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迦旃延とは?

迦旃延(興福寺)
迦旃延(興福寺)

迦旃延かせんねん」は、摩訶迦旃延まかかせんねんとか大迦旃延だいかせんねんともいわれ、釈迦十大弟子の一人です。
お釈迦様仏のさとりを開かれると予言したアシダ仙人の甥といわれます。

お釈迦様が簡単に説かれた教えを詳しく話すことができたために「論議第一」といわれ、バラモンや王様など、多くの人に仏教を伝えました。
どんな人だったのでしょうか?

迦旃延とは

迦旃延とは、どんな人なのでしょうか?
まず仏教の辞典を確認してみましょう。

迦旃延
かせんねん
サンスクリット語のKātyāyana(パーリ語 Kaccā(ya)na)に相当する音写。
カーティヤーヤナ。
摩訶迦旃延まかかせんねん>(Mahākātyāyana、Mahākaccā(ya)na)とも。
南インドの婆羅門ばらもんの出身。
アヴァンティ国の首都ウッジャイニーを中心に、その周辺の西方インドにも伝道活動をした。
この地域は釈尊しゃくそんの教線の外であったので、釈尊も舎利弗しゃりほつ目連もくれんもいなくなったあとの教団のなかで中心となって教化に活躍した。
彼は論義第一といわれた。
釈尊の説法の説明役を果たし、その意味内容について広く解るように説明した。
幾人かの王に四姓しせい(婆羅門・刹帝利せっていり吠舎べいしゃ首陀羅しゅだら)平等論を説いて歩いたといわれる。
十大弟子の一人。

このように、迦旃延についてとても簡単に説明されていますので、
ここでは辞典には書かれていないところまで、分かりやすく解説していきます。

迦旃延の生い立ち

迦旃延は、名前を那羅陀ならだといって、迦旃延は姓です。
お父さんは、とても裕福なバラモンで、アヴァンティ(阿槃提)国の国王の教育係で、その次男として生まれました。
やがて成長すると、人は姓の迦旃延と呼ぶようになります。

迦旃延のお兄さんも非常にすぐれていたので、諸国に留学してあらゆる学問や技術を身につけて家に帰り、人を集めてバラモン教の講義をしていました。
ところが、迦旃延は、家にいながらにして、お兄さんよりすぐれた学問を身につけており、同じく人々を集めて色々な講義をしていました。

お兄さんは、弟に負けてはプライドが許さず、だんだん迦旃延を憎むようになってきました。
それを知ったお父さんは、妻の兄弟であったアシダ(阿私陀)仙人に迦旃延を預けたのでした。
アシダ仙人は、迦旃延からすると叔父になります。

アシダ仙人は、かつてお釈迦様が生まれられた時に、お釈迦様のお父さんの浄飯王に招かれて、お釈迦様の将来を予言したことがあります。
その時アシダ仙人は、
太子さまは、もし王様の後を継げば、世界を支配する転輪王てんりんのうとなられるでしょう。
もし出家されたら、大宇宙最高の悟りを開き、仏陀となられるでしょう。
どちらかというと仏陀になられるように思いますが、私はもう年老いて、その教えにあうことができません。
やがて尊い教えを説かれる方を目の前にしながら、何と悲しいことでしょう

と言った人です。

迦旃延は、アシダ仙人のもとで修行をして、ほどなくして瞑想や神通力を習得することができました。

アシダ仙人は、やがてお釈迦様が仏のさとりを開いて、鹿野苑ろくやおんで初めての説法をされることを事前に知られ、その近くに小屋を設けて迦旃延を住まわせました。
そして、「もしブッダが現れたら、ただちに教えを受けよ
と遺言して亡くなったのでした。

ところが迦旃延は、アシダ仙人の財産や名声のすべてを受け継ぐことになり、欲が出てそれに溺れてしまいました。
やがてお釈迦様が仏のさとりを開かれても、迦旃延は自分の才能にうぬうぼれて教えを受けに行かず、さらなる欲望を求めるのでした。

古文書の謎

その頃、鹿野苑の近くの広野の古い城に、誰も読めない古文書がありました。
言い伝えによれば、
ブッダ出現の時、文字は自然に読めるようになるが、意味が分かるのはブッダのみ
といいます。

ところがやがて、その古文書がいつの間にか読めるようになっていました。

これを城主が龍王にブッダが現れたと告げ、古文書の言葉を教えると、龍王は身の毛がそばだつほど喜びました。
ついに救われる時がきた。この時を待っていた
こう言って龍王は、龍宮からガンジス河のほとりへ行って、これを読めた者に金銀財宝を与えるとおふれを出しました。
そこにはこうありました。
愚者とは誰か。
誰が流され漂うか。
智とは何か。
流不流いかに解脱となす

これは当時のすべての学問を使えば文の意味は分かりますが、それは質問文であって、その質問の答えは分かりませんでした。

この時の龍王のおふれは、迦旃延の耳にも入ります。
迦旃延は、龍王に会いに行き、
7日以内にこの意味を解明して見せましょう
と約束しました。

ところが、迦旃延がいくら考えても、意味が分かりません。
そこで、誰でもいいから分かる人はいないかと六師外道といわれる当時の6人の思想家一人一人に聞き歩きます。
ところが、分かりきった浅い答えを言うばかりで、少し突っ込んで尋ねると腹を立てます。
とても満足の行くような、本質的な答えは分かりませんでした。

迦旃延の出家

迦旃延は、そういえば鹿野苑にブッダが現れていたことを思い出します。最初は
老成したバラモンでさえ分からないのに、そんな釈迦とかいう若者が分かるはずがない
と思いましたが、
分かるかどうかは年齢では決まらないので念のため
と、鹿野苑に訪ねていきました。
ところが、お釈迦様が悟りによって体得したのは、まさにこの古文書の問いの答えでした。
お釈迦様は、古文書の質問を聞くと、こう言われます。
愚者とは煩悩に染まったものである。
煩悩に流され漂うのは、愚者である。
智とは、迷いを滅するものである。
一切の流れを捨て、二度と流されない。
これを解脱げだつという

迦旃延は、今までの疑問が氷解し、電撃に討たれたような衝撃を受けました。
このお釈迦様のお言葉を記憶すると、お釈迦様を礼拝して別れ、龍王に答えを告げました。
龍王も踊り上がって喜び、
ついにブッダが現れた。
私もブッダの教えを受けたい。
案内してくれないか

と言います。
こうして迦旃延はもう一度お釈迦様のもとへ行き、龍王が導きを受けた後に、お釈迦様に出家を申し出て弟子となったのでした。

やがて迦旃延は悟りを開き、アシダ仙人の遺言も果たされたのでした。

お釈迦様の教えを詳しく解説

やがて迦旃延は仏教を深く理解し、お釈迦様の教えを分かりやすく解説して、「論議第一」と言われるようになります。
たとえば中部経典には、このような話が残されています。

ある時、お釈迦様は、一夜賢者のという教えを説かれました。
過去は追うな
未来を願うな
過去はすでに捨てられたものだ
未来はいまだ到来せず
それ故、ただ現在のものをありのままに観察し
揺らぐことなく動ずることなく
よく見極めて実践せよ
ただ今日すべきことを熱心になせ
誰か明日死のあることを知らん
まことにかの死神の大軍と会わずにすむはずがない
このように見極めて熱心に昼夜おこたることなく努める者
かかる人を一夜賢者といい
寂静者、寂黙者というのである

お釈迦様は、ここまで説かれると、すっと立ち上がられ、奥へ入って行かれました。
それを聞いたお弟子が、迦旃延にどんな意味か尋ね、迦旃延は詳しく解説したといいます。

このようなことは『中阿含経』にもあります。
お釈迦様が簡潔に説かれて席を立たれたので、迦旃延に尋ねると、詳しく解説し、後からお釈迦様がほめられたと説かれています。

お釈迦様が『増一阿含経』で、弟子たちの一番すぐれたところを称讃されているところでは、このように言われています。

よく義を分別し、道教を敷演するはいわゆる大迦旃延比丘これなり。
(漢文:善分別義 敷演道教 所謂大迦旃延比丘是)

これは、よく仏教を理解し、詳しく解説するのは、迦旃延が最もすぐれている、ということです。

こうして迦旃延は「論議第一」といわれて様々な人々に仏教を分かりやすく伝え、やがて十大弟子の一人に数えられるようになります。

村長に教えを説く

雑阿含経』によれば、ある時、お釈迦様がコーサラ(拘薩羅)国の祇園精舎におられた時、迦旃延はお釈迦様の出身のカピラ城の近くのカリ村にいました。
その村の裕福な村長に尊敬され、ある時
一切の流れを断ち、またその源をふさぐ
という言葉はどんな意味があるのか聞かれました。
迦旃延は詳しく答えます。
何かを見たとき、その見分ける心が欲を起こすと、その欲は見分ける心から対象に流れる。
何かを聞いたとき、その聞き分ける心が欲を起こすと、その欲は、聞き分ける心から対象に流れる。
何かを嗅いだとき、その嗅ぎ分ける心が欲を起こすと、その欲は、嗅ぎ分ける心から対象に流れる。
何かを味わった時、その味を見分ける心が欲を起こすと、その欲は、味を見分ける心から対象に流れる。
何かに触れた時、その肌触りを感じ分ける心が欲を起こすと、その欲は、肌触りを感じ分ける心から対象に流れる。
何かを思い浮かべた時、意識が欲を起こすと、その欲は、意識から対象に流れる。
その欲の流れを断ち、その欲の源を塞がなければならない

このように、いつも村長は迦旃延から仏教の教えを聞いていたのですが、ある時、村長が病気になります。
それを聞いた迦旃延は、カリ村で托鉢をし、村長の家に向かいました。
迦旃延がやってくるのを見た村長は、
これは失礼
と起き上がろうとしたのですが、迦旃延は、
いやいや、そのままそのまま、私もこちらにかけさせて頂きます
と言います。
村長さん、具合はいかがですか、苦痛に耐えられますか
「それがもう耐えがたい苦痛です。悪くなる一方です」
それでは、仏宝、法宝、僧宝の三宝を念じなさい
このように迦旃延は、村長が病気に倒れた時も、見舞いに行って、教えを説いて救いに導いたのでした。

王様に教えを説く

同じく『雑阿含経』によれば、迦旃延が林の中にいたとき、摩偸羅まちゅうら国の王が訪ねてきて質問しました。
バラモンは、自分で自分が一番偉いと言っていて、他の身分の人は劣っているといいます。
自分たちが白くて清らかだけど、他の身分は黒くて汚れていると言うんですが、これってどうなんでしょうか

どうしてこんな質問が出たのかというと、当時のインドでは、バラモン教によって、今よりもはるかに厳しい身分差別がありました。

大きく分けると、4つの身分があり、これを「四姓しせい」といいます。
1番上が「バラモン(婆羅門)」という司祭や僧侶で、
2番目が「刹帝利せっていり」という王族や武士、
3番目が「吠舎べいしゃ」といわれる商人や職人、
4番目が「首陀羅しゅだら」で、農家や奴隷でした。

王様でも、バラモンに従って、何かの儀式をしたり、バラモンから聞いたのお告げには従わなければならなかったのですが、バラモンがあまりにも自分に都合のいいことばかり言っているので、ちょっとどうなのか、という質問です。
現代でも、みんながやっている昔ながらの習慣は、非常識な人だと思われないように、一応空気を読んで慣例通りにやっているようなものです。

そんないかんともしがたい当時の慣例に対して、迦旃延は、ズバリこう答えます。
偉いかどうか生まれつきの身分で決まるというのは、ただ世間でいわれているだけのことで、実際には行いによるのですよ

驚いた王は、
「え?それはどういうことですか?詳しく教えてください」

例えば大王の国のバラモンが、泥棒したらどうなりますか?
「それは国の法律にしたがって、罰金とか、むち打ちとか、国外追放とか、死刑になったりもします」
じゃあバラモン以外の人が泥棒したらどうなりますか?
「それも国の法律にしたがって、罰金とか、むち打ちとか、国外追放とか、死刑になったりもします」
身分による違いはありますか?
「ありません」
ほら大王、四姓は平等じゃないですか。
善い行いは善い運命を作り、
悪い行いは悪い運命を作る。
自分のまいたたねは自分がかりとらなければならない。
すべては行いによるのですよ。因果応報です

その迦旃延の説法を聞いた王様は、喜びにむせんだといいます。

バラモンに教えを説く

迦旃延が、アヴァンティ国に住んでいた時、あるバラモンが、迦旃延を尊敬して敬っていたと『雑阿含経』に説かれています。
ところがそのバラモンの弟子の少年達が、薪を取りにいった時、迦旃延の家を見て、
あ、いるいる。坊主頭の坊主がいる
なんか大したことなさそうだけど、どうしてうちの先生はあんなに敬っているんだろうな
と聞こえるように繰り返し話をしていました。

それを聞いた迦旃延は、家から出てくると
おっ、そこの少年達、ちょっとおいで
と少年達を集めます。
今から君たちに説法をしてやろう。聞いてみるかい?
「うん、いいよ。説法してくれたら聞くよ」
その時、迦旃延は、こう言います。
昔のバラモンは、戒律を護り、瞑想を行い、慈悲の心を持ち、欲望をおさえて口にを造らなかった。
今のバラモンは、くだらないことばかりやって、欲望のままにふるまい、外見を着飾って、形だけのバラモンとなってお金や名誉を求めている。
行いを正しくして、心の汚れを離れ、人々を悩ませないのをバラモンと言うのだよ

それを聞いた少年達は、腹を立て、帰って先生のバラモンに報告しました。

ところが先生のバラモンは、
いやいや迦旃延殿は徳の高い方だ。
まさかそんなことを言われるはずがないだろう

と取り合いません。
先生、僕たちの言うこと信じてくれないんですか。
それならご自分で聞いてきてください

そこでバラモンの先生は、自分で行ってみることにしました。

迦旃延の所に着くと、お互いの労をねぎらいつつ
先日、うちの生徒がお世話になったようで
ああ、何人かの少年が来られました
その時、説法をしてくださったようですが、その内容をぜひ私にも教えて頂けませんか
ああいいですよ
そこで迦旃延は、なんと少年に言ったのと全く同じことをもう一度言ったのでした。
それを聞いたバラモンは、憮然として
まさかと思いましたが、それじゃ生徒たちの言った通り、私たちの悪口を言ってるじゃないですか。
あなたの説かれる門は、何なのですか?

と問いただします。

迦旃延は、即座に
それはいい質問です。
門というのは、目は門です。目を通してものを見ます。
耳も鼻も舌も体も心もみな門です。
愚かな者は、この門を守らずに、門から入ってくるものに振り回される。
智者は門を守って心に満足を得て、解脱を得る

それを聞いたバラモンは、
私は腹を立てていたにもかかわらず、甘露の法雨を注いでくだされた
と喜んで帰っていったといいます。

仏弟子に無常を説く

生経』によれば、お釈迦様がアヴァンティ国に来られた時、迦旃延は、仏弟子に対して無常を説きました。
「皆さん、一切の会う者は離れ、皆まさに別離する。
健康な人も病におかされ、若い者は年老いる。
どんなに長生きでも必ず死んで行く。
花に宿る朝露の、日が昇れば消えて行く。
世間の無常もこのようなものである。
皆さん、出会った者は必ず別れ、盛んなるものは必ず衰える。
生まれた者は必ず死ぬ。
すべては無常である。

病におかされれば、命は終わりに向かう。
骨と肉は衰え、不安になり、心は悩まされ、体は痛み、水も飲めず、薬も効かない。
息も絶え絶えになり、脈も弱まり、顔色も失い、冷や汗をかきながら虚空をかきむしり、やがて苦しみ極まりながら死んで行く。
野辺送りにされ、肉体は焼かれて灰になれば、土に帰る。
この故に、我が身の無常を知って、一心に仏教を聞くがよい」
この痛切な無常は、仏弟子の腹をえぐったといいます。

このように、迦旃延は一生涯の間、色々な国に行って、色々な相手に仏教を伝えて、多くの人を本当の幸せに導いたのでした。

では、仏教に説かれる本当の幸せとはどんな幸せなのか、どうすればその本当の幸せの身になれるのかについては、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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