先祖供養とは?
先祖供養
「先祖供養」というと、新興宗教で力を入れるものが多く、
病気や事故などの不幸に苦しんでいる人に、
さらに霊感商法で高額な壺などを売りつける
詐欺被害も発生する恐ろしいゾーンです。
一体、先祖供養とはどんなもので、
先祖供養を怠ったらどうなるのか、
仏教での「正しい先祖供養の仕方」はどんな方法なのか、
よく理解して、被害に遭わないようにして頂ければと思います。
先祖供養とは
まず参考までに、供養の意味を辞書で見てみましょう。
供養
くよう[s:pūjā]
原語は、敬意をもって、ねんごろにもてなすこと。
特に神々、祖霊や動植物の霊、さらには尊敬すべき人などに対して、供犠や供物を捧げること、またそれによって敬意を表すことを意味する。
仏教では仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者などに、香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げることをいう(供給資養)。
略して<供>とも。
初期の教団では、飲食・衣服・臥具・湯薬の<四事供養>が説かれ、十地経では香華・飲食などを供養する利供養、敬い讃える敬供養、仏法を修行する行供養の<三種供養>、法華経では<十種供養>、密教では<六種供養>などが説かれている。
また、死者の冥福を祈る<追善供養>やそのために卒塔婆を立てる<塔婆供養>、餓鬼に食物を施す<施餓鬼供養>をはじめ、<千僧供養><開眼供養><経供養><鐘供養>などが供養の名のもとに行われているが、阿育王に始まるとされる無遮会、中国で5-6世紀頃から行われ、日本で奈良時代以降行われるようになった放生会なども供養の一形態と見てよいであろう。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
辞書の内容だと少し難しいかもしれませんが、
今日の日本では、死者の冥福を祈って法要を営んだり、
供物をお供えすることだとするのが一般的です。
特に、自分の先祖に対して供養することを先祖供養といいます。
先祖供養の一般的な方法
一般的に先祖供養というと、以下の3つのことがなされます。
1. 自宅の仏壇に位牌を祀り、仏飯やお花を供え、線香をあげます。
2. 菩提寺や墓地に行ってお墓参りをします。
3. 年忌法要や月命日に僧侶を呼んで供養します。
このようなことが先祖供養だとされていますが、
先祖供養についてよくある間違いが3つあります。
以下ではその間違いについて解説しつつ、
真の先祖供養について知って頂きたいと思います。
先祖供養についてのよくある3つの間違い
よく習慣的になんとなく先祖供養をしている人がありますが、
結構間違いが多くあります。
それによって、非常に恐ろしい結果を生じることもありますので、
まず、よくある3つの間違いを見ていきましょう。
先祖供養は死んでから?
先祖供養に関する1つ目の間違いは、
「先祖供養は、死んでからするもの」と思っていることです。
なぜ死んでから供養するのでしょうか?
親は、生きているときは粗末にされて、死んでから供養されるより、
生きているときから親孝行されるほうが喜ぶこと請け合いです。
ことわざにも
「親孝行 したい時には 親はなし」
といわれます。
仏教には、天の極まりなきがごとき親の大恩が
教えられていますから、
先祖供養を待たず、生きているときに親の恩を知り、
親の恩に報いるようにしましょう。
仏教に教えられている親の大恩や、親孝行の方法については、以下の記事をご覧ください。
➾親孝行の意味とやり方・ブッダのおすすめは?
先祖供養の効果・祟りを防ぐ?
先祖供養に関する2つ目の間違いは、
「先祖供養をしないと祟りがある」というものです。
特に、ガンなど病気になったり、事故で怪我をしたり、
不妊になったり、とにかく不運なのは、先祖供養をしないからだとか、
先祖供養をすれば、病気が治り、開運の効果がある
という人がいたら、要注意です。
また本屋に行ってちょっと本を手に取れば、
先祖供養の不思議な効果を勧める声が聞こえてきます。
私はこの二〇年間、多くの方々に、「先祖供養」の必要性を訴えてまいりました。
大多数の方が、私のすすめにしたがって先祖供養を実行され、一人の例外もなく幸せへの道を歩んでおられます。
その中には、何十年もの長い間、苦しんでこられた方もいました。
また、死の一歩手前というギリギリのところまで追い込まれていた人もいます。
そうした方も皆、素晴らしい結果を得ています。(引用:細木数子『幸せになるための先祖の祀り方』)
これはよく新興宗教でいわれることです。
『世界大百科事典』にも出ています。
今日の新宗教運動の多くが、現在の不幸や病気の原因を先祖の霊の祟りの作用であると説明し、その祟りの消除のため先祖供養を勧めているのも、古くからの祟り信仰に基礎をおいたものということができるであろう。
(引用:平凡社『世界大百科事典』第2版)
不幸をなくすために先祖供養を勧めるのは、
タタリ信仰に基礎をおいていた新興宗教ということです。
そして、効果がなかった場合でも、
「先祖供養が足りないからだ」とか、
「何代か前の別の先祖が祟っている」とか言って、
蟻地獄のように抜け出られなくなります。
先祖といえば、親ですから、冷静に考えると、
自分が子供に対して、ガンにしたり、怪我をさせたり、
不妊にしてお家断絶させたりしたいと思うはずがありません。
人が大きな苦しみに直面して、心が弱っているときに、
嘘を言って高額のお金を持っていき、
よけいひどい目にあわさせる詐欺です。
苦しいことがあったときほど、
道理に合わない話で一発逆転を狙わず、
因果の道理を信じて正攻法で地道に対処しましょう。
つまり、一般的に行われているような先祖供養を怠ったとしても、
祟りや不幸などは一切起こりません。
先祖供養は仏教の教え?
よくある間違いの3番目は、
「先祖供養は仏教の教え」と思っている人がありますが、
そうではありません。
起源としては、もともと祖先崇拝の強い儒教から来たもので、
東アジア一帯に広まっている習慣です。
仏教の教えでは、人は死ねば墓の下や位牌などに留まることはできず、
死ぬまでに自らのやった行いによって、因果の道理にしたがって、
六道のいずれかに転生していきます。
お釈迦さまは、死んだ人の周りでお経を読んでも、
死者が浮かばれることはないと教えられています。
(出典:『中阿含経』)
先祖の供養になると思ってお経を読んだりするのは、
仏教の教えではありません。
昔ながらの日本の習慣ですので、
それを仏縁を結ぶご縁にしようというものです。
自分に追善供養する力はない
先祖供養のことを追善供養ともいわれますが、
追善供養というのは、自分のやった善を死者に差し向けることをいいます。
そもそも私たちにそんなことができるのでしょうか。
日本で一番多く読まれている仏教書の『歎異抄』には、
浄土真宗の開祖である親鸞聖人は先祖供養(追善供養)のために
念仏を称えたことがないとおっしゃっていたとあります。
親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。
(引用:『歎異抄』第五章)
常識では先祖の追善供養をする人が親孝行で、
追善供養しない人は親不孝と思われます。
しかし親鸞聖人は、親のために念仏(追善供養)を
一回も称えたことがないとおっしゃっています。
それはちょうど、お金がない人がお金を人にあげることができないように、
善を差し向けるには、自分が善を作れなければなりません。
仏教に説かれる煩悩具足の真実の自分の姿を知らされた親鸞聖人は、
欲や怒り、ねたみそねみばかりで一つの善もできない自分にとって、
称えた念仏によって、死者が浮かばれることがないと
ハッキリと知られていたからです。
ちなみに念仏というのは何かということについては、
詳しくは以下の記事もご覧ください。
➾南無阿弥陀仏の意味と南妙法蓮華経の違いを分かりやすく解説の意味
では、仏教では、先祖供養をするためには、
どうすればいいのでしょうか?
先祖とは
先祖供養のためには、
まず、先祖とはどんなものかを知らなければなりません。
先祖というのは、親の代では2人です。
祖父母の代では両親の両親ですから、4人になります。
その上の代になりますと、その4人の両親がそれぞれいますから
8人になります。こうしてたどっていくと、
重複がなかったとすれば、わずか33代で80億人を超えます。
先祖といえば、無条件で立派で、崇めるべき存在だと
思っている人がありますが、
それだけたくさんの人がいますと、中には、人を殺したり、
人のものを盗んだり、その他、ありとあらゆる犯罪を犯した人が
いたに違いありません。
先祖だからといって必ず立派な人たちというわけではないのです。
そうでなくても、仏教では、
人間は煩悩の塊だと教えられていますから、
心の中は、欲や怒りや愚痴いっぱいのみな同じ人間です。
先祖の恩とは?
では、なぜ仏教で、先祖に恩返しをするべきなのかといいますと、
そのたくさんの先祖のうち、1人でも欠ければ、
自分が人間に生まれることができなかったからです。
人身受け難し 今已に受く
仏法聞き難し 今已に聞く
この身今生に向かって度せずんば
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。(お釈迦さま)
お釈迦さまが、このように言われていますように、
生まれがたい人間に生まれなければ、仏法を聞いて、
迷いの解決をすることもできません。
先祖がいなければ、人間に生まれることはできなかった
という意味で大きなご恩があります。
ではどうすれば、先祖の恩に報いることができるのでしょうか?
正しい先祖供養の方法
仏教では、先祖供養というよりも、先祖の恩に報いる
という恩返しです。
先祖に恩返しするには、
先祖が喜ぶことをしなければなりません。
先祖を喜ばせるには、先祖が望んでいることを
知る必要があります。
先祖は子孫に何を望んでいるかは、
自分が子供や孫に何を望んでいるかを考えれば分かります。
それは、正しく幸せに生きて欲しいということ一つです。
ですから、私たちが真実の幸せになることだけが、
真の先祖供養になるのです。
真の先祖供養のために本当の幸福になる方法
今回の記事では、先祖供養とは何か、先祖供養を怠るとどうなるのか、
正しい先祖供養の方法について解説しました。
先祖供養とは、自分の血のつながった先祖のために葬式をしたり、
お墓をたてたり、法要をひらいてお経を読んだりすることと思われています。
しかしそれは本当の先祖供養ではありませんし、
先に述べたように先祖供養について3つの間違った考えがあります。
本当の先祖供養は、先祖の恩に報いることであり、
そのためには私たちが本当の幸せになることです。
それには、仏教を聞いて、生きているときに
「人間に生まれてよかった」という大満足の身になるのが
最高の幸せなのです。
その身になれば、死ねば極楽浄土へ往って、仏に生まれますから、
前出した『歎異抄』には、こうあります。
浄土のさとりを開きなば、
六道四生のあいだ、いずれの業苦に沈めりとも、
神通方便をもってまず有縁を度すべきなり。(引用:『歎異抄』第四章)
これは、すでに亡くなった方も、
最も縁の深い人から救うことができる、ということです。
それには、仏教に教えられる、
迷いの根本原因を断ち切られなければなりませんので、
それを電子書籍とメール講座にまとめておきました。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)