維摩経とは
『維摩経』は、非常に重要なことが説かれた大乗経典です。
しかも1999年7月、日本人が、チベットの首都ラサにある有名なポタラ宮で、
世界で初めて『維摩経』のサンスクリット本を発見し、新たな研究が進んでいます。
『維摩経』は、維摩居士という在家の仏法者の大活躍を通して説かれています。
維摩居士は富豪なのですが、何か話し出すと、知恵第一の舎利弗尊者でもかなわず、「三人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩でさえも超えるほどです。
なぜ在家の資産家が、知恵すぐれたお釈迦様の十大弟子や、文殊菩薩までも論破できるのでしょうか?
『維摩経』には大変重要なことが明らかにされているため、聖徳太子は日本で初めて『維摩経』の解説をされています。
また、中国天台宗を開いた天台大師智顗は、『法華経』の次に
『維摩経』に重きを置いたといわれています。
維摩居士とは一体、何者なのでしょうか。
お釈迦様は『維摩経』で、何を伝えようとされたのでしょう。
今回は、『維摩経』のあらすじや、維摩居士のエピソードを通して
内容を分かりやすく解説します。
維摩経とは
『維摩経』について、仏教辞典にはこのようにあります。
維摩経
ゆいまぎょう[s:Vimalakīrti-nirdeśa-sūtra]
鳩摩羅什訳の<維摩詰所説経>(3巻)の他、支謙・玄奘の漢訳とチベット語訳が現存する。
また2006年、チベットの寺院に所蔵されていたサンスクリット写本が公刊された。
初期大乗経典の代表作の一つ。
主人公はヴァイシャーリーに住む資産家のヴィマラキールティ(Vimalakīrti、維摩詰と音写され、浄名、無垢称などと訳される)で、在家の主人公が、大乗思想の核心を説きつつ、出家の仏弟子や菩薩たちを次々と論破していくさまが、文学性豊かに描かれている。
思想的には般若空観を承けており、不二の法門に関する維摩の回答、すなわち<沈黙>は有名で、古来、<維摩の一黙雷の如し>とうたわれている。
なお、世界の無自性性を表す聚沫・泡・炎・芭蕉・幻・夢・影・響・浮雲・雷の<十喩>は、日本文学にも多大な影響を与えた。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
『維摩経』には、とても深くて重要なことが教えられているのに、仏教辞典では、表面的な説明のみで終わっています。
この記事では、もっと深い内容まで分かりやすく解説していきたいと思います。
まず、『維摩経』は、6人の翻訳家による漢訳経典があったと伝わっていますが、
現在では辞典にあるように、鳩摩羅什、支謙、玄奘の3人による漢訳のみ存在します。
(現存)
- 『維摩詰不思議法門経』(1巻)呉 支謙訳
- 『維摩詰所説経』(3巻)後秦 鳩摩羅什訳
- 『無垢称経』(6巻)唐 玄奘訳
(欠本)
- 『維摩詰所説法門経』(3巻)西晋 竺法護訳
- 『維摩詰経』(3巻)西晋 竺叔蘭訳
- 『維摩経』(2巻)後漢 厳仏調訳
そして、日本人の発見したサンスクリット本と、チベット語訳もあります。
『維摩経』の主人公は、維摩居士といいます。
出家をせずに仏道を求める人物でありながら、
出家している僧侶と深く議論をし、論破していくところに、
維摩居士の凄さと魅力があります。
維摩は、大乗仏教の重要な内容を説いており、
後世には、天台宗を開いた智顗をはじめ、多くの仏法者が重視しています。
今回は、日本でよく広まっている、西暦406年に鳩摩羅什によって翻訳された『維摩詰所説経』(略名『維摩経』)に基づいて、詳しく内容を解説します。
維摩居士とは
維摩居士(敦煌壁画)
『維摩経』の主人公の維摩居士は、維摩詰
という人で、略して維摩といわれます。
「居士」とは在家で仏法を聞き求める人のことなので、維摩に居士をつけて、維摩居士といわれています。
「維摩詰」という名前には、意味があります。
維摩詰の名前
維摩詰は、サンスクリット語では、ヴィマラキールティといい、その音写です。
他にも「毘摩羅詰」「維摩羅詰」などと音写されています。
「維摩羅」(ヴィマラ)は清浄、無垢、
「詰」(キールティ)は名誉、尊敬の意味があるので、
維摩詰をそのまま現代語にすると、「清浄の名誉」になります。
そのため、さまざまな経典の中で、維摩居士は「浄名」「無垢称」とも呼ばれました。
維摩居士はその名の通り、日々、仏道修行に勤め、清らかな心を保ちました。
そして在家の立場でありながらも、多くの人々を仏教の正しい教えに導いていきます。
維摩居士は、町一番の大金持ちだったといわれますが、どんな大邸宅に住んでいたのでしょうか?
維摩居士の住居
当時、維摩居士の住居は、インドの北のほうにありました。
今でいうインドのビハール州ヴェーサーリー県にあたるヴァイシャーリーの町(
毘舎離城)です。
【参考地図】
ヴァイシャーリーは、当時すでに商業都市として繁栄していました。
そんな商業都市で、一番のお金持ちだったのが維摩ですから、どんな豪邸に住んでいたのかと思いますが、
その住居は「方丈」といわれています。
三蔵法師、継業の書いたインド旅行記『西域行程』(967年〜974年の記録)には、
「これより河を渡り、北して毘耶離城に至る。維摩の方丈の故跡あり」
と出ています。
これは「これから河を渡り、北に向かって毘耶離城に至る。維摩の方丈と呼ばれる住居の故跡がある」という意味です。
なぜ「方丈」と呼ばれたのでしょうか。
『法苑珠林 』には、方丈の由来をこう書かれています。
大唐・顕慶年中に於いて、敕使衛長史の王玄策、印度に向うに浄名の宅を過ぐ、笏をもって基を量る。
ただ十笏のみあり。
故に方丈の室と号するなり。
(漢文:於大唐顕慶年中 敕使衛長史王玄策 因向印度過浄名宅 以笏量基 止有十笏 故号方丈之室也)(引用:『法苑珠林』)
この意味は、唐顕慶年(659年–660年)中に中国の唐の外交官である王玄策が、インドの浄名(維摩居士)の家を訪れ、尺
で床の広さを測ったところ、一辺がわずか十笏しかなかった。
これは約3メートルです。
それが一丈分なので、その部屋は方丈(一丈四方)の室と呼ばれるようになった、ということです。
広さとしては、畳の四畳半が、大体2.7メートル四方なので、それよりちょっと広いくらいです。
このように方丈というのは、維摩居士の正方形の住居のことで、
ここから転じて、今では僧侶の住居を意味するようになりました。
特に禅宗では、僧侶の部屋や、住まいを方丈と呼びます。
鴨長明が執筆した有名な『方丈記』の方丈の由来も、
維摩居士の住居からとったものだといわれています。
方丈の住居に住みながら、維摩居士は、どのような活躍をしたのでしょうか。
維摩居士の活躍
当時、仏教は出家した仏弟子たちが伝えていました。
出家の人は結婚していません。
一方、維摩居士には、結婚し妻子がいます。
もちろん出家はしておらず、庶民と同じような暮らしをしながら、仏道修行に励みました。
そして維摩居士は、在家の身のまま真理の境地に達しました。
維摩居士は、まるで仏のような威厳があり、海のように寛大な心だったといいます。
仏法を伝える時は鋭い弁舌で、出家した仏弟子たちに対しても大乗仏教の重要な教えを伝えていきます。
維摩居士は、どんな暮らしをしていたのでしょうか。
普段の生活──六波羅蜜の実践
維摩居士は、普段どんな生活をしていたのかというと、『維摩経』には、六波羅蜜の生活をしていたと説かれています。
六波羅蜜とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧といわれる善い行いのことです。
維摩居士は、「布施」の行を実践し、富豪であったため、持っていた多くの財産を、貧しい人々に与え、苦しい生活から救っていました。
また「持戒」といって戒律で定められた約束事を守り、戒律を破る人々を導いていました。
それから、どんな困難が来ても「忍耐」(忍辱)を心がけ、怒りに満ちた人々に対しても忍耐をもって仏法を伝えます。
さらに、自らももの凄い「精進」を重ね、努力ができない怠慢な人々へ、精進の大切さを伝えました。
そして、「禅定」によって静寂な心を保ち、人々の散乱した心も静寂へと導きました。
真理を知らされた「智慧」によって、愚痴なる人々に仏法を伝えていきます。
六波羅蜜の生活を送ることは、仏法者なら誰しも心がけるべきことで、
生活のままが仏道を求める「生活即求道」になります。
積極的な交流
維摩居士は、静かな森の中でじっと修行するわけではなく、
世間のあらゆる環境の人々と積極的に交流しています。
例えば、政治に関わり意見を述べたり、賭博の場を訪れ人々の話を聞き、仏法以外の学問を庶民に教えるなど、様々な人と縁を持っていました。
そして、その場その場にいる人々の性格や能力、経験に合わせて、様々な手立て(方便)を使って、仏法を伝えていきます。
この維摩の姿は、そのまま『維摩経』の大きな特徴となっています。
『維摩経』にはどのような特徴があるのでしょうか?
維摩経の特徴
『維摩経』の特徴を知るには、まず仏教が説かれた目的を知らなければなりません。
私たち人間は、老いや病いや死といった苦しみから、絶対に離れきれない存在です。
生まれたものが、絶対に死にたくないのに、絶対に死ななければならない問題を、「生死の一大事」とか「生死の問題」といいます。
苦しみ続ける私たちが、どうしたら「生死の一大事」を解決して、本当の幸福になれるのか。
「生死の一大事の解決」一つを目的に説かれているのが仏教です。
仏教は、当時も今も、僧侶が教えるものだと思われています。
しかし維摩居士は、僧侶とならず、出家しない在家のままで、多くの人々と関わりながら真実の仏法を求め、仏法を伝え続けました。
それは、仏教を聞いて本当の幸福になるためには、
出家も在家も関係なく、男も女も区別なく、
すべての人が救われることを明らかにするためだったのです。
当時の仏教は、出家して戒律を守り、自己の厳しい修行に打ち込み、完遂できた聖者しか救われない、と考えられていました。
これを、小乗仏教といいます。
一方、『維摩経』に説かれているように、すべての人が救われる仏教を、大乗仏教といいます。
大乗仏教と小乗仏教の違いは、以下の記事をお読みください。
➾大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)の違い
『維摩経』には、すべての人が救われる、大乗仏教の精神が、教えられているのです。
この大乗仏教の素晴らしさを知り、数ある経典の中から『維摩経』などの大乗仏教経典を選び、日本で、いち早く紹介されたのが、日本史上でも有名な聖徳太子です。
聖徳太子は飛鳥時代に、推古天皇の摂政となり、
「十七条憲法」などに仏教を取り入れ、仏法興隆の詔を発して、日本に仏教を広めました。
聖徳太子について詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
➾聖徳太子がしたこととは?日本仏教への偉大な業績やエピソードを紹介
聖徳太子による維摩経解説
聖徳太子は、数ある経典の中から、『維摩経』を日本人に紹介すべきだと手に取りました。
そして、日本で最初の『維摩経』の解説書、『維摩経義疏』を書き記したのです。
当時、日本には仏教が入ってきたばかりで、
仏教を深く理解し、解説している人はほとんどいませんでした。
僧侶でもなく、最高権力者の摂政という立場でありながら、
仏教を深く理解し、解説をされているのには、驚かざるをえません。
聖徳太子も、『維摩経』を通して、
仏教は、能力の有無や、老若男女限らず、すべての人々が救われる教えであり、
すべての衆生(人間)に仏の大慈悲が届いていることを、教えられています。
煩悩あるがまま悟りを開く
すべての人が救われることを説かれた『維摩経』の中でも、特に有名なのがこの言葉です。
たとえば、高原の陸地には蓮華を生ぜず。
卑湿の淤泥には、すなわちこの華を生ずるが如し。
(漢文:譬如高原陸地不生蓮華卑湿淤泥乃生此華)(引用:『維摩詰所説経』(仏道品第八))
これは、蓮の花は高原陸地の綺麗な場所では咲かず、
汚く湿った泥田の中で蓮華が花開くという意味です。
高山植物は高原の澄んだ空気の中に咲きますが、蓮華は高原には咲きません。
蓮の花は、底の見える透明度の高い池ではなく、どろどろの泥池の中に咲きます。
泥の中に咲くので、汚い花が咲くかと思いますが、シミ一つないきれいな花を咲かせます。
「高原」とは、厳しい修行のできる聖者、善人のことです。
「淤泥」とは、修行のできない悪人のことです。
私たちは、修行どころか、そもそも出家して戒律を守ることもできません。
煩悩をなくせず、悪ばかり作っています。
どんなことが悪なのかというと、仏教では、お釈迦様の教えられた悪です。
それについては、以下の記事をご覧ください。
➾悪の意味・キリスト教と仏教の違い
仏教では、すべての人は、煩悩の塊の悪人だと教えられています。
それなのに、自分は善人だと自惚れている人は、本当の幸せになれません。
仏教を聞き、真実の自己が知らされた時、煩悩の泥のまっただ中に、本当の幸せになれる、ということです。
普通は煩悩をなくさないと、さとりは開けないのですが、
煩悩のままに変わらない幸せになれる、
想像もできない不思議な世界が『維摩経』に明かされているのです。
これを『維摩経』にはこのように説かれています。
煩悩を断ぜずして涅槃に入る。
(漢文:不断煩悩而入涅槃)(引用:『維摩詰所説経』)
煩悩を断ちきることなしに、本当の幸せになれる、ということです。
すべての人が、煩悩あるがままで本当の幸せになれると教える『維摩経』は、どのような構成で説かれているのでしょうか。
維摩経の構成(三部構成)
『維摩経』は、このように14章(十四品)からなっています。
「品」とは章のことです。
- 仏国品第一
- 方便品第二
- 弟子品第三
- 菩薩品第四
- 文殊師利問疾品第五
- 不思議品第六
- 観衆生品第七
- 仏道品第八
- 入不二法門品第九
- 香積仏品第十
- 菩薩行品第十一
- 見阿閦仏品第十二
- 法供養品第十三
- 嘱累品第十四
この14章を、色々な人が、色々な分け方をしていますが、大きく分けると3つになります。
つまり『維摩経』は、三部構成です。
一番分かりやすい分け方でいえば、
維摩の部屋の外(室外)の場面、
維摩の室内の場面、
再度、維摩の部屋を出てから(出室)の場面、
の3つに分けられます。
では、それぞれの場面で、どんなことが説かれているのでしょうか。
第一部・維摩の紹介(在室外説)
まず第一部は、維摩の紹介です。
お経を説かれた趣旨など、はしがきが書かれている序文の後、
「仏国品第一」から「菩薩品第四」までの4つの章は、
主人公の維摩居士の病室以外の場所で展開されています。
「仏国品第一」では『維摩経』が説かれる発端、
「方便品第二」では「維摩の徳」を説明し、
「弟子品第三」、「菩薩品第四」の2つの章では、
弟子や菩薩が「維摩を畏敬しているエピソード」を述べられ、
維摩の偉大さがよく分かります。
第二部・維摩との問答(在室内説)
第二部は、メインの維摩と仏弟子たちの問答です。
「文殊師利問疾品第五」から「香積仏品第十」までは、
維摩の部屋の中での対話となります。
病床の維摩と、お見舞いに来た人たちとの問答が繰り広げられ、
さとりの境地について熱く語られています。
第三部・維摩の正体(還帰室外)
第三部で維摩の正体が明かされます。
「菩薩行品第十一」から「嘱累品第十四」は、
再度、維摩の部屋を出て、みんなでお釈迦様の説法される所へ行きます。
最後は、末の世まで、この『維摩経』を伝え、仏法を広めよという
お釈迦様のお勧めについて、説かれています。
維摩経の各章のあらすじ
では、各章では、どのようなことが記されているのでしょうか。
第一部・維摩の紹介(在室外説)
仏国品第一
ある時お釈迦様が、大勢の修行僧たちと共に、ヴァイシャーリーの町のアームラ樹(菴羅樹:マンゴー)園におられました。
そこに宝積という富豪の子がいて、他の500人の富豪の子たちと共に、
それぞれ天蓋(宝蓋:仏像の頭上に飾られる笠状の仏具)を持って来ます。
そして彼らは宝蓋をお釈迦様に捧げました。
するとお釈迦様は、仏の神通力で多くの天蓋を一つにし、それで大宇宙を覆いました。
その天蓋の中には、大宇宙の広大な姿や、大宇宙にまします十方諸仏が説法している姿を拝見できます。
人々はこれを見て、かつて経験したことのないものだと大変驚きました。
宝積は偈(詩)を称えて、お釈迦様を讃えます。
その後、宝積は「浄土(清浄な仏国土)を作るためには、何をしたらいいでしょうか」とお尋ねしました。
お釈迦様は「もし浄土を得たいと思うなら、常に自分の心を清らかにすべきである。
心が清らかになれば、それに従って仏の国土も清らかになる」と教えられます。
そして舎利弗のために、お釈迦様は足の指で地面を押されると、
たちまちこの大宇宙が浄土となりました。
この章では、
「仏国土である浄土とはどんなものか」
「心を清らかにする大切さ」
を教えられました。
【宝積】
富豪の子ども。
維摩と一緒に、お釈迦様のご説法を聞きに行っていた。
『維摩経』では維摩が病で寝込んでいたため、一人でお釈迦様のもとへ参詣している。
方便品第二
ヴァイシャーリーの町の富豪商人である維摩が、病気になったふりをしました。
そのため、国王や大臣たちが、みな彼のもとを訪れて見舞います。
その時、維摩詰は以下の2つのことを説きました。
- この肉体は無常であり、厭うべきものである
- 仏の法身こそ喜ぶべきものである
人生の実相を説くことで、訪れた人々に菩提心(仏のさとりを求める心)を起こさせました。
維摩居士が人々に仏法を説くための方便(手段・工夫)や、無常観を教えています。
弟子品第三
維摩居士が病床で教えを説き、人々を導いていましたが、
一度はお釈迦様のご説法をお聞きしたいと思っており、
自らの喜びをお伝えしたいと願っていました。
そこで、せめてお弟子の一人を遣わせられて、お弟子方と大いに語らいたいと願います。
維摩居士の気持ちを察知なされたお釈迦様は、十大弟子といわれる主要な弟子に、
それぞれ維摩の病気を見舞いに行くよう命じられます。
十大弟子について、詳しくは以下の記事をお読みください。
➾釈迦十大弟子と10人それぞれの特徴
しかし、弟子たちはそれぞれ、過去に維摩から論破されたことがあると語り、
この任務に堪えられないと、見舞いを辞退しました。
十大弟子は何という名前の人たちで、かつて維摩とどのような対話がなされていたのでしょうか。
十大弟子の中でも筆頭に挙げられる 舎利弗 が辞退したのは、こんなエピソードがあったからでした。
1. 舎利弗の辞退
お釈迦様が、ヴァイシャーリー城で説法をされていたとき、
維摩居士は病気で伏していました。
そこで密かに考えていたのは、
「私は病気で説法の場に参詣できず、仏法を聞くことができない。
しかし、世尊は大慈悲の心をもって、必ず私に同情し、
お弟子の一人でも遣わしてくださるはずだ」
お釈迦様は神通力によって、直ちに維摩居士の心を知り、
十大弟子の一人、智慧第一といわれる「舎利弗」に依頼しました。
「舎利弗よ、維摩居士のもとに、病気を見舞いに行ってはくれないか」
智慧第一といわれる舎利弗ですから、皆二つ返事で引き受けるだろうと思っていました。
しかし、意外にも舎利弗は首を横に振りました。
「お釈迦様、私のようなものは、維摩居士を見舞いに行くことはできません。
それには以前このような事があったからです」
私がある日、奥深い林の中で静かに座禅をしていました。
そこへ維摩居士がやって来て、私にこう言ったのです。
「舎利弗よ、あなたは座禅をしておるのか。
お主のように山林の静かな場所を選んで、静かに座っているだけでは、
到底座禅とは言えない」
「舎利弗よ、座禅をするなら真の座禅をするがよい。
お主の座禅は、死禅である」
「舎利弗よ、真の座禅は、場所を選ばずどこでも行えるはずだ」
「真の座禅とは、心の働きがなくなるような深い瞑想状態(滅定)にならず、
日常のあらゆる行動や姿勢の中で悟りの境地を現すことである」
「舎利弗よ、悟りへの心を捨てずに世俗の事柄もおさめ、
凡夫の姿を現すのが真の座禅ではないか」
「舎利弗よ、お前は座禅によって煩悩を断絶するつもりであるが、
煩悩を断ぜずして、涅槃に入るのが真の座禅である」
「お前のように、林中であぐらを組んで座っているだけが座禅ならば、
お前よりも山の岩や石のほうがましである」
「世尊よ。私はこの言葉を聞いて、ただただ黙って答えることができませんでした。
このような理由で、私は到底見合いができるような力はないのです」
この維摩の言葉から学べることは、日常生活の中で、普段から六波羅蜜を実践することが大切ということです。
これを生活即求道といいます。
また、仏教を聞いている時でも、ただ場所を埋めて、耳で聞いてさえいればいいのではありません。
心があっちへ飛び、こっちへ飛びしていては、聞いていないのと同じです。
生死の一大事を心にかけて、真剣に聞くことが大切だということです。
お釈迦様は、十大弟子のうち智慧第一といわれる舎利弗が、このように言って辞退したので、
次に目連尊者を呼びました。
目連尊者以降の9人のお弟子も、みな維摩に恐れをなして辞退していくのですが、その理由は、要約するとそれぞれこのようなものでした。
2. 目連の辞退
目連は維摩に、説法の仕方が間違っていると叱られ、
真の説法は法の真理さながらに説くべきことを教えられました。
3. 大迦葉の辞退
大迦葉は、貧しい人々に功徳を積ませようと、貧しい人の多い村に托鉢に向かったところ、
維摩から平等の慈悲に背いていると教えられました。
4. 須菩提の辞退
須菩提は、富んだ人の奢れる心を持つ人々に徳を積ませようと、
富豪が多い町を托鉢していたところ、
維摩居士の家で托鉢をしました。
その時、維摩居士から難題を突きつけられるも、
一切の言葉の本性について教えられました。
5. 富楼那の辞退
富楼那がある時、説法をしていたところ、
相手の心を知らず、大乗仏教を聞きたい人に対して、
小乗仏教を説いていたことをたしなめられ、
対機説法の重要さを教えられました。
6. 迦旃延の辞退
迦旃延
はある時、お釈迦様のご説法の内容をよりかみ砕いて解説していましたが、
解説の仕方次第で、誤って内容が伝わる恐れがあることを教えられました。
7. 阿那律の辞退
阿那律が、天限という神通力について、梵天王から問われたので、
常識的な意味を答えたところ、
維摩から真の天限について教えられました。
8. 優波離の辞退
優波離が、戒律を犯した2人の僧侶のために、懺悔の必要性を説いていると、
維摩から一切衆生の心相について教えられました。
9. 羅睺羅の辞退
羅睺羅を訪問してきた青年たちに対して、出家の功徳を説いていたところ、
真の出家は肉体ではなく、心の出家であり、
ただちに菩提心を起こすことだと、維摩から教えられました。
10. 阿難の辞退
阿難は、お釈迦様が病気であるため牛乳を求めていたところ、
維摩から仏は法身であるから汚れがなく、病にはかからないと教えられました。
一方で、応身のお釈迦様は、方便のために病にかかることを教えられた話です。
菩薩品第四
弟子たちが見舞いに行かないのなら、次は、厳しい修行をしている菩薩たちに行ってもらおうとされます。
お釈迦様は菩薩たちに、それぞれ維摩の病気を見舞いに行くよう命じられました。
しかし、彼らもそれぞれ、過去に維摩から論破された経験があり、
任務を果たせないと、ことごとく辞退したことが説かれています。
まず持世菩薩が辞退したときの有名エピソードを紹介します。
1. 持世菩薩の辞退
持世菩薩とは、宝の雨を降らし、「世」間を安堵し維「持」するということで、
「持世」菩薩と言われています。
お釈迦様は、持世菩薩に向かって、維摩居士のもとへ見舞いをするよう依頼しました。
しかし持世菩薩は、次のようにおっしゃいます。
「私も決して行くことはできません。それは次のようなことがあったからです」
私はかつて、静かな部屋で瞑想をしていました。
その時、悪魔が仏教を守護する帝釈天の姿に化けて、
美しい女性たちを大勢連れて現れました。
(ちなみにこの悪魔は第六天魔王で、仏道を妨げるものです)
私は本物の帝釈天だと思い、
「よくいらした。あなたは過去の善行の結果として幸せな暮らしをしているようですが、
あまりにも快楽にふけって、仏法を忘れているようだ。
この世のすべては無常である。善行に励み、自分の体や命や財産に執着しないよう努めなさい」
と伝えました。
すると帝釈天は
「ありがとうございます。
これからは、この大勢の女性たちはもう私には必要ありませんから、
あなたに差し上げます」と言いました。
しかし私は
「お断りする。このような戒律に反するものを出家した者に捧げるのはよろしくありません」
と答えました。
返事がまだ終わらないうちに、維摩居士が現れ、
この帝釈天が実は悪魔であることを見抜きました。
維摩居士は
「これは帝釈天ではない。悪魔があなたを惑わそうとして姿を変えて来たのだから、油断してはいけない」
と教え、さらに悪魔に向かって
「この美しい女性たちは私がもらおう」
と言い放ちました。
悪魔は驚き恐れて、すぐに姿を消そうとしましたが、
維摩居士の威力に怯え、逃げることさえできませんでした。
悪魔は、女性たちを渡せば逃げられるだろうと考え、
仕方なく女性を差し出しました。
維摩居士は女性たちに
「悪魔が私にくれたのだから、あなたたちはこれから私の言う通りに従わなければならない」
と言って、女性たちに分かりやすく仏法を説き、仏道を求める心を起こさせました。
さらに、一時的な肉体の快楽ではなく、
仏を信じる喜び、法を聴く喜び、人々を救う喜び、欲を離れる喜び、
善を行う喜び、良い友人と親しむ喜び、世界を清める喜びなどを求めるよう諭しました。
一方で、女性たちが惜しくなった悪魔は、女性たちに
「一緒に天上界の宮殿に帰ろう」
と誘います。
しかし、
「私たちはこの維摩様に引き取られたものです。
私たちはもはや天上界の宮殿で楽しむような肉体の快楽は望みません。
維摩様のもとで心の喜びを味わいたいと思います。
帰る気は全くありません」
と、女性たちは応じません。
そこで悪魔は維摩居士に
「維摩居士よ。あなたのような菩薩は、
どんなものにも執着せず、何でも人に与えると聞いています。
この女性たちを手放してください」と言いました。
すると維摩居士は
「私は昔から手放している。いつでも連れて帰るがよい」と答えます。
驚いたのは女性たちです。
維摩居士に向かって
「私たちはあんな悪魔の宮殿に帰りたくありません」
と迫りました。
ここで維摩居士は女性たちに「無尽灯」の教えを説き、
悪魔の宮殿に戻るよう勧めました。
「無尽灯」とは、一つの灯火から無限に灯りを広げられるように、
仏の教えを他者に伝え、広めていくことです。
「あなたたちに説くことがある。それは無尽灯ということだ。
無尽灯とは、尽きることのない灯のこと。
たとえば一つの灯を他の灯につけ、次から次へと伝えて百千の灯にするなら、
どんな暗いところでも明るくなって、しかも灯は尽きないようなものだ。
一人が仏道を求め、だんだんと他人に伝えるなら、
多くの人々の心の闇を破ることができ、しかもその仏道を求める心はなくならない。
仏道にかなう心は無尽灯である。
あなたたちが悪魔の宮殿に帰っても、
無尽灯の心で宮殿の数限りない人々に仏法を伝え、仏道を求めさせたならば、
それこそ真に仏の大恩に報いることであり、多くの人々を救うことになる。
悪魔の宮殿に帰っても、よくこの仕事を果たしてくれよ」
このような不思議な力と、智慧と弁舌を持っておられる維摩居士のもとに、
私のような者はお見舞いに行くことはできません」
このように持世菩薩はお釈迦様に伝え、見舞いを辞退したのです。
ここに出てきた女性たちは、煩悩を表しています。
それまでは天上界で、食欲、財欲、色欲、睡眠欲、名誉欲を満たすことにしか快感を感じたことがなかった人たちが、維摩から仏教を聞いて、教えの通りに実践し、善い行いをすれば、その喜びのほうが幸せだと知らされたのです。
それで、天上界の欲を満たす生活に戻されそうになった時、規律ある生活のほうがいいと思い、女たちは、帰りたくないと言い出したのです。
結局、人間には煩悩しかありません。
煩悩は普通は自分を煩わせ、悩ませるものですが、煩悩によってやる気を起こし、仏教を聞いて本当の幸せを知り、それを人にも知らせて、みんなで本当の幸せになることに向かえば、最高の幸せ者になれると、煩悩の活かし方を説かれた深い教えです。
このようにお釈迦様は、たくさんの菩薩に声をかけられますが、どの菩薩も次々と辞退していきます。
他の菩薩はどんな理由で辞退したのかについては、簡単に要約しておきます。
2. 弥勒菩薩の辞退
弥勒菩薩とは、お釈迦様の次に地球上で仏となる菩薩です。
現在は兜率天という天上界で、修行中です。
『維摩経』では、お釈迦様は神通力を通して、
弥勒菩薩とお話できたり、弥勒菩薩がお釈迦様の教えを聞法していることがあります。
弥勒菩薩は、お釈迦様から、次に仏になると予告されています。
れを授記といいます。
弥勒菩薩が、兜率天王やその仲間たちのために、悟りの位が崩れることのない、不退転位に入る修行について説いていたところ、
維摩から、授記を得たとか、不退転の修行をするというのは、執着であり、差別であり、煩悩を起こすから、真の悟りに至るには、それらを離れなければならないと教えられました。
弥勒菩薩について、詳しくは以下の記事もご覧ください。
➾弥勒菩薩とは?普通の人でも弥勒より先に仏のさとりを開く法
3. 光厳菩薩の辞退
光厳菩薩は、維摩や宝積と共にお釈迦様のお話を聞いていました。
熱心な仏道修行者です。
ヴァイシャーリーの町から出て、修行のしやすい場所を探そうとしていた光厳菩薩が、
ちょうど町に戻る維摩居士と会ったので、
「どこから戻られたのか」と質問しました。
すると維摩居士が光厳菩薩の心を察し、「道場から戻った」と答えられ、
優れた道場は、どこかの場所にあるのではなく、
菩薩の行いのすべてであり、生活がそのまま道場になることを教えられました。
4. 善徳菩薩の辞退
善徳菩薩は、宝積など、500人いた長者の息子の一人です。
布施心がとても強い方です。
善徳菩薩が父の家で、7日間の財物を施す施会が開かれました。
そこに維摩が参加し、財施の会も尊いが、法施の会を開くのがもっと尊いことを教えられ、
真の供養の意味を教えられます。
財施というのは、お金や物を施すことで、法施とは、仏法を人に施す、つまり伝えることです。
「財は一代の宝、法は末代の宝」と言われるように、お金や物をもらった喜びは一時的ですが、仏教に教えられた幸せは永遠に変わらないので、お金や物を与えることもすばらしいことですが、仏教を教えることは、人間にできる最高の善といわれています。
第二部・維摩との問答(在室内説)
これからが本題です。
文殊師利問疾品第五
お釈迦様は、文殊師利(菩薩)に維摩の病を見舞うよう命じました。
文殊菩薩は、お釈迦様の智慧の象徴ともいわれるすぐれた菩薩です。
文殊菩薩について、詳しくはこちらをご覧ください。
➾文殊菩薩とは?祀るお寺や普賢菩薩との違いを分かりやすく解説
ここへ来てついに文殊菩薩が、お釈迦様の意を受けて立ち上がります。
すると多くの菩薩たちや大弟子たちが文殊菩薩に従いました。
彼らが維摩の部屋に到着すると、室内は空っぽで、ただ一つの寝台があります。
維摩はそこにただ一人横たわっていました。
維摩居士の家はとても狭いのですが、維摩の神通力によって全員入ることができます。
そこで文殊菩薩がまず、病気の原因を尋ねたところ、維摩は
「私の病は無知と執着から生じており、すべての衆生が病んでいるから私も病んでいる」
と答え、「衆生の病が治れば、菩薩の病も治る」と言いました。
これは、仏や菩薩の慈悲の心を表しています。
人間の場合は他人が苦しんでいるのを見て楽しむ愚痴の心があります。
逆に他人が成功を収めると面白くない、ねたみの心もあります。
ところが仏の慈悲は、人々の苦しみが自分の苦しみ、人々の幸せが自分の幸せなのです。
真の幸福を目指す人は、少しでもまねしなければなりません。
慈悲について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
➾慈悲の意味をできるだけ簡単に分かりやすく解説
また、部屋が空っぽである理由を尋ねると、維摩は
「すべての仏の国土も同じく空である」と答えました。
病気の菩薩をどのように慰め励ますべきかと尋ねられると、維摩は
「身体は無常で、苦しみがあり、固定不変の我はなく、空虚であることを説明すべきだ。
そして、病気の菩薩は自らを医者の王となって、多くの病を治療するという志を立てるべきである」
と語り、それによって菩薩を慰め諭すべきだと答えました。
病気の菩薩がどのように心を制御すべきかと尋ねられると、維摩は
「病は過去世の妄想や顛倒した考えから生じており、実体はない。
病の根本は執着にあることを知り、執着を断ち切って無所得(執着のない状態)に住することで、心を制御すべきだ」
と答えたと説かれています。
この辺りは大乗仏教の空について教えられています。
空について詳しくは以下の記事をご覧ください。
➾色即是空の恐ろしい意味を分かりやすく解説
不思議品第六
舎利弗が、維摩の部屋に皆が座るための椅子がないことを心配していました。
すると維摩は舎利弗に
「あなたは仏法を求めに来たのか、それとも椅子を求めに来たのか」
と問い返します。
そして「仏法に特定の場所はなく、もし場所にこだわるなら、
それは法を求める者ではない」と語りました。
次に維摩は神通力を使って、東方の須弥相世界にいる須弥燈王仏のもとから、
3万2000ヨージャナ(古代インドの距離の単位)の高さの獅子座を部屋に運び込み、
皆にそこに座るよう促しました。
すると菩薩たちは、皆そこに座ることができましたが、
大弟子たちは上ることができませんでした。
そこで維摩は大弟子たちに、須弥燈王如来に礼拝するよう命じ、
それによって彼らもその座に座ることができるようになりました。
舎利弗が、この小さな部屋にこれほど大きく高い多数の座が収まることを見て、
かつてないことだと驚いたのに対し、維摩は
「不可思議解脱の境地にある菩薩は、須弥山ほどの大きさのものを芥子の種の中に入れても、大きさが変わることはない」
と語りました。
さらに、様々な不可思議解脱の力の働きについて述べています。
観衆生品第七
維摩は文殊菩薩に答えました。
菩薩は衆生(すべての生きとし生けるもの)を幻のようなものとして観察します。
しかし、菩薩は慈悲喜捨の心(楽を与え苦を抜き、共に喜び妬むことのない心)を持って衆生を救済します。
文殊菩薩が、菩薩にも生死の一大事についての恐れはあるか尋ねると、維摩は「ある」と答えます。
生死の恐れの中にあってはどうすればいいのか問うと、仏を念じ、仏の大功徳によって解決できると答えます。
それには、欲や分別もあるがままで救われるといいます。
なぜなら欲や分別も空であり、因縁がそろって生じているものだからです。
空について、詳しくは以下の記事をご覧ください。
→➾色即是空の恐ろしい意味を分かりやすく解説
次に、いつの間にか来ていた天女が撒いた花が、大弟子たちの体に付着して落ちないのを舎利弗が見ました。
舎利弗がその花を取り除こうとすると、天女は
「固定観念や執着のある人には花がつきます。
でも、そういった思いを断ち切った菩薩には、花はつかないのです」
と語りました。
さらに、この部屋の中で起こった8つの前代未聞で得がたい法(教え)や、
女性の姿には究極的には実体がなく、悟りを得ても男の姿になる必要はないことなどを説いています。
仏道品第八
維摩は、いかに悪く思える恐ろしい行為も、仏道修行になることを説明しました。
維摩居士は前章で、部屋に訪れている天女が、悟りを開いた方だと伝えました。
文殊菩薩が、どのようにして天女が悟りを開いたのかを尋ねると、維摩は
「非道(普通は仏道とされないもの)を行うことが、真の悟りを開けるのだ」
と答えました。
例えば、
貪欲を行うことを示しながら、実は執着から離れること、
愚かさを行うことを示しながら、実は世間と出世間の智慧に通じること、
妻妾や侍女がいることを示しながら、実は常に五欲の汚れから遠ざかっていることを説きます。
また、「肉体があること、無明(無知)があること、愛着があることなどは、如来(仏)の種である」と説きます。
さらに、「煩悩を断ち切った声聞(小乗仏教の修行者)は、
もはや菩提心(悟りを求める心)を起こす機会がない」とも言います。
さらに文殊菩薩がこう質問しました。
「衆生の執着や煩悩、罪悪は、みな苦しみの源であり、
来世、苦しみの世界へ堕ちる種(原因)となります。
それにも関わらず、これら煩悩が仏陀になる種であるとは、どういう理由か」
維摩居士が答えます。
「もし自分自身を浄めて世を汚れたものだとし、無の境界を求めて社会から遠ざかってしまえば、
決して仏のさとりを得られない。
ちょうど、蓮の華は乾いた陸地には咲かず、どろどろの汚泥のうちに咲き出るようなもの
煩悩の汚泥に中にあって、人々は不二の境地に入り、仏のさとりへ至るのである」と答えています。
ここに出てくるのが「高原の陸地には、蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥に、いまし蓮華を生ず」という言葉です。
そして普現色身菩薩はこう質問しました。
「維摩居士よ、在家の身であるということは、きっと父母妻子眷属(親戚)がおるであろう。
あなたの父母妻子はいかなる人であろうか」
維摩居士は、在家の人ですから、僧侶と違い、妻子がいます。
泥の中のように欲にまみれた世間にいるわけです。
泥中にありながら泥に染まらない生活はどのようなものか、
普現色身菩薩は問わずにはおれなかったのです。
それに対して維摩はこのように答えています。
「智慧は菩薩の母、方便(慈悲に基づいて悟りへ導く手段)を父とする」
「一切の菩薩たちは、このようにして生まれるのだ」
「法喜をもって妻とし、慈悲心が娘である。善心誠実さが息子である」
これは、智慧と方便によって衆生を救うということで、
それは父と母のように、智慧と方便がなければ菩薩が生まれないということです。
入不二法門品第九
ここでいよいよ「入不二法門」がテーマとなります。
「不二法門に入る」ということは、よく『維摩経』に説かれる大乗仏教の核心とされています。
それはどんなことかというと、「不二」とは、善と悪、自と他、生死と涅槃など、2つと考えられるものが、そのままで2つではないという絶対の境地です。
それは「一」とも異なり、2つであって1つ、1つであって2つです。
例えば生死と涅槃であれば、生死即涅槃、煩悩と菩提なら、煩悩即菩提です。
その「不二」とはどんな境地なのか、
その場にいた法自在菩薩から文殊菩薩に至るの32人の菩薩たちが、
言葉を尽くして32通りに説明する章です。
まず維摩は、集まった菩薩たちに質問しました。
「お集まりの皆さん、不二の境地に入るには、どのようにしたらよいか。
各々の見解を説いてはくれまいか」
すると、優れた菩薩たちが、不二の境地を言葉を尽くして言い表します。
例えば法自在菩薩は、こう答えました。
「維摩よ、不二とは生と滅である。真理(法)には、本来生も滅もない。
この不生不滅の智慧を得ること(無生法忍)こそが、不二法門に入ることである」
これは、すべてのものは因縁がそろった時に生じたといいますが、それは無から有が現れたのではなく、形が変わっただけです。
また因縁が離れた時には、消滅したのではなく、別の形に変わっただけだということです。
また徳守菩薩は、次のように答えました。
「維摩よ、不二とは我と我物(我所)である。
我があるから、私の物があり、もし我がなければ、私の物というのは、存在しない。
我も我物もないことを達観することが、不二法門に入ることである」
仏教では無我が教えられています。
無我について、詳しくは以下をご覧ください。
⇒無我の意味
また徳頂菩薩は、こう言います。
「維摩よ、不二とは、垢れと浄きの2つである。
汚れの実相をみれば、実は汚れの本質はない。
上がなければ下がないように、汚れがなければきよきもない。
真理ではこのような相は滅してしまうのである。
この垢浄不二を知ることが、不二法門である」
これは有名な「浄穢不二」ということです。
みんな血が出てると汚いと思って触れませんが、体の中にある時は大切なもので、なければ死んでしまいます。
よだれが出ると、みんな汚いと思い、一度吐いたツバは自分でも飲めません。
ところが恋人同士は甘いキスといいます。
汚いとかきれいという本質はないのです。
また善意菩薩は、こう言います。
「維摩よ、不二とは、生死と涅槃の2つである。
生死に実体はないのだから、迷いの元が滅すれば、生死はそのまま涅槃となるのである。
この生死涅槃不二を知ることが不二法門に入るということである」
これもまた有名な、生死即涅槃を言っています。
これは煩悩即菩提といっても同じことです。
煩悩即菩提について詳しくは、以下の記事をご覧ください。
⇒煩悩即菩提とは
このように、次々と菩薩が回答し、最後、32人目に文殊菩薩が
「維摩よ、真理とは、すべての法において、示すことも譲ることもない。
すなわち、あらゆる言葉や分別を離れたところが不二の法門である」
と言いました。
「死ぬ、生きる、生まれる、滅びると見るのは、物事を識別しており、真理ではない。
真理の相は、このような分別を離れたところ、
認識できない、言葉にできないところにあることを教えられたのである」
これは、真理は言葉を離れたものだから、
言葉では表現できないという意味で、
集まった一同は、さすが文殊菩薩と感心しました。
32人全員が意見を述べたところで、
文殊菩薩が維摩居士に尋ねました。
「維摩よ、そなたの回答はどのようなものか?」
ところが、尋ねられた維摩は、一言も答えず、黙ったままです。
時に維摩詰、黙然として言無し。
(漢文:時維摩詰黙然無言)(引用:『維摩詰所説経』)
すると文殊はこれを讃えて、
「善いかな、善いかな。文字や言がない。これぞ真に不二の法門である」
と感嘆しました。
絶対の境地は、言葉を離れた世界だから、
「言葉にできない」と言葉にしてしまっては、その時点で間違いです。
言葉を離れた世界は黙して示すしかないので、維摩は黙して示したのでした。
これこそ「維摩の一黙、響き雷の如し」と言われる所以です。
これは、維摩の回答に声はなかったにもかかわらず、周りの人々には雷の轟音が響きわたるかのような衝撃が走った、ということです。
不二の境地とは
このように、『維摩経』では、不二の境地を32通りに言葉を尽くして教えられ、最後は言葉を離れた世界だと説かれたわけですが、現実にはどんな世界なのでしょうか。
この不二法門について、中国の高僧、曇鸞大師はこのように明らかにされています。
経に言わく十方の無碍人、一道より生死を出ず。
一道とは一無碍道なり。
無碍とは謂く生死即涅槃なりと知るなり。
是の如き等の入不二の法門は無碍の相なり。
(漢文:経言十方無礙人一道出生死一道者一無礙道也無礙者謂知生死即是涅槃如是等入不二法門無礙相也)(引用:曇鸞大師『浄土論註』)
この意味は、まず「経」とは『華厳経』のことです。
『華厳経』を引用されて、
「無碍人」とは仏様のことですから、
「大宇宙にましますたくさんの仏様は、一道より生死を超えて仏となられた」とお釈迦様はお経に説かれている。
この「一道」とは、無碍の一道のことである。
「無碍」とは、生死即涅槃・煩悩即菩提に出た境地のことであり、
このような入不二の法門は、無碍の世界を表しているのである、ということです。
不二の境地とは、無碍の一道のことだったのです。
無碍の一道は、日本で最も読まれている仏教書の『歎異抄』にも出ていますが、
「碍」とはさわりのことで、一切のさわりがさわりとならない世界です。
煩悩もさわりとならない煩悩即菩提の境地、
死もさわりとならない、絶対に崩れない、絶対の幸福のことです。
この煩悩即菩提、生死即涅槃の絶対の世界がどういう世界なのかについて、
この章では様々な角度から教えられていたのです。
香積仏品第十
食事の時間が来たので、舎利弗が心の中で食事のことを考えていました。
維摩はその気持ちを察知し、化菩薩を送って、
上方の衆香国にいる香積仏のもとから、甘露の味がする香り高い食事を持ってこさせます。
その食事で集まった人々を満足させましたが、
食べても食べても元のままで、尽きることがありませんでした。
維摩は食事を通して、仏教の真理は香り高く、尽きない法味が溢れていることを示しました。
さらに、維摩は衆香国から来た菩薩たちのために、
釈迦牟尼仏がどのように説法して人々を救っているかを説明しました。
また、この世界(娑婆世界)における十種の善い教え(十事の善法)と、
浄土に生まれるための八つの実践法(八法の行)を教示しました。
第三部・維摩の正体(還帰室外)
ここからは、維摩の部屋から出て、お釈迦様のもとへ戻ります。
菩薩行品第十一
維摩は文殊菩薩と相談し、その場にいた菩薩たちと共に、
お釈迦様がおられるアームラ樹園に向かいました。
園に到着し、右回りに七周し、席が定まると、
舎利弗は仏の質問に答えて、菩薩大士の不可思議な自在神力の働きを見たことを述べました。
また、お釈迦様は阿難の質問に対して、
香りが芳しく漂っている理由は、衆香国から来た菩薩から香っていることを説明しました。
さらに、衆香世界から来た菩薩たちのために、
有為を尽くさず、無為に住せざる菩薩の行う「尽無尽解脱法門」について説明しました。
この法を聞き終えたあと、衆香世界の菩薩は、帰っていきました。
見阿閦仏品第十二
維摩は仏の質問に答えて、自身がどのように如来(仏)を観想するかについて説明しました。
それを聞いた人々は、維摩は凡人ではないと思ったため、
舎利弗が代表して、維摩の前世(来生の処)について尋ねると、
仏は「維摩は過去世、妙喜世界の無動如来(阿閦仏)のもとにいたが、
今生では、この世界に生まれ変わったものである」と言いました。
こうして、維摩居士の正体は、阿閦仏の浄土から生まれ変わってきた、
すぐれた菩薩であったことが明かされたのでした。
その時、大衆は敬虔な気持ちで妙喜世界と無動如来を見たいと願います。
そこで維摩は、神通力を使って、その世界を丸ごと取り上げてこの世界(娑婆世界)に置き、大衆にそれを見せました。
法供養品第十三
帝釈天がこの『維摩経』を受け持つことの功徳について述べました。
仏はそれを称賛し、「仏のさとり(菩提)は皆この教えから生じるから、この経を信じ行ずる福徳には限りないものがある」と説きました。
仏のさとりについては、以下の記事をお読みください。
➾阿耨多羅三藐三菩提(仏のさとり)とは?大宇宙最高の真理
次に、お釈迦様は、過去に薬王如来が現れた時の話を語りました。
その国には宝蓋という王と、千人の王子がいました。
その千人の中の、月蓋という王子が、仏には何を供養するのが一番いいだろうかと考えていると、薬王如来は、法供養が最もすぐれた供養であると教えます。
法供養とは、人々に仏教を伝え、本当の幸せへ導くことです。
それに感ずることのあった月蓋はやがて出家して仏道を聞き、常に法供養を行ったという因縁を説かれています。
それを通して、法供養が仏に対する最も優れた供養であると教えられています。
仏様は、すべての人を本当の幸せに導くことを一番喜ばれる、ということです。
嘱累品第十四
仏は弥勒菩薩に『維摩経』を託し、
将来に伝えるよう委ねました。
最後に、阿難の質問に答えて、この経典の名前を宣言され、『維摩経』を終えられています。
お釈迦様が維摩経で本当に伝えたかった2つのこと
今回は、『維摩経』のあらすじや有名なエピソードを通して、内容を解説しました。
『維摩経』は、維摩居士が大活躍するお経です。
その内容は、色々な深い教えにあふれていますが、特筆すべきは2つあります。
1つは「不二の法門に入る」という絶対の境地が、言葉を尽くして教えられていることです。
それは、一切がさわりとならない無碍の一道であり、
煩悩即菩提の、絶対変わらない幸せの世界でした。
2つ目は、煩悩の塊で、悪しか造れないすべての人が、煩悩即菩提の境地に出られることです。
それをこのように説かれていました。
たとえば、高原の陸地には蓮華を生ぜず。
卑湿の淤泥には、すなわちこの華を生ずるが如し。
(漢文:譬如高原陸地不生蓮華卑湿淤泥乃生此華)(引用:『維摩詰所説経』仏道品第八)
善人を高原に、悪人を淤泥にたとえられ、蓮の花は高原陸地ではなく、どろどろの泥田の中に咲くように、
欲や怒りの煩悩のまっただ中に、本当の幸せの花が咲く、ということです。
では、どうすれば煩悩即菩提の境地に出ることができるのでしょうか。
そのためには、苦悩の根元を知り、それを断ち切らなければなりません。
これについては仏教の真髄ですので、以下のメール講座に分かりやすくまとめておきました。
ぜひ一度目を通してみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)