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観音経とは

観音経かんのんぎょう』は、非常に有名なお経の一つです。
特に天台宗真言宗、曹洞宗などではよく読まれています。

それというのも『観音経』には不思議な力や功徳があるといわれているのですが、
一体どういうことなのでしょうか?
観音経』の意味を解説しながら、解き明かしていきます。

観音経とは

観音経』は、『法華経(妙法蓮華経)』の中の一章にあたり、
正式名称は「観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんほん第二十五」です。
本文(長行じょうごう)と詩文(偈文)の形で構成されており、
特に後半の偈文は「観音経偈」とか「世尊偈」、「普門品偈」と呼ばれています。

観世音菩薩普門品第二十五は以下にあります。
法華経全文(観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんほん第二十五(観音経))

法華経』の意味については、以下に詳しく解説してありますのでご覧ください。
法華経全文を貫く内容・要約と意味をわかりやすく解説

また「お経」とは何かを知りたい方は、こちらの記事を参考にしてください。
お経をあげる(唱える)・読経の意味や効果は?お経の数、種類、宗派別のまとめ

観音経の意味の要約

まず『観音経』とは何か、辞書を見てみましょう。

観音経
かんのんぎょう
観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぼん」として法華経ほけきょうの第25章(サンスクリット本では第24章)に含まれる。
観世音菩薩の信仰に基づいて別行していた経典が法華経の中に編入されたとの説もあるが、反論もある。
漢訳の偈文は鳩摩羅什くまらじゅう訳の<妙法蓮華経みょうほうれんげきょう>(406)にはなく、その後の<添品てんぼん妙法蓮華経>(601)にいたって訳出されたものが妙法蓮華経に編入された。
現今のサンスクリット本、チベット本の韻文部分には、漢訳にない阿弥陀仏あみだぶつとの関わりを説く偈文が加えられている。
観世音菩薩が三十三身をとって衆生を救済することを説き、アジア各地の観音信仰のよりどころとされた。
またその現世利益げんぜりやく的性格や世俗的な欲望を肯定する面などに、中国固有の宗教思想との共通性が見出され、それらは道教経典の思想とも共通するものである。

観音経』の意味を要約すると、
観音(観世音)菩薩が衆生の悩みに合わせ姿かたちを変え、済度するという内容のお経です。

上記で紹介した辞書の意味では訳出や文化に関することばかりで、『観音経』の内容はよく分かりませんので、詳しく解説していきます。

観音(観世音)菩薩の不思議な力

観音経』では、観音菩薩(観世音菩薩)のご利益や功徳について詳しく説かれています。

具体的には観音菩薩には七難を避ける力があると言われ、
七難は、以下の7つです。

七難
  1. 火の難(火による苦しみ)
  2. 水の難(水による苦しみ)
  3. 羅刹の難(悪鬼による苦しみ)
  4. 刀杖の難(武器による苦しみ)
  5. 鬼の難(悪霊による苦しみ)
  6. 枷鎖の難(縛られる苦しみ)
  7. 怨賊の難(犯罪者による苦しみ)

この7つは例示であり、一人ひとりの苦しみに合わせて、抜苦与楽してくださるとお経に説かれています。
ここから転じて『観音経』を読経すれば、不思議なお力があると思われるようになったのでしょう。
しかしお経をあげるだけでは、仏縁にはなっても実際に災難を避けるほどの功徳は難しいでしょう。

観音経』に説かれていることが分かれば、より納得してもらえると思います。

観音菩薩については下記をお読みください。
観音菩薩(観音様)の正体とご利益を得る方法

観音経長行じょうごうの現代語訳と読み方

観音経』の長行じょうごう(本文)の現代語訳と読み方を記載します。

無尽意菩薩の問いから始まる

爾時無尽意菩薩即従座起偏袒右肩にじむじにぼさそくじゅうざきへんだんうけん

(書き下し文)
その時に無尽意菩薩、即ち座より起ち、偏に右の肩を袒にし、

(現代語訳)
世尊が、普門品をお説きなさった時に、無尽意菩薩はさっと説法の座中に起ちて、敬礼して右の肩をあらわし

(補足解説)
右肩をあらわにして、左肩だけ衣を着ている状態にするのは、相手に敬意をあらわしています。
無尽意菩薩は、菩薩のお一人で、法を無尽蔵に説くという意味で無尽意といいます。

菩薩とは何かについては、下記をご覧ください。
仏(如来)と菩薩と神の違い

合掌向佛而作是言がっしょうこうぶつにさぜごん

(書き下し文)
合掌して佛に向いたてまつりて、是の言を作さく

(現代語訳)
合掌礼拝して釈尊に向かいて、大衆の為に観世音菩薩のことをお尋ねなさいました。

(補足解説)
ここまではお釈迦さまのご説法を覚えていて、それをお経として暗唱した阿難尊者の前置きであり状況説明です。

世尊観世音菩薩以何因縁名観世音せそんかんぜんおんぼさいがいんねんみょうかんぜおん

(書き下し文)
世尊、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名くる。

(現代語訳)
お釈迦様、観世音菩薩はどのような因縁があって、「観世音」と名前がつけられているのでしょうか。

観音(観世音)菩薩のご利益

佛告無盡意菩薩善男子ぶつごうむじにんにぼさぜんなんし若有無量百千萬億衆生にゃくうむりょうはやくせんまんのくしゅじょう

(書き下し文)
佛、無尽意菩薩に告げたまわく、善男子、若し無量百千万億の衆生ありて

(現代語訳)
お釈迦様は、無尽意菩薩の質問に対して、このように答えました。
「ここで仏法を聞いている人々よ、数え切れない多くの人々がいて、

受諸苦悩聞是観世音菩薩じゅしょくのもんぜかんぜおんぼさつ一心稱名いっしんしょうみょう観世音菩薩即時観其音聲皆得解脱かんぜおんぼさそくじかんごおんじょうかいとくげだつ

(書き下し文)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩即時に其の音声を観じて、皆解脱げだつすることを得せしめん。

(現代語訳)
諸の苦悩を受けんに是の観世音菩薩の大慈悲神力を聞いて、一心に菩薩の御名を念称するときには、観世音菩薩は直ちにその音聲(おんじょう)を観じたまいて、皆尽く煩悩ぼんのうに起因する苦しみを解放してくださいます。

煩悩については、下記をご覧ください。
煩悩とは?意味や種類、消す方法を分かりやすく網羅的に解説

若有持是観世音菩薩名者にゃくうじぜかんぜおんぼさみょうしゃ設入大火火不能焼由是菩薩威神力故せつにゅうだいかかふのしょうゆぜぼさいじんりっこ

(書き下し文)
若し是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設い大火に入るとも火も焼くこと能わず、是の菩薩の威神力によるが故に

(現代語訳)
この文は火難消滅煩悩滅除の功徳について書かれています。
人もし観世音菩薩の名前を受持念称する時は、たとえ、たとえ燃え盛る火の中に入るほどの苦しみ怒りくるうようなことがあっても、その火で焼かれることはありません。これは観世音菩薩の大慈大悲の神力が働くからです。

若為大水所漂稱其名号即得淺處にゃくいだいすしょひょうしょうごみょうごうそくとくせんじょ

(書き下し文)
若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん。

(現代語訳)
この文は水難滅除の功徳について書かれています。
たとえ大海大水の中で溺れ漂よったとしても、観世音菩薩の名号を称へれば、種々の方便によって即ち浅き処に救い出されるのです。

若有百千萬億衆生にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう為求金銀瑠璃硨磲瑪瑙珊瑚琥珀真珠等宝いぐこんごんるりしゃこめのうさんごこはくしんじゅとほう入於大海にゅうおだいかい

(書き下し文)
若し百千万億の衆生ありて金銀・瑠璃・硨磲・碼碯・珊瑚・琥珀・真珠等の宝を求むるをもって大海に入らんに

(現代語訳)
この文は第三の風難滅除鬼難滅除を説かれました。
もし百千万億の無量無数の衆生がいて、金、銀、瑠璃、シャコ、メノウ、珊瑚、琥珀、真珠等の七宝を手に入れるために、大海を渡ろうとして

仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国けしこくふうすいごせんぽうひょうだらせっきこく

(書き下し文)
たとい黒風吹きて其の船舫を羅刹鬼の国に飄堕すとも

(現代語訳)
もし暴風魔風吹き荒れて、その船を覆し、まさに羅刹鬼の国に溺れ堕ちるとする場合に至っても

其中若有乃至一人ごちゅうにゃくうないしいちにん称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸人等皆得解脱羅刹之難ぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん

(書き下し文)
其の中に若し乃至一人ありて観世音菩薩の名を称せば、是の諸人等皆羅刹の難を解脱することを得ん。

(現代語訳)
同行大衆中の一人だけでもこの観世音菩薩の名前を称えれば、種々の方便生じて同行の諸人等にいたるまで、その徳を感得して皆その風難羅刹難を逃れることができます。

以是因縁名観世音いぜいんねんみょうかんぜおん

(書き下し文)
是の因縁を以て観世音と名く。

(現代語訳)
お釈迦様は、「このような因縁があって、観世音と名付けたのだよ」とお答えになられました。

若復有人臨当被害称観世音菩薩名者にゃくぶうにんりんとうひがいしょうかんぜおんぼさみょうしゃ彼所執刀杖尋段段壊而得解脱ひしょしゅうとうじょうじんだんだんねにとくげだつ

(書き下し文)
若しまた人ありてまさに害せらるべきに臨みて、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖尋いで段段に壊れて、解脱することを得ん。

(現代語訳)
この文は、剣難滅除を説かれています。
もしまたある人が、暴悪人の為に殺傷されそうになったときに、観世音菩薩の名前を念称する時は、暴悪人の持っている刀も杖も微塵に壊れて、秋毫の害も与えられず、もろもろの方便によってついにその人のために剣難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中夜叉羅刹欲来悩人にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうやしゃらせつよくらいのうにん

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てらん夜叉、羅刹、来りて人を悩まさんと欲せんに

(現代語訳)
この文は、第五の鬼難滅除について説かれたものです。
地獄には強力のがいて、常に罪人を苦しめることは娑婆世界のことのようです。
畜生界の鬼は畜生を喰らい、人間界の鬼は、人を喰らいます。
そして三千大千世界中に充満している鬼どもがやってきて人を悩まそうとする時は、という意味です。
これは貪瞋痴とんじんち の三毒の煩悩の鬼が、人心を害しようとしているのを比喩で説かれています。

聞其称観世音菩薩名者もんごしょうかんぜおんぼさみょうしゃ是諸悪鬼尚不能以悪眼視之況復加害ぜしょあっきしょうふのいあくげんじしきょうぶかがい

(書き下し文)
其の観世音菩薩の名を称するを聞かば、是の諸の悪鬼、なお悪眼を以て之を視ること能わじ、いわんやまた害を加えんや。

(現代語訳)
このときに於いて、一心に観世音菩薩の称名を受持し念称するものがあり、傍で観世音菩薩の名前を称することを聞いたならば、もろもろの煩悩も退却するために、もろもろの悪鬼共は悪しき眼をもってこれを視ることができず、見れないのだから当然害を加えることもできなくなります。

設復有人若有罪若無罪せつぶうにんにゃくうざいにゃくむざい杻械枷鎖検繋其身ちゅうかいかさけんげごしん

(書き下し文)
設いまた人ありて若しは罪あり若しは罪なきも、杻械枷鎖に其の身を検繋せんに

(現代語訳)
この文は枷械枷鎖滅除の難を説かれました。
たとえその人ありて罪があるにせよもしくは罪が無きにせよ、手枷足枷頸等をもって、有形の身体、無形の身体(心意)を搦められたる等のすべての苦縛に際し、

称観世音菩薩名者しょうかんぜおんぼさみょうしゃ皆悉断壊即得解脱かいしつだんねそくとくげだつ

(書き下し文)
観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊して、即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
尚も一心に観世音の名前を念称すれば、心身を繋縛せられたるところのもの全て尽く切断破壊してその苦難を逃れることができるのです。

若三千大千国土満中怨賊にゃくさんぜんだいせんこくどまんじゅうおんぞく有一商主将諸商人ういつしょうしゅしょうしょしょうにん斉持重宝経過険路さいじじゅうほうきょうかけんろ

(書き下し文)
若し三千大千国土に中に満てる怨賊あらんに、一の商主ありて諸の商人を将い、重宝を斎持して険路を経過せんに

(現代語訳)
この文は、怨賊滅除を説かれたものです。
一切の煩悩は出世の法の怨賊にあたります。
もし三千大千世界の中に、怨賊どもが充ち満ちて居り、またある重立ちたる商人がいて多くの商人を引き連れて、宝石などをもって険しい山坂を進んでいたとしよう。

其中一人作是唱言諸善男子勿得恐怖ごちゅういちにんさぜごんしょぜんなんしもっとくくふ汝等応当一心称観世音菩薩名号にょとうおうとういっしんしょうかんぜおんぼさみょうごうう

(書き下し文)
其の中に一人是の唱言を作さん、諸の善男子、恐怖を得ること勿れ。
汝等応まさに一心に観世音菩薩の名号を称すべし。

(現代語訳)
その怨賊に攻められそうになったとき商人の中にいた一人の仏教の信者が言いました、「同行衆よ、少しも恐れることはありません。観世音菩薩の名前を一心にとなえましょう」

是菩薩能以無畏施於衆生ぜぼさのういむいせおしゅじょう汝等若称名者にょとうにゃくしょうみょうしゃ於此怨賊当得解脱おしおんぞくとうげだつ

(書き下し文)
是の菩薩は能く無畏を以て衆生に施したもう。
汝等若し名を称せば、此の怨賊において、まさに解脱することを得べし。

(現代語訳)
「観世音菩薩は『無畏』と言われる大盤石の精神を衆生に施したまうために、すみやかに名前を念称するときは、険路怨賊の難は、もちろん大千国土中に充満している怨賊の鬼難まで、ただちに解放されるでしょう」

衆商人聞倶発声しゅしょうにんもんぐほっしょう言南無観世音菩薩ごんなむかんぜおんぼさ称其名故即得解脱しょうごみょうこそくとくげだつ

(書き下し文)
衆の商人、聞きて倶に声を発して南無観世音菩薩と言わん。
其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん。

(現代語訳)
多くの商人(善男子)たちはこれを聞いてすぐに声を出して南無観世音菩薩と称えると、称えたことによって皆解脱することができました。

無尽意観世音菩薩摩訶薩つむじんにかんぜおんぼさまかさ威神之力巍巍如是いじんしりきぎぎにょぜ

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩摩訶薩威神の力、巍々たること是の如し。

(現代語訳)
仏は無尽意菩薩にこのようにおっしゃいました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩の大慈大悲妙智力は、このように廣大なものだ」

若有衆生多於婬欲にゃくうしゅじょうたおいんにょく常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離欲べんとくりよく若多瞋恚にゃくたしんに常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離瞋べんとくりしん若多愚痴にゃくたぐち常念恭敬じょうねんくぎょう観世音菩薩かんぜおんぼさ便得離痴べんとくりち

(書き下し文)
若し衆生ありて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。
若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち瞋を離るることを得ん。
若し愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち痴を離るることを得ん。

(現代語訳)
この文は、恭敬勧進煩悩滅除のことです。
もしその人が淫欲、瞋恚、愚痴などの煩悩が起きてくるとき、観世音の妙智力を受持念称すれば、すぐにこれらの三毒の煩悩から離れることができます。
特に観世音菩薩を常念する時は、いわゆる念仏三昧になるために、欲、怒り、愚痴の三毒の煩悩が起きなくなります。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是等うにょぜとう大威神力だいいじんりき多所饒益たしょにょうやく是故衆生常応心念ぜこしゅじょうじょうおうしんねん

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き等の大威神力ありて、饒益する所多し。
是の故に衆生常に心に念ずべし。

(現代語訳)
無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、このように大法威神通力をもって、世間の苦を抜き、幸福にしてくださいます。
そのため人々は常に観世音菩薩を心の中で念じなさい。

若有女人設欲求男にゃくうにょにんせっちょくぐなん禮拝供養観世音菩薩らいはいくようかんぜおんばさ便生福徳智慧之男べんしょうふくとくちえしなん設欲求女せっちょくぐにょ便生端正べんしょうたんじょう有相之女うそうしにょ宿植徳本衆人愛敬しゅくじきとくほんしゅうにんあいきょう

(書き下し文)
若し女人あって設い男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳・智慧の男を生まん。
設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の宿徳本を植えて衆人に愛敬せらるるを生まん。

(現代語訳)
この文は、礼拝供養の功徳について説かれたものです。
もし女性が、男児を生みたいと思っていて、観世音菩薩を礼拝供養すれば、すなわち徳に優れた智慧の多い男の子を生むことができるだろう。
もし女児を生みたいと思うならば、観世音菩薩を礼拝供養するときは相貌丹精にして、過去に善根を植えた功徳の多く、人々に愛される子を生むことができるだろう。

無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是力うにょぜりき若有衆生恭敬礼拝にゃくうしゅじょうくぎょうらいはい観世音菩薩かんぜおんぼさ福不唐捐ふくふとうえん是故衆生ぜこしゅじょう皆応受持観世音菩薩名号かいおうじゅじかんぜおんぼさみょうごう

(書き下し文)
無尽意、観世音菩薩は是の如き力あり。
若し衆生ありて観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福唐捐ならじ。
是の故に衆生皆観世音菩薩の名号を受持すべし。

(現代語訳)
この文は恭敬礼拝の徳について説かれたものです。
お釈迦様がこのように言われました。
「無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのような妙力があり、もし人々が観世音菩薩を恭敬礼拝すれば、その受けるところの福徳は益々広大になり、虚しく棄てられることはない。
そのため人々は観世音菩薩の受持称念しなさい。

無尽意むじんに若有人受持にゃくうにんじゅじ六十二億恒河沙ろくじゅうにおくごうがしゃ菩薩名字ぼさみょうじ復尽形供養ぶじんぎょうくよう飲食衣服おんじきえぶく臥具醫薬がぐいやく於汝意云何おにょいうんが是善男子善女人ぜぜんなんしぜんにょにん功徳多不くどくたふ

(書き下し文)
無尽意、若し人ありて六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、復形を尽くすまで飲食・衣服・臥具・医薬を供養せん。
汝が意において云何、是の善男子・善女人の功徳多しや不や。

(現代語訳)
この文は諸仏菩薩の供養と、観世音菩薩の名号受持の功徳の比較を説かれたものです。
無尽意菩薩よ、もし人がいてガンジス川の砂の数の62億倍の数多くの菩薩の名前をとなえ、身が尽きるまで一生涯飲食や衣服、寝具、薬等を供養したとしましょう。
そなたの心では何を思うだろうか。
この布施をした信者は、功徳は多いだろうか。少ないだろうか。

無尽意言甚多世尊ふむじんにごんじんたせそん仏言若復有人ぶつごんにゃくぶうにん受持観世音菩薩名号じゅじかんぜおんぼさみょうごう乃至一時礼拝供養ないしいちじらいはいくよう是二人福正等無異ぜににんぷくしょうとうむい於百千萬億劫不可窮尽おひゃくせんまんのっこうふかぐうじん無尽意受持むじんにじゅじ観世音菩薩名号かんぜおんぼさみょうごう得如是無量無辺とくにょぜむりょうむへん福徳之利ふくとくしり

(書き下し文)
無尽意の言さく、甚だ多し、世尊。
仏の言わく、若し復人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至一時も礼拝し供養せん。
是の二人の福、正等にして異ることなけん、百千万億劫においても窮め尽くすべからず。
無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば是の如き無量無辺の福徳の利を得ん。

(現代語訳)
無尽意菩薩は答えました。
功徳は限りなく多いです、お釈迦様。
お釈迦様はおっしゃいました。
また人々が観世音菩薩の名を称え、礼拝供養を一度したとしたら、この前後二人の福徳は平等で差異はなく、もって百千万億劫の後々までも尽きることはありません。
このように観世音菩薩の名前を受持念称する者は、無量無辺の福徳を得るのです。

観音(観世音)菩薩の方便

無尽意菩薩白仏言むじんにぼさびゃくぶつごん世尊観世音菩薩せそんかんぜおんぼさ云何遊此娑婆世界うんがゆうししゃばせかい云何而為衆生説法うんがにいしゅじょうせっぽう方便之力ほうべんしりき其事云何ごじうんが

(書き下し文)
無尽意菩薩、仏に白して言さく、世尊、観世音菩薩は、云何してか此の娑婆世界に遊び、方便の力其の事云何。

(現代語訳)
ここからの文章は、第二の問答で、つまり法を説かれることの文になります。
無尽意菩薩はお釈迦様に尋ねました。
「お釈迦様、観世音菩薩はどのように娑婆世界を遊化し、どのように説法するのでしょうか。方便がどのようなものか教えてください」

佛告無尽意菩薩ぶつごうむじんにぼさ善男子若有国土衆生ぜんなんしにゃくうこくどしゅじょう応以仏身得度者おいぶっしんとくどしゃ観世音菩薩而為説法かんぜおんぼさにいせっぽう

(書き下し文)
仏、無尽意菩薩に告げたまわく、善男子、若し国土の衆生ありて、まさに仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩即ち仏身を現じて為に法を説き、

(現代語訳)
お釈迦様は無尽意菩薩に答えました。
「もしある国土にいある人が、仏の姿をもって説けば救われるのであれば、観世音菩薩は仏の姿となって仏法を説くだろう」

応以辟支佛身得度者おういびゃくぶっしんとくどしゃ即現辟支佛身而為説法そくげんびゃくしぶっしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに辟支仏の身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏の身を現じて為に法を説き、

応以声聞身得度者おいしょうもんしんとくどしゃ即現声聞身而為説法そくげんしょうもんしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに声聞の身を以て得度すべき者には、即ち声聞の身を現じて為に法を説き、

応以梵王身得度者おいぼんのうしんとくどしゃ即現梵王身而為説法そくげんぼんのうしんにいせっぽう
応以帝釈身得度者おいたいしゃくしんとくどしゃ即現帝釈身而為説法そくげんたいしゃくしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに梵王の身を以て得度すべき者には、即ち梵王の身を現じて為に法を説き、
まさに帝釈の身を以て得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き、

応以自在天身得度者おいじざいてんしんとくどしゃ即現自在天身而為説法そくげんじざいてんしんにいせっぽう
応以大自在天身得度者おいだいじざいてんしんとくどしゃ即現大自在天身而為説法そくげんだいじざいてんしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに自在天の身を以て得度すべき者には、即ち自在天の身を現じて為に法を説き、
まさに大自在天の身を以て得度すべき者には、即ち大自在天の身を現じて為に法を説き、

応以天大将軍身得度者おいてんだいしょうぐんしんとくどしゃ即現天大将軍身而為説法そくげんてんだいしょうぐんしんにいせっぽう
応以毘沙門身得度者おいびしゃもんしんとくどしゃ即現毘沙門身而為説法そくげんびしゃもんしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに天大将軍の身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍の身を現じて為に法を説き、
まさに毘沙門の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説き、

応以小王身得度者おいしょうおうしんとくどしゃ即現小王身而為説法そくげんしょうおうしんにいせっぽう
応以長者身得度者おいっちょうじゃしんとくどしゃ即現長者身而為説法そくげんちょうじゃしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに小王の身を以て得度すべき者には、即ち小王の身を現じて為に法を説き、
まさに長者の身を以て得度すべき者には、即ち長者の身を現じて為に法を説き、

応以居士身得度者おいこじしんとくどしゃ即現居士身而為説法そくげんこじしんにいせっぽう
応以宰官身得度者おういさいかんしんとくどしゃ即現宰官身而為説法そくげんさいかんしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに居士の身を以て得度すべき者には、即ち居士の身を現じて為に法を説き、
まさに宰官の身を以て得度すべき者には、即ち宰官の身を現じて為に法を説き、

応以婆羅門身得度者おいばらもんしんとくどしゃ即現婆羅門身而為説法そくげんばらもんしんにいせっぽう
応以比丘比丘尼おいびくびくに優婆塞優婆夷うばそくうばい身得度者しんとくどしゃ即現そくげん比丘比丘尼びくびくに優婆塞優婆夷うばそくうばい身而為説法しんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに婆羅門の身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門の身を現じて為に法を説き、
まさに比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を以て得度すべき者には、即ち比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身を現じて為に法を説き、

応以長者居士宰官おいちょうじゃこじさいかん婆羅門婦女ばらもんぶにょ身得度者しんとくどしゃ即現婦女身而為説法そくげんぶにょしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに長者・居士・宰官・婆羅門の婦女の身を以て得度すべき者には、即ち婦女の身を現じて為に法を説き、

応以童男童女身得度者おういどうなんどうにょしんどくどしゃ即現童男童女身而為説法そくげんどうなんどうにょしんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに童男・童女の身を以て得度すべき者には、即ち童男・童女の身を現じて為に法を説き、

応以天龍おういてんりゅう夜叉やしゃ乾闥婆げんだつば阿修羅あしゅら迦樓羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらが人非人等身得度者にんぴにんとうしんとくどしゃ即皆現之而為説法そっかいげんしにいせっぽう

(書き下し文)
まさに天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の身を以て得度すべき者には、即ち皆之を現じて為に法を説き、

応以執金剛神得度者おういしゅうごんごうじんとくどしゃ即現執金剛神而為説法そくげんしゅうごんごうじんにいせっぽう

(書き下し文)
まさに執金剛神の身を以て得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて為に法を説く。

(現代語訳)
観世音菩薩は、諸々の機に応じて、為に法を説いてくださるので、あるいは辟支仏の身を現し、あるいは声聞の身を現し、あるいは梵王の身を現し、あるいは帝釈の身を現し、あるいは自在天の身を現し、あるいは大自在天の身を現し、あるいは天大将軍の身を現し、あるいは毘沙門の身を現し、あるいは小王の身を現し、あるいは長者の身を現し、あるいは居士の身を現し、あるいは宰官の身を現し、あるいは比丘、あるいは比丘尼、あるいは優婆塞、あるいは優婆夷の身を現し、あるいは長者、居士、宰官、婆羅門等における妻女婦女の身を現し、あるいは天人、あるいは龍、あるいは夜叉、あるいは乾闥婆、あるいは阿修羅、あるいは迦楼羅、あるいは緊那羅、あるいは摩睺羅伽、あるいは以上八部衆の眷属等の身を現し、あるいは執金剛神の身を現してもって為に法を説きくださるので、これがすなわち、「十方諸国土に刹として身を現ずということ無し」の意味です。

(補足解説)
本文は、三十三身を現して、応機利物無量無辺を示している文です。

  • 辟支仏は、辟支迦羅ともいい、独覚のこと
  • 声聞とは、仏の声教を聞き、苦しみを知り、煩悩を断じて、覚りを得るために修行をして自分自身の救いを求める方のこと
  • 梵王は、ここでは大千世界に主たる初禅天王の尸棄という大梵王のこと
  • 帝釈は、仏法を守護する神のこと
  • 自在天は、欲界第六最上天の天王、他化自在天のこと
  • 大自在天は、大威力があり大千世界を統率して、色界中の独尊のこと
  • 天大将軍は、天中の力士のことで、また夜叉大将ともいい、帝釈天の配下にいます
  • 毘沙門は、北方の天王として須弥山の半ばに居り、北洲を守護し、つねに仏の道場を護り、説法をきいている
  • 小王とは、梵王や帝釈天など天中の王を大王というのに対して、人中の国王を小王という
  • 長者とは、心身が富貴なものをいう
  • 居士とは、出家せずに家にいたまま仏道を修行する男性のこと
  • 宰官とは、天子を補佐する宰相のこと
  • 婆羅門とは、インドの身分制度の一番上の位のこと
  • 比丘とは、出家して具足戒を受けた男性のこと
  • 比丘尼とは、出家して具足戒を受けた女性のこと
  • 優婆塞とは、男性の在俗信者のこと
  • 優婆塞とは、女性の在俗信者のこと
  • 婦女とは、すべての女性のことだが、ここでは長者の婦女のこと
  • 童男童女とは、7歳から15歳までの未婚者のこと
  • 天とは、八部衆の一つで、諸天のこと
  • 龍とは、八部衆の一つで、竜や竜王ともいわれ、天人の宮殿を守護し雨をふらせるという
  • 夜叉とは、鬼神のこと
  • 乾闥婆とは、八部衆の一つで、香りを食べて、帝釈天の眷属の音楽神という
  • 阿修羅とは、八部衆の一つで、闘争を好む鬼神の一種
  • 迦楼羅とは、八部衆の一つで、竜を食すといわれる金色の鳥のこと
  • 緊那羅とは、八部衆の一つで、帝釈天の眷属で、美しい歌声だというが、人の形はしていない
  • 摩睺羅伽とは、八部衆の一つで、蛇のような姿をしており、帝釈天の眷属という
  • 人非人とは、上記八部衆の眷属のなかでも、人の形をしているが、人間ではないものをいう
  • 執金剛神とは、八部衆ではないが、金剛杵をもって仏法を守護する諸神のことをいう

阿修羅については、下記をご覧ください。
阿修羅とは?意味と何の神なのか簡単に分かりやすく解説

お釈迦様が供養を勧められる

無尽意是観世音菩薩むじんにぜかんぜおんぼさ成就如是功徳じょうじゅにょぜくどく以種種形遊諸国土度脱衆生いしゅじゅぎょうゆうしょこくどどだつしゅじょう是故汝等ぜこにょとう応当一心供養おうとういっしんくよう観世音菩薩かんぜおんぼさ是観世音菩薩摩訶薩ぜかんぜおんぼさまかさ於怖畏急難之中能施無畏おふいきゅうなんしちゅうのせむい是故此娑婆世界ぜこししゃばせかい皆号之為施無畏者かいごうしいせむいしゃ

(書き下し文)
無尽意、是の観世音菩薩は是の如き功徳を成就して、種々の形を以て諸の国土に遊びて、衆生を度脱す。
是の故に汝等、まさに一心に観世音菩薩を供養すべし。
是の観世音菩薩摩訶薩は、怖畏急難の中に於て能く無畏を施す。
是の故に此の娑婆世界に皆之を号して施無畏者となす。

(現代語訳)
この文は観世音菩薩の功徳とその供養をすすめる文です。
無尽意菩薩よ、観世音菩薩はこのような功徳を完成させて、前述のようにさまざまな姿形となって、もろもろの国土にあらわれ人々の煩悩を解脱させ、済度します。
そのため大衆たちよ、一心になって観世音菩薩を供養しなさい。
この観世音菩薩は、衆生の怖気づき恐れる心をいただき、また急難に遭うときであっても、安心楽土を与えてくださいます。
だから娑婆世界において観世音菩薩と名付け、「施無畏者」と呼んでいるのだ。

無尽意菩薩白佛言むじんにぼさびゃくぶつごん世尊我今当供養せそんがこんとうくよう観世音菩薩かんぜおんぼさ即解頸衆宝珠瓔珞價直百千兩金而以與之作是言そくげきょうしゅほうしゅゆうらくげきひゃくせんりょうこんふいよしさぜごん仁者受此法施珍宝瓔珞にんじゃじゅしほっせちんぼうようらく時観世音菩薩不肯受之じかんぜおんぼさふこうじゅし

(書き下し文)
無尽意菩薩、仏に白して言さく、世尊、我今まさに観世音菩薩を供養すべし。
即ち頚の衆宝珠の瓔珞の価直百千両金なるを解きて以て之を与えて、是の言を作さく、仁者、此の法施の珍宝の瓔珞を受けたまえ。
時に観世音菩薩肯えて之を受けず。

(現代語訳)
無尽意菩薩は、お釈迦様に申し上げました。
「お釈迦様、私は観世音菩薩を供養いたします」
すると自分の首にかけている金何百万両の値のある宝石のついた首飾りをはずし、次のように申しました。
「観世音菩薩よ、お釈迦様の教命に従ってあなたに供養します。珍宝と瓔珞を、お受け取りください」
そのとき観世音菩薩は受け取りませんでした。

無尽意復白観世音菩薩言むじんにぶびゃっかんぜおんぼさごん仁者愍我等故受此瓔珞にんじゃみんがとうこじゅしようらく

(書き下し文)
無尽意、また観世音菩薩に白して言さく、仁者、我等を愍むが故に此の瓔珞を受けたまえ。

(現代語訳)
無尽意菩薩は、観世音菩薩に辞退させられても、もう一度観世音菩薩に申し上げました。
「尊い方よ、どうか私と比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆および八部衆等をあわれみて、この法施にもとづく宝石・瓔珞をお受取りください」

爾時佛告観世音菩薩にじぶつごうかんぜおんぼさ当愍此とうみんし無尽意菩薩むじんにぼさ及四衆ぎゅうししゅう天龍てんりゅう夜叉やしゃ乾闥婆げんだつば阿修羅あしゅら迦樓羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらが人非人等故にんぴにんとうこ受是瓔珞じゅぜようらく即時観世音菩薩そくじかんぜおんぼさ愍諸四衆及於天龍人非人等みんしょししゅうぎゅうおてんりゅうにんぴにんとう受其瓔珞じゅごようらく分作二分ぶんさにぶん一分奉釈迦牟尼佛いちぶんぶしゃかむにぶつ一分奉多宝佛塔いちぶんぶたほうぶっとう無尽意観世音菩薩むじんにかんぜおんぼさ有如是自在神力うにょぜじざいじんりき遊於娑婆世界ゆうおしゃばせかい

(書き下し文)
その時に仏、観世音菩薩に告げたまわく、まさに此の無尽意菩薩及び四衆・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人非人等を愍むが故に是の瓔珞を受くべし。
即時に観世音菩薩、諸の四衆及び天・龍・人非人等を愍みて其の瓔珞を受け、分ちて二分と作して一分は釈迦牟尼仏に奉り、一分は多宝仏塔に奉る。
無尽意、観世音菩薩は是の如き自在神力ありて娑婆世界に遊ぶ。

(現代語訳)
そのとき、お釈迦様は観世音菩薩にこのように告げました。
「この無尽意菩薩と比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆と、天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽の八部衆とその眷属らを憐れむのなら、この瓔珞を受け取りなさい」
すると観世音菩薩は、諸々の四衆八部衆を憐れみて、その瓔珞を受け取られ、分けて2つにして、一方は報身仏であるお釈迦様に供養なされ、もう一方は、法身仏である多宝仏のおられる塔に供養されました。
無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、このような自在神通力がって、娑婆世界で遊化されるのです。

(補足解説)
分作二分とは衆生に代わりて結縁させるために、無尽意菩薩より供養去れたところの法施の瓔珞をもって、法報二仏を供養するために折半されたことをいいます。
また観世音菩薩は菩薩の位なので、仏の位より下位にあたります。
まずお釈迦様にお布施をされることで、施者の正助二因を広大なものにするためでした。

爾時無尽意菩薩にじむじんにぼさ以偈問曰いげもんなつ

(書き下し文)
その時に無尽意菩薩、偈を以て問いて曰さく、

(現代語訳)
観世音菩薩が法施の瓔珞を受けさせ、法報二仏を供養し終わられると、無尽意菩薩は偈頌をもって観世音菩薩の徳を質問されました。

観音経偈文の現代語訳と読み方

ここからは『観音経』の後半の偈文です。
前半の長行じょうごうの要約のようなものです。
漢文の読み方を記しながら、書き下し文と現代語訳を書いています。

世尊妙相具せーそんみょうそうぐー 我今重問彼がーこんじゅうもんぴー
仏子何因縁ぶっしーがーいんねん 名為観世音みょういーかんぜーおん

(書き下し文)
世尊妙相具わりたまえり。
我、今重ねて問う。
彼の仏子何の因縁ありてか、名を観世音となすやと。

(現代語訳)
お釈迦様(世尊)はそのとき大変尊い姿(妙相)でありました。
私(無尽意菩薩)は今重ねてお尋ねします。
あの菩薩(仏子)を、なぜ観世音と呼ばれるのですか。

具足妙相尊ぐーそくみょうそうそん 偈答無尽意げーとうむーじんにー
汝聴観音行にょーちょうかんのんぎょう 善応諸方所ぜんのうしょーほうしょー

(書き下し文)
妙相を具足したまえる尊は、偈にて無尽意に答えたまわく、
汝、観音の行を聴け、善く諸の方所に応ずるを。

(現代語訳)
尊いお姿のお釈迦様は詩文(偈)にして、無尽意菩薩へお答えになられました。
「お前は、観世音菩薩(観音菩薩)が大慈大悲の行を、諸々のところで為されていることを聞きなさい」

弘誓深如海ぐーぜいじんにょーかい 歴劫不思議りゃくごうふーしーぎー
侍多千億仏じーたーせんのくぶつ 発大清浄願ほつだいしょうじょうがん

(書き下し文)
弘誓の深きこと海の如し、劫を歴とも思議せじ。
多千億の仏に侍えて、大清浄の願を発せり。

(現代語訳)
菩薩の弘誓(本願・約束)は、海のように深く、果てしなく長く時間をかけて考え抜いても、想像すらできない。
数え切れないほど沢山の仏のそばで仕え、大変清らかな本願を建てられたのだ。

我為汝略説がーいーにょーりゃくせつ 聞名及見身もんみょうぎゅうけんしん
心念不空過しんねんふーくうかー 能滅諸有苦のうめつしょーうーくー

(書き下し文)
我、汝が為に略して説かん。
名を聞き及び身を見、心に念じて空しく過ぎざれば、能く諸有の苦を滅す。

(現代語訳)
私(釈迦)はお前(無尽意菩薩)のために、観世音菩薩のことを略して説明しよう。
観世音菩薩の名前を聞き、観世音菩薩を心に常に念称し、口と身と心にて観世音菩薩を念誦し、念々相続したならば、様々な身口意の三業を滅除されるだろう。

(補足解説)
観音菩薩の不思議な力に救われるには、
「名を聞き及び身を見て、心に念じて空しく過ごさざれば」という条件があることを知っておく必要があります。

ただ『観音経』を読経するだけで救われるわけではありません。

仮使興害意けーしーこうがいいー 推落大火坑すいらくだいかーきょう
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 火坑変成池かーきょうへんじょうちー

(書き下し文)
たとい害意を興して、大いなる火坑に推し落とされんにも、彼の観音の力を念ぜば、火坑変じて池と成らん。

(現代語訳)
たとえ誰かに殺意をもたれ、燃え盛る火坑へ突き落とされたとしても、観世音菩薩の大慈悲力を念称すれば、火坑は池へと変わり助かるだろう。
いわゆる観世音の慈悲は平等なるがゆえに水火もまた平等となり、水火不二一味、火変じて水となることをいいます。

或漂流巨海わくひょうるーこーかい 龍魚諸鬼難りゅうぎょーしょーきーなん
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 波浪不能没はーろうふーのうもつ

(書き下し文)
或いは巨海に漂流して、龍魚諸鬼の難あらんに、彼の観音の力を念ぜば、波浪も没すること能わじ。

(現代語訳)
大海を渡っている最中に、龍や魚、様々な悪霊が襲ってきても、観世音菩薩のお力を心から念じ続ければ、荒波にのみ込まれることはない。

或在須弥峯わくざいしゅーみーぶー 為人所推堕いーにんしょーすいだー
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 如日虚空住にょーにちこーくーじゅう

(書き下し文)
或いは須弥の峰に在りて、人の為に推し堕とされる所となっても、彼の観音の力を念ぜば、日の如くにして虚空に住せん。

(現代語訳)
また非常に高い山の峰から誰かに突き落とされてしまっても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、太陽のように虚空にとどまり住して、地に堕ちることはなくなるだろう。

或被悪人逐わくひーあくにんちく 堕落金剛山だーらくこんごうせん
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 不能損一毛ふーのうそんいちもう

(書き下し文)
或いは悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ぜば、一毛をも損すること能わじ。

(現代語訳)
また悪人に襲撃され、金剛山のように危険な地より転がり落ちても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、ただちに危難滅除して毛一すじも傷を負うこともなく、毫も苦悩を感じなくなるだろう。

或値怨賊繞わくちーおんぞくにょう 各執刀加害かくしゅうとうかーがい
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 咸即起慈心げんそくきーじーしん

(書き下し文)
或いは怨賊の繞みて、各刀を執りて害を加うるに値わんに、彼の観音力を念せば、咸く即ち慈心を起こさん。

(現代語訳)
また三毒煩悩の怨賊などに囲まれ、それぞれが刀で切りつけてきても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、観世音の大慈大悲に感じ転迷開悟して、自ら慈悲心を起こし、害しないようになるだろう。

或遭王難苦わくそうおうなんく- 臨刑欲寿終りんぎょうよくじゅしゅう
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 刀尋段段壊とうじんだんだんえー

(書き下し文)
或いは王難の苦に遭いて、刑に臨みて寿終らんと欲せんに、彼の観音の力を念せば、刀尋いで段々に壊れなん。

(現代語訳)
また王などの不当な権力者による弾圧を受け、心中煩悩のために責められ、将に極刑により死ぬ瞬間となっても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、種々の方便をもって護られ、斬りつけた刀は段々に折れて使い物にならなくなるだろう。

或囚禁枷鎖わくしゅうきんかーさー 手足被杻械しゅーそくひーちゅうかい
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 釈然得解脱しゃくねんとくげーだつ

(書き下し文)
或いは枷鎖に囚禁せられて、手足に杻械を被らんに、彼の観音の力を念せば、釈然として解脱を得ん。

(現代語訳)
また囚われて手足に枷をつけられ、鎖で縛られても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、束縛していたものは消えてしまい解放されるのである。

呪詛諸毒薬しゅうそーしょーどくやく 所欲害身者しょーよくがいしんしゃ
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 還著於本人げんじゃくおーほんにん

(書き下し文)
呪詛諸の毒薬に、身を害せんと欲せられる所の者、彼の観世音菩薩の妙力を念せば、還りて本人に著きなん。

(現代語訳)
呪いや呪われ、諸々の毒薬その他の手段を持って身体名誉を害されそうになったとき、観世音菩薩のお力を念ぜば、返って加害者に呪いや毒が降りかかるであろう。

或遇悪羅刹わくぐうあくらーせつ 毒龍諸鬼等どくりゅうしょきーとう
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 時悉不敢害じーしつぷーかんがい

(書き下し文)
或いは悪羅刹毒龍諸鬼等に遇わんに、彼の観音の力を念せば、時に悉く敢えて害せじ。

(現代語訳)
或いは悪しき羅刹、毒龍や諸の鬼(三毒の煩悩)等に遇おうとも、観世音菩薩の妙力を念称すれば、皆尽く退き、少しも害すことはない。

若悪獣圍繞にゃくあくじゅいーにょう 利牙爪可怖りーげーそうかーふー
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 疾走無辺方しっそうむーへんぽう

(書き下し文)
若しは悪獣囲繞して、利き牙爪の怖るべからんに、彼の観音の力を念せば、疾く無辺の方に走りなん。

(現代語訳)
もし獰猛な獣すなわち強欲非道の虎狼のような人間に囲まれ、強欲非道の鋭い牙や爪が恐ろしくあっても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、悪獣どもは素早く散り散りに走り去るであろう。

蚖蛇及蝮蠍がんじゃぎゅうぶつかつ 気毒煙火燃けーどくえんかーねん
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 尋声自回去じんしょうじーえーこー

(書き下し文)
蚖蛇及び蝮蝎、気毒煙火の燃ゆるごとからんに、彼の観音力を念せば、声に尋いで自ずから回り去らん。

(現代語訳)
トカゲ、ヘビ、クチバミのような毒虫が、毒気を煙のように出して害するように腹黒い人間のたちの心の毒口の針に、刺されようとしても、観世音菩薩の妙力を念称すれば、称名を聞いたとたん向きを変え去っていくだろう。

雲雷鼓掣電うんらいくーせいでん 降雹澍大雨ごうばくじゅだいうー
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 応時得消散おうじーとくしょうさん

(書き下し文)
雲りて雷鼓掣電し、雹を降らして大雨を澍がんに、彼の観音の力を念ぜば、時に応じて消散することを得ん。

(現代語訳)
雷鳴を轟かしながら稲妻が走り、雹を降らせ、大雨で洪水になったときすなわち煩悩の爆発する時、観世音菩薩の妙力を念称すれば、災難がすぐに消えさってしまうように煩悩も消散するだろう。

衆生被困厄しゅじょうひーこんやく 無量苦逼身むーりょうくーひっしん
観音妙智力かんのんみょうちーりき 能救世間苦のうぐーせーけんくー

(書き下し文)
衆生困厄を被りて、無量の苦身を逼らんに、観音妙智の力は、能く世間の苦を救いたまう。

(現代語訳)
人々が五欲増長するがゆえに苦しみ悩みをいだき、無量の憂苦をうけるとき、観世音菩薩の妙なる智慧の力は、足ることを知らしめて、一切世間の苦から救うことができるのだ。

具足神通力ぐーそくじんつうりき 広修智方便こうしゅうちーほうべん
十方諸国土じっぽーしょこくどー 無刹不現身むーせつふーげんしん

(書き下し文)
神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸の国土に、刹として身を現ぜざることなし。

(現代語訳)
観世音菩薩は、変化自在の神通力を備え、広く衆生済度の智慧方便を修め、全宇宙のすみずみまで、遊化しなされないところはありません。

種種諸悪趣しゅじゅしょあくしゅ 地獄鬼畜生じーごくきーちくしょう
生老病死苦しょうろうびょうしーくー 以漸悉令滅いーぜんしつりょうめつ

(書き下し文)
種々の諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、以て漸く悉く滅せしむ。

(現代語訳)
様々な苦しみの世界、地獄界、餓鬼界、畜生界や、生老病死の苦しみも、ことごとく消滅させられます。

真観清浄観しんかんしょうじょうかん 広大智慧観こうだいちーえーかん
悲観及慈観ひーかんぎゅうじーかん 浄願常譫仰じょうがんじょうせんごう

(書き下し文)
真観、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観、常に願い、常に瞻仰すべし。

(現代語訳)
観世音菩薩の中には、真観、清浄観、広大智慧観の空仮中の三観を以て、真理を推究し、悲観および慈観をもって一切衆生をあわれみ、自利利他じりりたの萬徳を円満しておられます。
衆生はその徳に等しくなろうと願い、常に観世音菩薩を仰ぎ、尊びなさい。

慈悲の意味については、こちらをお読みください。
慈悲の意味をできるだけ簡単に分かりやすく解説

無垢清浄光むーくーしょうじょうこう 慧日破諸闇えーにちはーしょあん
能伏災風火のうぶくさいふーかー 普明照世間ふーみょうしょうせーけん

(書き下し文)
無垢清浄の光ありて、慧日諸の闇を破し、能く災いの風火を伏して、普く明らかに世間を照らす。

(現代語訳)
無垢清浄光断惑の光、大慈悲大智慧の日は、すべての苦悩の闇を破り、風水火等の災いを防ぎ、大宇宙を照らすだろう。

悲体戒雷震ひーたいかいらいしん 慈意妙大雲じーいーみょうだいうん
澍甘露法雨じゅーかんろーほううー 滅除煩悩燄めつじょうぼんのうえん

(書き下し文)
悲体の戒は雷震のごとく、慈意妙なること大雲のごとく、甘露の法雨を澍ぎ、煩悩の燄を滅除す。

(現代語訳)
観世音菩薩は姿形を現して法を説かれるので、戒行勇猛にして威厳電雷の震えるがごとく、その大慈悲の心は、大雲の万物を覆いて隙間がないように、甘露と法雨を降らせて、衆生の煩悩の炎を滅するだろう。

諍訟経官処じょうしょうきょうかんしょ 怖畏軍陣中ふーいーぐんじんちゅう
念彼観音力ねんぴーかんのんりき 衆怨悉退散しゅうおんしったいさん

(書き下し文)
諍訟して官処を経、軍陣の中に怖畏せんに、彼の観音の力を念せば、衆の怨悉く退散せん。

(現代語訳)
諍論を法廷にもちだし、また軍陣の中にあって敵を恐れる心を感じた時、観世音菩薩の妙力を念称すれば、もろもろの敵の怨恨はことごとく無くなってしまうだろう。

妙音観世音みょうおんかんぜーおん 梵音海潮音ぼんのんかいちょうおん
勝彼世間音しょうひーせーけんおん 是故須常念ぜーこーしゅーじょうねん

(書き下し文)
妙音観世音、梵音、海潮音、勝彼世間音あり。
是の故に須く常に念ずべし。

(現代語訳)
観世音菩薩の妙なる声は、清浄な声であり、海の潮の満ち引きの波のような音であり、世界中のどんな音よりも優れています。
だから常に観世音菩薩を念じなさい。

念念勿生疑ねんねんもっしょうぎー 観世音浄聖かんぜーおんじょうしょう
於苦悩死厄おーくーのうしーやく 能為作依怙のういーさーえーこー

(書き下し文)
念念に疑いを生じること勿れ。
観世音浄聖は、苦悩死厄において、能く為に依枯となれり。

(現代語訳)
毛一すじのような僅かな時間であっても疑いを生じてはいけません。
観世音菩薩の清らかなお力は、苦痛煩悩、死の縁が来たときに、あたかも親が子を援護するように、護ってくださるのです。

(補足解説)
念念に疑いを生じること勿れ」とあるように、一切の疑いを廃して観世音菩薩を念じることが、救いの鍵となります。

具一切功徳ぐーいっさいくーどく 慈眼視衆生じーげんじーしゅじょう
福聚海無量ふくじゅかいむーりょう 是故応頂礼ぜーこーおうちょうらい

(書き下し文)
一切の功徳を具して、慈眼をもって衆生を視、福聚の海無量なり。
是の故にまさに頂礼すべし。

(現代語訳)
観世音菩薩は、一切の願行功徳を具足し、大慈の眼で衆生を見守り、高大な幸福の集まることは大海の際限がないようなものである。
故に、礼拝しなければなりません。

爾時にーじー持地菩薩じーじーぼーさー即従座起そくじゅうざーきー前白仏言ぜんびゃくぶつごん

(書き下し文)
その時に持地菩薩、即ち座より起ちて、前みて仏に白して言さく。

(現代語訳)
そのとき、地蔵菩薩(持地菩薩)が立ち上がり進んで、お釈迦様へ申し上げた。

世尊せーそん若有衆生にゃくうーしゅじょう聞是観世音菩薩品もんぜーかんぜーおんぼーさーほん自在之業じーざいしーごう普門示現ふーもんじーげん神通力者じんつうりきしゃ当知是人とうちーぜーにん功徳不少くーどくふーしょう

(書き下し文)
世尊、若し衆生ありて、是の観世音菩薩品の自在の業、普門示現の神通力を聞かん者は、まさに知るべし是の人は功徳少なからじ。

(現代語訳)
お釈迦様、人々がもし『観音経』の自由自在の衆生済度の働き、人々の苦しみに合わせて33通りの姿になる神通力を聞けば、聞いた人の功徳は計り知れないことを知ることになるでしょう。

仏説是普門品時ぶっせつぜーふーもんほんじー衆中八萬四千衆生しゅちゅうはちまんしーせんしゅじょう皆発無等等かいほつむーとうどう阿耨多羅三藐三菩提心あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだいしん

(書き下し文)
仏、是の普門品を説きたまう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等々阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。

(現代語訳)
お釈迦様の『観音経』のご説法が終わった時、会座にいた8万4千の人々は、仏と等しい妙覚みょうかくのさとりを願い求め、この上ない悟りの心を起こしたのだった。

仏のさとりについてはこちらをお読みください。
阿耨多羅三藐三菩提(仏のさとり)とは?大宇宙最高の真理

さらにサンスクリット語の『観音経』には、漢訳には載っていない文章があるので紹介しておきます。

観音経の中で阿弥陀仏が登場する

漢訳の『観音経』には、阿弥陀仏が登場しないのですが、実はサンスクリット語の『観音経』には阿弥陀仏が登場しています。

ローケーシュヴァラ=ラージャ(世自在王)を指導者とした僧の
ダルマーカラ(法蔵)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、
汚れない最上の「さとり」に到達してアミターバ(無量光)如来となった。
アヴァローキテーシュヴァラはアミターバ仏の右側あるいは左側に立ち、
かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した。
西方に、幸福の鉱脈である汚れないスカーヴァティー(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者として住む。
そして、そこには女性は生まれることなく、性交の慣習は全くない。
汚れのない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の胎内に坐る。
かのアミターバ仏は、汚れなく心地よい蓮華の胎内にて、
獅子座に腰をおろして、シャーラ王のように輝く。
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を讃歎して、
速かに福徳を積んで汝のように最も勝れた人間(仏)になりたい』と祈念する。

ここでは、観世音菩薩が、阿弥陀仏の脇士であることが説明されています。

阿弥陀仏については下記もご覧ください。
阿弥陀如来とは?簡単に分かりやすく解説

この記事の最後に、なぜ阿弥陀仏が『観音経』の終わりに紹介されているのか、説明したいと思います。

観音経から学ぶこと

今回は、『観音経』の概要から、長行じょうごう から偈文まで、全文の意味を解説しました。

観音経』は法華経の中の一章であり、正式名称は「観世音菩薩普門品」です。

観音経』には、観世音菩薩(観音菩薩)を褒め称え、功徳や不思議なお力(神通力)が説かれてあります。
しかし、観世音菩薩に救われるには条件があります。
最後に「念念に疑いを生じること勿れ」とあるように、常に疑いなく観世音菩薩を信じ続けなければならないのです。

そのようなことができる人はいるのでしょうか?
私たち凡夫にとって非常に難しい条件が課されています。

そして『観音経』の最後には阿弥陀仏が紹介されています。

これは、観世音菩薩を一心に念じられない人に対して、
観世音菩薩の先生にあたる「阿弥陀の救いを求めなさい」と勧められているのです。

では阿弥陀仏の救いとは何なのか。

これについては仏教の真髄ですし、人間の生きる意味に関わる重大な問題なので、以下のメール講座に分かりやすくまとめておきました。
詳しく知りたい方は、今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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