大乗仏教の起源3つの説
日本の仏教はすべて大乗仏教です。
大乗仏教とは、小乗仏教が自分の救いを重点的に目指すのに対して、
利他に重点をおいて、すべての人の救いを目指す仏教の教えです。
大乗仏教の起源は、まだ一般の人にはあまり知られていませんが、
2010年頃からは、グレゴリー・ショペンの説が定説になり、
その後も色々な説が出ています。
それだけ起源を求めようとしても見つからないということです。
では、大乗仏教の起源の定説の移り変わりを簡単に振り返ってみましょう。
大乗経典と大乗仏教の教団
そもそも大乗仏教というのがどんな仏教なのか明確になっていません。
21世紀に入って新しくお経がたくさん発見され、これまでの定説も覆されています。
何をもって大乗仏教というのか自体が、新しく変わり続けている状況です。
もともと最も早く成立した大乗経典といわれる般若経典が紀元前後で、
当然、そのお経を成立せしめた大乗教団が存在して、
その頃に成立していたと思われていました。
ところが、碑文や像塔などの考古学的研究で
大乗教団の痕跡が見つかるのが5世紀頃からです。
すると、それまで般若経を成立させた人はどこにいたのか、
疑問になります。
そして小乗仏教を信奉する人も大乗仏教を信奉する人も、
一緒に住んでいたと推測されるようになっています。
大乗仏教の起源説も、どんどん新しいものが提出され、謎は深まるばかりです。
1.大衆部を起源とする説(明治時代)
大乗仏教は「大衆部」を起源とすると思っている人がたまにいますが、これは明治時代の説です。
この説は、前田慧雲という人が、説一切有部という部派の世友の書いた『異部執輪論』(玄奘訳)を根拠に提唱しました。
『異部執輪論』には、色々な部派の教義が記されていますが、
その中の大衆部の教えと、大乗仏教の仏身や菩薩についての教えが似ている、というものです。
そして吉蔵の『三論玄義』や真諦の『部執異論疏』に、大衆部は『法華経』や『涅槃経』などの大乗経典を持っていたとあるので、大乗仏教は大衆部を起源とするのだろうと推測したものですが、いつの間にか日本の仏教学会の定説になってしまいました。
ところが、やがて大衆部だけでなく、上座部系の法蔵部もたくさん大乗経典を持っていたことが分かりました。
1990年代に、アフガニスタンの紛争で戦闘機が攻撃して穴が空いたところから瓶が出てきて、白樺の樹皮に記された大量の大乗経典が発見されたのです。
その瓶には「法蔵部」と書いてあったので、法蔵部も大乗経典をたくさん持っていたことが分かりました。
ちなみにその写本は競売にかけられ、ノルウェーのコレクター、マーティン・スコイエンが落札し、スコイエン・コレクションとなっています。
この大乗仏教が大衆部を起源とするという説は、他の部派でも大乗仏教と類似した教えは説かれているなど、色々と批判を受け、根拠薄弱となっています。
2.仏塔を信仰する在家の人起源説(昭和時代)
次に昭和時代の後半に、平川彰という人が、律蔵文献の緻密な研究により、仏塔の近くに住んでいた在家の人を起源とする新説を唱えました。
理由は、大乗仏教の菩薩は、色々なものを布施することが説かれているのですが、当時のインドで僧侶になるには、出家して家族も財産も捨てなければならないので、出家した僧侶の集団である大衆部を起源とすることはありえないというものです。
それで、仏教の教えの面だけでなく、社会的な面も考慮して、仏塔の近くに住んでいた在家の菩薩の集まりが、大乗仏教の起源となったと推測したのです。
大変独創的で、精密な研究に基づいており、日本では定説のようになりました。
よく本に書いてあるので、多くの人がこれを定説だと思っていると思います。
ですが、海外ではそれほど注目されませんでした。
それはすでにアンドレ・バローの研究によって、部派仏教でも仏塔に関わっていたことが分かっていたからです。
なぜ平川彰が出家の人が仏塔に関わらないと思ったかというと、
1つには『遊行経』の中で、阿難がお釈迦様の葬式について質問した時のお答えからでした。
お釈迦様はシャリーラの供養は在家の人がするだろうから、出家の人は修行に専念しなさいと言われました。
そのシャリーラには、遺体という意味も遺骨という意味もあるので、平川彰は遺骨と読み、仏塔には遺骨がおさめられているため、出家者は仏塔に関わらないと思ったわけです。
また2つ目に、部派仏教の出家者が遺骨の供養に関わったという記述が一切ないことも1つの大きな根拠でした。
ですが、実際はまったく正反対で、あまりに日常的に遺骨の供養に関わっていたために、当たり前過ぎてわざわざ書かれていなかっただけでした。
3.周辺地域の教団を起源とする説(平成時代)
やがて平成時代の後半になると、グレゴリー・ショペンという人が、考古学的な方法を使って、インド仏教の僧侶たちは、実は出家しても財産を捨てずに、私有財産を持ち続けていたらしいことを明らかにしました。
寄進者名のある碑文を調査したところ、バールフットという村では、仏塔への寄進者の4割が出家者であることが分かっています。
これによって、仏塔を信仰する在家の人を起源とする平川彰の説は根拠がなくなり、否定されてしまいます。
こうして、大乗仏教はインドの仏教の教団内から現れたという説に戻りましたが、
さらにショペンは、インドから出土した碑文によって、大乗仏教は、辺境の地域の仏教に起源があったという新説を打ち立て、2010年以降の仏教界では定説となっています。
ですがショペンの研究にも、漢訳文献をまったく無視しているなど欠点が指摘されています。
その後も色々な新説が提出されています。
例えば袴谷憲昭によれば、裕福な在家者のために出家者が行った「悪業払拭の儀式」が大乗仏教の起源だと提唱しました。
悪業払拭の儀式は、霊魂の存在を前提としているそうですが、そういうものは仏教とは言えません。
また、佐々木閑は、大乗仏教は、発生場所もその創始者も特定できない、複数の源泉から同時並行的に発生してきたと考えています。
つまり大乗仏教の起源は分からないということです。
このように、大乗仏教の起源は、明治時代以降、ここに挙げたよりももっと多くの様々な説が提唱されていますが、仏教界の定説の移り変わりとしては、こんなところです。
新しい写本が発見されて、大乗仏教の研究が活性化しているので、
やがてこれまでの説を否定する、令和時代以降の新説が現れることでしょう。
新発見のガンダーラ写本
ちなみに近年では、アフガニスタンなどからガンダーラ語の仏教写本がたくさん発見されています。
ガンダーラ語というのは、サンスクリットの俗語の一つです。
これは紀元前1世紀くらいまで遡るといわれます。
その中には大乗経典も含まれ、漢訳されなかったテキストも出てきています。
そのため、最初の時代の仏教を初期仏教といい、その後、部派仏教となり、それから大乗仏教が興ったという仏教史の従来の単純な説が崩壊してきています。
東大の下田教授はこのように述べています。
大乗仏教の起源に関する最新の論集の導入部分で、Harrison(2018, 8–9)は古代インド仏教史における一つの強固な想念、すなわち「インド仏教史は、展開のある時期に上座部仏教と大乗仏教という二つの基本的な流れに分かれた」という「単純で時代錯誤的な理解」に危惧を表明している。
(出典:下田正弘「『正典概念とインド仏教史』を再考する」2020年)
仏教の歴史の研究が進んだことにより、現在では、大乗仏教と部派仏教は、今まで考えられていたよりもはるかに複雑な関係で共存していたことが明らかになってきているのです。
お釈迦様の説は?
仏教については近代の学者の説よりも、お釈迦様に聞くのが一番です。
お釈迦様はどのように説かれているのでしょうか?
大乗経典で大乗仏教について説かれていることは、我田引水になって信憑性が低いかもしれませんので、小乗経典とされる『増一阿含経』によると、次のように説かれています。
「世尊の所説おのおの異る。
菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く。
人尊く六度無極を説く、布施、持戒、忍辱、精進、禅、智慧力」
(漢文:世尊所説各各異 菩薩發意趣大乘 如來説此種種別 人尊説六度無極 布施持戒忍精進 禪智慧力)(出典:『増一阿含経』)
このように、『阿含経』にさえも大乗の教えが伝えられているのです。
こうして、お釈迦様がお亡くなりになった後、阿難尊者が中心となって、小乗の教えと大乗の教えがどちらも結集されたことが分かります。
このような、お釈迦様の説かれたお経を認めない人は、仏法者とは言えません。
外道です。
大乗仏教は、紛れもなくお釈迦様の説かれた教えなのです。
大乗仏教の起源を論ずる意味は?
大乗仏教の起源は、もともと上座部仏教(テーラワーダ仏教)のパーリ仏典のほうがお釈迦様の説かれた教えに近く、大乗仏教の多い漢訳仏典のほうが遠いとする説にもとづいて、考えられてきました。
ところが、『涅槃経』をはじめ、色々な経典で、漢訳経典のほうが、5世紀頃に編集されたパーリ仏典よりも成立が古いことが今日では明らかになっています。
成立の古さから言えば、一番新しいのがチベット語訳の経典、
次に新しいのがパーリ経典やサンスクリット経典、
最も古いのが、漢訳経典です。
しかも大乗仏教の経典は、誰かが作ったという人があります。
これには2つ疑問があります。
1つは、お経というのは仏のさとりを開かれたお釈迦様が説かれたことを記したものです。
自分が考えたものをお釈迦様の説かれたことだと言うのは嘘ですが、出家者は戒律によって嘘をついたら教団を追放されます。
なぜお経のような深い内容を作れるほど仏教を深く理解している人が、そう簡単に嘘をつくのでしょうか。
2つには、大乗仏教の人々の立場に立って考えると、大乗仏教では、仏は神ではありませんが、仏を神格化したといわれるほど仏を尊敬されています。
小学生が大学教授の名前をかたってさえも畏れ多いと思いますが、
人間が仏や神の名をかたるのは、それよりはるかに畏れ多いことだと思います。
誰かが経典を作ったというのは、きっと信仰のない人が考えた説だと思いますが、
特に信仰の深い人ほど、経典を作るなど考えられないことです。
大乗仏教のお経は、インドでお釈迦様に次いで有名な龍樹菩薩や天親菩薩が、間違いなくお釈迦様の説かれたものと受け止めて実践され、救いにあわれています。
お釈迦様が仏教を説かれて以来、仏教の教えによって救われた人は数知れませんが、
これらの歴史的なことを研究して救われた人は存在しませんので、
私たちの人生の幸せには役立ちません。
これでは経典の歴史の研究は、仏教でいう自分の人生の救いに関係のない「戯論」ということになってしまいます。
歴史研究はキリがなく、これから何十年、何百年かかるか分かりません。
そこに時間をかけるよりも、まずは経典の内容である、本当の幸せになれる仏教の教えを知り、幸せになることを急いで、歴史の研究はそれからにしましょう。
どんな人も本当の幸せになれる仏教の教えは、
メール講座と電子書籍にまとめてありますので、
今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
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- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)