弥勒菩薩とは?
弥勒菩薩半跏思惟像
弥勒菩薩は、菩薩の中では最高の悟りの位にある菩薩です。
広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」が有名です。
学校の美術の教科書などにも出てくるので多くの人が
一度は目にしたことのある美しい微笑をたたえています。
その口元は、ウルトラマンの口のモデルになったといわれるほどの美しさです。
また、犬夜叉というマンガでは弥勒というキャラクターも登場しています。
そこでこの記事では、
・弥勒菩薩は何者なのか、
・お釈迦さまとはどんな関係にあるのか、
・弥勒菩薩に対する2つの信仰、
・「ミロクの世」とは何か、
などなど、弥勒菩薩に関することを分かりやすく解説します。
弥勒菩薩とは
弥勒菩薩とはどんな人で、どんな菩薩なのでしょうか?
まず仏教の辞典を確認してみましょう。
弥勒菩薩
みろくぼさつ
弥勒は、サンスクリット語 Maitreya(パーリ語 Metteyya)に相当する音写で、友情・友愛、ないし慈愛を意味する maitrīに由来。
好意的で、慈愛にみちた者の意。
<慈>や<慈氏>などとも意訳する。
未来仏としての<弥勒仏>(弥勒如来)や、それに由来する<弥勒菩薩>の用例で知られる。
用例としては、未来仏としての弥勒仏が古い。
パーリ長部26<転輪聖王獅子吼経>や対応する長阿含経6<転輪聖王修行経>、あるいはまた中阿含経66<説本経>には、遠い未来、人の寿命が8万歳になったときに弥勒という名の仏が世に現れるという。
とくに最後の中阿含経では、衆中の弥勒という名の比丘に対して、まさにその未来仏たる弥勒仏になるであろうとの授記をなしている。
ただし同経典は、弥勒菩薩の呼称を用いてはいない。
しかし、この同じ経典を引く『大毘婆沙論』や『大智度論』では、すでに菩薩の観念が定着していたこともあって、この授記を受けた比丘<弥勒>は、<慈氏菩薩>や<弥勒菩薩>と呼ばれる。
弥勒菩薩については、諸種の弥勒経典がある。
そこにおいて弥勒は、釈迦牟尼仏についで、56億7千万年の後、この世に現れる将来仏であり、すでに菩薩として修行も成就し、一生補処の位(あと一生のみで仏となりうる位)に達しており、今は兜率天の内院に住しているという。
弥勒が世に現れるときには、華林園の龍華樹の下で成仏し、三会の説法によって一切の人・天(人々と神々)を済度するとされる。
今、弥勒が住している兜率天の内院は、弥勒の浄土(兜率浄土)といわれ、観弥勒菩薩上生兜率天経には、その荘厳(しつらい)の様子が描かれ、そこに往生すべきことが説かれている。
この弥勒に対する信仰は、中国・朝鮮・日本に非常に大きな影響を与えている。
日本では8-10世紀頃、兜率上生(弥勒上生)を願う信仰が流行し、吉野金峯山は弥勒浄土と考えられた。
11世紀以後には、末法の世を救う弥勒下生を熱烈に求める信仰も盛んとなり、この<弥勒の世>への期待は、たとえば幕末では、世直し運動とも結びついた。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
つまり弥勒菩薩とは、56億7千万年後に地球上に現れる未来仏であり、お釈迦様の次に仏の覚りを開いて、教えを説かれる方です。
現在は兜率天という世界で修行中の菩薩ですが、弥勒仏とも称されます。
菩薩と仏の違いについては下記をご覧ください。
➾仏(如来)と菩薩と神の違い
このように、弥勒菩薩について簡単に説明されていますので、ここでは辞典には書かれていないところまで、分かりやすく解説していきます。
弥勒菩薩の名称とお経
まず、弥勒菩薩は、たまにミトラ教のミトラ(ミスラ)神を、仏教では弥勒と呼ばれているのではないかといわれますが、そうではありません。
弥勒菩薩は、実在の人物です。
弥勒の名称については、サンスクリットではマイトレーヤですが、慈氏菩薩、阿逸多菩薩などともいわれ、たくさんのお経に説かれています。
どんなお経に説かれているのかというと、例えば『スッタニパータ』や『阿含経』『賢愚経』にも説かれていますし、
『華厳経』や『阿含経』『般若経』『法華経』『大無量寿経』『阿弥陀経』『涅槃経』など様々なお経に説かれています。
「慈氏菩薩」と言われるのは、弥勒の語源が「慈しみ」であるためです。
弥勒菩薩が登場するお経
特に弥勒菩薩について集中的に説かれているお経は、弥勒経といわれますが、特に有名なのが
『弥勒下生成仏経』(鳩摩羅什訳)
『弥勒大成仏経』(鳩摩羅什訳)
『観弥勒菩薩上生兜率天経』(沮渠京声訳)の3つです。
これを「弥勒三部経」といわれます。
さらに、弥勒三部経に
『弥勒来時経』(訳者不明)
『弥勒下生経』(竺法護訳)
『弥勒下生成仏経』(義浄訳)
の3つを加えて「弥勒六部経」といわれます。
弥勒菩薩は、実在したお釈迦さまのお弟子ですが、お釈迦さまは、弥勒菩薩を
「私の次に仏のさとりを開く後継者だ」
といわれています。
ではお経には、弥勒菩薩について、どのように説かれているのでしょうか?
まず、『観弥勒菩薩上生兜率天経』にはこう説かれています。
弥勒上生経の内容
お釈迦さまが祇園精舎におられた時、たくさんの人が教えを聞こうと集まってきました。
その時、弥勒菩薩が立ち上がって合掌礼拝すると、お釈迦さまは優しくご覧になられました。
すると、他のお弟子の一人が、同じく立ち上がって、お釈迦さまに質問しました。
「お釈迦さま、弥勒はやがて仏になると説かれていますが、まだそれほどまでの修行はできていないように思います。
彼は死んだらどうなるのでしょうか?」
お釈迦さまは、
「よく聞くがよい。弥勒は今から12年後に死んで、天上界の一つである兜率天という世界に生まれるであろう」
と言われます。
お経にはこうあります。
諦聽諦聽、善く之を思念せよ。
如來應正遍知、今、此衆に弥勒菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提の記を説かん。
此人は今より十二年後命終し必ず兜率陀天上に往生せん。
(漢文:諦聽諦聽善思念之。如來應正遍知。今於此衆説彌勒菩薩摩訶薩阿耨多羅三藐三菩提記。此人從今十二年後命終。必得往生兜率陀天上)(引用:『観弥勒上生兜率天経』)
すると、天空に兜率天の様子が映し出されました。
弥勒はどこに生まれ変わるかというと、兜率天に生まれ変わると言われるのです。
兜率天では、たくさんの天人が、弥勒菩薩のために五百億の宮殿を造っていました。
それはすべて、七つの宝で造られ、高い塀で護られ、竜王に守護されています。
その宮殿の一つから現れた一人の神が、弥勒菩薩のためにさらなる49階建ての大宮殿を建立します。
これを「兜率内院四十九院」といいます。
そこでは、五百億の天女が舞を舞っています。
宮殿の庭には八色に輝く宝の池があり、小川から宮殿の外に流れています。
門の外にも池があって、四つの花が浮かび、それぞれ24人の天女がいて菩薩たちの厳しい修行を讃嘆します。
また、菩薩を迎える座席を梵天をはじめとする無数の神々が飾っています。
そしてお釈迦さまは、
「12年後、弥勒が人間界で死ぬと、兜率天の座席に突然姿を表し、座禅を組んで座るであろう。
そして、昼と夜の二回、天人たちに教えを説いて導き、人間界の時間で56億7千万年後にまた人間界に生まれ変わるであろう」
と説かれています。
お経にはこのようにあります。
如是の兜率陀天におりて晝夜恒に此法を説き、諸天子を度す。
閻浮提の歳數は五十六億萬歳にして爾乃ち閻浮提に下生すること
(漢文:如是處兜率陀天晝夜恒説此法度諸天子閻浮提歳數五十六億萬歳爾乃下生於閻浮提)(引用:『観弥勒上生兜率天経』)
そして、再度現れられる場所は、地球上です。
現在の弥勒菩薩
では弥勒菩薩は、天上界で現在は何をされているのでしょうか?
今度人間に生まれた時に、地球上で、お釈迦さまの次に仏のさとりを開くと予言されている人です。
ですからまだ仏のさとりは開けていません。
仏のさとりを目指して、現在、修行中です。
さとりといっても、仏教では、低いものから高いものまで全部で52あり、
その一番上の52段目が仏のさとりです。
「菩薩」とは「菩提薩埵」の略ですが、
「菩提」とは仏のさとりのことで
「薩埵」は求める人ということですから、
菩薩とは、仏のさとりを求めて修行中の人のことです。
ところがさとりを一段も開いていない、ゼロ段から
52段の仏のさとりを開くまでには
普通は三阿僧祇劫という長期間修行しなければなりません。
一劫は4億3200万年、
阿僧祇は10の56乗ですから、
三阿僧祇劫はその3倍です。
弥勒菩薩はすでに長い長い間修行をして、あと1段で仏という
51段のさとりを開き、菩薩の中では最高の位にありますが、
今も天上界の兜率天の内院で仏のさとりを目指して修行をしているのです。
では弥勒菩薩はいつ頃仏のさとりを開くのでしょうか?
『弥勒下生成仏経』にはこのように説かれています。
弥勒菩薩が仏のさとりを開く時期と予言
ある時、お釈迦さまのお弟子の中でも智慧第一といわれる舎利弗が尋ねました。
「お釈迦さま、弥勒菩薩は、兜率天からこの人間界に生まれて人々を救うのでしょうか。
その時、国土はどのように美しくなるのでしょうか?」
お経にはこのように説かれています。
世尊、前後の經中に説きたまふ如く彌勒は當に下って佛となるべし。
願はくは廣く彌勒の功徳神力・國土莊嚴の事を聞かんと欲す。
衆生は何の處、何の戒、何の慧を以てか彌勒を見ることを得んや。
(漢文:世尊如前後經中説彌勒當下作佛願欲廣聞彌勒功徳神力國土莊嚴之事衆生以何施何戒何慧得見彌勒)(引用:『弥勒下生成仏経』)
それに対してお釈迦さまは、
「舎利弗よ、今から弥勒菩薩が未来の人間界に生まれる時の様子を見せよう」
といわれます。お経にはこのようにあります。
仏、舍利弗に告げたまはく、「我今広く汝が為に説かん。まさに一心に聴くべし」
(漢文:佛告舍利弗我今廣爲汝説當一心聽)(引用:『弥勒下生成仏経』)
すると、虚空に未来の人間界が映し出されました。
広々とした比翼な土地に、作物がよく実っていました。
人々は、賢く健康で、心豊かに暮らしていました。
ただ、やがて年を取ることは同じでした。
その国の都は広大で、徳のある人ばかりが住んでいました。
道は掃除が行き届き、街角の柱は宝石で昼夜の別なく輝いて、夜に灯火は必要ありません。
地面は砂金で覆われ、金銀が転がっていました。
池や泉には八功徳水が湧き出て、その水を飲めば病気が回復します。
この国の家には鍵をかける必要はなく、町は賑わって栄え、天災も人災もなく、人々はお互いに助け合っていました。
そして寿命が尽きると、自分で墓地に行って静かに生涯を閉じるのでした。
その国に弥勒という智慧も徳もある青年がありました。
その国の王は、ぜひとも弥勒を側近にしたいと考えていましたが、弥勒は成長するにつれ、人生の苦しみについて考えるようになりました。
「この国の人々はみんな徳が高い人ばかりなのに欲望に縛られている。
欲望は欲望を呼んで、満たされることを知らない。
そして、人々は長寿ではあるものの、病気や死を免れない。
この苦しみを超えるにはどうすればいいのだろうか」
その国の王は、弥勒と縁を深めるために宝を贈りましたが、弥勒はそれを受け取ると、バラモンの集団に布施してしまいました。
ところがそのバラモンたちは、宝を分け合うために、その宝をバラバラに壊してしまいました。
それを見た弥勒は、美しい宝が無残な姿に変わっていくのを見て、無常を知らされました。
「形のあるものはすべて壊れる。永遠不滅なものは何もない。私は出家してこの解決を求めよう」
こうして弥勒は出家したのでした。
ところが弥勒は、出家したその日に、華林園の竜華樹という菩提樹の下で、仏のさとりを開き、弥勒仏になったのでした。
ですから、弥勒仏が現れる場所は、華林園の竜華樹のもとです。
すると、大地が振動したり、弥勒仏から光明が放たれたりしたので、人々が集まってきて、弥勒仏を拝んで出家しました。
その国の王様やその妃、大臣達をはじめおびただしい人々が出家しました。
すると弥勒仏はこう言います。
「今ここに集まってきた人たちは、かつてお釈迦さまの教えをよく守ってきた人ばかりである。過去世の善によって、また私に会えたのである。お釈迦さまは、慈悲によって人々にまことの言葉を語り、私にあなた方を救うように託されたのである」
こうして、その日、弥勒仏は3回の説法を行い、多くの人がさとりを得ることができました。
この弥勒菩薩が仏のさとりを開いた日の3回の説法を「龍華三会」といいます。
このようにお釈迦さまは、弥勒菩薩は56億7千万年後に、人間界に生まれ、仏のさとりを開いて多くの人を救うと教えられています。
実際、弥勒菩薩が仏のさとりを開く時期について、
『菩薩処胎経』というお経には、こう説かれています。
弥勒まさに知るべし、汝また記を受く、
五十六億七千万歳、この樹王の下に於て無上等正覚を成る。
(漢文:彌勒當知 汝復受記 五十六億七千萬歳 於此樹王下 成無上等正覺)(引用:『菩薩処胎経』)
「記を受く」というのはお釈迦さまから予言を受けるということです。
「無上等正覚」とは仏のさとりのことですから、弥勒菩薩は、あと56億7千万年で、兜率天から人間界へ下って仏のさとりを開く、とお釈迦さまから予言されたということです。
その名を「婆意多利耶如来」といいます。
婆意多利耶は、サンスクリットのマイトレーヤに漢字をあてた音訳なので発音がうっすら似ています。
このように、弥勒菩薩は現在兜率天で修行中で、56億7千万年後に人間界で仏のさとりを開くとお釈迦さまが教えられているため、弥勒菩薩を信ずる人に2種類あります。
2つの弥勒信仰
弥勒信仰とは、弥勒菩薩を篤く信仰することです。
それに2つあります。
その2つの弥勒信仰とは、
「上生信仰」と
「下生信仰」の2つです。
上生信仰
「上生信仰」とは、自分が弥勒菩薩のいる兜率天に生まれ、
やがて56億7千万年後に一緒に人間界に生まれたい
と願う信仰です。
上生信仰は、法相宗などの奈良仏教、
天台宗や真言宗で行われていました。
例えば大化の改新の中心人物で、藤原氏の繁栄の基礎を築いた
藤原鎌足は、兜率天に生まれたいと思っていました。
藤原鎌足ゆかりの興福寺は法相宗ですが、
たくさんの弥勒菩薩像があります。
真言宗を開いた弘法大師空海も、兜率上生を願っていました。
また、空海の甥で、延暦寺5代目座主をつとめた天台宗の円珍も
兜率上生を願っています。
しかしながら、上生信仰は、
自力による大変な修行が要求されるため、
下生信仰が生まれました。
下生信仰
下生信仰とは、56億7千万年後、
弥勒菩薩がこの世に現れて仏のさとりを開くときに、
弥勒の救済にあずかりたいというものです。
天台宗の最澄は空海に、
「ともに弥勒に会うときを待ちたいですね」
という手紙を書いています。
空海についても、後世になると、
死んだのではなく、高野山奥の院で、生きながら
弥勒菩薩の下生を待っているという伝説が生まれました。
このような弥勒下生信仰は、弥勒がこの世に現れて救ってくだされる
「ミロクの世」を願うことになり、
56億7千万年後は、作物がよく実り、
人間の寿命ももっと延びていると説かれていることから、
いつか救世主が現れて、ユートピアが実現されることを願い、
メシア思想や現世利益と結びつきます。
よく「自分は弥勒の生まれ変わりである」とか
「今こそ弥勒下生のときである」という人が現れて
政治運動や、新興宗教を開きますので注意が必要です。
江戸時代の「ええじゃないか」も
凶作・飢饉にあえぐ農民たちが、
五穀豊穣のミロクの世を求める信仰から起きた
とも言われています。
しかしながら、弥勒下生は、あくまで56億7千万年後です。
お釈迦さまがお亡くなりになってから、まだ2600年しか経っていませんので、
弥勒菩薩の出現まで、あと56億6999万7400年待たなければなりません。
待っているうちに、人生終わってしまいます。
ところが、お釈迦さまは、
弥勒菩薩より先に仏のさとりを開く法を説かれています。
普通の人が弥勒菩薩より先に仏のさとりを開く
弥勒菩薩の素晴らしさを知るほど、弥勒菩薩より先に仏のさとりを開くなんて考えられないと思いますが、浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、『教行信証』に、このように教えられています。
真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。
(漢文:眞知 彌勒大士窮等覺金剛心故 龍華三會之曉當極無上覺位 念佛衆生窮横超金剛心故 臨終一念之夕超證大般涅槃)(引用:親鸞聖人『教行信証』)
「真に知んぬ」は、明らかに知らされた、ハッキリした、ということです。
「弥勒大士」とは、弥勒菩薩のこと。
弥勒菩薩は「等覚の金剛心を窮むるが故に」とは、51段の悟りを開かれていて、ということです。
「龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし」の「龍華三会の暁」は56億7千万年後、「無上覚位は仏のさとりですので、弥勒菩薩は51段の悟りを開いているので、56億7千万年後に、仏のさとりを開かれる、ということです。
弥勒菩薩と対比して次に、このように教えられています。
「念仏の衆生」は、苦悩の根元が断ち切られて、絶対の幸福になった人は、という意味です。
苦悩の根元が断ち切られたらどうなるかというと、
「横超の金剛心を窮むるが故に」の「横超の金剛心」とは絶対の幸福のことです。
絶対の幸福は悟りではありませんが、悟りでいえば51段の悟りに相当します。
生きている時に、弥勒菩薩と肩を並べることができる、ということです。
そして、生きている時に絶対の幸福になった人が、死ねば「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」
と教えられています。
「大般涅槃を超証す」とは、仏のさとりを開くということです。
阿弥陀仏に救われた人が死ねば、「弥勒お先ごめん」と、仏のさとりを開くという意味です。
生きている時に51段の弥勒菩薩と同格になるだけでもすごいことですが、死ねば弥勒菩薩よりも先に仏のさとりを開くことができるのです。
沙石集の話
また、『沙石集』にこんな話があります。
昔、尾張の国に住んでいた無住禅師が、
ある日、茶店でお茶を注文しました。
すると、お茶を準備しに行こうとしたお婆さんの後ろ姿に、
猫のしっぽが出ているのが、禅師には見えました。
禅師が、
「婆さんや、あんた悪いことしとるなあ、
死んだら次は猫に生まれるぞ」と言われると、
お婆さんは、顔色を変えて、
「私が畜生道におちなければならないとはどういうことですか」
と聞き返しました。
禅師はそれなら証拠を見せてやろうと、
お婆さんの猫のしっぽを足で踏み、
「それ動けるなら動いてみよ」
といわれますが、
お婆さんはまったく動けませんでした。
驚いたお婆さんは
「今日より行いを反省して改めます。
どうしたら逃れることができるでしょうか」
と尋ねると
「わしは弥勒菩薩に会いたいから定に入るが、
定に入れず観念もできない悪人を救うと
阿弥陀如来が名号を完成されたから、
それを聞き開けば助かる」と教えられました。
それを聞いたお婆さんは深く懺悔して
お寺の縁先で一生念仏して送ったと言われています。
さらには、このお婆さん、あとで無住禅師に
「どうしてあなたは弥勒菩薩の出世を待たれるのでしょうか。
私は助けられたご恩のあるあなたさまが苦労されるのは見ていられませんから
名号をいただいて共に浄土へ参って下さい」
と言っています。
このように、どんな人でも阿弥陀仏の救いにあえば、
生きているときに絶対の幸福の身に救われ、
死ねば極楽浄土へ往って、
弥勒菩薩より先に仏のさとりを開けるのです。
弥勒菩薩を超える幸せになる方法
このことについて、お釈迦さまは、弥勒菩薩に対して、『大無量寿経』にこのように説かれています。
仏、弥勒に語りたまわく
「それ彼の仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍し、乃至一念すること有らん。
当に知るべし。この人は大利を得と為す、すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」。
(漢文:佛語彌勒 其有得聞彼佛名號 歡喜踊躍乃至一念 當知 此人爲得大利 則是具足無上功徳)(引用:『大無量寿経』)
これは、「どんな人も仏教を聞けば、苦しみ迷いの根元が断ち切られる瞬間がある。
よく知るがよい、この人は、この世で限りない功徳と一体になり、
絶対の幸福になれるのだ」ということです。
そうなった人はどうなるかというと、こう説かれています。
ついで弥勒の如し
(漢文:次如彌勒)(引用:『大無量寿経』)
これは、弥勒菩薩と同等になる、ということです。
同等ということは、生きているときに、さとりの52段中、
51段まで高飛びするということです。
そうなった人は、死ぬと同時に極楽浄土へ往って仏のさとりを開きますから、
56億7千万年後に仏のさとりを開く
弥勒菩薩を超える幸せな身になれるのです。
では、苦しみ迷いの根元とは何かについては、
電子書籍とメール講座にまとめてあります。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)