤りやすい人間の普遍的な欲求が、
優越性の追求」です。
生まれ持った無力な状態を脱して理想を追求することです。

われわれは皆、無力な状態から脱したい、もっと向上したいという普遍的な欲求を持っています。
人類史全体における、科学の進歩にしても「優越性の追求」でしょう。

この「優越性の追求」によって起きるのが「劣等感」です。
理想に到達できない自分を劣っていると感じます。
しかし「劣等感」は必ずしも悪いものではありません。
正しく使えば努力や成長を促進します。

ところが、「私は学歴が低いから成功できない」とか、
私は器量が悪いから結婚できない」などと、
劣等感を言い訳に使うことを「劣等コンプレックス」といい、
そうなると、向上できなくなってしまいます。

人生は競争ではない

もう一つ、「優越性の追求」で、自分の理想を求めるのではなく、
他人と比較してしまうと、競争になってしまいます。

対人関係の軸に競争があると、他人を敵とみなするようになり、
周り中自分を陥れようとする敵で満ちあふれた
恐ろしい世界になってしまいます。

自分に悪口を言ったり、攻撃をしてくる人がいれば、
その人は、あなたに権力争いを挑んできているのです。
もし権力争いに勝っても、次は報復が待っています。
そこまで行くと、当事者同士での解決はほぼ不可能になるので、
権力争いは降りなければなりません。

他人との比較ではなく、自分の理想と比較して向上することにより、
他人は仲間となって対人関係の悩みは減り、世界は安全な場所になるのです。

人生の目標

そこで、アドラー心理学では、人間の行動面と
それを支える心理面の在り方について
ハッキリした目標を2つずつ掲げています。

行動面の目標は、以下の2つです。

行動面の2つの目標
  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

それを支える心理面の目標は、以下の2つです。

心理面の2つの目標
  1. 私には能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

そしてこれを達成するために向き合うべき
人生のタスクが3つあります。

人生の3つのタスク
  1. 仕事のタスク:仕事上の対人関係の形成と維持
  2. 交友のタスク:友人関係の形成と維持
  3. 愛のタスク:恋愛関係と親子関係の形成と維持

仕事の関係は、成果という共通の目標があるので、仕事のタスクは一番簡単です。
仕事の強制力が働かない友人関係の交友のタスクはもっと難しく、
より深くて近い恋愛や親子の関係の愛のタスクは最も難しくなります。

そして、過去の経験や環境を言い訳として、
これらの人生のタスクから逃げることを、
アドラー心理学では「人生の」と呼びます。

人生の嘘にすがるのは悪ではなく、
勇気がないだけなので、勇気を持ってこれらに取り組むよう教えるのが
アドラー心理学です。

では、どのように取り組むのでしょうか?

第三夜 対人関係のスタート:課題の分離

承認欲求の否定

あらゆる対人関係のトラブルを解消し、
人間関係を断ち切らないまま自由に生きる方法があります。

自由といっても学校や会社などの組織から
解放されることではありません。
自分一人が変わればできることです。

それが「承認欲求の否定」です。

他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。ここは強くいっておかねばなりません。

人は、他人から嫌われないように、
他人の期待に応えようとするから
不自由になるのです。

しかし私たちは他人の期待を満たすために生きているのではありません。
人から嫌われる勇気を持つことにより、自由に生きられるのです。

ではどうすれば、他人の期待に縛られなくても
孤立せずにすむのでしょうか?

それが「課題の分離」です。

課題の分離

課題の分離」とは、他人の課題と自分の課題を分離し、
相互に介入しないことです。
これには2つあります。

1.他人の課題に介入しない

まず他人の課題に介入しないというのは、
例えば子供が勉強しないとします。
無理に勉強させようとすると、子供は反発し、
もしいやいや勉強したとしても何も身につきません。

馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない
といわれるように、親は強制はせず、
勉強するように勇気づけることだけができます。
このような場合、勉強するかどうかは子供の課題で、
自分の課題は子供を信じ、勇気づけることです。

2.自分の課題に介入させない

次に、自分の課題に介入させないというのは、
例えば上司が理不尽で、努力も認めてくれず、
精神的なストレスで仕事ができないとします。

アドラー心理学では、
上司のせいで仕事ができない
というのは人生ので、
仕事ができないのを上司のせいにしている
だけです。

この課題を分離すると、
上司の部下への接し方は上司の課題であり、
自分の課題は、仕事で結果を出すことです。

誰の課題か

では、ある課題が、誰の課題なのかというと、
その選択によってもたらされる結末を受け入れる人です。

あらゆる対人関係のトラブルは、
自分の課題に踏み込まれたり、他人の課題に踏み込むことによって起きると考え、
他者の課題にも介入せず、自分の課題にも介入させない。
この「課題の分離」はアドラー心理学ならではの視点です。

他人を変えることはできないので、自分が変わる。
それに伴って、他人も変わることがある、
ということです。

これが対人関係のスタートなのです。

第四夜 対人関係のゴール:共同体感覚

課題の分離」に始まる対人関係のゴールは
共同体感覚」です。
これはアドラー心理学の鍵となる概念です。

実際共同体の意味は、とても広く捉えられています。

アドラーは自らの述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。

ただこれではあまり難しくなるので、まずは自分と他人(わたしとあなた)だけで考えてみましょう。

共同体感覚」とは、他人を仲間とみなし、
そこに自分の居場所があると感じられることです。

課題の分離ができていないときは、
自分が他人からどう見られているかばかりを気にかける生き方は、
自分にしか感心を持たない自己中心的なライフスタイルですが、
わたしは相手に何をやって与えられるか」を考えて、
共同体感覚に切り替えていくのです。

自分は世界の中心と考えていたのを、
人生のタスクに立ち向かうことにより、
自分は共同体の一部という意識が芽生え、
所属感が生まれます。

縦の関係から横の関係へ

課題の分離から共同体感覚に至るには、横の関係を築きます。

ほめたり叱ったりするのは、
能力のある人がない人への評価であり、
縦の関係です。
これは劣等感や他人の課題への介入を生み出します。

そこで、アドラー心理学では、縦の関係を否定し、
すべての人間関係を、「同じではないけど対等」という
横の関係にするよう提唱します。

ほめるのではなく、自分で解決する援助をします。
これを「勇気づけ」といいます。
そして横の関係から出てくるのは評価ではなく
ありがとう」という感謝や尊敬、喜びです。

感謝の言葉を聞いたとき、自分は共同体に貢献できたと知り、
自らの価値を実感でき、勇気が持てるのです。

もちろん、共同体に貢献できない人は価値がないということではありません。
人は生きているだけで誰かの役に立っているし、
自分の価値を実感できるのです。

第五夜 生きる意味とは

共同体感覚を得る方法

共同体感覚の向こうに幸福がありますが
自己中心的に自分ばかり気になってしまうのを、
他人に何を与えられるか考え、共同体感覚を得るのは
難しいことです。

ではどうすれば共同体感覚が得られるのかというと、以下の3つが必要です。

共同体感覚を得る3つのポイント
  1. 自己受容
  2. 他者信頼
  3. 他者貢献

それぞれどんなことなのでしょうか?

1.自己受容

自己受容とは、できもしないのに「私はできる
と暗示をかける「自己肯定」とは異なり、
あるがままのできない自分を受け入れ、
できるように進んで行くことです。

変えられるものと変えられないものを見極める
肯定的な諦めです。

大切なのは何が与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うかです。
何かが足りないとすれば、それは能力ではなく、
変えられることを変える勇気です。

2.他者信頼

他者信頼とは、他人を信じるとき条件をつけないことです。
それに対してアドラー心理学では、
銀行が返してくれるなら貸すというような、
条件付きの態度を「信用」といいます。

無条件で信じたら裏切られるのではないかと思いますが、
裏切るかどうかは相手の課題です。
自分は無条件で信じることによって、
深い関係が築かれます。

他者は敵ではなく、仲間になり、
ここにいてもいいんだ
という所属感が生まれるのです。

この他者信頼の勇気は自己受容から出てきます。

3.他者貢献

他者貢献」とは、仲間に貢献しようとすることです。
分かりやすいのは仕事です。家事もそうです。
それは自己犠牲ではありません。
他者がわたしに何をしてくれるか」ではなく、
わたしが他者になにをできるか」を考え、
実践することによって、
自分の共同体感覚が得られるのです。

そしてそれがまたありのままの自分を受け入れる
自己受容につながります。

幸福とは何か

どうすれば幸福になれるかというと、
目に見える貢献でなくても
貢献感」を持てればいいのです。

他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。
その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

つまり、『嫌われる勇気』における
幸福の定義は「貢献感」です。

承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がありません。
ですから他者からの承認はいりません。
共同体感覚があれば承認欲求にとらわれず、
私は誰かの役に立っていると実感できます。

いま・ここを真剣に生きる

人生は、「いま」という刹那の連続です。
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができません。
人生に目的地は存在せず、
いま、ここ」が充実していれば、それでいいといいます。

原因論を否定することによって過去を見ず、
目的地を否定して未来予測も不可能とし、
今を真剣に生きる以外になく、
過去や未来を考えることを人生最大のと断言します。

そして、戦火や天災と隣り合わせの不条理な人生に、
生きる意味はないとします。

その中で、他者貢献を導きの星として生ききったときにこそ、
自分にとっての生きる意味が明らかになるだろうといいます。

『嫌われる勇気』アドラー心理学の問題点

これが『嫌われる勇気』のあらすじです。
アドラー心理学を対談形式で面白く、
わかりやすく解説してあります。

すべての苦しみを人間関係に帰着させているだけあって、
人間関係についての役立つ考え方がたくさんあります。

アドラー心理学には、トラウマや過去の原因を否定するなど、
批判を呼びそうな極端な表現も見られますが、
何を言わんとしているのかは分かります。

ただ、アドラー心理学には、そのままではまずい
決定的な問題点が、少なくとも3つあります。
それは第四夜までの心理学的な部分ではなく、
第五夜の幸福や人生といった哲学的な部分に集中しています。
つまり生き方の部分ではなく、
なんのために生きるのかという根本的な部分です。

1.アドラー心理学の幸福感は続かない

このアドラー心理学でいう人間関係の幸せは、「貢献感」がなければゼロですし、
貢献感」をどれ位感じられるかという程度によって
幸福感が変わります。
これを「相対の幸福」といいます。

そして、この世は諸行無常の世界です。
貢献感が衰えることもありますから、
幸福感は続きません。
貢献感が減って行くのは不安ですから
苦しみになってしまいます。

確かにそれも相対の幸福の1つですが、
不安になるようなものは、
本当の幸福とは言えないのです。

幸福の定義を「貢献感」としてしまうのは
誤解を招きます。

2.人は必ず死ぬことを忘れている

そして、アドラー心理学が見落としている最大の問題点は、
すべての人に100%訪れる死です。

ちょうど、飛行機の乗客だとすれば、
飛行機内で乗客同士、課題を分離し、共同体感覚を得て、
貢献感の幸福を味わうことができます。

ところが、太平洋上空1万メートルを時速800キロで飛行中、
燃料が切れて、降りるところもわからないとしたらどうでしょう。

共同体感覚も、貢献感も二の次三の次で、
まず降りる所を見つけたくなります。

今ここを真剣に飛べば、それでいいとか、
燃料が切れたときに飛んだ意味が現れるでしょう
と言われても、実際にはとても信じられません。
無責任です。

仏教では、すべての苦しみ悩みの根元は、
人間関係ではなく、死の問題だと教えられています。
人生の問題として、人間関係と死を天秤にかけたら、
多くの人は死のほうが大問題と感じると思います。

そのため仏教では、この死の問題に対して、
飛行機のメタファーでいえば目的地を確保することによって、
人間関係がよかろうが悪かろうが、安心して空の旅を楽しめるようにします。
この生きてよし、死んでよしの大安心大満足の境地を
絶対の幸福」といいます。

3.生きる意味を知らない

最後に、『嫌われる勇気』では、人生の目的や生きる意味をないとしています。
実際アドラーは、『人生の意味の心理学』で、
絶対的な人生の意味を持っている者は誰もいない
と言っていますから、アドラー心理学において、生きる意味はないのです。

ところがこの「生きる意味はない」というのは推論です。
嫌われる勇気』の説明によると、
世の中には戦火や災害があるから、それでも達成できる生きる目的はないといいます。

それは、自分でも見つからないし、
みんなも「ない」と言っているから、
きっとないだろう」と推測しているに過ぎません。

こういう推論を「帰納法」といい、
現実のたくさんの現象の中から何かの法則を探すときに
よく使われる方法です。

たとえば、カラスは黒いというのは、
このカラスも黒い、
このカラスも黒い、
……とたくさん存在する黒いカラスから、
カラスは黒い」という法則を見つける方法です。

ただしこの方法では、1羽でも白いカラスが見つかると、
カラスは黒い」という法則は間違いになります。

生きる意味は、確かに西洋哲学者は誰も見つけていませんが、
仏教には教えられています。
20世紀初頭のアドラーには分からなかったと思いますが、
現在では間違いになります。

仏教には、今ここで「人間に生まれてよかった
という絶対の幸福に生かされる
本当の生きる意味が教えられています。

では、それはどんなもので、どうすればなれるのかといいますと、
それこそ仏教の真髄になりますので
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
現代人としては、一度目を通しておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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