迦留陀夷(かるだい)とは
「迦留陀夷」というのは、「優陀夷」ともいい、
『法華経』や『阿弥陀経』にも登場するお釈迦様の代表的なお弟子です。
明るく快活な美青年で、弁舌もさわやかだったため、もともと釈迦族の外交官として活躍していました。
女性にも大人気で、お釈迦様のお弟子になってからも、色々な女性問題を起こしますが、やがては本当の幸せに救われます。
一体どんなことがあったのでしょうか?
迦留陀夷の生い立ち
迦留陀夷は、お釈迦様のお父さんの浄飯王の国師のバラモンの子供として生まれました。
ちょうどお釈迦様と同じ日に生まれたといわれます。
成長すると、才能に満ち、華のあるさわやかなイケメンになったのでした。
『仏本行集経』によれば、やがて後に仏のさとりを開いてお釈迦様になるシッダルタ太子が、この世の楽しみの虚しいことを儚く思い始めた頃、出家でもしたら大変だと思った浄飯王は、迦留陀夷の明るい性格を見込んで、お釈迦様の従者にしました。
さっそく迦留陀夷がシッダルタ太子の宮殿を訪ねて行くと、たくさんの美女に囲まれながら、暗く沈んでいます。
そこで明るく話しかけました。
「友情ってのは本当にいいものですよね。
悪いことをいさめて、善いことを勧め、苦しい時にはお互いに助け合う。
これぞ親友というものです。
そういうことで今日は来たんですが、ほら、この美しい女性たちもかわいそうじゃありませんか。
女性は愛するだけでは実はまだ足りません。
敬う心を持つと、より一層お互いの喜びになりますよ」
迦留陀夷がプレイボーイらしいアドバイスをすると、シッダルタ太子はこう答えます。
「ありがとう、迦留陀夷よ。君はいい友人だ。
好意に感謝して、君に従うとしよう。
私も五欲の楽しみを知らないわけではない。
しかし、この世の無常であることに苦しんでいるのだ。
この世のことは、楽しいものではあるが、老いと病と死によって崩れてしまうのだ。
それでどうして楽しめよう」
普通私たちは、迦留陀夷のように考えていると思いますが、それでは安心できない理由をお釈迦様は教えられているのです。
その夜、シッダルタ太子がふと目を覚まされると、500人の美女たちが、昼間の美しさはどこへやら、よだれをたらしたり、驚くような姿で寝ています。
シッダルタ太子は心の中で、
「欲望を満たす楽しみというものは、すべてこのようなものだ。
遠くから見ると魅力的で、強烈な力でひきつけるが、一時的で、実際には楽しくもない。
それよりも求めるべきは、変わらない本当の幸せなのだ」
と思われると、その晩、城を出て、出家してしまわれたのでした。
お釈迦様の出家後の迦留陀夷
お釈迦様の出家の後も、迦留陀夷は、そのすばらしい才覚から、釈迦族の外務大臣として、隣の強国であるコーサラ(拘薩羅)国との外交にあたっていました。
コーサラ国の外務大臣は、密護といいました。
迦留陀夷がコーサラ国に訪れた時は、蜜護の家に泊まり、親友のように親しくなりました。
ところが、迦留陀夷は、30代前半のさわやかな美男子だったため、蜜護の妻のグプタ(笈多)が、ドキドキし始めました。
グプタも非常に美しく、迦留陀夷が繰り返し蜜護の家に訪れるうちに、ついに浮気をしてしまったのです。
不倫関係を続けるうち、蜜護も妻の様子から浮気に気づきます。
カッとなった蜜護は、現場を押さえて二人とも一刀両断にしてやろうと怒り狂いますが、そこはお互い、一国を代表する外交官です。
国際問題に発展し、多くの人を苦しめることになってはならないと、怒りをこらえて見て見ぬふりをすることにしました。
立派な振る舞いをした蜜護でしたが、迅速な無常に、まもなく病で亡くなってしまいました。
蜜護とグプタの間には、子供がなかったため、財産はコーサラ国の波斯匿王に没収となりました。
その噂をカピラ城で聞いた迦留陀夷は、グプタを哀れに思い、財産を取り返してやろうと思い立ちます。
翌朝、浄飯王に許しを得て、コーサラ国に向かったのでした。
コーサラ国に到着した迦留陀夷は、まず、別の大臣に、未亡人のグプタが好きなので、手に入るように助けて欲しいと願います。
それから波斯匿王に会見し、外務大臣のお悔やみと、これからも変わらない両国の関係を語ります。
迦留陀夷が退出しようとする時、王は、
「そなたは今までどこに宿泊していたのか」
と尋ねます。
「はい、今は亡き大臣のお屋敷でございます」
「では今後もその屋敷に宿泊するがよい」
「しかしあのお屋敷の財産は、王様に没収されたとお聞きしております」
「そうか、ならば別の宿泊所を探しておこう」
こうして迦留陀夷が帰って行くと、先に迦留陀夷から事情を聞いていた大臣が、
「大王、迦留陀夷が今回我が国を訪れましたのは、私の調べによりますと、蜜護の未亡人のグプタのためにございます。
彼はグプタと恋仲になっているため、蜜護の遺産とグプタを手に入れたいと望んでいるのです。
大王がもし彼の望みを叶えられれば、カピラ城のことは大王の思い通りになるでしょう。
迦留陀夷を手に入れるのは、浄飯王を手に入れるようなものです」
「なるほど、その通りだ。すぐに迦留陀夷を呼び戻すがよい」
再び呼び出された迦留陀夷に波斯匿王は、
「蜜護の家財はすべてそなたに与えよう。夫を亡くして途方にくれているグプタの今後もそなたに任せよう」
迦留陀夷は、有り難く頂戴して王宮を出ると、グプタの家を訪ねました。
グプタは、すべてを失って悲嘆にくれ、その苦しみを訴えかけてきましたが、
「心配するな。全部取り返してきたぞ」
というと、飛び上がって喜びました。
「もしそなたが私とカピラ城に来たければついてきてもいいし、このままここに住みたければここに住んでもよい」
「本当にありがとうございます。私は住み慣れたこの家で暮らしたいと思います」
こうして、迦留陀夷は、カピラ城の自宅に加えて、コーサラ国に別荘も持つことになったのです。
迦留陀夷の出家
やがてお釈迦様が35歳で仏のさとりを開かれたという噂がカピラ城にも伝わってきました。
浄飯王は、お釈迦様に早く帰るように使いを送りますが、なぜかお釈迦様はなかなか戻られません。
お釈迦様が仏のさとりを開かれてから約3年が経った時、ついに迦留陀夷に白羽の矢が立てられ、何とかお釈迦様を連れ戻して欲しいと、頼まれました。
迦留陀夷が、お釈迦様が出家された時に、同伴した車匿を連れてお釈迦様のもとを訪れると、浄飯王の言葉を伝えました。
するとお釈迦様は、
「ならばこれからカピラ城に行こう」
といわれます。
その後、迦留陀夷も車匿も、お釈迦様から教えを受けて、ついに尊い菩提心を起こし、その時出家したのでした。
それから迦留陀夷は、お釈迦様より一足早くカピラ城に戻り、浄飯王にまもなくお釈迦様が戻られることを告げたのでした。
グプタの出家
迦留陀夷は、出家した後、コーサラ国に行き、ある時、托鉢でグプタの家に行きました。
グプタは、迦留陀夷を見て、泣き崩れ、
「どうしてあなたは私を捨てて出家なんかされたんですか」
と恨みます。
「お釈迦様でも家族を捨てて出家されているのだから、そのご苦労を思えばなぜ私が欲望に流されておれようか」
「それなら、私も共に出家します」
迦留陀夷は、その菩提心を喜んで、
「ならばすぐに身辺整理をして出家するがよい」
と言って帰ったのでした。
ところが、その後何回かグプタの家を托鉢に回っても、なかなか身の回りの片付けが終わらないといって出家しようとしません。
そのうち迦留陀夷もあきれ果てて、
「コーサラ国が大火事で焼けてしまわないとそなたの身辺整理は済まないだろう」
というと、
「明日は必ず出家します」
といいます。
ところが住居に帰ってきた迦留陀夷がよくよく考えてみると、グプタを出家させて近くにいると、周りの僧侶から不審を招くだろうと思えてきます。
迦留陀夷は、
「これはよくないことだから、ここを離れよう」
と翌朝、祇園精舎を離れ、王舎城へ旅立ちました。
その日、グプタが本当に片付けを終わらせて、祇園精舎を訪れて、迦留陀夷について尋ねると、王舎城に向かったといわれます。
「迦留陀夷は、私に出家させておきながら、自分はどこかへ行ってしまった」
と泣き始めました。
周りの僧侶から、
「この者は悟りではなく、男を求めて出家したのか」
目的違いをとがめられ、すでに出家して比丘尼になっていたお釈迦様の育ての親のマカハジャバダイ夫人のもとへ行って出家しました。
迦留陀夷の女性問題
王舎城にいた迦留陀夷は、グプタのことが好きだったので、すごく気になっていました。
出家して他人の弟子になったら残念だと後悔の念が起きてきて、それに自分がいなくてガッカリしただろうから、色々話もしたいと思って、修行に身が入りません。
ある時、コーサラ国の祇園精舎から、王舎城の竹林精舎に一人の年を取った僧侶がやってきました。
その僧侶に聞くと、グプタは出家してマカハジャバダイ夫人のもとにいると分かります。
それを聞いた迦留陀夷は、どうしてもグプタに会いたくなり、祇園精舎に向かって旅立ったのでした。
祇園精舎に到着すると、部屋を掃除して、お経を歌のように節をつけて暗唱しました。
するとその美声を聞いて、比丘尼たちが迦留陀夷が戻ってきたことを知り、グプタに教えました。
喜んだグプタはさっそく迦留陀夷のもとへやってきました。
二人とも剃髪して粗末な身なりになっていましたが、昔の楽しかったことを思い出し、欲望に流されそうになりました。
その時、お釈迦様の
「欲望に流される者は、善を行わず、闇に向かう」
という教えを思い出し、危うく思いとどまることができました。
ところが、その後も、迦留陀夷は、二人きりで密会をしていたとか、洗濯をしてやっていたとか、グプタとの関係でよくお釈迦様から叱られることがありました。
また、日暮れに王舎城で托鉢をしていると、急に空がかき曇り、ポツポツ雨が降ってきました。
迦留陀夷がある家に行くと、妊婦が庭で洗い物をしていました。
その時、雲間に青白い稲光がひらめき、暗闇に迦留陀夷が鬼のように見え、妊婦は震え上がって流産してしまった、という大失敗もありました。
また、在家の美人の人妻と恋仲になり、しばしば彼女を訪れて、お釈迦様に怒られたこともありました。
また、比丘尼たちに対して、まるで自分の妻のように気軽に用事を頼んで、お釈迦様から叱られたこともあります。
他にも、ある人妻に触れて苦情が上がり、それを聞かれたお釈迦様から
「迦留陀夷よ、そなたは女性の体に触れたと聞いたが、それは本当か」
「おっしゃる通りです」
「愚か者。そなたのしたことは僧侶のなすべきことではない」
と叱られ、男性の僧侶は女性に触れてはならないという戒律ができたといわれます。
このように、迦留陀夷は、次々と問題を起こすのですが、それを正直に告白します。
そして、一度注意を受けたことは、二度とやらないという深い反省をします。
ところが、また別の問題を起こします。
これを聞くと多くの人は、僧侶にふさわしくない、とんでもない奴だ、と思います。
それは確かにそうですが、仏教は自分のこととして聞かなければなりませんので、これは他人事ではありません。
欲望などの煩悩は、抑えようとしなければほとんど気づかないのですが、抑えようとすればするほど強くなるものなのです。
私たちも、普段お腹いっぱい食べている時は、あまり何か食べたいと思いませんが、ダイエットをすればするほど、食べたい気持ちが強くなるようなものです。
欲望を満たす楽しみは無常のもので、儚いものだと頭では分かっていても、抑えようとすればするほど噴き上がってくる、煩悩の激しさを教えられているのです。
その他、やかましい鳥を弓で打ち落としたり、新入りのお弟子が自分に無礼を働いたといってお寺から夜中に追い出したり、たくさんの問題を起こし続けた迦留陀夷でしたが、やがてお釈迦様の導きによって本当の幸せに救われたといわれます。
迦留陀夷と強欲な老婦人
『十誦律』や『増一阿含経』によれば、迦留陀夷が悟りを得た後、
「私は今までたくさんの家に迷惑をかけたから、これからはできるだけたくさんの家で教えを説いて少しでも償いをしよう」
と家庭での説法に力を入れました。
もともと人間の泥臭い部分を熟知し、人情の機微を弁えていたためか、たくさんの家で夫婦共々仏道に導き、それはコーサラ国の首都、舎衛城だけでも999軒に達しました。
その時、迦留陀夷は、あるバラモンの妻がひどく強欲だと聞きました。
ではその欲の深い老婦人を救って千軒目の家庭にしようと思い、その家の門前に立ちました。
その老婦人は、物乞いが来ることを嫌っていたので門を固く閉ざして餅を焼いていました。
迦留陀夷は門の下をスルリとすり抜けて、老婦人の前に姿を現します。
驚いた老婦人は、
「この坊主、どこから入って来た!きっと餅が欲しくて来たんだろう。絶対やらん」
とわめきますが、迦留陀夷はじっと餅を見つめています。
「そんなに見ても餅はやらんぞ。目ん玉飛び出しても絶対やらん」
迦留陀夷は不憫に思って、両目を飛び出させました。
「お前の飛び出した目玉がおわんのように大きくなってもこの餅はやらん」
というと、迦留陀夷の二つの目玉は、おわんのように大きくなりました。
「この坊主、何と執念深い奴じゃ、こうなっては逆立ちしてもこの餅はやらんぞ」
というと、ますますかわいそうに思った迦留陀夷は、逆立ちしました。
「この坊主しつこい奴だ。もう死んでもやらんぞ」
これを聞いた迦留陀夷は、コロリと死んでしまいました。
これを見たバラモンの老婦人はさすがに驚きます。
「何ということだ。この坊主は波斯匿王の所に出入りして、お妃さまの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の師匠になっている迦留陀夷長老ではないか?
私の家で死んでいたとなったら、私が殺したということでどんな恐ろしい目にあうか分からない。
長老さま、餅なら一切れあげますから、どうか生き返ってください」
と泣き出しました。
すると迦留陀夷は、何事もなかったかのように生き返って立ち上がります。
老婦人は、一番小さい餅をあげようとつまむと、その餅が一番大きくなります。
あわてて別の一番小さい餅をあげようとつまむと、その餅が一番大きくなります。
手に取る餅が一番大きくなるので、とうとうその餅を一切れ迦留陀夷の鉄鉢に入れると、あとの餅がみなくっついて、全部鉢に入ってしまいました。
迦留陀夷が、
「もしあなたに布施の心があれば私はいいから他の僧侶に施しなさい」
というと、バラモンの老婦人は、迦留陀夷には欲がないことを知り、初めて自分の欲深さが知らされたのでした。
「それでは私はこの餅を全部みなさまに布施します」
こう言って祇園精舎のお釈迦様のもとへ行き、餅を全部布施しました。
するとお釈迦様は、
「この餅を大衆に布施してもよいか」
といわれます。
「もちろんでございます。でもこんな小さな餅が大衆に布施できるのでしょうか」
「心配はいらぬ。見ているがよい」
迦留陀夷の鉄鉢から、バラモンの老婦人が布施した餅が次々と出て、最後の一つを近くの大河に投げ込むと、不思議にも水から青い火炎が立ちました。
「婦人よ、そなたの執着がまだ残っている。
あの通り、餅が火になったぞ」
バラモンの老婦人は、驚き入って平服し、教えを聞いて、その場でお釈迦様に帰依したといいます。
これは何を教えられているのかというと、私たちの善根は底の知れない欲望に汚れているから火を発するのです。
たまたま善いことをしたように見えても、その本心は結局醜い自己中心的な欲望から出ており、その欲望によって、表面上善に見えることをやったにすぎないということです。
仏教には、このような煩悩でできたすべての人が、煩悩あるがままで変わらない幸せになる道が教えられているのです。
では、変わらない幸せとはどんな幸せなのか、どうすれば、その変わらない幸せになれるのか、については、仏教の真髄ですので、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)