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仏教と神道の7つの違い

パワースポットとして人気の場所に、神社仏閣がありますが、神道と仏教はどこが違うのでしょうか?
ほとんどの人は、
神といっても仏といっても同じような大宇宙のパワーのようなものだろう
と思っていると思いますので、歴然とした違いのわかる、7つの視点から見ていきましょう。

神仏習合について

仏教と神道の違いが分からず、同じように考えてしまうのは、理由があります。
それは神仏習合という考えが日本に定着しているからです。
神仏混淆こんこうとも言われ、仏教の仏や菩薩と、神道の神は同じという考えです。

本地垂迹説

天台宗などでは、神道の神を利用して仏教を広めるために、神仏習合をさらに理論づけた、本地垂迹説という考えを広めました。
本地垂迹説とは、日本の神々を特定の諸仏や諸菩薩と結び付け、神本来の姿は仏(菩薩)であるとする考え方です。
元は仏や菩薩(本地)でしたが、人々を幸福へ導くために神となって現れた(垂迹)ということです。

しかし、神道の神と、仏教の諸仏菩薩は、全く異なりますし、
一緒に考えていると、本当の幸福になるための仏教の教えが全くわからなくなります。
ここでしっかり区別し、神道と仏教の違いを理解していただければと思います。

神道とは?

日本人の周りには神社仏閣がたくさんありますので、修学旅行の行き先などによく選ばれます。
そのような神社仏閣を訪れた人は、周りの空気を読んで、手を合わせて頭を下げますが、一体何に向かって手を合わせ、頭を下げているのかは、ほとんど知りません。
そこで、一体何に手を合わせているのか、誰でも確かめられる客観的な事実を調べてみましょう。

参考までに辞書を見てみると、以下のように書いてあります。

しん‐とう【神道】(‥タウ)
(「しんどう」とも)
1 霊妙なる教え。人知でははかり知ることのできない不可思議な道。天地自然の道理。
2 日本固有の多神教の宗教で、「古事記」「日本書紀」などに見える神代の故事に基づいて、神を敬い、祖先を尊び、祭祀を行うもの。かんながらの道。
3 中世以降、儒仏二教や陰陽道の影響によって唱えられた神道諸流派。両部、卜部(うらべ=吉田)、垂加、吉川、橘家等の神道の総称。
4 神。天の神。地の神。神祇。
5 墓穴へはいる道。墓所へ行く道。墓道。墓門。

神道とは、日本の民俗宗教です。
日本を中心とした神話を持ちますので、世界的な普遍性はありません。

教祖も教えも教典も特にありません。

多くの人が信じているのは、死んだ人間や動物の霊魂が、宮を作って祭るとそこに鎮座して、生きている人間に幸福や不幸を与える力があるという宗教です。

なぜそのよう宗教ができたのでしょうか?
宗教的な意味での神道について、以下で詳しく解説します。

神道の歴史

縄文時代の頃には、日本では山や森、火や水、岩や大木、動物など、天地自然のさまざまなものを神として祭っていました。
それが弥生時代になると、集落ができ始めます。
その頃に、その集落の指導的な有力者の霊魂を祭り始めたといわれます。

それがだんだん大きくなり、紀元前100年頃には、小国ができてきます。
有名な卑弥呼もそんな小国の指導者の一人です。
やがてそのような小国の指導者が祭られ始めます。
つまり政治家が神となり始めたのです。

やがて3世紀頃に大和朝廷が現れます。
その指導者はもともと、大物主神や大国主神を祭っていましたが、それを征服した国の指導者にも勧めて広めます。
6世紀の継体天皇の時に、ほぼ関東から九州まで支配下におさめます。
そこで、大和朝廷の王を日本で唯一の王とするために、新しい信仰を作りました。
それが、現在の神道に通ずる、天照大神を、天皇の先祖(皇祖神)とする信仰です。
そして、今までの天地自然や指導者などのたくさんの神々は、天照大神に従う神とされました。
このように大和朝廷は、宗教を活用して当時の人々を支配したのです。

ちなみにこれは世界のどの王家も、自分の一族が王権を独占する正当性の根拠として、神の子孫だからといいます。
特に珍しいことではなく、誰でも思いつくことです。
これを神権政治といいます。
現代日本でも、天皇の主な仕事は儀式です。

こうして、教祖も教典もなく、日本人にしか信じられない色々な神を崇拝する民俗宗教ができたのです。
では具体的にはどんな人が神とされているのでしょうか?

具体的に神はどんな人や動物?

になっているのは、多くの場合、死んだ人間や動物ですが、中でも多いのは影響力のあった政治家です。

例えば伊勢神宮の天照大神というのは、
昔のオオヒルメムチという女性、
明治神宮なら明治天皇、
日光東照宮なら徳川家康、
湯島天神なら菅原道真、
乃木神社なら乃木希典、
靖国神社なら、戦死した人です。

それらはどんな人たちかというと、フランスの生物学者ジャン・ロスタンは、このように言っています。

一人殺せば殺人者、百万人殺せば征服者、皆殺しにすれば神になる。
(ジャン・ロスタン)

ジャン・ロスタンの言う、皆殺しにしている神はキリスト教やイスラム教の神ですが、日本の神は、政治家ですので、戦争で多くの人を殺した征服者たちです。

1人殺した人を神のように崇める人はいませんが、たくさん殺した人を、神のように崇めるのが神道です。

その他、動物では、キツネや蛇が代表的です。
さらに生き物でなくても、石や木、下駄を神としている神社もありますので、実際には何でもありです。

そのような色々な神に、どうやって幸せにしてもらうのでしょうか。

どうやって幸せにしてもらうの?

神道で神に幸せにしてもらうには、一般的に行われているフィーリングのような方法と、一般にはあまり知られていない本格的な方法があります。

一般的な場合

まず、多くの人に知られている方法です。
神道では、神にどうやって幸福にしてもらえるのかというと、作法があります。
まず神社へ行き、ひものついている大きな鈴をガランガランと鳴らします。
そして二礼して、柏手をパンパンと叩いて、賽銭を投げ込み、好きなことを祈願して一礼します。
これが「二礼二拍手一礼」といわれる作法です。
鈴や賽銭の順序は、決まったものはなく、賽銭が二礼よりも先のほうがいいという所もあります。

なぜ鈴をガランガランするのかというと、自分がわざわざ神社にやってきて、お願いしていることを、神に気づいてもらうためです。

人間なら背後から近づいても気づく人が多いと思いますが、神道の神は、正面から近づいて鈴を鳴らしても、まだあまり気づかないので、さらに柏手を打って、覚醒をうながします。
これは目上の人にやったら失礼なので、この作法は神が偉い方だとすれば少し失礼な気がします。
また、鈴と拍手の2段階で起こさないといけないほど、普通の人より覚醒度が低いとすれば、人間に幸せを与えるような力があるのか心配になります。

それで「ごえんがありますように」と、5円を放り投げて、
「病気にならないように」とか、
「事故に遭わないように」とか、
「大学に合格させて欲しい」とか、
「素敵な結婚がしたい」とか、
「商売繁盛」とか、
自分の欲望をお願いします。

そのお願いは普通にやると自分の力では難しいか、できるとすれば何十万円もかけて多大な時間と努力が必要なものが多いのですが、それを他人に叶えて欲しいというのに、賽銭は5円くらいで失礼に当たらないのかも心配になります。
相手が神なら5円程度でいいのでしょうか。
とりあえずこれが、一般に広まっている神道における神信心の概要です。
ですがこれは遊びのようなもので、本当はもっと大変です。

本当の方法

本当に神に祈願するには、散斎あらいみ致斎まいみという2種類の物忌ものいみをしなければなりません。
物忌みというのは、神事の前後に一定期間、禁止事項を守ることです。
それをしなければ幸せどころか神罰を受けると神道では教えています。

それぞれどんなものかというと、まず散斎あらいみとは、荒忌あらいみ大忌おおみともいい、家族と離れて忌屋にこもり、白衣を身につけて、いつもと異なる食事をとります。
死人や病人に接したり、
肉を食べたり、
罪人を裁き罰したり、
音楽を聞いたり、
特定の言葉を遣ったり、
不浄なことに関係したりする事柄の一切は厳禁です。
これらの行為はみな心を刺激して精神統一を乱すもととなるから固く禁じられているといいます。

ちなみにこのような背景として神道では、平安時代位から特に死を忌み嫌うようになっており、「死がうつる」といって病気で亡くなった人を検非違使けびいしがすぐに片付けるようになります。
その下働きが非人で、これが江戸時代の被差別身分の始まりです。
宮中でも病気で重態になると、看病してもらえるのではなく、追い出されたという記録がたくさん残っています。
(ちなみに仏教では、仏教を深く信じていた聖徳太子や光明皇后が施薬院を作ったように、病人は当然ですが助けます)

次に致斎まいみとは、真忌まいみ小忌おみともいい、神事の当日は一意専心に祭典のことだけに携わって他の事を一切かえりみてはならないといいます。
本格的に神に祈る時は、この2つの潔斎けっさいを行わなければなりません。

しかし実際には、日本人のほとんどは、魚や鳥、豚や牛などの肉食をやめられず、
病人があれば見舞いに行き、
死者があれば葬式を出さなければなりません。
また専門職なら、医師や看護師は毎日病人や死人に接し、
裁判官をはじめとする司法関係者は犯罪者を裁きます。

神道でいう不浄のことに関係しなければ生きていけない煩悩具足の私たちは、
散斎、致斎して神に祈祷することなどできるものではありませんから、
もし本当に神が存在して人間に幸せや不幸を与える力があり、
これらの物忌みをしなければバチがあたるのなら大変なことになります。
日本中の人々は幸せどころか、
毎日恐ろしい神罰ばかりを受けて、苦しみ続けなければならなくなってしまうのです。

仏教は?

仏教には、三世十方を貫く道理が教えられています。
三世」とは、過去、現在、未来、ということで、いつでも、ということです。
十方」とは、東西南北上下四維しゆいということで、どこでも、ということです。
いつでもどこでも変わらない真理が教えられていますので、普遍性があり、世界の多くの地域で信奉される、世界宗教といわれます。

」というのは、神道の神とはまったく異なり、大宇宙最高のさとりを開いた人のことです。

2600年前のインドで活躍されたお釈迦さまが、
35歳で仏という最高のさとりを開かれて、
80歳でお亡くなりになるまで説かれた教えを
仏教といいます。
仏教の教えについては、こちらもご覧ください。
仏教の教えの基本を簡単に解説

その教えは、一切経七千余巻といわれるたくさんの経典に書き残されており、底の知れない深い教えがあります。

そのため、すぐれた皆さんは、神道と仏教を比べてこう言っています。

すぐれた人々の見た神道と仏教の違い

福沢諭吉のいう仏教と神道の違い

例えば1万円札にも登場し、慶應大学を作った福沢諭吉は、神道と仏教を比べてこう言います。

元来我が国の宗旨は、神仏両道なりという者あれども、
神道は未だ宗旨の体を成さず。
たとい往古にその説あるも、既に仏法の中に籠絡せられて、数百年の間、本色をあらわすを得ず。
(中略)
とにかくに古来日本に行われて文明の一局を働きたる宗旨は、唯一の仏法あるのみ。
(引用:福沢諭吉『文明論之概略』)

このように福沢諭吉も、神道に教えはなく、もし教えらしきものがあるとすれば仏教にとりこまれているだけで神道独自の教えはないのであり、日本の唯一の宗教は仏教だけだと言っています。

聖徳太子の仏教と神道の違い

聖徳太子は、日本初の憲法である十七条憲法の2番目に、このように言っています。

篤く三宝を敬え。
三宝は仏・法・僧なり、すなわち四生の終帰・万国の極宗なり。
いずれの世・いずれの人かこの法を貴ばざる。
それ三宝に帰せずしては何を以てかまがれるを直らせん。
(十七条憲法)

三宝」とは、一言でいうと仏教のことですから、日本人は、仏教をあつく敬いなさいということです。
仏教を「万国の極宗」といわれているのは、この世で最高の教えということです。
そして仏教以外では、間違いを正すことはできないといわれていますので、神道では無理ということです。

このことをもっと簡潔に、「世間虚仮せけんこけ 唯仏是真ゆいぶつぜしん」ともいわれています。
ただ仏教のみが真実だということです。

お釈迦さまはそんなこと言われている?

仏教と聞くと、清濁併せ呑む寛容な教えで、仏教を説かれたお釈迦さまも、心の広い方なので他の宗教を悪く言ったりはしない、と思っている人があります。
お釈迦さまは、お慈悲な方なのは事実ですが、本当に他の宗教を排斥されなかったのでしょうか?
仏教以外の宗教について、お釈迦さまは『涅槃経』に、このように言われています。

一切外学の九十五種は、皆悪道に趣く。
(漢文:一切外學九十五種 皆趣惡道)

一切外学」とは、一切の仏教以外の教えということです。
お釈迦さまの当時、仏教以外の教えが95種類ありましたので、仏教以外の教えを具体的に、「九十五種」といわれています。
悪道」とは苦しみの世界ですので、「皆悪道に趣く」というのは、すべて苦しみの世界に導くものだということです。
インドには神道はありませんが、もしあれば、死んだ人や動物に5円を投げて、自分の欲望を叶えてもらおうとする神道は、「一切外学」に入りますから、やはりお釈迦さまは、苦しみに導くよ、と教えられのです。

実際、かつて新潟県弥彦村の弥彦神社で初詣に参拝した人たちが将棋倒しになり、124人が死亡するという惨事が起きたことがあります。
この時、神は何をしていたのでしょうか?

もっと大きいのは、江戸時代は仏教が優勢で平和でしたが、明治政府は神道を国教化して仏教を排斥しました。
その結果、やがて神風が吹くと信じて中国やアメリカなどの大国と同時に戦争を始め、各神社で国家を挙げて戦勝祈願をしましたが、どんどん戦況は悪化しました。
最後は神風特攻隊まで組織して戦いましたが、惨敗してアメリカに占領され、国を滅ぼしてしまいました。

お釈迦さまが一切外学の九十五種はみな悪道に趣くといわれているのは、危ないものを放置するよりも、危ないものは危ないと教えることこそ、本当の慈悲だからなのです。

では仏教ではどうすれば幸せになれると教えられているのでしょうか?

仏教ではどうしたら幸せになれるの?

仏教では、
すべての結果には必ず原因がある
という因果の道理に立脚して説かれていますから、私たちの幸せや不幸という運命は、自分の行いによって決まると教えられています。

ですから、5円で病気を治して欲しいとか、
交通事故に遭わないようにして欲しい、
大学に合格させて欲しい、
素敵な人と結婚したい、
商売繁盛させて欲しい、
と、どれだけ自分の欲望を祈願しても、それに応じたたねまきをしなければ、結果はえられません。

さらに、お金や財産、大学合格や結婚、交通安全の幸せは、一時的で、続きません。やがて色あせる儚い幸せです。
仏教の目的は、そんなはかなく消える一時的な幸せではなく、永遠に苦しみから離れ、変わらない幸福になることです。

ですから、目的もまったく違うのです。

神道と仏教の7つの違い

以上の点を、表にまとめてみました。

No 項目 神道 仏教
普遍性

民俗宗教(日本のみ)

世界宗教
教義 特になし 底知れず深い教えあり
開いた人 特になし お釈迦さま
教典 特になし 一切経七千余巻
敬う相手 死んだ人や動物 さとりを開いた人
方法 祈願 因果の道理
目的 一時的な欲望を満たす 変わらない幸福

神道と仏教の歴然とした違いがご理解頂けましたでしょうか。

仏教にしかない教え

今回は、神道と仏教の違いについて、明確にしました。

神道とは日本に古来からある宗教です。
神道で信じられている神は、動物や人の霊や木や石です。
神道の神が、どのようにして人を幸福にするのかについて考察しました。

そして仏教と神道の違いについて、多くの人がどのように考えているのかを、紹介しています。
仏教は、お釈迦様の教えであり、
教えによって、私たちは苦しみから離れ本当の幸福になれます。
そこに神道と仏教の大きな違いがあります。

では、仏教で、どのように苦しみから離れるのかについては、
メール講座と電子書籍で詳しく解説してあります。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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