占いをブッダが危険とされる理由
あなたは占いを信じてますか?
何か不安なことがあると、誰でも占いを少しでも信じたくなります。
例えば自分はどんな人と結婚するのか、いつ頃結婚するのか、
今の彼氏と相性はどうなのか。彼は私のこと本当はどう思っているのだろう……。
世の中不安なことだらけなので、それだけ占いにたよたくなります。
うまく行っているときは占いのことは忘れていても、
うまく行かなくなってくると、占いにたよりたい気持ちは強くなります。
そこでこの記事では、
1.占いとは何か
2.占いの3つの拠り所
3.占いは統計学なのか
4.占いの種類によって結果は変わるのか
5.占い師の能力を見破る方法
6.仏教で占いについてどう教えられているか
7.運命は何によって決まるのか
ということについて、分かりやすく解説します。
そして結論からいえば、仏教を説かれたブッダは、
「占いは人生を誤る危ない行いだから、しないようにしようね」
と教えられています。
これは一体どうしてなのでしょうか?
占いとは?
そもそも占いというのは何なのでしょうか?
辞書ではこのように説明されています。
占い
うらない
俗信のうち、予兆を判断する技術。
自然現象や生理現象を判断するものと、人為的に何かの現象をつくりだし、それを判断した結果に基づいて、別の何かを予知しようとするものとがある。
知ろうとする事柄は、物事の真実、神霊の意志、未来のできごとなどで、その方法はきわめて種類が多い。
占いは俗信上の行為であるから、洋の東西、文化程度の高低にかかわらず存在するものであるが、原始的な社会では、より多く政治に結び付き、その結果に対する信頼も強い。
文化的な社会では、趣味的にとらえられて遊びの要素が強まってくる。
ヨーロッパでは、バビロニアにおこったといわれる占星術や、動物の肝臓などによって占う内臓占いが早くから発達し、また、占杖によって地下水や鉱脈を探ろうとする占い法、なにげなく本を開いて、まず目に入った文章を指針にする開典占い、キリスト教徒がこれを聖書で行う聖典占い、トランプで占うカルタ占いなどが著名であるが、夢占いや茶占いのように、日本とも共通、類似のものもある。(引用:小学館『スーパー・ニッポニカ 国語大辞典』)
一言で説明するなら、占いとは、未来の運命を知ろうとするものです。
でも同じように未来予測するものに、天気予報があります。
シンクタンクも未来予測を発表しますが、占いとはいいません。
それはなぜかというと、膨大なデータと、計算を根拠に
未来を予測するからです。そういうものは占いといいません。
また、人生でも、達人が
「そんな考え方では、苦労すると思うよ」とか、
「あの人はその器じゃないよ」などといいますが、
結構あたっていることがあります。
それというのも、その人の考え方や言動によって
将来を見通すからです。
このような「予言」も、占いとはいいません。
以下では、占いについて更に詳しく解説していきます。
占いの3つの拠り所
同じ未来予測でも、占いは、なぜ占いと言われるのでしょうか?
占いはそういうものとはまったく違う方法や根拠によって
未来を知ろうとするからです。
方法によって、占いは大きく3通りあります。
命と卜と相の3つです。
それぞれどんなものでしょうか。
命
1つ目の命は、誕生日や星座の位置、生まれた場所など、
「すでに決まっていることで運命や宿命を占う」ものです。
星座占いや、占星術、数秘術、動物占いなどがその代表例です。
これを命といいます。
卜
2つ目の卜は、その時の「偶然の結果を運命に関連づける」ものです。
例えば、おみくじや、易占い、タロット占い、水晶占い、阿彌陀籤等です。
よく小さい女の子が、花びらを「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」……
と1枚ずつとっていくのも、この一種です。
相
3つ目の相は、これから変わることもある何かの
「今の姿を未来の運命に関連づける」ものです。
例えば、手相、人相、姓名判断、風水、印相占い、家相占いなどがあります。
占いは、これらによって運命を知ろうとするのですが、
本当にこれで運命が分かるのでしょうか?
占いで運命が分かるの?
占いは統計学?
このような占いの関係者によると、
「占いは統計学」と言って、
科学的、学問的な雰囲気を出そうとする人がありますが、
占いと運命の統計的な関係はまったくありません。
もし本当に、統計的に50%以上の確率で未来が分かる力があるのなら、
占い師はインターネットで細かい占いサイトなどを作るのではなく、
明日の株価や、株を買った人の運命を占って、
インターネットのFXやトレーディングで大金持ちになっているはずです。
また占い師に占ってもらう私たちにとっても、
占いにたよって株式投資や不動産投資をしたらどうなるでしょう。
投資は何も考えずにやったら普通は損をしますから、
不幸になること請け合いです。
もし占いが統計学なら、論文を書いて学術誌に発表して欲しいのですが、占い師は統計なんかとってないと思いますよ。
統計学とかいう占い師がいたら、サンプル数とか、95%信頼区間とか、ちょっぴり統計的なことを聞いてみて下さい。
統計が何かということさえも分かっていない可能性があります。
占いの種類によって結果が違う
そして占いの場合、実際には同じテーマについて占っても、占いの種類によって結果が変わります。
例えば、星占いで占ってみると、
「今は星の流れがいいので、告白するとうまく行く」
と書いてあったのに、くじをひくと「大凶」だったりします。
不安になって手相を見てもらうと、まったく別のことを言われたりします。
そして、同じ種類の占いでも、占い師によって違うことをいいます。
自分の手相は同じなのに、ある占い師の手相の見方と、他の占い師の手相の見方は全然違います。
結果のばらつきがひどすぎるため、どの占いを参考にすればいいのか全く分かりません。
そのような占いにたよって、投資で大損するのも大変ですが、
ましてやお金よりももっと大切な、
結婚相手を決めるのに占いにたよるということは、
サイコロをふって出た目によって
ランダムに結婚相手を決めるのと同じですので、
そんなサイコロに大切なあなたの運命をゆだねてはなりません。
占い師が嘘を言っていないように思う理由
占い師が嘘を言っていないように思ったり、占いが当たったように思う理由の1つに、「バーナム効果」があげられます。
バーナム効果とは、どんな人にでも当てはまっているような曖昧な発言や記述内容を見た際に「自分のことだ」と思う心理、またはその現象をいいます。
たとえば、「今まで好きな人の事でひどく傷つきましたね?」とか
「もうすぐとても良いことが起きますよ」とか
「あなたはいずれ病気になります」など、
誰だってありそうなことを占い師は言ってきます。
上手な占い師は、占った当事者のみにこのようなことがあるように思い込ませるのです。
嘘を言っていないように思いますが、本当のことは何も言っていないということに気づきましょう。
占いと確証バイアス
さらに占いが当たっているように思う理由に、確証バイアスがあります。
確証バイアスは、自分の先入観や偏見によって、自分の都合の良い情報ばかり集めてしまうという人間の傾向性のことです。
つまり、占いによって悪い結果を言われると、占いに引っ張られて悪いような情報ばかり自分で集めたり、悪くなるように行動してしまうのです。
占わなければ起きなかった不幸も、占いによって起きてしまう事例はことかきません。
このような事件は、ブッダがご在世中の約2600年前にもあり、『観無量寿経』の中に説かれています。
「王舎城の悲劇」と言われ、占いに迷った王と王妃が息子を殺そうとしたり、そのことが後に火種となり、王子が両親を殺害しようとした悲劇の話も、占いに迷わなければ起きなかった思われる事件でした。
占いが当たってしまった人の未来の運命
もし仮に、占いが当たり、人生がうまく行ったらどうなるでしょう。
その人の未来には暗い影がさします。
なぜなら自分がするべきことをせずにいい結果だけ受けてしまったからです。
人生には誰しも失敗があります。
失敗のない人はありません。
ですがその失敗によって、人は成長して行くのです。
ロシアの評論家、フリーチェがこう言っている通りです。
「人生は学校である。 そこでは幸福より不幸の方が良い教師である」
(フリーチェ)
すべてがうまくいってしまえば、自分が成長することができません。
人生の重要な局面で、占いでうまくいった人は、次に人生の重要問題に直面した時、それに対応する力が磨かれていないので、また占い師か誰かに頼ることになります。
それが繰り返されるうちに、身分不相応なものに恵まれた自分では何もできない人ができあがってしまうのです。
宝くじにあたった人が不幸になるようなものです。
実際にはそんな偶然は滅多にないので、占いがたまたまあたってしまうと、ただの占い依存症の人間になって、占い師の食い物にされるだけです。
人生経験が豊かになるにつれて、何かすれば失敗はつきものですし、自分の力以上の結果も望めないことは分かってきますが、自分の人生は、自分の自己責任で生きていくのが一番安全性の高いまっとうな道なのです。
つまり、占いや占い師を信じないほうが明らかにいいのです。
ではブッダは、占いについてどう教えられているでしょうか?
占い師の能力を見破る方法
占い師の能力を見破る方法に、このような質問がかなり参考になります。
『雑譬喩経』に、こんな話が説かれています。
ある仏教を信じている在家の男の奥さんが身ごもりました。
そこでブッダのもとへ行き、男の子が生まれるか女の子が生まれるかお尋ねしました。
するとブッダは、「生まれるのはとても美しい男の子である」とお答えになりました。
ところが「本当だろうか?」と思ったその男は、次に六師外道の占い師に占ってもらいました。
「先日、ブッダに今度生まれる子供が男の子か女の子かお尋ねしたら、男の子が生まれると言われたんですが、それは本当でしょうか?」
六師外道の占い師は、日頃から仏教に反感を持っていたので、つい否定して
「いや違う。生まれる子は女の子だ」
と答えてしまいました。
ところがよく考えてみると、もしこれで生まれてくる子が男の子だったら、自分は信用を失ってしまうと思って、言い直します。
「いや、やはり本当は男の子だ。
だが、その子が生まれると、大きな災いが起きるであろう。
だから女の子だと言ったのだ」
それを聞いた男は占い師の言う大きな災いを心配し始めました。
それを見た占い師は、しめたと思い、
「もし災いを避けたければ、子供を中絶する以外にない」
と続けます。
占い師にとっては、生まれてこないのが一番都合がいいのです。
「どうすればいいのですか」と男があわてふためくので、
「私に任せるがよい」と言って、占い師は奥さんのお腹をもみ始めました。
ところが、それによって奥さんが死んでしまったのです。
妻も子供も失い、深く悲しんだ男は、遺体を火葬場に運び、薪に火をつけて火葬にし、うつろな目をしてフラフラとどこかへ行ってしまいました。
火が燃え盛る頃、ブッダが通りかかると、奥さんのお腹から、かわいい男の子が出てきます。
ブッダはお弟子に、その赤ん坊を男の家へ届けさせました。
やがて16年の月日が過ぎると、その男の子は成長して、頭脳明晰で非常に美しい青年に育ちます。
ある日、父親の男は、昔の六師外道の占い師を食事に招待しました。
その占い師は食事が始まると急に笑い始めたので、どうしたのか聞くと、
「私が五万里向こうの山を見ると、一匹の猿が、川に落ちたのが面白くて笑ったのです」
と答えます。
それを聞いた頭の切れる青年は、すぐに嘘だと見破りました。
そこで、他のお客さんには、ご飯の上におかずを乗せた丼物のような料理を出し、占い師には、ご飯の下におかずを隠して出しました。
他のお客さんはこれは美味しいと言って丼物を食べています。
ところが占い師は、食べようとしません。
そこで「どうかなさいましたか?」と尋ねると、
「他の人には丼物が出されているようですが、私にはご飯だけです。
これはどういうことですか?」
と失礼がって目を怒らしています。そこで
「あなたの目は、五万里先の流れに落ちた猿が見えるのに、なぜご飯の下にの料理が見えないのですか?」
と尋ねると、占い師は腹を立てて帰ってしまいました。
このお経では、占い師によって奥さんが亡くなるという大変な不幸が起きています。
そこでブッダは、占い師の能力を見破る方法として、たとえ占い師が、超音波なしでお腹の中の子供が見えたり、テレビやインターネットなしで遠くの映像が見えたり、自分の未来が分かると言っていても、試しに、
「これはあんまんだと思いますか?肉まんだと思いますか?実はピザまんでしたー」
などとテストすると、薄皮一枚下が全然分からないものだ、ということを教えられているわけです。
他にも、お経にはこんな話が説かれています。
ブッダが説く占いの罪悪
占いは罪であり悪であることを、ブッダは『雑阿含経』にこのように説かれています。
現在の王舎城跡
すると、頭の上に火炎の燃え上がる鉄のうすを乗せて空中を飛び、その鉄のうすがぐるぐると回って猛火を吐き、悲鳴を上げながら限りない苦しみを受けて行く人を見ました。
それを聞かれたブッダは、目連尊者をはじめとするたくさんのお弟子たちに
「あの者は、過去世にこの王舎城の町で、占い師をしていた女だ。
占いで料金をとって、多くの人を欺き、惑わせていた。
その罪によってすでに地獄に堕ち、限りない苦しみを受けていたのだが、
地獄を抜け出た今も、余罪でこのような身を受けて苦しみ続けているのだ。
目連の言うことは本当である」
といわれています。
(出典:『雑阿含経
』520)
またある時、目連尊者は、王舎城の道すがら、旋風のように体を回転させて空中を飛んで行く生き物を見ました。
それを聞かれたブッダは、目連尊者をはじめとするたくさんのお弟子たちに、
「あの者は、過去世にこの王舎城の町で、占い師をしていたのだ。
多くの人を惑わせ、誤らせることによって財産を求めていた。
その罪によってすでに地獄の中で限りない苦しみを受けた。
その余罪で今もこのような体を受けて苦しみ続けているのだ
目連の言うことに相違ない」
と教えられています。
(出典:『雑阿含経
』521)
このように仏教では「占いは多くの人を誤らせ、欺き惑わすもの」ですから、
本当ではないことを言ってお金をとるのは、ウソであり、詐欺なので、
自らのたねまきによって自らを苦しめる悪なのだと教えられています。
ではブッダは、運命はどのように決まると
教えられているのでしょうか?
ブッダが教える運命の法則
ブッダがさとりを開かれた内容は、
「すべての結果には必ず原因がある」
という因果の道理です。
ブッダのさとられた因果の道理によれば、
私たちの運命は、自分の過去の行いによって決まる、
と教えられています。
それは、
善い行いをすれば、幸せな運命を生みだし、
悪い行いをすれば、不幸や災難を生みだし、
自分のまいたタネは自分が刈り取らねばならない
という因果応報の法則があります。
ですから、誕生日や生まれた場所がどこであっても、
今偶然ひいたトランプやおみくじがどうであっても、
手のシワがどんな状態でも、
そんなもので未来の運命が決まるのではありません。
これからの行いでいくらでも未来は変えることができます。
占いをやめて因果の道理に従おう
このように、ブッダはさとりの智慧によって、
私たちの運命は、占いによって分かるものではなく、
行いによって決まるものであることを発見されましたので、
『地蔵十輪経』には、こう説かれています。
あるいは種々にもしは少、もしは多、吉凶の相を執じ、鬼神を祠祭して
(中略)
極重の大罪悪業を生じ、無間の罪に近づく者あり。
(漢文:或執種種 若少若多 吉凶之相 祠祭鬼神 (中略) 生極重大罪惡業 近無間罪)(引用:『地蔵十輪経』)
「吉凶の相を執じ」というのが、
おみくじやタロットなどをひいて吉とか凶とか、幸せや不幸を関連づける占いです。
「無間」というのは、無間地獄のことで、
8つの地獄の中でももっとも苦しみの激しい世界です。
占いというのは、極重の罪悪で、大変な苦しい結果を引き起こすのです。
ですから、『スッタニパータ』にはこう教えられています。
瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、世の中に正しく遍歴するであろう。
(引用:『スッタニパータ』360)
また『華厳経』には、このように教えられています。
占相を離れ、正見を習行し決定して深く罪福の因縁を信ずべし。
(漢文:離於占相 習行正見 決定深信 罪福因縁)(引用:『華厳経』)
「占相(せんそう)」というのは、占いのことです。
「正見(しょうけん)を修習し」とは、
「ものごとを正しく見ましょうね、冷静に、ありのままを見ましょうね」
ということです。
「罪福の因縁」とは、因果応報の因果の道理のことですから、
「そんな占いに惑わされると、とんでもないことになって苦しみますよ、
はやく因果の道理を信じて、悪い行いをやめて善い行いを心がけるようにしましょうね」
ということです。
また、ブッダの御遺言といわれる『遺教経』にも、こう説かれています。
吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。
(漢文:不得斬伐草木墾土掘地 合和湯薬占相吉凶 仰観星宿推歩盈虚暦数算計)(引用:『遺教経』)
「吉凶を占相する」というのが、占いをすることです。
「星宿を仰観する」とか「盈虚を推歩する」というのが、星占いをすることです。
「暦数算計する」というのは、暦を見て、この月はいいとか、この月は悪いということです。
そのような占いをしてはならない、と、御遺言にまで言われています。
ブッダは、最初から最後まで、占いはしてはならないといわれているのです。
ではどんな行いが「善い行い」で、幸せを引き寄せるのでしょうか。
善い運命を引き寄せる行い
ブッダは、幸せを引き寄せるたくさんの行いを、
6つにまとめて、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を教えられています。
たとえば、その中の1つの「布施(ふせ)」というのは親切のことです。
相手の立場に立って、相手が喜ぶ親切なことをすれば、
彼にも好かれて愛されますから、自分も幸せになれます。
占いにたよって何もしないよりも、ブッダが教えられているように、
行いが運命を生み出す因果の道理を信じて、親切を心がけるだけで、
幸せがぐいぐいと引き寄せられ、幸せな二人になれるのです。
このように六波羅蜜の6つの行いを心がけていけば、
愛情にも満たされますし、
この世は幸せな人生を生きることができます。
ただ1つの確実な未来の運命
ところが、未来の運命の中で、
100%確実で、かなり不幸なことが1つだけあります。
それは死ぬことです。
死ぬのは、どんな人も一番嫌うことですが、
生まれたからには、死ぬことだけは
誰にも避けられません。
仏教では、死ななくなることはできませんが、
死が来ても崩れない変わらない幸福になることが
教えられています。
ではどうすれば、死が来ても崩れない本当の幸福になれるのかについては、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)