お墓参りの意味
お墓参り
「お墓参り」というと、「最近は行ってない」
という人も多いのではないでしょうか。
遠くていけないとか、「正直めんどくさい」とか、
「疲れる」「意味ない」という人もあります。
逆に、お墓参りに積極的な人の中には、
色々な迷信によって苦しんでいる人もあります。
仏教で、正しいお墓参りの心がけとは
一体どんなものなのでしょうか?
お墓参りの時期
まず、お墓参りはいつ行けばいいのでしょうか?
まずは故人の亡くなった日である、命日です。
1年目は一周忌、2年目は三回忌の法事がありますから、
そのときにお墓参りも行くと思いますが、それ以降も、
命日は最大のお墓参りの日です。
その次が、お盆やお彼岸、年末年始です。
さらに頑張る場合は、毎月の故人の亡くなった日付、
月命日もお墓参りの候補です。
そしてたまに、
「仏滅や友引はお墓参りしてはいけないのではないか」
と思う人がありますが、そんなことはありません。
仏教では、このように教えられています。
如来の法の中に良日吉辰をえらぶことなし。
(漢文:如來法中 無有選擇 良日吉辰)(引用:『涅槃経』)
「良日吉辰」とは、日の善し悪しですから、
仏教では、この日はいい日だとか、
この日はダメな日ということはないのです。
ですから、お墓参りに仏滅も友引も気にしなくて大丈夫です。
では、当日はどのようにお墓参りをすれば
いいのでしょうか。
お墓参りの仕方
お墓に着いたら、まず水を汲んで、お墓の掃除をします。
雑草を抜いたり、ほうきで掃いたり、
スポンジで水洗いしたりします。
細かい部分は古くなった歯ブラシで磨くときれいになります。
その後、お花やお供えをして、お焼香し、
お参りします。
このことから、お墓参りの持ち物が決まってきます。
ほうきやちりとり、スポンジや歯ブラシなどの掃除用具、
お花、お供え、線香、ライターなどです。
では、お墓参りは、何のためにするのでしょうか?
お墓参りの迷信
まず、最近増えてきたよくある間違いですが、
お墓参りをすると、ご利益があると思っている人があります。
よく言われるお墓参りの効果としては、ご先祖さまに感謝の気持ちを伝えると、
ご先祖さまのパワーを受け取って、運気が上がるとか、
お墓参りに行った途端、すべてがスムーズに進むようになるとか、
ご先祖様とのつながりが深くなって開運され、
結婚運、恋愛運が上がって結婚できるとか、
不妊が治って子宝に恵まれるとか、
さまざまなご利益がうたわれています。
そんな人は、お参りしているときに、心の中で、
「運が良くなりますように」
「結婚できますように」
「子宝に恵まれますように」
とひそかに願いごとを言っていたりしますが、
仏教では、お墓参りで願いごとをしても、
まったく効果はありません。
仏教の目的は、欲望を満たす現世利益ではなく、
もっとはるかにすごい目的があるからです。
それにもまして、お墓参り定番の迷信があります。
お墓参り最大の迷信
それは、「お墓参りは、先祖供養のためにしている」というものです。
中には、「お墓参りは先祖供養の基本」と思っている人もいます。
ところが、「先祖供養」というのは、仏教の教えにはないもので、
もともと儒教の教えです。(位牌もそうです)
儒教は先祖祭祀の教えだからです。
ですから、墓参りは、東アジアに広まっている習慣です。
仏教が説かれたインドでは、
人間は生まれ変わり死に変わりを繰り返すことが常識なので、
現在でも人が死ぬと川べりで火葬にして、
遺骨はガンジス河をはじめとする河に流します。
お墓参りはありません。
では仏教では、人は死んだらどうなるかというと、
生きているときに仏教を聞いて苦しみの根元を絶ち切られていれば
死ぬと同時に極楽浄土へ往生しますし、
そうでなければ、死ぬまでの行いによって、因果の道理にしたがって
六道のいずれかに輪廻転生していきますから、
先祖供養しても、ご利益があるわけでもなければ、
先祖が喜ぶわけでもありません。
では仏教で、お墓参りは意味がないのでしょうか?
お墓参りの意味と正しい心がけ
お墓参りをすれば、どんな人も、
故人との思い出を思い浮かべたり、
その人の人生に思いを馳せます。
そして、色々なことをしながら、
あっという間に亡くなってしまった人生を考えると、
自分もやがては死ぬときがやってくると、
自分の死を意識することになります。
仏教では、
「無常を観ずるは菩提心のはじめなり」
と教えられるように、死をみつめることが、
本当の幸せへ向かうの第一歩だと教えられています。
現代人は忙しい忙しいで、
自分の人生を振り返る機会はなかなかありませんから、
亡くなられた方をご縁に自分の人生を振り返り、
本当の生きる意味を考える機会となれば、
お墓参りもとても意味あるご縁になります。
こういうことからしますと、
最近出てきている墓参りの代理とか代行というものは
リハビリの代行のようなもので、
仏教では意味がありません。
心がけ次第でお墓参りも有意義なものになりますから
仏教が目的とする、
六道輪廻を離れ、死が来ても崩れない本当の幸せになれるよう、
よく仏教の教えをお聞きください。
では、仏教には何が教えられているのか
ということについては、電子書籍とメール講座に
まとめてあります。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)