無量寿経(大無量寿経)とは
『無量寿経』は『大無量寿経』ともいわれます。
お釈迦さまが、80年の生涯の中で説かれた七千余巻のお経の中で、最も大事なことを説くと言われているお経です。
・その学問的な根拠、
・無量寿経のあらすじ
・無量寿経に説かれている最も大事なこととは何なのか
ということについて、この記事で分かりやすく解説します。
無量寿経とは
このお経は、経典の目録などを見ますと、歴史上、12回漢訳されたようですが、
現存するのは5つだと昔からいわれています。
これを五存七欠といわれます。
五存とは『無量寿経』に以下の4つを含めた5つのお経です。
- 『大阿弥陀経』(『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』2巻 呉 支謙訳)
- 『平等覚経』(『仏説無量清浄平等覚経』4巻 後漢 支婁迦讖訳)
- 『大無量寿経』(『仏説無量寿経』2巻 曹魏 康僧鎧訳)
- 『無量寿如来会』(『大宝積経』無量寿如来会2巻 唐 菩提流志訳)
- 『無量寿荘厳経』(『仏説大乗無量寿荘厳経』3巻 宋の法賢訳)
さらに、トルファンで新しく発見された漢訳の『無量寿経』の断片(法蔵菩薩の第五願まで)が、イスタンブールの図書館にあります。
ただ、これが失われた7つのどれかなのか、別のお経なのかは分かりません。
失われた7つのお経は以下の通りです。
『無量寿経』2巻 後漢 安世高訳
『仏説無量清浄平等覚経』2巻 曹魏 白延訳
『仏説無量寿経』2巻 西晋 竺法護訳
『仏説無量寿至真等正覚経』1巻 東晋 竺法力訳
『新無量寿経』2巻 東晋 仏陀跋陀羅訳
『新無量寿経』2巻 東晋 宝雲訳
『新無量寿経』2巻 劉宋 曇摩蜜多訳
漢訳は以上ですが、漢訳以外の言語では、
サンスクリット本、バーミヤーンから新しく発見されたサンスクリット断片、チベット訳、コータン語訳、ウイグル語訳、西夏語訳、モンゴル語訳が現存しています。
『無量寿経』が非常に広い範囲に伝えられていたことが分かります。
このように、たくさんの異訳の『無量寿経』がありますが、
その中でも最も普通に『無量寿経』といわれているのは、
康僧鎧の翻訳した『大無量寿経』といわれる『無量寿経』です。
『無量寿経』は正式には『仏説無量寿経』といわれ、
翻訳者は「曹魏天竺三蔵康僧鎧訳」とあります。
西暦252年、中国の三国時代の魏の都・洛陽に、天竺(インド)出身の三蔵法師、康僧鎧がやってきて翻訳したものです。
康僧鎧の名前は僧鎧ですが、「康」とつくのは、康居国(ウズベキスタン)のことです。
なぜインド出身の人に康居国の康とついているのかというと、
康僧鎧の先祖が康居国(ウズベキスタン)の人だったからです。
つまり、「曹魏天竺三蔵康僧鎧」というのは、今でいえば中国在住のウズベキスタン系インド人翻訳家の僧鎧ということですが、普通、康僧鎧と呼ばれています。
この康僧鎧の翻訳は非常にすばらしく、『無量寿経』にはお釈迦さまの説かれたお経の中でも、特に重要な意味があります。
無量寿経の重大な意味とその2つの根拠
仏教というのは、お釈迦さまの説かれた教えのことです。
お釈迦さまが35歳で仏のさとりを開かれて、80歳でお亡くなりになるまでの45年間説かれた教えを仏教といいます。
それは今日、七千余巻の一切経となって書き残されています。
『無量寿経』の意味としては、その一切経七千余巻の中でも、最も大事なお経といわれています。
そしてそれには、誰かの主観的な信仰や宗教体験、思い込み、多数決などではなく、誰でも確認できる客観的な学問的根拠があります。
それは一切経七千余巻の中でも、『無量寿経』にはお釈迦さま自らが、以下の2つのことを説かれているから、というものです。
1.冒頭のお釈迦さまの宣言
まず『無量寿経』がこれから説かれる場所にお弟子たちが集まると、
お釈迦さまは今まで見たこともない尊いお姿を現されます。
それまでもお釈迦さまは、仏さまですから、三十二相八十随形好
という尊いおすがたをしておられました。
ところがその時は、今までにない非常に尊いお姿で現れられたのです。
体中が喜びにわきたって、清らかなお姿で、お顔も輝いて、何かとても嬉しそうでした。
その様子をこのように説かれています。
今日、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして光顔魏魏とまします。
(漢文:今日世尊 諸根悦豫 姿色清淨 光顏巍巍)(引用:『無量寿経』)
「世尊」とは、お釈迦さまのことです。
「諸根悦予」とは、目も耳も鼻も舌も身体も喜びにあふれていたということです。
「姿色清浄」とは、お姿の色がきよらかだったということです。
「光顔魏魏」とは、喜びに満ちたお顔もおごそかに輝いておられたということです。
長年お釈迦さまの近くにお仕えしても、こんなことは未だかつてなかったと思った阿難というお弟子は、思わず立ち上がってお聞きします。
「お釈迦さま、私は今まで今日のような尊いお姿は見たことがありません。
一体どうされたんでしょうか?」
するとお釈迦さまは、
「阿難よ、よくぞ尋ねた。
誰かにそういうことを尋ねて欲しいといわれたのか、
それともそなた自身が自分でそう思って尋ねたのか」
と聞かれます。
「いえいえ、誰から言われたことでもありません。
私自身がそう感じたのです」
と答えると、
「そうか阿難よ、よく聞いた。そなたの智慧はすばらしい」
とほめられます。そして
「実は今日こそ私がこの世に生まれて一番説きたかったことを説こうと思っているのだ」
とこのように説かれます。
如来、世に出興する所以は道教を光闡し、群萌を拯い恵むに真実の利を以てせんと欲してなり。
(漢文:如來 所以出興於世 光闡道教 欲拯群萌 恵以真実之利)(引用:『無量寿経』)
「如来」というのは、お釈迦さまのことです。
「世に出興する所以は」というのは、地球上に現れた目的は、ということです。
「道教を光闡し」というのは、目的地へ向かう道となる方便の教えを説いて、ということです。
方便というのは、仏教では、真実へ導くために絶対に必要なものなのですが、
方便がどんなものなのかについては、大変深いので
以下の記事で詳しく解説しています。
➾方便の意味・仏教での使い方とは?(嘘も方便は身の破滅?)
次の「群萌」というのは苦しみ迷うすべての人のことですから、
「群萌を拯い恵むに真実の利を以てせんと欲してなり」
というのは、すべての人を真実の救いに導くためであったのだ、ということです。
お釈迦さまは、『無量寿経』の最初に、自ら
「私が地球上に現れた目的は、すべての人を真実の救いに導くためであったのだ」
と宣言されて、真実の救いを説き始められるのです。
このようなお釈迦さまご自身の宣言から、『無量寿経』は、釈迦の「出世本懐経」であるといわれます。
「出世本懐」というのは、この世に生まれて来た目的のことです。
この無量寿経の最初のお言葉だけでも、『無量寿経』はお釈迦さまの出世の本懐経と分かるのですが、さらにお釈迦さまは、『無量寿経』に真実の救いを説き終わられた後、最後にものすごい予言をされています。
2.最後のお釈迦さまの予言
『無量寿経』の最後にお釈迦さまがなされた予言がこれです。
当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
(漢文:當來之世 經道滅盡 我以慈悲哀愍 特留此經 止住百歳)(引用:『無量寿経』)
「当来の世に経道滅尽せんに」
というのは、将来、一切経のすべてのお経が消滅してしまう時がくるということです。
お釈迦さまは、お亡くなりになって、1万1500年経つと、『法華経』の教えも『般若心経』の教えもなくなってしまう、法滅の時代が来るだろうと予言されています。
ところが、一切経が滅ぶ法滅の時代がやってきても、
「我慈悲を以て哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」
と説かれています。
私は慈悲の心で憐れんで、このお経を永遠に残すであろう、ということです。
ちなみに「百歳せん」は、100年のことではありません。
この「百」は「満数」といって無限ということです。
そのことは、別の人が翻訳した『無量寿経』と同じお経の『無量寿如来会』というお経でも、この
「特にこの経を留めて止住すること百歳せん」の部分を
「まさにこの法をして久しく住して滅せざらしむべし」
と言われていますし、
『無量寿経』のサンスクリット本でも
「この教法が滅びないように偉大な贈物をするのだ」
といわれているので、
「百歳せん」というのは、永遠に、人々を救い続けるであろう、ということは明らかです。
こんなことが説かれているお経は他にありません。
一切経の中で唯一です。
このように、一切経七千余巻をすべて比較検討してみると、お釈迦さまは自ら『無量寿経』が出世本懐のお経で、唯一永遠に残るであろうと説かれていることが確認できるのです。
では、その一切経の中でも最も重要な『無量寿経』には、どんなことが説かれているのでしょうか?
無量寿経のあらすじ
『無量寿経』は、上下二巻に分かれています。
『無量寿経』の上巻は、
1.序文
2.阿弥陀如来が浄土をつくられるご苦労(原因)
3.阿弥陀如来とその浄土のありさま(結果)
が説かれています。
『無量寿経』の下巻には、
4.私たちが浄土へ往生するには(原因)
5.浄土へ往生した人の幸せ(結果)
6.お釈迦さまの戒め
7.まとめ
が説かれています。
それぞれどんなことが説かれているのでしょうか?
1.序文
まず序文では、『無量寿経』が説かれた状況が述べられています。
王舎城の耆闍崛山に五比丘、三迦葉、摩訶迦葉、舎利弗、大目犍連、富楼那、須菩提、羅睺羅、阿難などの沢山のお弟子たちや、普賢菩薩や弥勒菩薩などの菩薩が集まっていました。
そこで喜びに満ちた尊いお姿のお釈迦さまが、
「今から真実の救いを説く」
と宣言されて、教えを説き始められるのです。
2.阿弥陀如来が浄土をつくられるご苦労
それは果てしない遠い昔、阿弥陀如来がまだ仏のさとりを開かれる前、法蔵菩薩と名乗って世自在王仏のお弟子となっておられた時のことです。
法蔵菩薩は、すべての人を救うために五劫という長い間、考え抜かれて四十八の誓願をおこされます。
これを阿弥陀如来の四十八願といいます。
そして、その願いを成就するために、兆載永劫という長い期間、六波羅蜜の修行をされ、万善万行をおさめた、すべての人を救う働きのある名号を完成されます。
3.阿弥陀如来とその浄土のありさま
法蔵菩薩はすでに果てしない遠い過去に仏のさとりを開いて阿弥陀如来となり、西方十万億のかなたの極楽浄土におられます。 そして、阿弥陀如来の十二の光明と無量の寿命、数え切れない従者、浄土の宝の樹、菩提樹、音楽、建物、宝の池のすばらしさ、浄土往生した人の色も形もない心も及ばない様子を説かれています。
4.私たちが浄土へ往生するには
阿弥陀如来の誓われた本願には、私たちには分からないところがあるので、お釈迦さまが私たちに分かるように解説されています。
それは私たちは、いつ、どのように救われるのか。
どうすれば救われるのか、などです。
そしてお釈迦さまも諸仏も、すべての人に、阿弥陀如来に助けてもらうよう勧められています。
5.浄土へ往生した人の幸せ
浄土へ往生した人は、阿弥陀如来のお力によって悟りを開き、観音菩薩や勢至菩薩のように神通力を備え、大宇宙の諸仏を供養して教えを聞くことができます。
浄土では阿弥陀如来の説法を聴聞し、いまだ苦しみ悩む人々に説法して救いに導き、他人を幸せにするままが自分も幸せになる、自利利他の幸せ者になれます。
このような阿弥陀如来のお力は、ここでは簡単に説かれただけで、もし詳しく説こうとすればお釈迦さまが何億年かかっても説き尽くすことはできない功徳があると言われます。
6.お釈迦さまの戒め
ここまで極楽浄土のすばらしさを説いてこられたお釈迦さまは、弥勒菩薩に対して、極楽浄土には往きやすいのに、往っている人が少ないといわれます。
浄土に往ける身にならなければ、三毒の煩悩や五悪によって、因果応報で苦しまねばならないので、疑いはれるまで本願を聞くよう勧められます。
7.まとめ
お釈迦さまは弥勒菩薩に
「阿弥陀仏の成就なされた名号(南無阿弥陀仏)の大功徳を聞いて頂いた瞬間に、真実の救いにあって、無上の幸せなるのだ。
だから火の海をかき分けても、この教えを聞くがよい」
と説かれます。
そして最後に、このお経は未来永遠に人々を救い続けるであろう、と予言されるのです。
これが『無量寿経』のあらすじです。
無量寿経の内容
では、お釈迦さまが、この世に生まれたのは、これを説くためであったといわれた、
『無量寿経』に説かれる「真実の救い」とはどんなことかというと、
一言でいうと「阿弥陀如来の本願」です。
阿弥陀如来とは
阿弥陀如来については、以下の記事で詳しく解説していますのでご覧ください。
➾阿弥陀如来とは?簡単に分かりやすく解説
阿弥陀如来は、『法華経』や『般若経』、『涅槃経』などのたくさんのお経に説かれていますが、
お釈迦さまが仏のさとりを開かれて発見された仏様です。
仏のさとりというのは言葉を離れた世界ですが、
『無量寿経』には、
「仏仏相念」(無量寿経)
と説かれていて、仏のさとりを開くと、仏さま同士、心が通じるようになる、
と教えられています。
それでお釈迦さまは、大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあって、
数え切れないほどの仏様がおられることを発見されたのです。
その大宇宙のたくさんの仏様の中でも、
ずば抜けた力のある、王さまの仏が、阿弥陀如来である
とお釈迦さまは説かれています。
その阿弥陀如来が、あるとき私たちの世界をご覧になると、
すべての人が何のために生まれてきたのか、生きる意味が分からずに、
苦しみ迷うだけの人生で終わっている、かわいそうだ、
何とか幸せにしてやりたいと思われたのです。
本願とは
そこで、阿弥陀如来は、本願を建てられます。
本願というのは、誓願ともいわれますが、お約束のことです。
その阿弥陀如来のなされたお約束を阿弥陀如来の本願といいます。
その阿弥陀如来の本願は、どんなお約束なのかというと、
「どんな人も必ず本当の幸せに助ける」
というお約束です。
本当の幸せというのはどんな幸せかというと、
私たちは、欲や怒りの煩悩をなくすこともできせんし、
満たしきることもできませんので、
煩悩をそのまま喜びに転じる
煩悩即菩提の幸せのことです。
それは煩悩あるがままでなれますので、
どんな人でも、この本当の幸せになれます。
すべての人が本当の幸せになれる道
こうして、すべての人が本当の幸せになれる道を明らかにされたお釈迦さまは、こう言われます。
如来、まさになすべき所は、皆すでにこれをなせり。
(漢文:如来所応作者 皆已作之)(引用:『無量寿如来会』)
私がこの世に生まれ出て、やるべきことはすべてやり遂げたと喜ばれて、
その後に、先ほどの
「この経は永遠に輝いてすべての人を救い続けるであろう」
という予言をされているのです。
このように、お釈迦さまが一切経七千余巻によって導こうとされている目的地の、
真実の救いが説かれているのがこの『無量寿経』です。
ただ、その本当の幸せの身になるには、
苦しみ迷いの根元をなくさなければなりません。
この苦しみ迷いの根元は何なのか、
ということについては、仏教の真髄ですので、以下のメール講座と電子書籍に分かりやすくまとめておきました。
今すぐ読んでみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)