祇園精舎とは?
現在の祇園精舎の跡
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語は、
日本人なら誰しも一度は聞いたことがあると思います。
では、祇園精舎とは一体何なのでしょうか?
そして、鐘の声とはどんな意味なのでしょうか?
祇園精舎とは?
「祇園精舎」とは、祇園に建てられた精舎、
ということです。
仏教の辞典を見ると、このように出ています。
祇園精舎
ぎおんしょうじゃ[s:Jetavana Anāthapiṇḍadasyārāma, p:Jetavana Anāthapiṇḍikārāma]
<祇洹><祇桓>とも。
古代インドのコーサラ国の都シュラーヴァスティー(舎衛城)にあった精舎の名。
シュラーヴァスティーのスダッタ(須達)長者が私財を投じて、ジェータ(Jeta, 祇陀)太子の園林を買い取って、釈尊とその教団のために建てた僧房の名である。
ジェータ太子の園林であるから、<祇樹><祇園>などと漢訳された。
スダッタ長者が貧しい孤独な人々に食を給したので、<祇樹給孤独園>とも漢訳されている。
釈尊によって多くの説法がこの地でなされた。
もとは7層の建物であったといわれる。
その鐘の音は「諸行無常」の響きとされる。
「諸行無常」は涅槃経聖行品などにみえる雪山偈の一句であり、雪山童子説話にもみえる。
鐘の音については安居院流などの唱導資料にも散見され、祇園精舎言説の広がりがうかがえる。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」〔平家1.祇園精舎〕(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
これも間違いではありませんが、祇園精舎についてかなり簡単に説明されていますので、
辞典では書かれていないところまで、分かりやすく解説していきます。
「祇園」とは、約2600年前、インドのコーサラ国(拘薩羅国)の
祇多太子が所有していた林で、祇樹ともいいます。
「精舎」とはお寺のことで、
祇園精舎は、ブッダが説法をされた代表的なお寺です。
正式には「祇樹給孤独園精舎」ともいいます。
5世紀初め、中国からインドへ行った
三蔵法師、法顕の『法顕伝(仏国記)』によれば、
コーサラ国の首都の舎衛城の南門から
南へ1200歩のところにあったといいます。
門の左右に柱があり、周りの池は清らかで、
樹木が生い茂り、色々な花が咲いていたそうです。
ところが7世紀の三蔵法師、玄奘の『西域記』によれば、
城の南5〜6里に祇園精舎があったそうですが、
すでに荒廃していたとあります。
祇園精舎の鐘の声とは?
平家物語の一番最初に、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
とあるのは、もともとは平安時代の天台宗の僧侶、
源信僧都の『往生要集』にこのようにあります。
「諸行は無常なり。これ生滅の法なり。生滅滅しをはりて、寂滅なるを楽となす」
祇園寺の無常堂の四の隅に、頗梨の鐘あり。
鐘の音のなかにまたこの偈を説く。
病僧音を聞きて、苦悩すなはち除こりて、
清涼の楽を得ること、三禅に入り浄土に生れなんとするがごとし。
(漢文:諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂 已上祇園寺無常堂四隅 有頗梨鍾 鐘音中亦説此偈 病僧聞音 苦惱即除 得清涼樂 如入三禪垂生淨土)(引用:源信僧都『往生要集』)
この「祇園寺」というのが祇園精舎です。
祇園精舎には、無常堂という建物があって、
祇園精舎で修行していた僧侶が病気になり、
死期が近づくと、そこに移されました。
無常堂の四隅には、はりというガラスか水晶の鐘があり、
その透き通った音色からは、
『涅槃経』に
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
と説かれる有名な無常偈が聞こえます。
『涅槃経』に説かれる雪山童子は、命をかけて
この無常偈を求め聞き、さとりを開いたように、
病の僧侶も、この無常の説法を聞いて、
苦しみが除かれ、浄土へ生まれるような喜びが起きる
ということです。
このことを、平家物語の冒頭に、
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
と言われているのです。
祇園精舎を建立した給孤独長者
この祇園精舎を建立したのは、
コーサラ国の長者であり、
大臣でもあったスダッタ、
またの名を給孤独長者といいました。
「給孤独」というのは、
大変布施の心が強く、身寄りのない孤独な人たちに
食事を与えていたからでした。
なぜ給孤独長者はブッダにめぐりあい、
仏教を聞くようになったのでしょうか?
当時、給孤独長者は、子供の一人に
すてきなお嫁さんを探していました。
そこで、インド一の強国、マガダ国に住んでいた、
妻の兄を訪ねます。
ところが給孤独長者がお義兄さんの家に到着すると、
いつになく、バタバタしています。
使用人たちが、忙しそうに掃除をしたり、
料理の準備をしたりしているので、
結婚式か、王様クラスのお客さんでもあるのだろうか
とお義兄さんに尋ねると、
「実は、明日、仏陀(ブッダ)をご招待しているのだよ」
と嬉しそうに答えます。
「……ぶぶぶ、仏陀を招待!?」
あまりのことに、給孤独長者は言葉を失いました。
仏陀とは、インドに古くから伝えられる、
最高のさとりを開いた、伝説の聖者です。
同じくインドの全世界を支配する伝説の王である
天輪王にたとえられます。
そんな尊い方が今の世に存在しているだけで信じられないのに、
明日家に招待していると
さらっとお義兄さんは言うのです。
「仏陀……そんな方がおられるのですか……?」
「そうだよ、釈迦族のシッダルタ王子が、
大宇宙最高のさとりを開かれて仏陀になられたんだ。
各地で、どんな人でも本当の幸せになれる道を説かれているんだけど、
明日はうちで、ご説法をしてくださるんだよ」
「仏陀が、お義兄さんのうちでご説法……本当ですか?」
「そうだよ、なにしろ仏陀だからね。
失礼があったら大変だろ?
それで最高のおもてなしの準備をしてるんだ」
「……それは、私も聞きに来てもいいのでしょうか」
「もちろんいいよ、ぜひ聞きにおいで」
給孤独長者は、布施の心が強かったため、
すでにたくさんのお金に恵まれ、高い地位も得て、
子供も立派に育てましたが、
それでも何か満たされない、虚しい心がありました。
「私の人生とは本当にこのままで終わっていいのだろうか」
とかねがね本当の生きる意味を求めていた給孤独長者は、
翌日、ブッダのご説法を聞きに来たのです。
最初は半信半疑だった給孤独長者も、
ブッダのご説法を聞くと、
よくある生き方程度の話とは次元の違う内容に、
鳥肌が立ちました。
「これは、本物だ……」
続けて仏教を聞かずにはいられなくなった給孤独長者は、
やがて、この教えこそがすべての人が救われる
たった一本の道であることが知らされると、
こんなすばらしい、貴重な教えのあることを
もっと多くの人に知らせたいと思うようになったのです。
地面に黄金を敷き詰める
給孤独長者は、仏教の教えを聞く会場となるお寺を建てて、
ブッダに寄進しようと考えました。
しかし、人が多いからといって、
あまりに都会の真ん中では話を聞くのに騒がしく、
あまりに辺境の地では、多くの人が参詣するのに大変です。
給孤独長者はちょうどいい場所はないものかと、
ブッダのお弟子の舎利弗尊者と各地を探し回っているうちに、
理想的な候補地を発見しました。
調べてみると、そこはコーサラ国の王子、
祇多太子の所有地です。
そこで給孤独長者は、祇多太子に会いに行き、
「何とかその地を譲ってもらえないでしょうか」
とお願いしますが、太子は相手にしません。
給孤独長者が、まったくあきらめずに熱心に懇願するので、
祇多太子は、誰も思いつかないような法外な値段を言って
あきらめさせようとしました。
「そんなにたのむなら仕方ない。
ほしいだけの地面を黄金で埋めれば、
その黄金と引き替えに、敷き詰めた分の土地を売ってあげよう」
ところが長者は驚かないばかりか、
大喜びで家に飛んで帰りました。
そして、さっそく使用人たちに、
「皆の者、家財の一切を売り払って黄金に変え、
祇多太子の所有林に敷き詰めよ」
と命じました。
あまりのことに一同驚きますが、
長者さまのご命令ですから、従わざるをえません。
蓄えてあった宝をどんどん金貨に変え、
祇多太子の林に敷き詰めて行きます。
林にだんだんと黄金が敷き詰められていくのを見た祇多太子は、
給孤独長者の常識では考えられない行動に驚き、
「お前はなぜそんなにあの林が欲しいのだ」
と問いただします。
「それは、今、ブッダが、すべての人が救われる
この上ない教えを説いておられるのです。
人は、どれだけお金や地位を手に入れても、
心からの安心も満足もありません。
どこへ向かって生きればいいのか分からず、暗い毎日を送っている人類にとって、
光となる教えなのです。
聞き難い仏教を聞けることは、
果てしない生まれ変わり死に変わりの中にもないことです。
お金など惜しくはありません。
一人でも多くの人に、この教えを聞いてもらいたいのです」
それを聞いた祇多太子は驚いて、
「そういうことであったのか……。
それなら私にも手伝わせてくれ」
そして残りは祇多太子がブッダに布施をすることになりました。
こうして祇園精舎の建立用の土地を購入できたのでした。
反対運動の勃発
ところが、土地さえ手に入れば、すぐに建立できるわけではありません。
当時は仏教といっても新興宗教です。
バラモンたちから建立反対の運動が起きたのです。
バラモンというのは、バラモン教の司祭です。
それらのバラモンの立場に立てば、今まで自分たちを支援してくれていた給孤独長者が、
今まで聞いたこともない新興宗教を支援して拠点まで建立するとなると穏やかではありません。
バラモンは、すぐに給孤独長者のところにやって来て
「精舎を建ててはいけない」と言いました。
それに対して給孤独長者は
「すでに国王から許しは得ています。
あなた方には関係のないことです」
と突っぱねます。
それを聞いたバラモンたちは、国王のもとへ出向いて祇園精舎建立の許可を撤回するよう求めますが、認められませんでした。
そこでバラモンたちは、給孤独長者に決闘を申し込んできます。
ブッダの弟子と、バラモンと論議して、
仏弟子が勝てば祇園精舎を建立し、負ければ建立しないという条件です。
給孤独長者は喜んで同意しました。
それから7日後、たくさんの観衆の中、論議の場が設けられました。
ここで仏教側を代表したのは、釈迦十大弟子の一人、舎利弗でした。
バラモン側の代表は、赤眼というバラモンです。
給孤独長者は、たくさんの親戚縁者を呼んできて、舎利弗を応援します。
同様にバラモンたちは赤眼を応援します。
まず最初の戦いは、神通力勝負でした。
赤眼が神通力で花を出します。
すると舎利弗は、神通力で風を吹かせて散らせてしまいます。
そこで赤眼が竜王を出すと、舎利弗はガルーダ(金翅鳥王)を出して倒します。
このような神通力勝負が続き、最後に赤眼は負けを認め、舎利弗の弟子になったといわれます。
神通力で勝負がついてしまったので、舎利弗の凄さに驚いているバラモンたちに、
舎利弗は四聖諦を説き始めます。
四聖諦とは、ブッダの明らかにされた4つの真理です。
4つの真理とは、簡単にいえば、
苦しみの原因と結果、本当の幸せの原因と結果を明かされた真理です。
詳しくは以下をご覧ください。
➾四聖諦(四諦)─4つの真理
この因果律に基づいた論理的な教えに、多くのバラモンが弟子になりました。
ですが、やはり仏教の論理的な教えを聞いても信じられず、
怒りの心から、舎利弗の暗殺を企んだ乱暴な連中もいました。
ところが実際やってみると、舎利弗の暗殺に失敗し、
それどころか舎利弗の慈悲の心にうたれて、舎利弗を殺そうとした輩も弟子入りしたのでした。
祇園精舎の建立
こうして、舎利弗は給孤独長者と共に建立に着工し、
たくさんの建物を備えた広大な寺院が建立されたのでした。
その場所は、祇多太子と給孤独長者の名前をとって「祇樹給孤独園」と名づけられ、
建立された精舎には、
「祇樹給孤独園精舎」、
略して祇園精舎と名づけられたのです。
こうして建立された祇園精舎を拠点とされて、
ブッダは、たくさんの教えを説かれ、
有名なものでは『華厳経』の最後や『阿弥陀経』などもあります。
今日までどれだけの人が救われたか分かりません。
ブッダの十大弟子の一人、フルナ尊者も、
この祇園精舎で仏縁を結びました。
今日の日本でも、祇園精舎の名前が『平家物語』に登場するばかりでなく、
『阿弥陀経』は、日本の最大宗派である浄土真宗の葬式や法事でよく読まれますので、
給孤独長者の祇園精舎建立は、今日でも、不滅の光を放っているのです。
では、そのブッダが教えられた、
すべての人が本当の幸せになれる道とはどんなものなのか、
ということについては、仏教の真髄ですので、
電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)