ヨーロッパへ広まる仏教
現在、ヨーロッパで仏教は大変注目を集めています。
仏教の施設は数千にものぼり、何十万の人が瞑想を実践し、何百万もの人が仏教に関わっています。
すでにヨーロッパ人の24%は仏教の教えであるカルマ(業)や輪廻転生を信じているといわれます。
それには、数百年の時間をかけて、仏教は色々と誤解されながらも少しずつ理解されてきました。
その間にも日本の果たした役割は大きく、ヨーロッパに仏教を伝えるのに大きな影響を与えています。
一体どのように、仏教はヨーロッパへ伝えられたのでしょうか?
古代から19世紀まで
仏教は昔からヨーロッパに伝えられていますが、19世紀まではほとんど影響はありませんでした。
紀元前3世紀には、アショーカ王のマウリア朝は、マケドニアやエジプト、シリアと外交があり、仏教を伝える使節を送りました。
そしてアショーカ王の碑文には、
「ギリシア人の王国で人々はいたるところでダルマの教えに従っている」
とあります。
その450年後の220年頃には、キリスト教神学者のクレメンスは、
「インド人の中には、ブッダという者の教えに従う人たちがいる。その徳は大きく、神のように崇められている」
と記しています。
アショーカ王が伝えた結果かもしれません。
14世紀には、マルコポーロがブッダの伝記をヨーロッパに紹介しています。
「彼は世界で最上の人間とみなされており、彼らの信仰によれば、聖人です」
と記しています。
これが、この数百年の間では一番まとまった内容です。
大航海時代になると、宣教師たちは、キリスト教を世界中に広めようとします。
日本に来た宣教師たちは、自分たちの世界観で仏教を判断したために誤解するばかりでした。
そんな中にも、まれに僧侶の思想の深さをたたえる人もありました。
「我らが主の特別な助けなしには、彼らを論破することはできない。
彼らは長い間瞑想に専念した者たちであり、彼らの質問に対しては、たとえトマス・アクィナスやドゥンス・スコトゥスであっても、信仰を持たない人を納得させる時のような答え方では、とても対応できまい」
という宣教師の16世紀の手紙が残されています。
17世紀になると、チベットを訪れた宣教師が、チベット仏教と出会います。
ヨーロッパ人は、それが仏教であることには気づきませんでしたが、ラマ教として西洋に紹介されます。
ヨーロッパ人もその魅力に大きな関心を示しました。
しかしながら、それまではあまりヨーロッパに仏教が大きな影響を与えた痕跡はなく、やがて本格的に仏教が意識されはじめたのは、19世紀に入ってからです。
学術的な研究の進展
1817~23年頃、「仏教」という言葉がはじめて使われ、1830年頃から、ヨーロッパで明確な学問の対象となりました。
お経などの仏典を集めて翻訳され、研究されるようになります。
中でも大きいのは、ハンガリー人のケーレシ・チョマは、チベットでチベットの言葉と宗教を研究し、1934年、チベット語と英語の辞書を出版したことです。
そしてチベットのお経は、インドのサンスクリットのお経を翻訳したものであることを証明しました。
1836年にはフランス人のアベル・レミュザが法顕の『仏国記』を翻訳して出版しています。
またフランスの学者、ビュルヌフは、サンスクリットの『法華経』を翻訳しようとして、その序文を書いていたところ、かなり長くなったので、それを『インド仏教史序説』として1844年に出版し、ベストセラーになりました。
これが大きな反響を呼び、ドイツ出身のイギリスの仏教学者、マックス・ミュラーは、この本が「仏教の体系的研究の基礎となった」と言っています。
やがて1850年頃には、仏教はキリスト教に似た、キリスト教の強敵として注目を集めています。
この頃は、キリスト教と仏教の違いを探すよりも、キリスト教と仏教の似ているところを探して、キリスト教が唯一の真実のはずなのに、他にもあったと驚いています。
ショーペンハウアーが仏教を紹介
この頃、ショーペンハウアー(1788-1860)が、ヨーロッパにおける仏教の受け入れに決定的な役割を果たしました。
ショーペンハウアーというのはドイツの哲学者で、ニーチェ、フロイト、キルケゴール、ベルクソン、ヴィトゲンシュタイン、カミュ、ワーグナー、トルストイ、アインシュタインなど、たくさんの人に影響を与えた人です。
ショーペンハウアーは、偉大な宗教を哲学的に解明しようとしました。
そこで1811年に、まずヒンドゥー教を発見します。
自分の思想を補強するのにいいと思い、1818年に主著『意志と表象としての世界』を著します。
その後、仏教についても、1836年頃から次々に出版された仏教に関する本を読んで、主著の重版や補遺に組み込んで行きます。
こうして、ショーペンハウアーの人間観や世界観は、ヒンドゥー教よりも仏教に近いものになりました。
どういうところが似ているかというと、まず、ショーペンハウアーは、すべての生命の基本は苦しみであるといいます。
仏教でも、4つの真理である四聖諦の一番最初は「人生は苦なり」という真理です。
四聖諦については、以下で詳しく解説してあります。
次に、ショーペンハウアーの考える苦しみの原因は、欲望です。
だから欲望をなくせば苦しみが消滅します。
これも仏教では欲望とか執着などの煩悩が苦しみの原因といわれることがあり、
煩悩を無くせば悟りがえられるので、似ています。
3番目にショーペンハウアーは、個人という幻がなくなって初めて、他の人に共感や憐れみを覚えることができるといいます。
仏教でも、本当は無我なのに、自分に執着することによって自己中心的になってしまうことや、仏の心は慈悲であることなどが似ています。
4番目に、ショーペンハウアーは人が死ねば意志が生まれ変わると考えています。
仏教でも輪廻転生を教えられていますので似ています。
5番目にどちらも神を認めません。これは同じです。
まとめるとショーペンハウアーの思想と仏教には、このような5つの似ている点があります。
- 人生は苦なり
- 苦しみの原因は欲望
- 無我の慈悲
- 人は死ねば生まれ変わる
- 神を認めない
こうしてショーペンハウアーは、当時の乏しい文献から、仏教について研究して、著作の中でもふれています。
そして、晩年には自分自身で、仏教と自分の思想に「感嘆すべき一致」があると言います。
さらに主著の中でもこう言います。
ハウアー
私は他のすべてのものより仏教に卓越性を認めざるをえない。
(ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』)
今ではヨーロッパの人でも仏教を学べば、ショーペンハウアーは仏教と違うと分かりますが、仏教を勉強せずに、ショーペンハウアーの本だけ読んだ人は、今でも仏教というのはこういうものなのかな、と思ってしまいます。
こうして1870年代中頃から、彼の思想と共に、仏教の概念が全ヨーロッパに広がります。
しかし、ショーペンハウアーは、仏教の解決を見いだすことはできませんでした。
そして仏教をショーペンハウアーの厭世主義の思想みたいなものだと誤解させてしまったのです。
ニーチェと仏教
ドイツの哲学者ニーチェ(1844-1900)は、20歳頃に『意志と表象としての世界』を読んでショーペンハウアーに傾倒します。
1868年にはリヒャルト・ワーグナーに出会ってさらに仏教に熱中します。
リヒャルト・ワーグナーもショーペンハウアーの弟子を自称し、『インド仏教史序説』に衝撃を受けて、『勝者(ブッダ)』という曲を書こうとしたくらいです。
1869年には、スイスのバーゼル大学の文献学の教授になります。
1870年頃ニーチェは『ブッダの宗教』を読んだりして、1874年の『教育者としてのショーペンハウアー』にはこう記しています。
今私は、自分が誇りとする唯一の教授、唯一の師、アルトゥール・ショーペンハウアーに思いを馳せる。
(ニーチェ『教育者としてのショーペンハウアー』)
ところが、だんだんとショーペンハウアーに対する批判を強めます。
それは生を否定する厭世主義だからです。
やがて1882年の『悦ばしき知識』になると、仏教もろともショーペンハウアーと決別します。
しかしながら仏教については、1888年の『キリスト教は邪教です』でも、キリスト教と比べてはるかにいいということを強調しています。
仏教はキリスト教に比べれば100倍くらい現実的です。
仏教のよいところは、「問題は何か」と客観的に冷静に考える伝統を持っていることです。
(中略)
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう。
彼らは本当に現実的に世の中を見ています。
(ニーチェ『キリスト教は邪教です』)
こうして、ニーチェも、ヨーロッパに仏教を伝えるのに一役買ったのでした。
日本の仏教学への影響
19世紀後半には、まだ研究が不足していたために、スリランカのパーリ仏教が本来の純粋な仏教だと思われるようになってしまいます。つまりは原始仏教です。
原始仏教についてはよく誤解されていますので、以下に詳しく解説してあります。
→原始仏教(初期仏教)の真実・実は外国のある特定の宗派の教え…!?
実際にはパーリ仏典は、分別説部という1つのグループが、お経を編集しながら伝えたものですが、あまり神や神通力について説かれていないことに気づくと、マックス・ミュラーなどは、仏教は宗教ではなく、哲学ではなかろうかと言い始めます。
また、イギリスの東洋学者リス・デイヴィズは、パーリ仏教を純粋であり、チベット仏教を腐敗していると考えました。
この頃、カトリックのフランスやイタリアの東洋学者たちは、中国、日本、チベットの仏教を研究する傾向にあり、プロテスタントのイギリスやドイツ、オランダの学者は、スリランカや東南アジアの仏教を研究する傾向がありました。
ちなみにこの時代、日本では文明開化で、西洋の文化を学ぶ機運が高まっており、日本の仏教学者がイギリスに留学して、マックス・ミュラーに学びました。
しかしながら、仏教の研究については、二千年以上の伝統のある日本の仏教と、誤解ばかりでできている西洋の仏教研究では日本のほうがはるかに進んでいます。
それにもかかわらず、素直な日本の学者たちは、西洋の文献学を近代的なものとして大きな影響を受け、近代仏教学を作り出し、仏教の本質が破壊されて行くのです。
大学で行われている仏教学は今もこの影響下にあるので、注意が必要です。
日本の仏教学については、以下に詳しく解説してあります。
アジアの光
19世紀末に仏教をヨーロッパに広めたのは、1879年のベストセラー『アジアの光』でした。
『アジアの光』は、ブッダの生涯と教えをエドウィン・アーノルドが、8巻にわたる詩で書いたものです。
序文にはブッダについて、こう書いています。
アーノルド
人類の3分の1以上の人々の道徳と宗教は、この輝かしい王子によるものである。
現在の情報では不完全ではあるが、その人格は、思想史上1つの例外を除いて、最も高貴で、最も優しく、最も神聖で、最も慈愛に満ちた存在である。
(引用:エドウィン・アーノルド『アジアの光』)
1888年にこの本を読んだ24歳のジェームズ・アレンは、こう言います。
アレン
すべての言葉を読むまで椅子から立ち上がれませんでした。
この本を読み終えたとき、私はあたかも別人になったようでした。
世界の表面から神秘のベールが巻き取られ、これまで闇に包まれていたものごとの原因と意味が見えたのです。
(ジェームズ・アレン)
こうしてジェームズ・アレンは、ベストセラー『原因と結果の法則』を書き、その中に仏教を紹介しています。
こうして『アジアの光』は、30年以上にわたって売れ続け、多くの人に影響を与えたのです。
仏教を重視した神智学協会
19世紀末に起きたもう一つの大きな出来事は、1875年、ニューヨークで、オカルト現象の研究に熱中する人々によって神智学協会が設立されたことです。
その活動の一つが、仏教の重要性を証明することでした。
神智学は、色々な宗教から真理を抽出しようとします。
しかし、どの宗教も同列ではなく、ユダヤ教やキリスト教よりもインドの宗教はすぐれているとされました。
さらには神智学者たちにより、インドのあらゆる教義の中でも、
本源的な叡智としての「宗教」にもっとも忠実なままである仏教は、最も完成されたものと判断されました。
実際、神智学教会の創立者であるエレナ・ブラヴァツキーと、ヘンリー・オルコットの2名が、1880年にスリランカのお寺で三宝に帰依し、五戒を受けて、欧米人で初めての仏教への改宗者になりました。
とはいえ実際の神智学は、仏教というよりもヒンドゥー教に近いものでした。
例えば仏教では無我ですが、神智学では我の生まれ変わるとか、仏教では六道輪廻するところ、神智学では転生を人間だけに限るなど、かなり歪曲しています。
それでもヒンドゥー教ではなく仏教を標榜したのは、当時、ショーペンハウアーなどの影響で仏教が流行していたからです。
このような、一応仏教を最も大きな拠り所とするという神智学協会が大変な人気を博し、
10カ国に121支部が設立され、沢山の著名人やエジソンなどの名のある科学者が入会しました。
そして1890年、仏教の全流派を近代化し統一するという野望を持って
インドの神智学協会本部で、アジアのさまざまな仏教流派を集めた会合を開きました。
このときには、日本の代表者も参加しています。
1893年には、シカゴで世界宗教会議が開かれました。
禅宗が海外でよく知られている理由
ここに、日本の臨済宗の禅僧、釈宗演が参加しています。
この時の聴衆の一人、編集者のポール・ケーラスは、仏教的な物の見方に感服します。
そこで、仏教の基本的文献を英訳して出版したいと思い、釈宗演に弟子の派遣を要請しました。
この時選ばれたのが、当時23歳の鈴木大拙です。
鈴木大拙は、その後11年間アメリカに留まり、日本に帰国すると、英語で仏教関連の著作を数多く著しました。
代表作は1930年の『禅仏教についての試論』です。
20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデガー(1889-1976)も、こう言っています。
もし私の理解が正しければ、
これは私がすべての著作の中で言おうと試みたことだ。
(マルティン・ハイデガー)
この本は今でこそキリスト教的な神秘体験を日本風にしただけと言われていますが、西洋で数十万部も売れて、大きな反響を巻き起こしました。
鈴木大拙以外にも釈宗演の弟子がアメリカに渡って禅宗のグループをたくさん作り、1931年には、釈宗演の孫弟子の佐々木指月がアメリカ仏教協会を設立します。
また、1940年代からは空手、1950年代からは合気道などがヨーロッパに紹介されて関心を集めています。
ところで、禅宗の中でも臨済宗の場合、公案という問題を使って弟子を導きます。
それに対して曹洞宗は、公案を使わずにただ座禅の修行を行います。
曹洞宗の鈴木俊隆が1953年にサンフランシスコのお寺に派遣されます。
英語ができた鈴木俊隆は、2年で数百人のアメリカ人を改宗させ、座禅を実践させるようになります。
1961年にはサンフランシスコに禅センターを設立し、1971年に没するまでにアメリカに数十の禅センターを作ったのでした。
スティーブ・ジョブズの師匠の乙川弘文も、鈴木俊隆に招かれた曹洞宗の僧侶です。
こうして20世紀に入ると1930年代から1960年代にわたり、日本の禅宗を通してアメリカの知識人に仏教が知られてゆくのです。
ヨーロッパには、曹洞宗の弟子丸泰仙がフランスにヨーロッパ禅協会を設立します。
1979年には国際禅協会として知られるようになり、1982年に亡くなるまでに百以上の道場ができます。
こうして、ヨーロッパにはフランスを中心に禅宗が広まったのでした。
チベット仏教が欧米に広まっている理由
チベットは、長い間中国によってヨーロッパ人の入国を禁じられてきました。
そのため1850年から1900年の19世紀後半に入国できたヨーロッパ人は一人もありませんでした。
そのため伝説の地として、関心を持たれていたのでした。
やがて1922年にチベット人の翻訳で11世紀のチベット人の伝記『ミラレパ伝』が出版されてベストセラーになりました。
さらに1927年に『チベット死者の書』が出版されると何十万部も売れました。
同年、1924年にチベットに密入国したアレクサンドラ・ダヴィッド=ネールが『パリジェンヌのラサ旅行』という旅行記を出すと、これもベストセラーになります。
彼女は生涯に40冊以上の本を書いて、ヨーロッパにチベット仏教を紹介し続けました。
物語としても、1920年代の『師たちの生活』という神秘的なラマ僧の話や1956年の『第三の眼』という人の心を読める青年僧の話など、大ベストセラーになり、人々をチベット仏教に惹きつけました。
そんな中、中国軍は1950年にチベットに侵攻し、1959年、ダライラマは、インドへ亡命します。
ラマ僧も、ネパールやブータンなど、チベットの外のお寺へ移動しました。
この事件によって、今まで欧米から閉ざされていたチベットが、大きく開かれたのでした。
この後、欧米各地に招かれたラマ僧が、仏教センターを作り、修行に参加した人たちにラマの称号を与えていきます。
また、若いラマ僧が、欧米の大学に招かれて、英語とヨーロッパ文化を学んだり、チベットの言葉や文化を教えたのでした。
1970年代からダライ・ラマが欧米の各地でインタビューに応じて現代社会の問題に対する見解を説き、古いキリスト教の教皇に対して、近代的な仏教の教皇として欧米人に受け入れられて行ったのでした。
1989年になるとダライ・ラマはノーベル平和賞を受賞し、ハリウッドでは、『リトル・ブッダ』『クンドゥン』『セブンイヤーズ・イン・チベット』など、チベット仏教に関する映画が作られます。
こうしてメディアでも盛り上がり、欧米にチベット仏教が流行したのでした。
欧米のテーラワーダ仏教
禅宗とチベット仏教の広まりに対して、テーラワーダ仏教の広まりは小さなものでした。
19世紀後半には、学者たちにブッダの本来の教えに近いと誤解され、もてはやされたのですが、それは知的な関心であって、修行を実践する人はほとんどありませんでした。
1970年代のヨーロッパでの瞑想への関心の高まりに応じて、タイやビルマの僧侶がヨーロッパに教会を設立しました。
ちょうどその頃、ヴェトナム戦争やカンボジア内戦などのアジアを襲った悲劇のために、欧米に大量の移民が押し寄せ、主に亡命してきた人々のための瞑想センターができました。
それがチベット仏教や禅宗の瞑想の人気の高まりによって、欧米人にも門戸を開いたのでした。
心理学への影響
仏教は、フロイト、ユング、フロムなど、精神分析学者が接近し始めます。
まずフロイトは、無意識の発見については、フロイトが仏教徒だと信じていた、ショーペンハウアーのおかげだと言っています。
フロイトと親好のあったスイスの心理学者、カール・グスタフ・ユングは、ブッダを「全世界にとって精神的な先駆者」と言って研究しています。
ユングの思想と近いものがあったのでした。
特に『チベット死者の書』には大きな影響を受けて、こう言っています。
『チベット死者の書』は私にとって、いわば忠実な仲間のようなものであった。
私はそのおかげでたくさんの示唆と発見を得たばかりか、じつに本質的な数々の概念をも得た。
中略
『チベット死者の書』は人間的に理解できる哲学を含んでおり、神々や原始人にではなく、人間に話しかける。
その哲学は、仏教心理学的批評の精髄であり、その意味では、未曽有とも言うべき卓越性の精髄である。
(ユング)
フロイトの弟子であったフロムも、精神分析と仏教の関係を研究しています。
そして、精神分析と禅との間に色々な類似点を見つけて、こう言っています。
知的分析、権威、エゴの欺瞞に対して絶対的に対立するがゆえに、また、幸福という理念に力点を置くがゆえに、禅の思想は精神分析の地平を深め、広げるであろう。
禅は、完全に意識的な知覚の理想として、精神分析が現実を把握する上で、さらに絶対的な概念に到達する助けとなるだろう。
(フロム)
文学への影響
文学の世界では、ショーペンハウアーの影響で、
19世紀末から20世紀前半にかけて、
トルストイやボルヘス、ハクスリーやヘッセなど、
多くの文学者たちが仏教に注目しています。
例えばロシアの文豪トルストイは、40代でミッドライフクライシスを迎え、仕事を中断して世界中の思想を研究しました。
その間に仏教のお経に説かれた話を読んで、
「東洋の寓話を読んで、大きな衝撃を受けた」といい、
作家活動を再開した時、『懺悔』という本にこう言っています。
これ以上、人間の姿を赤裸々に表した話はない。単なる作り話ではなく、誰でも納得のゆく真実だ。
(トルストイ『懺悔』)
ノーベル文学賞を受賞したドイツのヘルマン・ヘッセは、ブッダが主人公ではありませんが、ブッダが出てくる『シッダールタ』という小説を書いています。
そこにはブッダをこのように表現されています。
二人の沙門は、ひたすらその完全な安らかさ、その姿の静けさによって、仏陀を見たわけだ。
そこには、何の求めるところも、欲するところも、まねるところも、努力するところも認められず、光と平和があるばかりであった。
その静かに垂れた手は、さらに、静かに垂れた手の指の一つ一つまでが、平和と完成を語っており、求めず、まねず、しおれることのない安らかさの中で、しおれることのない光の中で、侵すことのできない平和の中で、穏やかに呼吸していた。
その手の指の一つ一つの関節が教えであり、真理を語り、呼吸し、におわせ、輝かせている、と思われた。この人、この仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。
この人は神聖だった。
(ヘッセ『シッダールタ』)
ハクスリーは『すばらしい新世界』というベストセラー小説で、「ソーマ」という薬で一生幸せを感じて死んで行く世界を描き、生きる意味を問いかけています。
そして『永遠の哲学』では、こう書いています。
東アジアの仏教は、おそらくは他のどの宗教よりも組織立ったやり方で、高みにあると同時に十全なものでもある霊的な「知」へ──魂を経てのみではなく世界をも経て──至る道を説いている。
(ハクスリー『永遠の哲学』)
そして普遍的な永遠の哲学の最も完成された表現として仏教を示しています。
ビート・ジェネレーションへの影響
20世紀中頃になると、アメリカの若者文化に仏教が影響を与えます。
鈴木大拙に影響を受けた詩人、アレン・ギンズバーグや、その友人ジャック・ケルアックなどの詩人が仏教に熱中した為です。
ギンズバーグはこう言います。
仏教的な考え方こそ未来を開く答えだと思う。
(アレン・ギンズバーグ)
『ザ・ダルマ・バムズ』や『パリの悟り』という仏教の言葉をタイトルにした作品も書いたケルアックは仏教に惹かれた理由をこう言っています。
ケルアックはこう言います。
僕はただ仏教の、この世はすべて苦なりという真相に心を惹かれただけ。
(ジャック・ケルアック)
そして彼らの作品は、アメリカを中心に現れた、
物質文明を否定し、既成の社会生活から脱しようとする
ビート世代の若者達に熱狂的に支持されます。
やがて、ゲイリー・スナイダーや、アラン・ワッツとも出会い、仏教に打ち込みました。
20世紀を代表するアメリカの詩人・ゲイリー・スナイダーは自分は仏教徒だとこう言います。
僕は生命の神秘を思う仏教徒として、さまざまな生き物を守る側に立っている。
(ゲイリー・スナイダー)
アラン・ワッツは、ヴィトゲンシュタインの哲学や量子力学を学びながら、仏教を学びました。
そして『アジアの哲学』という本を書いて、こう述べています。
仏陀は、極めて巧みな心理学者だった。
そして、歴史上初めての心理療法士であり、人間の狡猾さや曲がった心の、驚くべき理解者であった。
(アラン・ワッツ)
では仏教は、哲学にはどんな影響を与えているのでしょうか?
哲学への影響
西洋哲学にも大きな影響を与えています。
20世紀最大の哲学者といえば、ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)やハイデガーの名前があがります。
例えばヴィトゲンシュタインの主著『論理哲学論考』には、『中阿含経
』の「
筏
のたとえ」が出ています。
筏のたとえというのは、お釈迦さまが「方便」について教えられたたとえです。
方便というのは、私たちを真実へ近づけ、体得させるのに絶対に必要なものです。
それはちょうど、向こう岸に渡りたい時、筏は必ず必要ですが、向こう岸についたら筏を捨てなければならないようなものです。
ちょうどそのように、方便も、真実へ到達するには捨てなければならないのですが、使わなければ真実へは到達できないというものです。
このことをヴィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』の最後にこう書いています。
シュタイン
私を理解する人は、私の命題を通り抜け──その上に立ち──それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。
そのようにして私の諸命題は解明を行う。
(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
私の諸命題を葬り去ること。
そのとき世界を正しく見るだろう。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)
この「梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない」
というのは筏を梯子にしてはいますが『中阿含経』のほうがはるかに先に、もっと詳しく説かれていることです。
さらに、有名な結論の「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」というのも、
『維摩経』に説かれている内容です。
『維摩経』では、真理について31人の人たちが、言葉を尽くして色々と表現しようとします。
その32番目が、「三人寄れば文殊の知恵」といわれて智恵のあることで有名な文殊菩薩でした。
文殊菩薩は、「真理は言葉では表せない」といいます。
最後に維摩が真理とは何か聞かれると、沈黙して無言でした。
『維摩経』ではこの答えが称讃され「維摩の一黙雷の如し」といわれます。
それをヴィトゲンシュタインは、主著の結論に反映させているので、仏教は西洋哲学にも大きな影響を与えているといえます。
また、マルティン・ハイデガーは、親鸞聖人の言葉が記された『歎異抄』を読んでこう言っています。
今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の『歎異鈔』を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり(歎異抄後序)とは、何んと透徹した態度だろう。
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。
遅かった。
自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が三十名近くも留学して弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。
(ハイデガー老後の日記・中外日報 昭和38年8月6日)
これがハイデガーの老後でなければ、もっと大きな影響を与えたことでしょう。
このように仏教は、西洋哲学の天才たちがようやくたどりついたことを、2600年前から明らかにされているため、20世紀の哲学者たちにも大いに影響を与えているのです。
21世紀の仏教への関心
このように、大きく誤解されながらも少しずつヨーロッパに広まって行った仏教ですが、
文明の興亡の観点から『歴史の研究』全25巻を著し、
20世紀最大の歴史家の一人といわれる、アーノルド・トインビーも、
仏教の重要性をこのように言っています。
仏教と西洋の出会いは、二十世紀のもっとも有意義な出来事である。
(アーノルド・トインビー・引用:『仏教と西洋の出会い』)
21世紀に入り、同時多発テロが起こると、
従来のキリスト教とイスラム教の対立が危機的局面に陥り、
平和的で心の安心を与える仏教が、ますます注目を集めています。
また、東日本大震災が起きた時の日本人の落ち着いた行動は、仏教によるものだと海外のメディアで注目を集めました。
欧米では文化的に、世界や環境に働きかける、科学のような技術を発達させてきました。
ところが自分の心を見つめることは手薄です。
その点、仏教は欧米でも他にない方法になっているのです。
グーグルやアップル、ゴールドマンサックスなどの大企業でも、仏教から発祥したマインドフルネス瞑想を取り入れています。
では仏教に何が教えられているのかについては、以下の電子書籍とメール講座にまとめてあります。
ぜひ見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)