大日如来とは?
大日如来は、『大日経』や『金剛頂経』などに説かれる仏で、
「摩訶毘盧遮那仏」とか、単に
「毘盧遮那仏」、
「遍照如来」ともいわれます。
真言宗では、大宇宙の数え切れない仏の中の最高の仏とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象がおさまっているともいわれます。
仏像では、普通、欲を離れさとりを開かれた仏さまは、質素なすがたですが、大日如来だけは、装身具を身にまとっているのも、最高の仏を表すためといわれます。
では、一体何を根拠として、最高の仏といわれるのでしょうか。
大日如来とはどういう仏か、本当に一番偉い仏なのか説明します。
大日如来とは?
大日如来とは何か、辞書を見てみましょう。
大日如来
だいにちにょらい[s:Vairocana, Mahāvairocana]
原語(マハー)ヴァイローチャナの意訳で、<大日>という漢訳は、インドの密教僧善無畏とその弟子一行禅師の案出である。
<毘盧遮那><摩訶毘盧遮那>とも音写。
意味をとって<(大)遍照如来>とも漢訳する。
大日如来は、密教とくに中期密教とも呼ばれる純密(大日経・金剛頂経など)の中心尊格である。
起源的には古代イランの光明神アフラ‐マズダーと近親関係をもち、初期の仏教では転輪聖王や阿修羅族の王として登場する。
大乗仏教では、華厳経において十方諸仏を全体的に包括する法身仏の地位を獲得。
密教では大日経・金剛頂経に依拠する胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅の本尊として重視される。
像容的には、如来とはいいながら瓔珞・臂釧・腕釧・宝冠などを身につける一種の王者の姿をとる。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
難しい言葉遣いで書いてありますが、冒頭の説明の通りです。
密教については、以下をご覧ください。
➾密教とは何か・呪術や修行など仏教や顕教との違い
ちなみに真言宗については以下をご覧ください。
➾真言宗・密教の秘密三部経と、空海の秘密の教えとは?
では、大日如来の真言はどんなものでしょうか。
大日如来の真言
大日如来の真言は以下の二通りいわれます。
金剛界は「オン バザラダト バン」
胎蔵界は「オン ア ビ ラ ウン ケン」
この真言に伴う大日如来のご利益は、あらゆる願いが叶うといわれ、真言宗では最高の仏として信仰されています。
しかし、本当に大日如来が最高の仏なのかどうか、実際にお経を根拠に考えてみましょう。
最高仏とされる根拠
なぜ大日如来が最高の仏といわれるかというと、大日如来が「法界身」と説かれているからです。
1.『大日経』には、こう説かれています。
願わくは凡夫所住の処をして、速に衆苦所集の身を捨てしめ、まさに無垢の処に至ることを得て清浄法界身に安住すべし。
(漢文:願令凡夫所住處 速捨衆苦所集身 當得至於無垢處 安住清淨法界身)(引用:『大日経』)
2.『略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門』にはこうあります。
自性及び受用と変化ならびに等流と、仏徳の三十六は皆自性身に同ず。
法界身をあわせて総じて三十七を成ずるなり。
(漢文:自性及受用變化并等流 佛徳三十六皆同自性身 并法界身總成三十七也)(引用:『略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門』)
これらの「法界身」が大日如来のことで、「法界」とは、大宇宙のことですから、大日如来は、大宇宙そのもので、他の諸仏菩薩の中心と言われたりします。
大日如来が最高仏だという人は、実はこれらを根拠に、大日如来を最高の仏としているのです。
ちなみに2番目の『略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門』に出てきた「自性及び受用と変化ならびに等流」とは何でしょうか。
仏さまの4通り(四種の仏身)
仏さまは、本来色も形もなく、言葉を離れた真実で、人間の認識に乗りません。
しかし、人間の認識に乗らず、人間と関係を持てなければ、人間を救うことはできませんので、私たちの認識に乗る色々の姿を現されます。
これを「四種の仏身」といいます。
ほとんどの仏教では
ほとんどの仏教で、一番多くいわれている「四種の仏身」は、以下の4通りです。
- 「法身」
- 「報身」
- 「応身」
- 「化身」
それぞれどんな意味かというと、
「法身」とは、私たちには認識できない、色も形も臭いもない仏さまです。
「報身」とは、因に報いて現れた仏さまということで、私たちに分かる姿を示された仏さまです。
「応身」は、助ける相手に応じて現れた仏ということで、例えば地球上に現れたお釈迦さまは、応身です。
「化身」とは、「変化身」とも言われて、人間以外に姿を変えた仏さまです。
経典にはハトやワシ、羅刹等が説かれています。
真言宗では(四種法身)
ところが真言宗では、これを「四種法身」といい、以下の4通りです。
- 「自性身」
- 「受用身」
- 「変化身」
- 「等流身」
それぞれどんな意味かというと、
「自性身」とは、三世にわたって常住し、理と智とを具足した仏さまで、
色も形もない「法身」と同じです。
「受用身」は、「報身」と同じことですが、
「自受用身」と「他受用身」の2つあります。
「自受用身」は、自ら開いた仏のさとりを自らが理解する仏さまです。
仏のさとりを開かなければ分かりません。
「他受用身」は、他の人にも理解できるように、説法する仏さまです。
ただし、他の人といっても41段以上の菩薩のことですので、
やはり私たちには分かりません。
「変化身」とは、40段以下の菩薩や、声聞、縁覚、凡夫のために、
相手に応じて変化して現れる仏さまです。
ここでは「応身」と同じです。
「等流身」とは、動物や色々なすがたを現して導く仏さまで、「化身」のことです。
真言宗ではさらに「五種法身」といわれることもあり、四種法身に法界身を加えたものです。
大日如来は、これらの色々の仏さまの中心に説かれていて、法界身なのだから、最高の仏だということです。
本当に最高といえる?
ところが、法界身というのは、大日如来だけではなく、仏様はみな、本来は、色も形もない法界身なのです。
『観無量寿経』には、こうあります。
諸仏如来はこれ法界身なり。
(漢文:諸佛如來是法界身)(引用:『観無量寿経』)
四種の仏身についても、『十地経論』にはこう教えられています。
一切の仏に三種の仏あり。
一に応身仏、
二に報身仏、
三に法身仏なり。
(漢文:一切佛者 有三種佛 一應身佛 二報身佛 三法身佛)(引用:『十地経論』)
このように、どの仏も本来は法身なのですが、私たちに分かるように、報身や応身となって現れるのです。
『大日経』では、大日如来の心と口と身体と、衆生の心と口と身体と一つになって、大日如来に救われようという「三密加持」が教えられていますので、大日如来に向かわないことには、始まりません。
三密加持を教えられた『大日経』で大日如来が中心に説かれるのは当然のことなのです。
仏教で説かれる最高の仏は?
仏教で説かれる最高の仏は阿弥陀如来です。
お釈迦さまは『大阿弥陀経』に、阿弥陀如来についてこう説かれています。
諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり、光明の中の最明無極なり。
(漢文:諸佛中之王也 光明中之極尊也 光明中之最明無極也)(引用:『大阿弥陀経』)
諸仏の王であり、そのお力は極めて尊く、仏様の中でも最も強く、限りがない、ということです。
また『大無量寿経』には、こう説かれています。
無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。
(漢文:無量壽佛 威神光明 最尊第一 諸佛光明 所不能及)(引用:『大無量寿経』)
「無量寿仏」とは阿弥陀如来のことです。
「光明」とは仏教で、仏の力を光明と表現されます。
阿弥陀如来のすばらしいお力は、最も尊いこと第一にして他の色々の仏の力の及ぶところではない、ということです。
では、大日如来と阿弥陀如来の関係はどんな関係なのでしょうか?
大日如来と阿弥陀如来の関係は?
特に、一切経七千余巻の中で
真言宗の『秘密三部経』の『大日経』や『金剛頂経』などでもなく、
浄土宗の『浄土三部経』の『大無量寿経』などでもない、
他のお経にはどう説かれているでしょうか。
『般舟経』には、こう説かれていると『口伝鈔』に教えられています。
三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず。
(漢文:三世諸佛 念彌陀三昧 成等正覺)(引用:『般舟経』)
「三世の諸仏」とは大日如来も含めたすべての仏のことです。
「弥陀三昧を念じて」とは、阿弥陀仏のお力によって、ということです。
「等正覚を成ず」とは、仏のさとりを開かれた、ということです。
大日如来が阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれた、ということは、大日如来の先生が阿弥陀如来です。
『楞伽経』には、こう説かれています。
十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中の、あらゆる法報身と化身と及び変化身とはみな無量寿の極楽界中より出ず。
(漢文:十方諸刹土 衆生菩薩中 所有法報身 化身及變化 皆從無量壽 極樂界中出)(引用:『楞伽経』)
「十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中のあらゆる法報身と化身と及び変化身」とは、4通りに現れた大宇宙のあらゆる仏ということです。
「無量寿の極楽界」とは、阿弥陀仏の極楽浄土ですから、大日如来も含むあらゆる仏が阿弥陀仏の極楽浄土から出て来られた、と教えられていますので、大宇宙の仏方の根本の仏が阿弥陀如来です。
大日如来についてこのように説かれているところはありませんから、阿弥陀如来と大日如来の関係は、阿弥陀如来が先生であり、大日如来が弟子ということです。
阿弥陀如来について、詳しくは下記をご覧ください。
➾阿弥陀如来とは?簡単に分かりやすく解説
このように、局所的な観点だけからすれば大日如来が中心ともなりますが、すべてのお経を根拠とする仏教全体の観点では、阿弥陀如来が最高の仏ということになります。
なぜ大日経などで大日如来が中心に説かれているの?
ではなぜ『大日経』や『金剛頂経』で、大日如来が中心で、その周りに阿弥陀如来が説かれているのかといいますと、弟子である大日如来が、三密加持のできる人を救おうとしているので、先生である阿弥陀如来は、それを隣でサポートされているのでしょう。
そして大日如来は、実は、三密加持のできない人は、先生である阿弥陀如来の救いへ導こうとしています。
こうして、大日如来には三密加持のできる人しか助ける力はありませんが、先生である阿弥陀如来は、はるかに強く限りのないお力を持っておられるので、すべての人を救うお力があります。
実際、真言宗を開き、弘法大師といわれる空海でさえも、完全な三密加持を行うことはできず、最後は
「空海の心のうちに咲く花は 弥陀より外に知る人はなし」
と歌っています。
空海以降も、三密加持ができた人は一人もいません。
大日如来の力より、阿弥陀如来のお力のほうがはるかにすぐれていますので、お釈迦さまは、大日如来を含むすべての仏は、阿弥陀如来のお力をほめたたえていると、このように教えられています。
我今その光明を称するのみにあらず、一切の諸仏・声聞・縁覚・諸菩薩衆も、ことごとく嘆誉したまうこと、またまたかくの如し。
(漢文:不但我今稱其光明 一切諸佛聲聞縁覺諸菩薩衆 咸共歎譽亦復如是)(引用:『大無量寿経』)
「光明」というのは、仏様のお力のことです。
一切の諸仏がほめたたえているのですから、大日如来も、阿弥陀如来のお力を称讃しているのです。
阿弥陀仏の方が偉い仏と言えるのは間違いありません。
では、すべての人を救う阿弥陀如来の救いとはどんなものかといいますと、電子書籍とメール講座に分かりやすくまとめてあります。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)