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ダンマパダ(法句経)の全文

ダンマパダ』はパーリ語の経典で、漢訳経典では『法句経』といわれています。
成立が最も古いといわれるお経の一つです。
1951年のサンフランシスコ講和会議では、スリランカの代表が日本の分割統治案に反対し、日本に対する賠償請求を放棄した根拠が『ダンマパダ』の5番目のお言葉です。
一体どんなことが教えられているのでしょうか?
その全文を公開します。

ダンマパダ(法句経)とは

パーリ語の仏典は経蔵きょうぞう律蔵りつぞう論蔵ろんぞう三蔵さんぞうから成り、
ダンマパダ』は経蔵の小部に属する経典です。
ダンマパダ(法句経)』とは、どんなお経なのか、
まず仏教の辞典を見てみましょう。

法句経
ほっくぎょう[s:Dharmapada, p:Dhammapada]
パーリ語で書かれた上座部じょうざぶに属する三蔵の経蔵の<小部>に含まれる経典の漢訳名。
『ダンマパダ』とも呼ばれる。
<小部>に属する『スッタニパータ』とともに現存経典のうち最古の経典といわれ、古来もっとも広く仏教徒に愛誦されてきた。
ダンマは<ダルマ、法>すなわち<真理>という意味、パダは<ことば>という意味である。
423の詩から成り、励み・心・自己などのテーマごとに26章に分けられている。
七仏通戒偈しちぶつつうかいげなど仏教教理を示すのに重要なことばがこの中には多くみられる。
漢訳には、支謙しけん竺将焰じくしょうえん訳の<法句経>(2巻)と法炬ほうこ訳の<法句譬喩経>(4巻)があるほか、複数の異本がある。
他の部派にも法句経が現存していることが知られている。
とくに法蔵部のものはプラークリットの一種であるガンダーラ語で伝承されており、一般にGāndhārī Dharmapadaと呼ばれている。

このように、『ダンマパダ』はパーリ経典の経蔵の小部に属する経典ですが、
漢訳では『法句経』『法句譬喩経』として伝えられています。
法句譬喩経』には因縁物語が含まれていて、法句経をさらに分かりやすく解説したようなものになっています。

ダンマパダ』は、423の詩の形で説かれた教えが、内容ごとに26章に分けられています。
よく読まれるのは、怒りの章である第17章・忿怒品や、
愛欲を戒められた第24章・愛欲品などでしょう。

一つ一つの詩で有名なものでは、
スリランカの日本に対する損害賠償請求を放棄した根拠となった
5.「実に、この世に於て、怨は怨によりて終にやむことなし。怨を棄ててこそ初めてやむ。こは万古不易の法なり」があります。
スリランカは日本の分割統治案にも反対しています。
この事件の詳細については、以下の記事をご覧ください。
仏教に救われた日本分割統治案

また、仏教の教えを一言で要約した「七仏通戒偈しちぶつつうかいげ
183. 「一切の悪をなさず、善を行い、自己の心を浄む。これ諸仏の教えなり
も有名です。
漢訳では「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」です。
これについては、以下の記事をご覧ください。
善とは何か、善をするとどうなるのか?

また、悪口に関することで、
228. 「ただ謗らるるのみの人、またはただ褒めらるるのみの人は、〔過去にも〕なかりき、〔将来にも〕なかるべし、現在にもまたなし
なども有名です。
詳細は以下の記事をご覧ください。
悪口とは?悪口ばかり言う人への対処法と末路(因果応報)を解説

この記事の最後にも、『ダンマパダ』の名言とされているお言葉をいくつか解説します。
このような分かりやすい教えがたくさん説かれています。

では『ダンマパダ(法句経)』の全文を以下に掲載します。

ダンマパダの全文

以下が、『ダンマパダ』の全文です。
南伝大蔵経』に収録されている現代語訳を元に、現在使われていない漢字や、非常に難しい単語は、現在使われている漢字や単語で表記している部分があります。
それでも格調の高さを保つためにあまり変更せず、その代わり、難しい単語にふりがなを振っています。
また、※印で、注釈をつけているところがあります。

ダンマパダ(法句経)
かの世尊・応供・正等覚者に帰命し奉る。

第1章・双品

※双というのはペアのことで、双品とはペアの章です。
1と2がペア、3と4がペアというように、2つの詩で1つのことがいわれています。

1. 諸法は意に支配せられ、意を主とし、意よりなる。
 人もし穢れたる意を以て、或いは語り或いは行わば、苦の彼に随うこと、車輪が牽獣の足に〔随う〕が如し。
2. 諸法は意に支配せられ、意を主とし、意よりなる。
 人もし浄き意を以て、或いは語り或いは行わば、楽の彼に随うこと、影の〔形に随いて〕離れざるが如し。
3. 「彼、我を罵れり、我を投げ打てり、我を敗れり、我より奪えり」と、かかる執念を懐く人には、その忿怨やむことなし。
4. 「彼、我を罵れり、我を投げ打てり、我を敗れり、我より奪えり」と、かかる執念を懐かざる人には、その忿怨終息す。
5. 実に、この世に於て、怨は怨によりて終にやむことなし。
 怨を棄ててこそ初めてやむ。
 こは万古不易の法なり。
6. 他の者(愚者)は、「我らはこの世に於て、自ら制すべきものなり」と悟らず。
 かく悟る者にのみ、それによりて争いはやむ。
7. 享楽を事として住し、諸根を摂せず、飲食度なく、怠惰にして精勤せざるもの、実に魔王がかかる人を克服すること、風の弱き樹に於けるが如し。
8. 享楽を事とせずして住し、よく諸根を摂し、飲食度あり、信念ありて精勤するもの、実に魔王がかかる人を克服し得ざること、風の岩山に於けるが如し。
9. 汚濁を脱せざるもの、袈裟を纏わんとするも、節度なく真実なければ、彼は袈裟に相応せず。
10. 汚濁を捨棄し、よく戒行に住し、節度を守り真実あれば、彼は実に袈裟に相応す。
11. 非精髄を精髄と思い、精髄を非精髄と見る人は、邪思惟に住し、精髄に到達することなし。
12. 精髄に於て精髄を知り、非精髄に於て非精髄を知る人は、正思惟に住し、精髄に到達す。
13. 粗く葺きたる家屋に雨の漏る如く、貪欲修養なき心を侵す。
14. 善く葺きたる家屋に雨の漏らざる如く、貪欲は修養せる心を侵さず。
15. この世に於て悲しみ、死後に於ても悲しみ、悪業をなせる者は両処に於て悲しむ。
 自己のの汚濁を見て、彼は悲しみ、彼は悩む。
16. この世に於て歓び、死後に於ても歓び、善業をなせる者は両処に於て歓ぶ。
 自己の業の清浄を見て、彼は歓び、彼は楽しむ。
17. この世に於て苦しみ、死後に於ても苦しみ、悪業をなせる者は両処に於て苦しむ。
 「我悪業をなせり」とて苦しみ、悪趣に堕ちて更に苦しむ。
18. この世に於て喜び、死後に於ても喜び、善業をなせる者は両処に於て喜ぶ。
 「我善業をなせり」とて喜び、善趣に往きて更に喜ぶ。
19. たとい経典を誦すること多くとも、放逸にしてこれを実行せざる人は、他人の牛を数うる牧者に等しく、〔真の〕沙門の列に入らず。
20. たとい経典を誦すること少なくとも、法にしたがいて挙止し、貪欲と瞋恚しんに愚痴とを捨て、正智を得て心よく解脱げだつし、この世に於てもかの世に於ても執着なきものは、〔真の〕沙門の列に入る。

第2章・不放逸品

(※放逸ほういつとは怠けること)

21. 不放逸は不死の道にして、放逸は死の道なり。
 不放逸の人は死せず、放逸の人は死せるに異ならず。
22. よくこの理を悟り、不放逸に通達せる人は不放逸を歓び、聖者の境を楽しむ。
23. これらの賢者は禅定ぜんじょうに住し、堅忍に満ち、常に勇猛にして、無上安穏の涅槃ねはんを獲得す。
24. 奮励し、念慮に富み、浄行をなし、熟慮して行い、自己を抑制し、正法に従って生きる不放逸者の声誉は増大す。
25. 奮励により、不放逸により、自制により、また調御ちょうごにより、賢慮ある者は瀑流(煩悩ぼんのう)の侵すことなき洲(避難所)を造るべし。
26. 痴鈍愚昧の輩は放逸に耽り、賢慮ある者は不放逸を護ること、最上の宝を〔護る〕が如し。
27. 放逸に耽るべからず、欲楽に親しむべからず。
 不放逸にして禅定に住する者のみ、大安楽に達し得ればなり。
28. 識者が不放逸により放逸を退くる時、かかる賢者は智慧の高閣に登り、憂を去って憂ある衆愚を瞰下す、あたかも山上に立てる人が地上の人を〔瞰下する〕如く。
29. 放逸なる者の中に在りて不放逸に、睡眠者の中に在りてよく覚醒せる賢者は、駿馬の駑馬を後にして〔進む〕が如くに往く。
30. 摩伽婆マガヴァ帝釈天)は不放逸によりて諸天の最高位に達せり。
人は不放逸を称讃し、放逸は常に非難せらる。
31. 不放逸を楽しみ、また放逸に畏怖を感ずる比丘は、大小の繋縛けばくを火の如くに焼きつつ往く。
32. 不放逸を楽しみ、また放逸に畏怖を感ずる比丘は、既に涅槃に近づき、決して退転することなし。

第3章・心品

33. 賢慮ある者は、戦慄し動揺し護り難く制し難き心を直くすること、あたかも箭匠のに於けるが如し。
34. 水中の住処より取り出されて陸上に投げ捨てられし魚の如く、この心は魔王の世界より逃れんとして戦慄す。
35. 捉え難く軽躁にして欲に随いて赴く心を、制御するはまことに善し。
 制御せられたる心は安楽をもたらす。
36. 極めて見難く極めて微妙にして欲に随いて赴く心を、賢慮ある者は護るべし。
 護られたる心は安楽をもたらす。
37. 遠く行き独り動き形骸なく胸窟に隠るる心、そを制御する者は魔王の繋縛けばくより脱す。
38. 心安定せず、正法を弁えず、信念動揺する人の智慧は成満することなし。
39. 心に煩悩なく、思慮惑乱せず、善悪を超脱し、覚醒せる人には恐怖なし。
40. この身は水瓶の如く〔脆し〕と知り、この心を城郭の如く安立せしめ、智慧の武器を以て魔王と戦うべし。
 調伏してはこれを監視し懈怠けたいすべからず。
41. 実に久しからずしてこの身は地上に横たわるべし、意識なく、無用の木片の如く捨てられて。
42. 仇敵が仇敵に対し、怨敵が怨敵に対し、いかなる〔悪を〕なすにもせよ、邪悪に止住する心は、更に大なるを人になすべし。
43. 父・母、はたまた他の親族のなす〔善〕にも勝り、正道に止住する心は、更に大なるを人になすべし。

第4章・花品

44. 誰かこの地界と閻魔界と天界とを征服する。
 誰か妙説の法句を摘み集むること、熟練せる人の花を〔摘む〕如くする。
45. 仏教を修する者は、この地界と閻魔界と天界とを征服せん。
 仏教を修する者は、妙説の法句を摘み集むること、熟練せる人の花を〔摘む〕如くせん。
46. この身は泡沫に譬うべきを知り、幻影に等しきを悟る人は、魔王の花矢(誘惑)を破り、〔地獄の〕死王(閻魔)に見ゆることなけん。
47. 花(快楽)をのみ摘みて心貪着せる人を、死は捉え去る、あたかも眠れる村落を瀑流の〔漂蕩ひょうとうし去る〕如く。
48. 花をのみ摘みて心貪着し、愛欲に飽くことなき人を死は克服す。
49. 蜜蜂の、花と色と香りとを損なうことなく、甘味のみを取り去る如く、かく智者は村落に乞食すべし。
50. 他の非違を〔観る〕べからず、他の為せること、為さざりしことを〔観る〕べからず。
 ただ自己の為せること(罪過)為さざりしこと(懈怠けたい)を観るべし。
51. 愛すべく色麗しくとも芳香なき花の如く、実行なき人の語は、善く説かるるとも効果なし。
52. 愛すべく色麗しく芳香ある花の如く、実行する人の語は、善く説かれてしかも効果あり。
53. 堆積せる花より、多くの華鬘を造り得る如く、人と生まれては多くの善事をなすべし。
54. 花の香りは風に逆らいて進まず、栴檀せんだん多伽羅たがらまたは茉莉花まつりか(香木の名)の〔香り〕も〔また然り〕。
 されど善人の香りは風に逆らいても進み、正しき人は一切方に薫ず。
55. 栴檀または多伽羅・青蓮華はたまたヴァッシキー(香木の名)、これらの諸香の中、戒の香り最も勝れたり。
56. 多伽羅・栴檀に属するその香りは軽微なり。
 されど持戒者の香りは最上にして諸天の間に薫ず。
57. 戒行を成就し、不放逸に住し、正智により解脱せる者には、魔王も近づくあたわず。
58. 大道に捨てられたる塵埃の堆積中に、芳香馥郁ふくいくとして美しき蓮華の生ずる如く、
59. この如く、塵埃にも等しき盲昧の凡夫中に、正等覚者の弟子は智慧を以て輝く。

第5章・愚品

60. 不眠者には夜長く、疲れたる人には一由旬ゆじゅん(距離の単位)も長く、正法を知らざる愚者には流転長し。
61. 道を歩みて自己に勝る人、自己に等しき人に逢わざれば、敢えて独り行くべし。
 愚者は断じて伴侶となすべからず。
62. 「我に子あり、我に財あり」とて愚者は悩む。
 自己すでに自分のものにあらず。
 況んやいかで子をや、いかで財をや。
63. 愚者にして〔自ら〕その愚を知るものは、これによりて既に賢なり。
 されど愚者にして〔自ら〕賢なりと思うものは、実に〔真の〕愚者と称せらる。
64. たとい終生賢者に侍すとも、愚者は正法を悟らざること、あたかも食匙の香味に於けるが如し。
65. たとい一瞬賢者に侍すとも、智者は直ちに正法を悟ること、あたかも舌の香味に於けるが如し。
66. 無知なる愚者は自己に対し仇敵の如く振る舞う、苦果をもたらす悪業を行いつつ。
67. 行いて後悔い、顔に涙し、哭泣してその果報をうく、かかる業は善くなされたるものにあらず。
68. されど行いて後悔いず、歓喜愉悦してその果報をうく、かかる業は善くなされたるものなり。
69. 悪業の未だ熟せざる間、愚者はそを蜜の如く思惟す。
 されど悪業の熟するや、愚者はその時に至りて苦悩す。
70. 愚者は〔節食して〕月に月に(数ヶ月間毎日)、クサ草の先端を以て食を取るとも、彼は正法を思量する者の十六分の一にも値せず。
71. 犯したる悪業は、牛乳の如く直ちに凝固せず。
 灰に覆われたる火の如く、燃えつつ愚者に従う。
72. 思慮生じて〔かえって〕愚者の災厄となる、そは彼の頭を砕きつつ、愚者の幸福を滅ぼす。
73. 〔愚者をして〕虚名を欲せしめよ、比丘衆の間にありては上位を、僧院に於ては主権を、他人(在家衆)の間に於ては供養を〔欲せしめよ〕。
74. 「こは我により為されたりと、在家も出家も共に考うべし、彼らは為すべきこと、為すべからざること、何事に於てもわが意に従うべし」とは、愚者の思惟なり。
 〔この故に〕欲心と慢心とは増長す。
75. 一は利得に導く〔道〕にして、一は涅槃に至る〔道〕なりと、かく仏弟子たる比丘は悟りて、尊敬を喜ぶべからず、遠離に専心すべし。

第6章・賢品

76. 罪過を指示し呵責する智者を見ば、かかる賢者と交わること、伏蔵を告ぐる人に於けるが如くせよ。
 かかる人と交わる者には善きことありて、悪しきことなし。
77. 訓戒すべし、教示すべし。
 不当の事より〔他人を〕遠ざくべし。
 かかる人は実に善人の愛するところ、悪人の憎むところとなる。
78. 悪友と交わるべからず、下劣の人を友とすべからず。
 善友と交わるべし、最上の人を友とすべし。
79. 法〔水〕を飲む者は、清澄なる心を以て快適に臥す。
 賢者は常に聖者の説ける法を楽しむ。
80. 治水者は水を導き、箭匠はを矯め、木匠は木を矯め、賢者は自己を調御ちょうごす。
81. 固き巌の風に揺るがざるが如く、賢者は毀誉の中に於て動かず。
82. 深き池の静かにして澄める如く、賢者は法を聞きて心清澄なり。
83. 善人はあらゆるものに於て離欲し、善人は欲を求めて語らず。
 楽に触るるも、また苦に触るるも、賢者は動ずる色なし。
84. 自己の為にも他の為にも、子と財と国土とを望むべからず。
 不法によりて自己の繁栄を願うべからず。
 これ戒行・智慧・正法を備うる人なり。
85. 人間の中、彼岸(涅槃)に到達する人は少なし。
 此方(生死界)にある他の衆生は、ただ岸に沿いて走るのみ。
86. 法の正しく説かれたる時、〔その〕法に従う人は彼岸に至らん。
 死の境域(生死界)は実に越え難し。
87. 賢者は黒法(悪)を捨てて、白法(善)を修すべし。
 家より〔出でて〕、家なき境界に至り、孤独にして〔欲〕楽なき処に、
88. 〔法〕楽を求むべし。
 賢者は諸欲を捨て、無一物となり、自己を心垢より浄むべし。
89. 菩提ぼだいの支分(七菩提分)に於て心を正しく修養し、執着なく、貪着を捨つるを喜び、煩悩を滅尽して輝く人は、現世に於て涅槃に入れるなり。

第7章・阿羅漢品

90. 〔有為の〕路を終えて憂患を離れ、一切に於て解脱し、一切の繋縛けばくを断ちたる人には苦悩なし。
91. 正念ある人は出家し、彼らは在家を喜ばず。
 池を捨て去る鵞鳥の如く、彼らはいずれの家をも捨つ。
92. 蓄積することなく、正念食をなし、空にして無相の解脱を境とする人の道は、虚空に於ける鳥の〔道〕の如く、追随し難し。
93. 煩悩を滅尽し、飲食に捉われず、空にして無相の解脱を境とする人の跡は、虚空に於ける鳥の〔跡〕の如く、追随し難し。
94. 諸根寂静に帰して、御者によく調御ちょうごせられし馬の如く、慢を断ち、煩悩を滅尽せる人、天神といえどもこの如き人を羨む。
95. 敬虔なる聖者は、忍辱にんにくなること大地の如く、また門閾に似たり。
 〔浄きこと〕泥土なき池〔水〕の如し。
 この如き人には輪廻あることなし。
96. 正智によりて解脱し、安穏を得たる聖者の意は寂静なり。
 語もまた業も寂静なり。
97. 妄信なく、無為(涅槃)を悟り、〔輪廻の〕繋縛けばくを断ち、〔善悪の〕契機を退け、欲望を捨てたる人こそ実に最上の人士なれ。
98. 村落に於ても、また森林に於ても、低地に於ても、また丘陵に於ても、阿羅漢の住する処、その地は楽し。
99. 森林は楽しむべし。
 衆人の楽しまざる処に於て、離欲の人は楽しまん。
 彼らは欲楽を求めざればなり。

第8章・千品

100. たとい無益の語を集めて一千言を成すとも、聞きて寂静を得べき、有益の一語これに勝る。
101. たとい無益の句を集めて一千偈を成すとも、聞きて寂静を得べき、一偈の一語これに勝る。
102. 無益の句よりなる百偈を誦すとも、聞きて寂静を得べき、一偈の一語これに勝る。
103. 戦場に於て百万人に勝つとも、一の自己に克つ者こそ実に最上の戦勝者なれ。
104. 克服せられたる自己は、実に他の衆人に勝る。
 自己を制御し、常に節制して行う人の〔勝利を〕、
105. 天神も、乾闥婆けんだつばも、魔王もまた梵天も、かかる人の勝利を〔転じて〕敗北となすことあたわず。
106. 月に月に千金を投じて供犠すること百年、しかも一人のよく修養せる人に供養すること瞬時なれば、この供養はかの百年の祭祀に勝る。
107. 林中に於て祭火に奉仕すること百年、しかも一人のよく修養せる人に供養すること瞬時なれば、この供養はかの百年の祭祀に勝る。
108. この世に於て、福を求めて一年の間、或いは供犠し或いは祭祀に従事するも、そのすべては、直行の人(阿羅漢)を敬礼する四分の一に値せず。
109. 敬礼を守り、常に長上を尊ぶ人には、四種の法増長す、すなわち寿と美と楽と力と。
110. 百歳の寿を全うするも、戒を破り三昧に住せざれば、戒を持し禅定に住する者の一日の生、これに勝る。
111. 百歳の寿を全うするも、無知にして三昧に住せざれば、智慧を具し禅定に住する者の一日の生、これに勝る。
112. 百歳の寿を全うするも、怠惰にして精進せざれば、堅固なる精進を行ずる者の一日の生、これに勝る。
113. 百歳の寿を全うするも、生滅の〔理〕を見ざれば、生滅の〔理〕を見る者の一日の生、これに勝る。
114. 百歳の寿を全うするも、不死の道(涅槃)を見ざれば、不死の道を見る者の一日の生、これに勝る。
115. 百歳の寿を全うするも、最上の法を見ざれば、最上の法を見る者の一日の生、これに勝る。

第9章・悪品

116. 善に急ぐべし、心を悪より遠ざくべし。
 善をなすに懈怠けたいする者は、その心悪を喜ぶ。
117. たとい人悪をなすも、重ねてこれをなすべからず、これを喜ぶべからず。
 悪の積集しゃくじゅうは苦なり。
118. もし人善をなさば、重ねてこれをなすべし、これを喜ぶべし。
 善の積集しゃくじゅうは楽なり。
119. 悪人といえども、悪の未だ熟せざる間は、福善を見る。
 然れども悪の熟するや、その時悪人は苦悪を見る。
120. 善人といえども、善の未だ熟せざる間は、苦悪を見る。
 然れども善の熟するや、その時善人は福善を見る。
121. 「そは我に報い来らざるべし」とて、悪を軽視すべからず。
 点滴の落下によりて水瓶も満たさる。
 微々として積みつつも愚者は悪に満たさる。
122. 「そは我に報い来らざるべし」とて、善を軽視すべからず。
 点滴の落下によりて水瓶も満たさる。
 微々として積みつつも賢者は善に満たさる。
123. 伴侶少なく財貨多き商人の、危なき道を〔避くる〕如く、寿を願う者の毒を〔避くる〕如く、悪業を避くべし。
124. 手に傷なければ、手にて毒を捕らうも可なり。
 毒は傷なき者には入らず。
 悪をなさざる者に悪はなし。
125. 邪念なき人を害し、清浄にして罪穢なき人を〔害せば〕、悪はかえってその愚者に及ぶ。
 あたかも風に逆らって散らされし微塵の如く。
126. ある者は〔人〕胎に宿り、悪業を造れる者は地獄に〔墜ち〕、正しき者は天界に昇り、煩悩を滅尽せる者は涅槃に入る。
127. 虚空に於ても、海中に於ても、山間の洞窟に入りても、そこに留まりて悪業より免れ得べき処は、世界になし。
128. 虚空に於ても、海中に於ても、山間の洞窟に入りても、そこに留まりて死の力の及ばざる処は世界になし。

第10章・刀杖品

129. 一切の人は刀杖を怖れ、一切の人は死を恐る。
 自己に思い比べて、〔他を〕殺すべからず、殺さしむべからず。
130. 一切の人は刀杖を怖れ、一切の人は生を愛す。
 自己に思い比べて、〔他を〕殺すべからず、殺さしむべからず。
131. 自己の安楽を欲して、安楽を好む有情を、刀杖を以て害する者は、死後安楽を得ず。
132. 自己の安楽を欲して、安楽を好む有情を、刀杖を以て害せざる者は、死後安楽を得。
133. 粗暴の言を用うべからず。
 言われし者また汝に言を返さん。
 忿怒の言は実に苦なり。
 刀杖かえって汝に触れん。
134. 汝もし壊れたる銅鑼の如く、黙して言わざれば、汝は既に涅槃を得たるなり。
 汝に忿怒あることなし。
135. 牧者の杖を以て牛を牧場に駆る如く、老と死とは有情の寿命を駆る。
136. 愚者は悪業をなして悟らず、暗鈍にして自己の業により苦しむこと、あたかも火に焼かるるが如し。
137. 罪過なく、邪念なき人を刀杖を以て害する者は、忽ち〔下の如き〕十中の一事に遇うべし。
138. 激しき苦痛、老衰、身体の毀損、或いは重き病苦、もしくは心の錯乱に遇うべし。
139. 或いは国王より蒙る災禍、或いは恐るべき讒誣ざんぶ、或いは親族の離散、或いは財産の破滅に〔遇い〕、
140. 或いはまた浄火彼の家を焼く。
 愚痴なる者はその身滅びて後地獄に堕つ。
141. 裸行も、螺髻らけいも、汚泥も、断食も、或いは地上の横臥も、塵垢身も、蹲踞も、疑惑を断ぜざる人を浄むることなし。
142. たとい〔その身を〕荘厳するとも、一切の有情に刀杖を加うることなく、寂静に住し、〔心を〕調御ちょうごし、自ら制し、梵行ぼんぎょうを持し、行う所平等なる者、彼は婆羅門なり、彼は沙門なり、彼は比丘なり。
143. この世に於て慚愧ざんきを以て自己を制する者ありや。
 良馬の鞭を〔蒙らざる〕如く、彼は誹謗を蒙らず。
144. 鞭を加えられし良馬の如く、汝らも努力奮励せよ、信仰と戒行と精進とにより、禅定と法の識別とにより、知と行とを具足して忘るることなく、この大なる苦を滅却せよ。
145. 治水者は水を導き、箭匠はを矯め、木匠は木を矯め、有徳者は自己を調御ちょうごす。

第11章・老品

146. 何の喜びぞ、何の歓びぞ、〔世は〕常に燃えつつあるを。
 汝らは暗黒に覆わる。
 何ぞ灯明を求めざる。
147. 見よ粉飾せる形骸を。
 〔そは〕傷痍の積集しゃくじゅうにして病患絶えず、多欲にして、堅固・常住ならず。
148. この形骸は衰退す、病苦の巣窟にして壊れ易し。
 汚穢おわい積集しゃくじゅうは遂に壊る。
 生は必ず死に終わればなり。
149. 秋到りて〔捨てられし〕瓢箪ひょうたんの如く、委棄せられしこれらの白骨を見て、何の喜びありや。
150. 城郭(形骸)は骨を以て造られ、塗るに肉と血とを以てす。
 その中には老と死と慢と偽とかくせらる。
151. 美しく飾られたる王車も必ず朽ち、肉体もまた遂に老ゆ。
 然れども善人の法は老ゆることなし。
 実に善人はこれを善人と相伝う。
152. 寡聞の人(愚者)は雄牛の如くに老ゆ。
 彼の肉は増せども、彼の智は増すことなし。
153. われ屋舎を作るもの(輪廻の原因)を求めて〔これを〕見出さず、多生の流転を経たり。
 生を受くること数次〔みな〕苦なり。
154. 屋舎を作るものよ。
 汝は見出されたり。
 再び屋舎を作ることなけん。
 汝のすべての椽桷は毀たれ、棟梁は砕かれたり。
 心は万象を離れて愛欲を滅尽し得たり。
155. 壮時梵行ぼんぎょうを修せず、財宝を獲得せざりし者は、魚なき池の老鷺の如くに死滅す。
156. 壮時梵行ぼんぎょうを修せず、財宝を獲得せざりし者は、折れたる弓の如く、過去を偲び歎きて横たわる。

第12章・自己品

157. もし自己の愛すべきを知らば、よくこれを獲るべし。
 賢者は夜の三分(人生の三期)の中、一分は覚醒してあるべし。
158. 先ず自己を適所に置き、然る後他を教えよ。
 〔かかる〕賢者は悩むことなからん。
159. もし他を教うる如く自ら行わば、〔自ら〕よく調御ちょうごせられて、〔他を〕調御ちょうごし得べし。
 実に自己は調御ちょうごし難ければなり。
160. 自己の依所は自己のみなり。
 他にいかなる依所あらんや。
 自己のよく調御ちょうごせられたる時、人は得難き依所を獲得す。
161. 自己のなせる悪業は、自己より生じ、自己より起れるものにして、愚者を粉砕すること、金剛石の宝石に於けるが如し。
162. 破戒甚だしき人は、あたかもつる草がその覆える沙羅樹に〔枯死を望む〕が如く自己に破滅を望む仇敵の意に従って、自ら挙動す(すなわち破滅す)。
163. 不善にして自己に害あることは行い易く、〔自己に〕益ありてかつ善なることは極めて行い難し。
164. 正法に従って生くる尊き阿羅漢の教えを、邪見に拠りて謗る愚者は、自己の破滅の為に〔業〕果を結ぶこと、あたかもカッタカ草(葦の一種)の果が〔実りてかえって自ら滅ぶが〕如し。
165. 自ら悪をなして自ら汚れ、自ら悪をなさずして自ら浄し。
 各々自ら浄となり不浄となる。
 人は他を浄むることあたわず。
166. たといいかに大〔事〕なりとも、他の為に尽くして自己の義務を忽諸こっしょにすべからず。
 自己の義務を知りて常に自己の義務に専心なるべし。

第13章・世品

167. 下劣の法に従うべからず、放逸に住すべからず、邪見に従うべからず、世俗の徒となるべからず。
168. 奮起すべし、放逸なるべからず。
 善行の法を行うべし。
 法に従って行なう人は、この世に於てもかの世に於ても安楽に臥す。
169. 善行の法を行うべし。
 悪行の〔法〕を行うべからず。
 法に従って行なう人は、この世に於てもかの世に於ても安楽に臥す。
170. 泡沫を見る如く、陽炎(蜃気楼)を見る如く、かく世間を観ずる者を、死王は見ず。
171. 来たれ粉飾せられて王車に譬うべきこの世を見よ。愚者はこの中に沈湎す、智者は〔これに〕執着することなし。
172. 前に放逸なるも、後に放逸ならざる人は、あたかも雲間を出でし月の如くに、この世を照らす。
173. そのなしたる悪業を、善を以て覆う人は、あたかも雲間を出でし月の如くに、この世を照らす。
174. この世は暗黒なり。
 この中に於てよく洞察する者は稀なり。
 網を脱れし鳥の如く、天に昇る者は少なし。
175. 鵞鳥は太陽の道を行き、通力を以て虚空を行く。
 賢者は魔王とその眷属とを破りて、世間より離脱す。
176. 唯一法を犯し、妄語を吐き、来世を信ぜざる人は悪としてなさざるなし。
177. 貪欲の人は天界に赴かず。
 愚者は決して施与を称揚せず。
 賢者は施与を随喜し、これにより来世に於て安楽なり。
178. 地上に於ける王権よりも、或いは天界に赴くよりも、一切世界の主権よりも、預流果よるか(涅槃に至る第一階梯)は勝れたり。

第14章・仏陀品

179. その勝利は決して凌駕せられず、その勝利にはこの世に於て何人も及ぶあたわざる、かの〔智見〕無辺にして〔流転の〕道跡なき仏陀を、いかなる道によりて導き来らんとするや。
180. 羅網を具して纏綿てんめんたる愛欲すら、そをいずこにも導き得ざる、かの〔智見〕無辺にして〔流転の〕道跡なき仏陀を、いかなる道によりて導き来らんとするや。
181. 禅定に専念し、賢明にして出家の寂静を喜び、正覚を得て憶念に富む賢者は、諸天すらこれを羨む。
182. 人と生まるるは難く、人間の生存は難し。
 妙法を聞くことは難く、諸仏の出世は難し。
183. 一切の悪をなさず、善を行い、自己の心を浄む。
 これ諸仏の教えなり。
184. 忍辱にんにく・忍受は最上の苦行にして、涅槃は最勝なりと諸仏は説く。
 実に他を害する出家なく、他を悩ます沙門なし。
185. 謗らずそこなわず、戒律を厳守し、食するに量を知り、孤独に坐臥し、高尚なる思慮に専念す。
 これ諸仏の教えなり。
186. 金貨の雨によりても欲心の満足あることなし。
 欲は甘味少なく苦なりと知りて賢者は、
187. 天上の欲楽に於ても喜悦せず。
 正等覚者の弟子は愛欲を滅尽するを喜ぶ。
188. 恐怖に駆られて人は、山岳に、森林に、園苑に、聖樹に、種々なる依所を求む。
189. 然れどもこは安全なる依所にあらず。
 最上の依所にあらず。
 かかる依所に赴くとも、一切の苦より脱することなし。
190. 仏と法ととに帰依する者は、正智によりて四種の聖諦を見る。
191. 苦と、苦の因と、苦の滅と、苦の滅尽に至る八支の聖道、〔すなわちこれなり〕。
192. こは安全なる依所なり。
 最上の依所なり。
 かかる依所に赴きて、一切の苦より脱す。
193. 聖者は得難し。
 彼は随所に生まるるものにあらず。
 かかる賢者の生まるる所、その氏族は繁栄す。
194. 諸仏の現わるるは快く、正法を説くは快し。
 僧衆の和合するは快く、和合せる人々の修行は快し。
195. まさに供養を受くべき、虚妄を逸脱し憂患を超越せる仏陀、或いは仏弟子を供養する者、
196. この如き寂静にして畏怖なき人を供養する者の、その大功徳は、何人によりても計量せられ難し。

第15章・安楽品

197. 我らは、怨憎者の中にありて怨憎なく、実に安楽に生きん。
 我らは怨憎を抱く人々の中にありて怨憎なく住せん。
198. 我らは、苦悩者の中にありて苦悩なく、実に安楽に生きん。
 我らは苦悩ある人々の中にありて苦悩なく住せん。
199. 我らは、貪欲者の中にありて貪欲なく、実に安楽に生きん。
 我らは貪欲ある人々の中にありて貪欲なく住せん。
200. 我らは、何物をも有せずして、安楽に生きん。
 我らは光音天神の如く、歓喜を以て食となさん。
201. 勝利は怨憎を生じ、敗者は苦しみて臥す。
 寂静に帰せる人は、勝敗を捨てて安楽に臥す。
202. 貪欲に等しき火なく、憎悪に等しき罪なく、〔五〕蘊(肉体的存在)に比すべき苦なく、寂静に勝る安楽なし。
203. 飢餓は最大の病にして、万象は最大の苦なり。
 如実にこれを知れば、最上安楽の涅槃〔あり〕。
204. 無病は最上の利にして、満足は最上の財なり。
 信頼は最上の親族にして、涅槃は最上の安楽なり。
205. 孤独の甘味と寂静の甘味とを飲みたる者は、法悦の甘味を飲みつつ畏怖を去り、悪を離る。
206. 聖者を見るは善く、〔これと〕共に住するは常に安楽なり。
 愚者を見ざれば常に安楽なるべし。
207. 愚者と共に道を行く者は、実に長途の間憂愁す。
 愚者と共に住するは、敵と共に〔住する〕が如く常に苦なり。
 賢者は共に住して楽しく、あたかも親族との会合の如し。
 実にこの故に、
208. 賢者、智者、博学の人、堅忍なる人、持戒者、聖者、この如き善良・賢明なる人に随うべし、あたかも月の星道に〔従う〕如く。

第16章・愛好品

209. 瞑想なき〔行作〕に専注して、瞑想に専注せず、道義を捨てて愛好する所を取る者は、〔かえって〕瞑想に専注する者を羨む。
210. 愛好するものと会するなかれ、愛好せざるものと決して〔会するなかれ〕。
 愛好するものを見ざるは苦なり。
 愛好せざるものを見るもまた〔苦なり〕。
211. 故に愛好するものを造るなかれ。
 愛好するものを失うは災いなればなり。
 愛憎なき人には桎梏しっこく(煩悩)なし。
212. 愛好より憂患生じ、愛好より畏怖生ず。
 愛好を離脱せる人には憂患なし。
 いずこにか畏怖あらん。
213. 親愛より憂患生じ、親愛より畏怖生ず。
 親愛を離脱せる人には憂患なし。
 いずこにか畏怖あらん。
214. 淫欲より憂患生じ、淫欲より畏怖生ず。
 淫欲を離脱せる人には憂患なし。
 いずこにか畏怖あらん。
215. 欲楽より憂患生じ、欲楽より畏怖生ず。
 欲楽を離脱せる人には憂患なし。
 いずこにか畏怖あらん。
216. 愛欲より憂患生じ、愛欲より畏怖生ず。
 愛欲を離脱せる人には憂患なし。
 いずこにか畏怖あらん。
217. 戒行と正見とを備え、正法に住し、真実を知り、自ら自己の業務を行う者、世人はかかる人を愛好す。
218. 不可説法(涅槃)に望みを起こして思慮に富み、しかも諸欲に心を束縛せられざる者は上流者(涅槃に近づける者)と称せらる。
219. 久しく異郷にあり、遠隔の地より無事に戻れる帰来者を、親族・朋友・知己は歓び迎う。
220. これと等しく、福業をなしてこの世よりかの世に赴ける人を、福業は迎う、あたかも愛好する帰来者を親族の〔迎うる〕如く。

第17章・忿怒品

221. 忿怒を去るべし、慢心を捨つべし、一切の繋縛けばくを脱すべし。
 かく名色(精神・物質)に執着せざる無一物の人には苦の随うことなし。
222. 勃発したる忿怒を、動揺する馬車の如くに抑止する人、我はこれを〔真の〕御者と呼ぶ。
 他はただ手綱を執れるのみ。
223. 忍辱にんにくによりて忿怒を克服すべし。
 善によりて不善を克服すべし。
 施与によりて吝嗇者りんしょくしゃを克服すべし。
 真実によりて妄語者を〔克服すべし〕。
224. 真実を語るべし。
 怒るべからず。
 〔自己の所有〕少しといえども乞わるれば与うべし。
 この三事により諸天の元に至り得るべし。
225. 殺生することなく、常に身を制御する賢者は、そこに至りて憂患なき不死の境(涅槃)に達す。
226. 常に覚醒し、昼夜に勉学し、涅槃に志す者の煩悩は終息す。
227. アトゥラ(優婆塞の名)よ、こは古来より然り、今始まれるにあらず。
 〔すなわち〕人は黙して坐するを謗り、多言を謗り、寡言をもまた謗る。
 世に謗られざる者なし。
228. ただ謗らるるのみの人、またはただ褒めらるるのみの人は、〔過去にも〕なかりき、〔将来にも〕なかるべし、現在にもまたなし。
229. 智者よく判別して日々に称讃し、所行失なく、賢明にして、慧戒兼ね備わるとなす者あらば、
230. あたかも閻浮檀金えんぶだごんにて造りし貨幣の如く、誰か彼を謗り得んや。
 諸天も彼を称讃し、彼は梵天によりてもまた称讃せらる。
231. 身の忿怒を摂護し、身を制御すべし。
 身の悪行を捨て、身によりて善行を修すべし。
232. 語の忿怒を摂護し、語を制御すべし。
 語の悪行を捨て、語によりて善行を修すべし。
233. 意の忿怒を摂護し、意を制御すべし。
 意の悪行を捨て、意によりて善行を修すべし。
234. 身を制御し、また語を制御し、意を制御する賢者は実によく制御せるものなり。

第18章・垢穢品

235. 汝は今や枯葉の如く、閻魔の使者また汝に近づけり。
 汝は死出の門に立つ。
 されど汝に旅路の糧なし。
236. 汝自ら自己の依所を造れ、速やかに精勤せよ、賢者たれ。
 〔心の〕垢穢くえを払い、罪過なくば、汝は天の聖地に至らん。
237. 汝は今や齢既に傾き、閻魔の元に近づけり。
 途上に汝の住所なく、また旅路の糧もなし。
238. 汝自ら自己の依所を造れ、速やかに精勤せよ、賢者たれ。
 〔心の〕垢穢を払い、罪過なくば、汝は再び生と老とに近づかざるべし。
239. 賢慮ある者は、漸次に、少量ずつ、刹那刹那に、自己の垢穢を払うべし、あたかも鍛工が銀の〔鉱垢を除くが〕如く。
240. 鉄より生じたる垢穢(錆)が、鉄より生じて鉄を蝕むが如く、自己の業は悪業者を悪趣に導く。
241. 読誦どくじゅせざるは聖典の垢穢、修復せざるは家屋の垢穢、懈怠けたいは美の垢穢、放逸は番士の垢穢なり。
242. 不義は婦人の垢穢、吝嗇は施与者の垢穢、実に悪法(悪行)はこの世に於てもかの世に於ても垢穢なり。
243. これらの諸垢穢より更に甚だしき垢穢は無明にして、〔こは〕最大の垢穢なり。
 比丘らよ、この垢穢を捨てて無垢となれ。
244. 慚愧心ざんぎしんなく、厚顔・暴戻・大胆・傲慢にして、罪に汚れたる人の生活は安易なり。
245. 慚愧心あり、常に清浄を求め、執着なく、謙遜にして、清浄の生活を営み、識見ある人の生活は困難なり。
246. 生あるものを殺し、妄語を語り、この世に於て与えられざるを取り、他人の妻を犯し、
247. スラー酒・メーラヤ酒に沈湎する人は、この世に於て自己の根底を掘るものなり。
248. 人よ、是の如く知れ、節制なき者は邪悪なりと。
 貪欲と非法とをして永く汝を苦に陥らしむることなかれ。
249. 人は実に信ずる所に従い、好む所に従いて施与す。
 他人の得たる飲食に対し、不満を抱く者は、昼も夜も三昧に入るを得ず。
250. かかる〔心を〕断ち、根元より絶滅する者は、昼も夜も実に三昧に入ることを得。
251. 貪欲に等しき火なく、瞋恚しんにに等しき捕捉者なく、愚痴に等しき羅網なく、愛欲に等しき河流なし。
252. 他人の過失は見易く、自己の〔過失〕は見難し。
 他人の過失は籾殻の如く散布し、自己の〔過失〕は、これを隠匿すること、狡猾なる賭博者のカリ(最悪の骰子さい数)に於けるが如し。
253. 他人の過失を詮索し、常に怒り易き人の煩悩は増長す。
 彼は煩悩の滅尽を去ること遠し。
254. 虚空に道なく、外道に沙門なし。
 衆生は虚妄を喜び、如来には虚妄なし。
255. 虚空に道なく、外道に沙門なし。
 万象は常住ならず、諸仏に擾乱じょうらんなし。

第19章・法住品

256. 躁急に事を処するの故を以て、法住者たるにあらず。
 正と邪とを二つながらよく弁別し、学識あり、
257. 躁急ならず如法・平等に他を導き、正法を護り、賢慮ある者は、法住者と称せらる。
258. 多言の故を以て賢者たるにあらず。
 平静にして怨憎なく、畏怖なき者は、賢者と称せらる。
259. 多言の故を以て持法者たるにあらず。
 聞くこと少なきも身を以て法を見、法を軽んぜざる者は、実に持法者なり。
260. 頭髪白きの故を以て長老たるにあらず。
 彼の齢は〔徒に〕熟せるのみ。
 彼は空しく老いたる者と称せらる。
261. 真実と法と不殺生と節制と調御ちょうごとを持し、〔心の〕垢穢を捨棄したる賢者は、長老と称せらる。
262. 嫉妬・慳貪けんどん・虚偽ある者は、弁舌の故のみを以て、或いは容色の美の故を以て、端正の人たるにあらず。
263. かかる〔悪徳を〕断ち、根元より絶滅し、罪過を捨棄し、賢慮ある者は、端正の人と称せらる。
264. 剃髪すといえども、戒を破り、妄語を語る者は沙門にあらず。
 欲望と貪欲とを有する者、いかで沙門たるべき。
265. 大小すべての悪を鎮めたる者は諸悪を鎮めたるの故を以て、沙門と称せらる。
266. 他人に行乞ぎょうこつするの故を以て、比丘たるにあらず。
 一切の法を服膺ふくようせる者のみ比丘なり。
 〔行乞の故に〕然るにあらず。
267. この世に於て善と悪とを捨て、梵行ぼんぎょうを修し、慎重に世を行く者は、実に比丘と称せらる。
268. 愚昧にして無知ならば、〔唯〕寂黙じゃくもくの故を以て、牟尼むに(寂黙者・賢人)たるを得ず。
 賢者もし権衡を執るが如くに善を取り、
269. 悪を退くれば、彼は牟尼なり。
 彼はこれによりて牟尼なり。
 この世に於て、〔善悪〕二つながら知る者は、これによりて牟尼と称せらる。
270. 生類を害するの故を以て、聖者たるにあらず。
 一切の生類を害せざるの故を以て、聖者と称せらる。
271. 戒律・戒行のみによりても、或いはまた多聞によりても、或いは禅定の達成によりても、或いは独臥によりても、
272. 我は凡夫の受け得ざる出家の楽に触るることなし。
 比丘よ、煩悩の滅尽に達せざれば、決して意を安んずることなかれ。

第20章・道品

(※277と278と279は、仏教の特徴である四法印のうち諸行無常一切皆苦諸法無我が説かれています)

273. 諸道の中、八支(八支聖道)最も勝れ、諸諦の中、四句(四聖諦ししょうたい)最も勝れ、諸法の中、離欲最も勝れ、二足(人間)の中、具眼者〔最も勝る〕。
274. 唯この道あるのみ、知見を浄むるに他の〔道〕あることなし。
 汝らこの〔道〕を行くべし。
 これ魔王を幻惑するものなり。
275. 汝らこの〔道〕を行かば、苦を終息せしむべし。
 〔欲〕矢を除去することを悟りて、我実にこの道を説けり。
276. 汝らまさに努力すべし。
 如来は説者なり。
 禅定に住して〔この道を〕行く者は、魔王の繋縛けばくを脱すべし。
277. 一切の事象は無常なりと、智によりて観る時、苦を厭離す。
 これ浄に至る道なり。
278. 一切の事象は苦なりと、智によりて観る時、苦を厭離す。
 これ浄に至る道なり。
279. 一切の法は無我なりと、智によりて観る時、苦を厭離す。
 これ浄に至る道なり。
280. 起つべき時に起たず、若く強くして怠惰に陥り、意気消沈して惰弱・懶惰らんだなる者は、智によりて道を得ることなし。
281. 語を慎しみ、意をよく制御し、身を以て不善をなすべからず。
 この三業道を浄むべし。
 〔然らば〕聖仙所説の道を得ん。
282. 実に智は瑜伽ゆが(瞑想)より生じ、瑜伽を行ぜざれば智は滅ぶ。
 この得と失との両道を知り、自ら努めて、以て智を増大せしむべし。
283. 欲林を伐れ、樹木を〔伐るに止まる〕なかれ。
 欲林より畏怖生ず。
 欲林と欲叢とを伐りて、比丘らよ、欲林より脱せよ。
284. 男子の女子に対する欲情、いささかなりとも断たれざる間は、彼の心は繋縛けばくせらる、あたかも乳を飲む子牛の母牛に於けるが如く。
285. 自己に対する愛を断つこと、秋の蓮を手にて〔折るが〕如くせよ。
 寂静の道のみを固守せよ。
 涅槃は善逝ぜんぜい(仏陀)により説かれたり。
286. 「我雨期にはここに住せん、冬と夏とはここに〔住せん〕」と、愚者は思惟して、死の〔至る〕を覚らず。
287. 子と家畜とに惑溺し、その心これに執着せる人を、死は捉え去る、あたかも眠れる村落を、瀑流の〔漂蕩ひょうとうし去る〕が如く。
288. 子も救うあたわず、父も親戚もまた〔救うあたわず〕。
 死に捉えられし者を救うは、親族もなすあたわざる所なり。
289. この義を知りて、賢者は戒により制御し、涅槃に至る道を速やかに浄むべし。

第21章・雑品

290. もし小楽を捨つるによりて、大楽を見得るとせば、賢者は大楽を見つつ、小楽を捨つべし。
291. 他人に苦を与えて自己の楽を望む。
 かかる者は怨憎の繋縛けばくに捉われて、怨憎より脱することなし。
292. 為すべきことを等閑にし、為すべからざることを為し、傲慢にして放逸なる者には煩悩増長す。
293. 常に身を念じ、為すべからざることを為さず、為すべきことを為してたゆまず、憶念あり思慮ある人には、煩悩終息す。
294. 母(愛欲)と父(我慢)とを殺し、刹帝利族せっていりぞくの二王(断見・常見)を〔殺し〕、王国(十二処)とその従臣(喜貪)とを殺して、婆羅門は苦患なく行く。
295. 母と父とを殺し、婆羅門族の二王(断見・常見)を〔殺し〕、虎〔将〕を第五とするもの(五蓋、虎=疑蓋)を殺して、婆羅門は苦患なく行く。
296. 瞿曇くどん(釈尊)の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も常に仏を念ず。
297. 瞿曇の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も常に法を念ず。
298. 瞿曇の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も常に僧を念ず。
299. 瞿曇の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も常に身を念ず。
300. 瞿曇の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も不殺生を念ず。
301. 瞿曇の弟子は常によく覚醒し、昼も夜も静慮じょうりょによりて心楽しむ。
302. 出家の生活は難くして楽しみ難し。
 在家の生活も難くして苦なり。
 同輩と共に住むは苦なり。
 〔輪廻の〕遍歴者は苦に陥る。
 故に遍歴者たるべからず。
 然らば苦に陥ることなからん。
303. 信あり、戒を具し、誉と財とを得たる者は、いかなる所に赴くも、至る所に於て尊敬せらる。
304. 遠方にあるとも善人は、輝くことヒマラヤ山の如く、近隣にあるとも不善者は、見えざること夜陰に放たれし矢の如し。
305. 独り臥し、独り行きて倦まず、独り自己を調御ちょうごして林中に楽しむものたるべし。

第22章・地獄品

306. 不実を語る者は地獄に堕す。
 或いはまた〔自ら〕為して、我為さずと言う者も〔地獄に堕す〕。
 これら両種の悪業者は、死後他世(地獄)に於て同等なり。
307. 袈裟を頸に纒うも、悪を行い節制なき者多し。
 かかる悪人はその悪業によりて地獄に堕す。
308. 破戒・無節制にして、国民の施食を受くるよりは、むしろ火炎の如く灼熱せる鉄丸を食うこそ勝れ。
309. 放逸にして他人の妻を犯す人は、〔次の〕四事に達す。
 罪業を得ること、安臥せざること、第三に誹謗、第四に地獄。
310. 〔彼は〕罪業を得、また悪趣〔に堕す〕。
 かつ怯えたる〔男〕と怯えたる〔女〕との淫楽は少なし。
 王もまた〔これに〕酷しき刀杖を加う。
 されば人は他人の妻を犯すべからず。
311. 掴みそこねし茅草の手を切る如く、修行を誤れる沙門道は人を地獄に導く。
312. 懈怠けたいの行為、汚れたる戒行、逡巡せる梵行ぼんぎょう、かかるものに大果なし。
313. もし為すべくんばこれを為し、断固としてこれを遂行すべし。
 懈怠けたいの遊行者は更に多くの欲塵を散ずるのみ。
314. 悪業は為さざるこそ勝れ、後に至りて悪業は人〔人を〕苦しむ。
 善業は為すこそ勝れ、そを為して苦しむことなし。
315. 辺境の城を内外共に護るが如く、自己を護るべし。
 一刹那も〔ゆるがせに〕過ぎ去らしむることなかれ。
 刹那をゆるがせにせる者は、地獄に至りて憂患を受く。
316. 恥ずべからざるを恥じ、恥ずべきを恥じず、邪見を抱ける衆生は悪趣に至る。
317. 怖るべからざることに恐怖を見、怖るべきことに恐怖を見ず、邪見を抱ける衆生は悪趣に至る。
318. 罪なきことを罪ありと思い、罪あることを罪なしと見る、邪見を抱ける衆生は悪趣に至る。
319. 罪ある所に罪ありと知り、また罪なき所に罪なしと〔知る〕、正見を抱ける衆生は善趣に至る。

第23章・象品

320. 象が戦場に於て、弓より放たれし矢を〔堪え忍ぶが〕如く、我は誹謗を堪え忍ばん。
 多くの人は破戒者なればなり。
321. 〔人は〕調御ちょうごせられたる〔象〕を戦場に導き、王は調御ちょうごせられたる〔象〕に乗る。
 誹謗を堪え忍び調御ちょうごせられたる人は、人中の最勝者なり。
322. 騾の調御ちょうごせられたるは良し、気高き信度馬(インダス河地方産の駿馬)も良し、大象もまた良し。
 自己を調御ちょうごせる人は更に良し。
323. これらの牽獣によりては未到の境(涅槃)に至ることなからん、調御ちょうごせられたる人が、よく調御ちょうごせられたる自己を調御ちょうごせられたる〔牽獣〕として至るが如くに。
324. ダナパーラカと名づくる象は、〔発情してこめかみより〕苦汁を分泌し、抑制し難く、縛せられて一片の〔餌〕をも食わず。
 〔この〕象は象の林を念う。
325. 懶惰らんだにして大食し、惰眠を貪りて輾転てんてんとして臥し、穀類に飽満せる大豚の如くならば、〔かかる〕愚者は再々胞胎に入る(すなわち輪廻す)。
326. この心かつては望む所に従い、欲に随い楽に随いて徘徊せり。
 今は我全くこれを制御せん、あたかもかぎを持てる〔象師の、発情して苦汁を〕流せる象を〔制御する〕如くに。
327. 汝ら不放逸を楽しめ、自己の心を護れ。
 自己を難処(煩悩)より救出せよ、あたかも泥中に陥れる象の如くに。
328. もし思慮に富み、正しく行い、賢明なる同行の伴侶を得ば、一切の危難を征服し、熟慮して欣然きんぜん彼と共に行くべし。
329. もし思慮に富み、正しく行い、賢明なる同行の伴侶を得ざれば、独り行くべし、あたかも征服せられたる国土を捨てし王の如く、林中に於ける象の如くに。
330. 独り行くこそ勝れ、愚者は断じて伴侶となすべからず。
 独り行くべし、悪事を為すべからず、少欲なることあたかも林中に於ける象の如くに。
331. 事の起こりし時に友は楽しく、満足はいかなる場合にも楽し。
 生命の尽くる時に善業は楽しく、一切の苦を捨つるは楽し。
332. 世に母を敬うは楽しく、父を敬うもまた楽し。
 世に〔真の〕沙門たることは楽しく、〔真の〕婆羅門たることもまた楽し。
333. 老に至るまで戒を持するは楽しく、安立せる信仰は楽し。
 智慧を得るは楽しく、悪をなさざるは楽し。

第24章・愛欲品

334. 放逸に行う人の愛欲はつる草の如く増長す。
 彼は生より生に漂う、あたかも林中に果実を求むる猿の如くに。
335. この世に於て、この猛悪にして纏綿てんめんたる愛欲に征服せられたる人には、雨を受けたるビーラナ草の如く、その憂患増長す。
336. この世に於て、この猛悪にして克服し難き愛欲を征服したる人には、蓮葉より水滴の〔落つる〕如く、憂患彼より去る。
337. 我この善事を汝らに告ぐ。
 ここに集まれる汝らは、ウシーラ香(ビーラナ草の根)を求むる者のビーラナ草を〔掘る〕如く、愛欲の根を掘るべし。
 流水の葦を〔損なう〕如く、魔王をして再々汝らを壌らしむることなかれ。
338. 樹根損なわれずして固ければ、樹は伐らるるとも再び生ずるが如く、愛欲の執着断たれざれば、この苦(生死の苦)は再々生起す。
339. その三十六流(内外各十八の愛欲)水勢盛んに快楽に向かいて流るる邪見者を、この奔流〔すなわち〕貪欲に執着せる意思は漂蕩ひょうとうし去る。
340. 〔愛欲の〕流れは至る所に流れ、〔その〕つるは芽を発して茂る。
 このつるの生ずるを見ば、智慧を以てその根を断て。
341. 人の喜悦は奔放にして、かつ愛着す。
 歓楽に耽り快楽を求むる人、かかる人は実に生と老とを受く。
342. 愛欲に満たされたる人は、罠に係れる兎の如く馳せ回る。
 繋縛けばくと執着とに捉えられ、久しき間再々苦を受く。
343. 愛欲に満たされたる人は、罠に係れる兎の如く馳せ回る。
 故に比丘は自己の離欲を望みて愛欲を除くべし。
344. 欲林を出でて欲林に心を傾け、欲林を脱してまた欲林に走る者、実にこの人を見よ。
 彼は〔繋縛けばくを〕脱してまた繋縛けばくに走るなり。
345. 賢者は、鉄・木または草よりなる縄縛を堅牢なりと言わず。
 珠・環・妻・子に対する恋着こそ極めて強し。
346. 賢者は、この牽引力に富み、弛くしてしかも脱し難き縄縛を堅牢なりと言う。
 この〔縄〕を断ちて恋着なき人は、欲楽を捨てて出家す。
347. 貪欲に執着する者は、〔欲の〕流れに随いて行くこと、蜘蛛の自ら作れる網に〔随うが〕如し。
 これを断ちて恋着なき賢者は一切の苦を捨てて遊行す。
348. の彼岸に達し、さき(未来の煩悩)を離れよ、後(過去の煩悩)を離れよ、中(現在の煩悩)を離れよ。
 意一切処に於て解脱せば、汝は再び生と老とを受くることなし。
349. 疑惑に擾乱せられ、貪欲熾烈にして享楽を事とする人の愛欲は、ますます増長す。
 かかる人は実に〔その〕繋縛けばくを堅くす。
350. 疑惑の静止を喜び、身の不浄を観じ、常に熟慮する人は、実に魔王の繋縛けばくを除かん、彼はこれを断たん。
351. 円成えんじょうの境に達して畏怖なく、愛欲を離れて罪穢なく、の矢を断てり。
 これ〔その〕最後身なり(すなわち更に輪廻せず)。
352. 愛欲を離れて執着なく、聖典の語義に通暁つうぎょうし、前後の順序に従いて配列せられたる文字(聖典の文句)を知る人は、実に最後身を具する者にして、大智者・大丈夫と称せらる。
353. 我は一切を征服し、一切を知悉し、一切の法に於て汚さるることなし。
 一切を捨て愛欲を滅して解脱せり。
 自ら悟りて誰をか〔師と〕いわん。
354. 法施は一切の施に勝ち、法味は一切の味に勝ち、法楽は一切の楽に勝ち、愛欲の滅尽は一切の苦に勝つ。
355. 財は愚者を滅ぼし、決して彼岸を求むる者を〔滅ぼさ〕ず。
 愚者は財欲によりて自己を滅ぼすこと、他人を〔滅ぼすが〕如し。
356. 田は雑草により損なわれ、この世の衆生は貪欲により損なわる。
 されば貪欲を離れし人への施与は大果報あり。
357. 田は雑草により損なわれ、この世の衆生は瞋恚しんににより損なわる。
 されば瞋恚を離れし人への施与は大果報あり。
358. 田は雑草により損なわれ、この世の衆生は愚痴により損なわる。
 されば愚痴を離れし人への施与は大果報あり。
359. 田は雑草により損なわれ、この世の衆生は欲望により損なわる。
 されば欲望を離れし人への施与は大果報あり。

第25章・比丘品

360. 眼を制するは善し。
 耳を制するは善し。
 鼻を制するは善し。
 舌を制するは善し。
361. 身を制するは善し。
 語を制するは善し。
 意を制するは善し。
 一切に於て制するは善し。
 一切に於て制したる比丘は一切の苦より脱す。
362. 手を慎み、足を慎み、語を慎み、最もよく慎み、内心に喜び、三昧に住し、独居して満足する者、これを比丘と称す。
363. 口を慎み、語る所賢明に、寂静にして正理と正法とを明らかにする比丘は、その説く所甘美なり。
364. 法を楽園とし、法を楽しみ、法に随って思惟し、法を憶念する比丘は、正法より退堕することなし。
365. 自己の所得を軽んずべからず。
 他を羨むべからず。
 他を羨む比丘は三昧に入ることなし。
366. たとい得る所少しといえども、比丘もし自己の所得を軽んぜざれば、諸天も実に、〔この〕生活清浄にして懈怠けたいなき者を称讃す。
367. 名色みょうしき(精神・物質)に於て全く我執なく、かつ〔その〕非有の故に憂えざる者は、実に比丘と称せらる。
368. 慈悲に住し、仏陀の教えを信ずる比丘は、寂静にして諸行静止せる安楽境に至るべし。
369. 比丘よ、この舟〔の水〕(身中の邪念)を汲み出せ、〔水〕汲み出されなば、〔舟は〕汝の為に疾く進まん。
 貪欲と瞋恚しんにとを断たば汝は涅槃に至らん。
370. 五を断つべし、五を捨つべし、而してよく五を勤修すべし。
 五著を超越せる比丘は、瀑流(煩悩)を渡れる者と称せらる。
371. 比丘よ、禅定を修せよ。
 放逸なるなかれ。
 汝の心を愛欲に迷い行かしむることなかれ。
 放逸にして〔熱〕鉄丸を呑むなかれ。
 焼かれつつ「こは苦なり」と叫ぶことなかれ。
372. 智慧なき者に禅定なく、禅定なき者に智慧なし。
 禅定と智慧とを備えたる者は、実に涅槃に近づけるなり。
373. 空屋(閑寂処)に入りて心寂静に、正しく法を観ずる比丘は、人界になき楽を受く。
374. 人もし諸蘊の生滅を思念すれば、忽ち、不死(涅槃)を知得せし人の歓喜と悦楽とを獲得す。
375. こは現世に於て、智慧ある比丘の最初に〔為すべきこと〕なり。
 〔すなわち〕諸根を摂護し、満足し、戒律に従いて制御し、生活清浄にして倦むことなき良友と交われ。
376. 好誼を尽くすべし、善行を全うすべし。
 これによりて悦楽多く、苦を滅尽するに至らん。
377. ヴァッシカー草が萎みし花を振るい落とすが如く、比丘らよ、貪欲と瞋恚しんにとを捨てよ。
378. 身を静め、語を静め、寂静にしてよく三昧に住し、世俗の快楽を捨棄せる比丘は、寂静者と称せらる。
379. 自ら自己を励まし、自ら自己を省察すべし。
 自ら摂護し、正念を持せば、比丘よ、汝は安楽に住せん。
380. 実に自己は自己の主にして、自己は自己の依所なり。
 故に自己を制御せよ、あたかも商賈しょうこの良馬を〔調御ちょうごする〕如く。
381. 悦楽多く、仏陀の教えを信ずる比丘は、寂静にして諸行静止せる安楽境に至るべし。
382. たとい年少なりといえども、仏陀の教えに精勤する比丘は、雲を離れし月の如くこの世を照らす。

第26章・婆羅門品

(※ここで婆羅門は、バラモン教の身分制度の婆羅門ではなく、仏と同じ意味です)

383. 婆羅門よ、勇敢に〔欲の〕流れを断て、諸欲を去れ。
 万象の滅尽を知りて汝は無作(涅槃)を知る。
384. 婆羅門もし二法(止観)に於て彼岸に達すれば、この智者に一切の繋縛けばくは終息す。
385. 彼岸(来世)も此岸(現世)もなく、彼此両岸もなく、畏怖を去り、繋縛けばくを捨てたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
386. 禅定に入り、垢穢なく安住し、為すべきをなし、煩悩を去り、最上義(阿羅漢果)に達せる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
387. 日は昼に輝き、月は夜に照らし、刹帝利せっていりは武装して輝き、婆羅門は禅定に入りて輝く。
 されど仏陀はその光明により、全昼夜に輝く。
388. 婆羅門とは悪業を除ける者の意にして、行う所寂静なるが故に沙門と称せらる。
 自己の垢穢を去る者は、これによりて出家と称せらる。
389. 婆羅門を打つべからず。
 〔打たるるも〕婆羅門はこれに敵対すべからず。
 婆羅門を打つ者に災いあれ。
 〔打たれて〕これに敵対する者に、更に災いあれ。
390. 婆羅門もし愛好するものより心を抑制せば、彼に少なからざる利益あり。
 害心の消滅するに随い、苦悩もこれに随いて静止す。
391. 身と語と意とによる悪業なく、この三処に於て抑制せる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
392. 正等覚者の説示せる法を、いかなる人より学び得たりとも、その人を恭しく敬礼すべし、あたかも婆羅門が祭火を〔敬う〕が如く。
393. 螺髻らけい・族・姓によりて婆羅門たるに非ず。
 真実と法とを具する者、彼は幸福なり、彼はまた〔真の〕婆羅門なり。
394. 愚者よ、螺髻らけい汝に何の用かあらん、皮衣汝に何の用かあらん。
 汝の内は〔不浄の〕密林なり。
 汝は外を清掃するのみ。
395. 糞掃衣ふんぞうえ(弊衣)を着け、痩せて脈管露われ、独り林中に於て禅定を修する人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
396. 我はまた、胎により母系によりて婆羅門と呼ばず。
 彼は〔不遜にも世尊を〕「ボー」(「友よ」の義)と呼び、彼は実に富裕なれども執着あり。
 無一物にして執着なき人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
397. 一切の結縛を断ち、畏怖なく執着を超越し、繋縛けばくを離れたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
398. 紐と緒と綱とこれに属するものとを断ち、障礙を除きて覚りたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
399. 罪なくして罵詈と体刑と縄縛とを忍び、忍辱にんにくを力とし、勇力を軍兵として有する人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
400. 忿怒なく、戒を持して徳行あり、欲を離れ、調御ちょうごして最後身に達せる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
401. 蓮葉に於ける水の如く、錐の尖端に於ける芥子粒の如く、諸欲に染着せざる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
402. 既にこの世に於て、自己の苦の滅尽を悟り、重担を下ろし、繋縛けばくを離れたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
403. 智慧深く、賢慮ありて道・非道を弁え、最上義に達せる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
404. 在家とも出家とも、二つながら交わらず、家なく遊行し、少欲なる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
405. 弱きも強きも一切の有情の中にありて刀杖を捨て、殺すことなく、殺さしむることなき人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
406. 害意ある者の中にありて害意なく、刀杖を手にせる者の中にありて温順に、執着ある者の中にありて執着なき人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
407. その貪欲と瞋恚しんにと慢心と虚偽との脱落せること、あたかも錐の尖端より芥子粒の〔落つる〕如くなる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
408. 粗暴ならず、教訓的なる真実の語を発し、これによりて何者をも怒らしめざる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
409. この世に於て、長きも短きも、小なるも大なるも、浄きも浄からざるも、与えられざるものを取らざる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
410. この世に対しても、かの世に対しても、欲望なく愛着なく、繋縛けばくを離れたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
411. 執着の存するなく、悟り終わりて疑惑なく、甘露(涅槃)の奥底に到達せる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
412. この世に於て善悪両種の執着を超脱し、憂患なく垢穢なく清浄なる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
413. 月の如く無垢・清浄・澄明にして暗影なく、快楽の生起を滅尽したる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
414. この泥濘(貪欲等)と越え難き輪廻と愚痴とを越え、渡りて彼岸に達し、禅定に住し、無欲にして疑惑なく、執着を捨てて寂静なる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
415. この世に於て欲楽を捨て、家なくして遊行し、欲楽の生起を滅尽したる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
416. この世に於て愛欲を捨て、家なくして遊行し、愛欲の生起を滅尽したる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
417. 人間の束縛を捨て、天上の束縛を脱し、一切の束縛より離れたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
418. 楽と不楽とを捨て、清涼にして煩悩なく、一切世界を克服せる勇者、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
419. 有情の消滅と生起とを完全に知り、執着なく安泰にして覚りたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
420. 諸天も乾闥婆けんだつばも人間も、彼の赴く道を知らず、煩悩を滅尽して阿羅漢となりし人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
421. 前(過去)にも、後(未来)にも、中(現在)にも何物をも有せず、無一物にして執着なき人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
422. 雄牛〔の如く強く〕、最も勝れ、勇者にして大仙、勝利に富み、無欲にして〔心垢を〕洗滌し、覚りたる人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
423. 前生を知り、天界と悪趣とを見、更に生の滅尽に達し、智に於て完成したる牟尼むに(賢人)、一切円満成就の人、我はこれを婆羅門と呼ぶ。

ダンマパダの名言を解説

ではここで、よく名言とされるお言葉を7つ挙げて解説していきます。

50. 他人の誤りを見るな

50. 他の非違を〔観る〕べからず、他の為せること、為さざりしことを〔観る〕べからず。
 ただ自己の為せること(罪過)為さざりしこと(懈怠けたい)を観るべし。

これは、他人の誤りを見てはいけない、他人がしたことしなかったことを問題にしてはならない。
ただ自分のした誤りや、怠けてしなかったことを問題にしなさい、ということです。

普通は何か苦しいことが来た時に、
あいつのせい、こいつのせい」と他人のせいにしますが、
仏教では、自業自得が教えられています。
自分の行いを反省して改善していきなさい、ということです。

81. 立派な人は悪口にもほめ言葉にも動じない

81.固き巌の風に揺るがざるが如く、賢者は毀誉の中に於て動かず。

これは、固い岩が風に揺るがないように、賢者は悪口にもほめ言葉にも動じない、ということです。

普通は、悪口を言われればすぐに感情的になり、褒められればすぐ自惚れます。
ですが徳の高い立派な人は、悪口を言われても感情的にならず、
褒められても調子にのらない、ということです。

116. 善は急げ

116. 善に急ぐべし、心を悪より遠ざくべし。
 善をなすに懈怠けたいする者は、その心悪を喜ぶ。

これは、善は急げ、心を悪から遠ざけなさい、善いことをするのに躊躇していたら、その心は悪に流される、という意味です。
善は急げ」は日本の諺にもなっています。

普通は、お礼や勉強のような善いことは後回しにしがちで、
娯楽や休憩のようなどうでもいいことを優先しがちですが、
善いことを優先しなさい、ということです。

160. 自分の主は自分

160. 自己の依所は自己のみなり。
 他にいかなる依所あらんや。
 自己のよく調御ちょうごせられたる時、人は得難き依所を獲得す。

これは、自分だけが自分の主である。他人がどうして主だろうか?
自分をよくととのえ、制御したならば、得難い主を得る、ということです。

普通は、何か悪いことが起きた時、あいつのせいでこうなった、と人のせいにします。
ですが、それは自分の運命を他人に支配されているようなものです。
他人は自分ではどうにもならないので、その束縛からは離れられません。
ですが実際には、自分の運命は自分の行いが生みだしていると仏教で教えられています。
そのことを肝に銘じて自分の行いを反省し、自分の行いを変える時、自分の運命をコントロールできるようになる、ということです。

223. 善によって悪に打ち克て

223. 忍辱にんにくによりて忿怒を克服すべし。
 善によりて不善を克服すべし。
 施与によりて吝嗇者りんしょくしゃを克服すべし。
 真実によりて妄語者を〔克服すべし〕。

これは、忍耐によって怒りに打ち克て。
善によって悪に打ち克て。
施しによってケチに打ち克て。
真実によって嘘つきに打ち克て、
ということです。

228. 悪口を言われない人はいない

228. ただ謗らるるのみの人、またはただ褒めらるるのみの人は、〔過去にも〕なかりき、〔将来にも〕なかるべし、現在にもまたなし。

これは、ただ誹られるだけの人、ただほめられるだけの人は、過去に未来にも現在にいない、ということです。

世界の三大聖人のトップにあげられるお釈迦様でさえも、
悪口を言われたりしているほどです。
ましてや私たちが、悪口を言われないはずがありません。

330. 愚か者を道連れにするな、独りで行け

330.独り行くこそ勝れ、愚者は断じて伴侶となすべからず。
 独り行くべし、悪事を為すべからず、少欲なることあたかも林中に於ける象の如くに。

これは、愚か者を道連れとするより独りで行くほうがよい。独りで歩め。悪いことをするな。少欲であれ、あたかも林にいる象のように、ということです。

これを聞くと日本人は中国の仙人をイメージして、山に独りで籠もっていると思ってしまいますが、実際はインドの修行者は午前中は町や村で托鉢に回るのが普通です。
そうしないと食べ物がなくて生きられませんので、
独り行くべし」といっても誰とも接しなくなるわけではありません。
周囲の人の影響は大きいので、自分も悪をするようになってしまうから、悪人に近寄ってはならない、ということです。

ダンマパダの内容を要約すると?

このように『ダンマパダ』には423項目にわたって、因果の道理など、仏教の根幹となる教えが多く説かれています。
例えば、このようにあります。
165. 自ら悪をなして自ら汚れ、自ら悪をなさずして自ら浄し。
 各々自ら浄となり不浄となる。
 人は他を浄むることあたわず

これは、
善因善果
悪因悪果
自因自果
ということです。
善い行いをすれば幸せが生じ、
悪い行いをすれば不幸や災難が生じる。
自分のまいたタネは自分が刈り取らなければならない、
ということです。

そして、因果の道理に立脚して、苦しみの解決については、こう教えられています。
186. 金貨の雨によりても欲心の満足あることなし。
 欲は甘味少なく苦なりと知りて賢者は、
 187. 天上の欲楽に於ても喜悦せず。
 正等覚者の弟子は愛欲を滅尽するを喜ぶ

人は、お金の雨が降ってもを満たすことができない。
苦しみの原因は欲だから、欲を減らしなさいと説かれています。

ところが、それだけでは苦しみはなくなりません。
たとえ樹を切っても、根を断たなければ樹が再び成長するように、
渇愛の根源となる潜勢力をなくさなければ、苦しみは繰り返し現れると教えられています。
苦悩の根元があるのです。
それを断ち切って本当の幸せになる道を教えられているのが仏教です。

では、苦悩の根元とはどんなことで、どうすればそれを断ち切れるのでしょうか。
それについては仏教の真髄ですので、以下のメール講座と電子書籍に分かりやすくまとめておきました。
ぜひ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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