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手塚治虫のブッダ

マンガの神様」といわれる巨匠、手塚治虫(1928-1989)の『ブッダ』は、単行本の発行部数は2000万部を超え、『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-』というアニメ映画にもなっている、手塚治虫の代表作の一つです。
ブッダ』には、仏教を開いたお釈迦様を描いた漫画ですが、お経には説かれていない登場人物やエピソードがたくさん登場し、手塚治虫の創造力の豊かさが発揮されています。
そのため、仏教に親しむのには非常にすばらしい漫画ですが、お経に説かれている通りだと思うと誤解を生じます。
どんなところがお経と違うのかをよく知っておくと、『ブッダ』はより一層楽しめるようになります。

ブッダが描かれた経緯

手塚治虫は、1928(昭和3)年に生まれ、大阪帝国大学附属医学専門部(現在の阪大医学部)を卒業しています。
後に医学博士もとっているインテリです。
その医学部在学中の17歳の時に漫画家デビューします。
22歳で『ジャングル大帝』、
23歳で『鉄腕アトム』、
24歳で『リボンの騎士』などのヒット作を生みだし、
26歳でライフワークとなる『火の鳥』をスタートします。

火の鳥』は、それから57歳くらいになるまで雑誌をかえて連載された手塚治虫の代表作で、仏教に説かれる輪廻転生を繰り返しながら、太古から、未来に向かって、物語が繰り広げられます。

ブッダ』は、手塚治虫43歳のときに『火の鳥』東洋編として企画されましたが、掲載する雑誌の対象年齢が若かったために、新たに『ブッダ』となりました。
このあたりの模様は、『ブッダ』の「あとがき」にこう記されています。

COM』が廃刊になったとき、連載の「火の鳥」をそのまま中断してしまうのか、どこか別の雑誌へうつすのかが問題でした。
たまたま、それ以前から潮出版社の『希望の友』に読み切りを何回か描いていました。その編集長から、「火の鳥」をうちに続けないかと、お話がありました。
ぼくは、『希望の友』は少年雑誌だから、連載するには内容の程度をすこし下げなければならないだろうと思いました。「火の鳥」のような漫画マニア向けのものは、『希望の友』のほかの作品とはぜんぜんあわないような気がしました。へたをすると、そこで「火の鳥」のカラーがかわってしまうのではないかと心配でした。
それで、テーマは同じだが、別のほかの作品の大河ドラマを描きたいとたのみました。
「たとえば?」
お釈迦様の伝記なんかはどうでしょう。
「すこし仏教くさくなりはしませんか?」
そこは、なんとか手塚流のお釈迦さんにしてみますよ。かなりフィクションをいれていいでしょう。
「それなら、それでやってみましょうか。あなたの釈迦伝なら、かわったものができそうですね。
しかし、タイトルはなんとします?”釈迦”では弱いし、”釈尊伝”じゃ仏くさいですね」
そうだ、”ブッダ”と英語タイトルではどうでしょう?
「”ブッダ”。それはスッキリしてていい!」
そこで連載がはじまりました。
(手塚治虫『ブッダ』あとがき)

こうして『ブッダ』は1972年から1983年までの12年間にわたって連載され、手塚治虫の代表作となります。

フィクションの度合い

手塚治虫本人が、かなりフィクションを入れると言っているように、『ブッダ』には、お経に説かれていない創作部分がたくさんあります。
その概略は、『ブッダ』の「あとがき」に、本人が語っています。

ブッダ」は先にのべたように、ほとんどがフィクションで、正確な仏典の漫画化ではありません。
ですから、釈尊伝の正しい解説をのぞんだ方々からはかなり反発がありました。しかし、釈尊伝をただ映像にしただけのものなら、だれでもできるし、また、そんなにおもしろいものにはならないでしょう。それに釈尊の生涯だって、いろいろ諸説があって、あいまいな部分が多いのです。
 ここにくわしくフィクションの部分を指摘する余裕はありませんが、たとえば登場人物の中で、主役クラスのチャプラ、タッタ、ミゲーラ、バンダカ、それにナラダッタなどは、まったく仏典には登場しない架空のキャラクターです。片目のデーパ、ブダイ将軍、アッサジ、ヤタラ、ヴィサーカー、スカンダ隊長なども同じです。また仏典にある人物でも、すっかりキャラクターを変えてしまったものに、アナンダダイバダッタ(デーヴァダッタ)、アジャセ、パセーナディー王、アングリマーラ(アヒンサー)、それと五人のビクなどがあります。
 それらをのぞいて、仏典そのままの部分を量的に見ると、ほんのわずかになってしまって、これではまるで釈尊伝にはならないでしょう。かんじんのお釈迦様の思想や教えも手塚流にかえてしまっていますので、その点でも問題になりそうです。つまり、この作品は、お釈迦様の伝記をかりた、まったくのフィクションといえるでしょう。
(手塚治虫『ブッダ』あとがき)

このように、『ブッダ』は、ほとんどが手塚治虫の創作したフィクションで、架空の人物も多く、お経に登場する人物でも、かなり違う人格になっているのです。
そして、仏教の教えも変わっているので、仏教の教えを学ぶことはできません。
その分、創作の楽しさはありますので、お釈迦様やその時代の雰囲気を楽しむには、いい作品になっていると思います。

ブッダのあらすじ

ブッダのあらすじですが、ネタバレしますので、それを好まない場合は読まないようにして頂ければと思いますが、ブッダの概要や、仏典と類似する部分がどこかを知るにはいいと思います。

【第1部】

第1部は、ブッダが生まれる以外は、ほとんどチャプラを主人公とする創作です。
当時のバラモン教の厳しい身分差別と、侵略戦争とその犠牲者を描き、差別と戦争反対を強く訴えています。

第1章 バラモン

冒頭に、ウサギが自分の身を焼いて旅人に布施したというエピソードが描かれます。
これは、『ジャータカ』や『雑宝蔵経』、『六度集経』などに出てくる有名な話で、日本の『今昔物語集』にも出てきます。
この話が、『ブッダ』を象徴する話になります。
その旅人ゴシャラは、アシタ聖者の師匠だといいます。
アシタは、弟子で架空の人物のナラダッタに、偉大な聖者が現れるから探すように命じます。
奴隷の身分のチャプラが主人の使いで反物を運んでいると、それ以下の身分であるバリア(不可触民)のタッタに奪われます。
チャプラもタッタも架空の人物です。

第2章 浮浪児タッタ

チャプラが反物を取り返せないので、母親が売られていきます。
途中でタッタが虎に乗り移る能力を使ってチャプラの母親を助けます。
その間に、シャカ族のカピラヴァストゥ(カピラ城)へ進軍するコーサラ(拘薩羅)国の軍隊にタッタの村を滅ぼされます。
母親のかたきを取りに行ったタッタは捕まり、それを偉大な聖者だと思ってかばったナラダッタも死刑になります。

第3章 ブダイ将軍

チャプラはイナゴの大軍がやってきた混乱に乗じてタッタとナラダッタを助け出します。
チャプラは、一生涯奴隷の身分で過ごさなければならないのになんのために生きるのかと歎きます。
チャプラが、タッタが乗り移った馬に乗って、コーサラ国のブダイ将軍を追撃しますが、ブダイは川でワニに襲われています。
チャプラは、とどめをさすことをやめてブダイを助け、将軍の養子になります。

第4章 告知

カピラ城で、スッドーダナ(浄飯)王とマーヤ(摩耶夫人)が、4カ月後に生まれる子供を待ち侘びています。
人間はなぜ苦しむのか、なぜ生きるのか、その答えを解ける偉大な人があらわれようとしていると予告します。

第5章 チャプラ

カピラヴァストゥでは不思議な奇瑞が起きるので、神々に守られているのかもしれないとして、コーサラ国は攻撃をとりやめます。
チャプラはコーサラ国の近衛兵になり、厳しい訓練を受けます。
チャプラの母親とタッタとナラダッタはチャプラを追ってコーサラ国に向かいます。
途中、タッタはナラダッタとチャプラの母親を助けるために自ら蛇に喰われる所、通りすがりの若者(バンダカ)が蛇を殺し、救われます。

第6章 王杯

チャプラは、コーサラ国の都サーバッティ(舎衛城)の大会で優勝し、王杯と雄志の称号を得て貴族になります。
大臣の娘、マリッカと恋仲になります。

第7章 生誕

色々な奇瑞が起き、マーヤが出身のコーリヤ国に帰省する途中、子供を産みます。
カピラヴァストゥへ引き返しますが、マーヤは到着してスッドーダナ王の前で息絶えます。

第8章 技競べ

チャプラの母親の一行がサーバッティに到着します。
その前で、チャプラとバンダカが技くらべをし、最後は決闘してチャプラは重傷を負います。

第9章 秘薬を求めて

チャプラは余命一日となります。
ナラダッタが手紙を書き、タッタが色々な動物に乗り移りながら、ヒマラヤのアシタ聖者に秘薬の処方を聞きに行きます。
ところがアシタ聖者は留守でした。
アシタ聖者に会うために途中でたくさんの動物たちが力尽きて死んで行きます。

第10章 予言

アシタ聖者は新生児に会うため、カピラヴァストゥに向かいます。
赤ん坊は、右手で天を、左手で地を指して天上天下唯我独尊のポーズで眠っています。
アシタ聖者は、この子は世界の王者になるという予言をします。
そこに鳥に乗り移ったタッタがナラダッタの手紙を持って飛び込んできます。
チャプラ一人を救うためにたくさんの動物を殺したことを知ったアシタ聖者は、ナラダッタに秘薬の処方を伝えますが、ナラダッタは生きながら畜生道に堕ちます。

第11章 裁きの日

チャプラの母親がやってきたために、ブダイは殺すよう命じます。
それを回復したチャプラが助けたため、奴隷の身分であることが知れ渡ります。
裁判を受けてチャプラは追放、母親は死刑となりますが、チャプラは一緒に死ぬことを選びます。

第12章 死の壁

刑場へ行くチャプラを見て、マリッカはチャプラを諦めます。
死刑直前にタッタが助けに入りますが、チャプラも母親も串刺しにされます。
母親も仲間達も皆殺しにされたタッタは、コーサラ国への復讐を誓います。

【第2部】

第2部では、バンダカが王にのし上がるまでの生き方と、シッダルタ王子が、死や生きる意味に悩み、出家するまでを描きます。
テーマは、死んだらどうなるか、人はなぜ生きるのかという問題提起です。

第1章 王子

10歳になったシッダルタ王子は友達の死を通して死んだらどうなるかを知りたくなります。
バラモンたちは誰も満足のいく答えをくれません。
そんな中でブラフマンに出会います。
バンダカがシッダルタの武芸の先生になります。

第2章 瞑想の園

シッダルタ王子は、ブラフマンからやがて城を出てビッパラの木の下(菩提樹)で悟りを開くと予言を受けます。

農耕祭で、虫をついばんだ鳥が、鷹に襲われるのを見て気を失います。
その間に、その鳥が生まれてから鷹に襲われて死ぬまでの一生を夢に見ます。

第3章 奔流

13歳になったシッダルタ王子は、城を抜け出し、タッタと川下りします。
途中に襲ってきた盗賊の女親分ミゲーラを助けて共に旅をするうちに、シッダルタはミゲーラを好きになります。
途中で疫病や老婆が死ぬ場面があり、一見四門出遊しもんしゅつゆうです。

第4章 ヤショダラ

城へ戻ったシッダルタ王子は、疫病になります。
やがて15歳になったシッダルタは、ヤショダラとお見合いをします。
シッダルタは正式な婿選びの儀式を希望し、優勝者がヤショダラと結婚できる競技大会が開かれることなります。

第5章 ミゲーラ

競技大会には、バンダカも男装したミゲーラも出場します。
タッタが鳥に乗り移って加勢し、ミゲーラがバンダカを打ち負かします。
ところがミゲーラは女性であり、奴隷の泥棒であることがばれ、死刑になります。
シッダルタがヤショダラと結婚することと引き換えに、ミゲーラは死刑を免れ、目を潰されて釈放されます。

第6章 四門出遊

シッダルタ王子は、ある日、コーサラ国のパセーナディ王に出会います。
パセーナディ王は、王家の娘を妃によこすように要求します。
シッダルタは、スッドーダナ王に報告すると、奴隷の身分である侍女を差し出します。
1年後、子供が生まれて、ビドーダバと名づけられます。
シッダルタ王子は、ブラフマンに導かれ、東の門で老人、南の門で病人、西の門で死人を見て、出家をうながされます。

第7章 ラーフラ

タッタと結婚したミゲーラが商人の一行を襲った時、苦行者のデーパに出会います。
ミゲーラは自分以上の苦しみを受けられるかと目を焼かせます。
デーパにとっての生きる意味は苦しむことによって死んだ後に報われることです。
ヤショダラが子供を宿すと、シッダルタはラーフラと名づけるよう言って、城の屋根の上で精神統一をする禅定修行を始めます。

第8章 五人の行者

バンダカが、ヤショダラの気を引くために、五比丘を思わせる5人のバラモンの行者にシッダルタを屋根から下ろすように頼みます。
5人の方術は通用せず、マガダ王国ウルベーラの苦行林で一緒に苦行しようと誘うと、シッダルタは下りてきます。
シッダルタが出て行くのでバンダカがヤショダラを捕まえると、シッダルタは戻ってきてヤショダラを救います。

第9章 旅立ちの朝

ヤショダラが子供を産みます。
スッドーダナ王の夢にシッダルタが現れ、出家するといいます。
王が何でも叶えるから出て行かないでくれと言うと、年を取らないこと、病気にならないこと、死なないことなどを願います。
シッダルタは、愛馬カンタカをチャンナ(車匿)に引かせて、城を出て行きます。

第10章 バンダカの死

跡継ぎのいなくなったカピラヴァストゥへコーサラ国が侵略します。
困ったスッドーダナ王からバンダカは王位を奪い取り、すぐに貴族と結婚して、出陣します。
コーサラ国を追い返しますが、バンダカは戦死します。
のぞみの王位と権力を手に入れながら、あっという間に死んでしまったバンダカの人生は何のためだったのかと考えさせられます。
やがて生まれて来たバンダカの子供は、ダイバダッタと名づけられ、やがてブッダの宿敵となります。

【第3部】

第3部では、シッダルタが出家してから悟りを開くまでを通して差別や苦行を否定し、すべての生命は一つにつながっているという手塚治虫の生命観を描きます。

第1章 苦行

シッダルタは、デーパに出会い苦行のやり方を習います。
タッタとミゲーラが盗賊団の頭になってシッダルタに再会します。
アッサジが登場して、シッダルタとデーパについてくるようになります。

第2章 弱肉強食

話が中断してダイバダッタの少年時代の話です。
バンダカの子供であることからいじめられ、ピクニックで遭難した時、友達を全員殺して自分だけ生き延びます。
裁判で動物の餌にされる刑罰を受けますが、逃げ出して狼に育てられ、動物の世界で弱肉強食を学びます。

第3章 老婆と浮浪児

ダイバダッタは、ナラダッタに人間の世界に戻されます。
老婆に復讐の手伝いをさせられ、お金の価値を学びますが、失敗して老婆と共に逃げます。
ダイバダッタは死にたいといった老婆を殺し、お金をためて強く生きる決意をします。

第4章 騎士スカンダ

アッサジが病気で死線をさまよい、夢で10年後に動物に食べられて死ぬという予告を受けます。
シッダルタは、パンダワの町で長者の娘ヴィサーカー(毘舎佉・びしゃきゃ)に誘惑されます。
タッタの一団がパンダワを襲いますが、ヴィサーカーの婚約者のマガダ王国の騎士、スカンダと一騎打ちをします。
シッダルタが止めに入り、タッタは盗賊団を解散します。
ミゲーラにはタッタの子が宿り、スカンダはヴィサーカーに愛されていないと知って自殺します。
ヴィサーカーは、鹿子母(ろくしも)とも呼ばれ、仏典ではコーサラ国に目連と鹿子母講堂を建立した尊いお弟子です。

第5章 バンダブ山の会見

先にマガダ王国に向かったデーパとアッサジですが、アッサジは病気が回復して未来が見えるようになります。
マガダ王国に到着すると、ビンビサーラ(頻婆娑羅・ビンバシャラ)王に招かれ、20年後に息子に殺されると予言します。
後からやってきたシッダルタにビンビサーラ王が会いに行き、将軍にならないかと話をもちかけますが、シッダルタに断られ、話し相手になります。

第6章 苦行林にて

シッダルタは、マガダ王国のアララ仙人、ウッダカ仙人に学び、すぐに真髄を習得しますが満足できません。
ウルベーラの苦行林に行き、五人のバラモンに再会しますが1人は苦行で死んでいます。
村長の娘の幼いスジャータがシッダルタの世話を焼きます。
タッタは村人から焼き討ちに遭い、洞窟に引っ越します。
妻のミゲーラが病にかかり、シッダルタが看病します。

第7章 懲罰

看病を続けて1年、ミゲーラは回復します。
シッダルタは、懲罰の苦行を受けさせられ、死にかけますが、アッサジに助けられます。

第8章 アッサジの死

6年後、スジャータはシッダルタに恋煩いになっています。
アッサジは、自ら狼に喰われて死んで行きます。

第9章 スジャータ

アッサジの死に様にショックを受けたシッダルタは、修行に打ち込みます。
苦行林と縁を切りますが、16歳になったスジャータと再会します。
スジャータはシッダルタに求婚しますが、断られ、ショックで夜中に森へ入ってコブラに噛まれます。
村長に呼ばれたシッダルタがスジャータの心の中に入り、飛んでいくスジャータの魂を追いかけます。
ブラフマンが現れ、宇宙は大きな生命のもとで、無数の生命のかけらが生まれ、この世のあらゆるものに生命を吹き込んでいると解説します。
すべての生命は一つということです。

これは仏教の教えとは異なりますが、ここに『ブッダ』のテーマである手塚治虫の生命観が描かれています。

第10章 ルリ王子

シッダルタはピッパラの樹(菩提樹)の下に座ります。
デーパがやってきて、カピラヴァストゥが陥落したと告げます。
ルリ王子(ビドーダバ)がカピラヴァストゥへ留学した時、学友がバカにして、お前の母親は奴隷だと言ってしまい、シャカ族が奴隷をパセーナディー王の妻に差し出したことが露見します。
怒り狂ったコーサラ国がカピラヴァストゥへ攻め込み、落城したのでした。

第11章 ヤタラの物語

アンガ国の奴隷出身のヤタラという架空の不死身の巨人が登場し、ルリ王子と出会います。
ルリ王子が奴隷の血を引いていると聞いて仕えるようになります。
ルリ王子の母親が入っている奴隷部屋で疫病が発生したため、ルリ王子は焼き払うよう命じます。
ヤタラがルリ王子の母親を助けて逃げますが、ルリ王子の母親は疫病にかかっています。
ヤタラが食糧を探しているうちにルリ王子の母親は死んでしまいます。
ヤタラは悲しんでさまよっているうちに、ピッパラの樹の下でシッダルタに出会います。
シッダルタはヤタラに教えを説いているうちに、人間は意味があって生きていることを知り、悟りを開きます。
それからシッダルタは教えを伝えるようにブラフマンに言われ、ブッダと名乗るようになります。

【第4部】

第4部では、前半は弱肉強食のダイバダッタ、後半は、苦行主義で冷酷なデーパとブッダの自己犠牲の生き方が対照的に描かれます。

第1章 剣士と風来坊

マガダ王国にて、青年になったダイバダッタは、タッタをスカウトして剣士に育て、31歳のビンビサーラ王に仕えます。
11歳のアジャセ王子が人殺しの象に襲われますが、タッタが象を倒して救います。
タッタが象にとどめをささなかったのはシッダルタの教えによると聞き、ダイバダッタはブッダに会いに行きます。

第2章 決闘者

アジャセはダイバダッタから、色々な遊びを教えてもらうようになります。
コーサラ国から使者が訪れ、マガダ王国との係争地の領有権を、国一番の勇士の一騎打ちで決めることになります。
タッタはマガダ王国の代表に選ばれ、コーサラ国はヤタラです。
決闘の前に国境で二人は出会い、共にシッダルタに生き方を学んだことがわかり、意気投合します。

第3章 対決

ヤタラとタッタの決闘は、どちらか死ぬまで続けられることになりますが、初日は引き分けます。
2日目の決闘中、ダイバダッタの策略の毒吹き矢によって、ヤタラが倒れます。

第4章 危難

決闘は中止となり、ダイバダッタはミゲーラに声の出なくなる毒を飲ませ、犯人の濡れ衣を着せます。
ミゲーラがコーサラ国に連行される途中にタッタが一行を襲い、ミゲーラを救います。
タッタはミゲーラと身を隠すために苦行林へ行き、ブッダと再会します。
ブッダは、ミゲーラの心の中に入って治療し、ミゲーラはしゃべれるようになります。
それを見たダイバダッタは、シッダルタを聖者だと思い、弟子入りします。

第5章 鹿野苑(ミガダーヤ)

苦行林は、ネーランジャー河があふれますが、ブッダは鹿に助けられます。
鹿に導かれるままに、サールナートの鹿野苑に到着し、デーパと4人の修行者と再会します。
ブッダはバカにされて話を聞く人がないので、鹿に教えを説き始めます。
それは、鹿の王が自分を犠牲にして別の鹿を救った話でした。

第6章 牡牛セブーの物語

ブッダがたくさんの鹿に対して、ブッダ外伝の「牡牛セブーの物語」を通して自己犠牲の説法していると、五比丘のうちコーンダンニャ(憍陳如)をはじめ3人が聞きに来たので、八正道の説法をします。
その3人と、苦行主義のデーパともう一人と別れて出て行きますが、通りすがりの軍隊に矢をいかけられ、重傷を負います。

第7章 愚者が行く

コーサラ国は、決闘の裏切りに対する報復でマガダ王国に攻め込みます。
途中でルリ王子はブッダに出会い、ブッダに矢をいかけます。
鹿が体で矢を受けて盾になるので、ルリ王子は驚いて逃げ出します。
夜中にブッダがデーパに輸血している所へルリ王子がもう一度やってきて殺そうとします。
そこへタッタが来てルリ王子を殺そうとしますが、ブッダが制止します。

【第5部】

第5部は、悪魔に守られた盗賊のアナンダが、リータに出会ってや人を救うことを知り、ブッダに出会って仏法の尊さを知らされるという成長の物語です。
アナンダはダイバダッタと父親の違う兄弟になっていますが、仏典ではブッダの親戚で王族です。

第1章 アナンダ登場

カピラヴァストゥがパセーナディ王に攻め落とされた時、逃げてきた戦災孤児のアナンダが悪魔に守られながら成長し、強盗や殺人を繰り返します。

第2章 パンパス刑事

パンパス刑事がアナンダを捕らえようとします。
アナンダはマーラに守られます。

第3章 リータ

アナンダが商人を殺して金を奪うと奴隷であった架空の少女・リータがついてきます。
リータはしゃべれません。
アヒンサー(アングリマーラ)が現れ、アナンダに仕事をもちかけます。
アナンダは、マーラからリータを諦めるようにいわれますが、逆に結婚しようといい、マーラの力を失います。

第4章 アングリマーラ

アヒンサーはアングリマーラと呼ばれるようになったエピソードが紹介されますが、ブッダのお弟子にもなりませんし、それ以外は別人として描かれています。
マーラの力を失ったアナンダは、アヒンサーとの仕事に失敗します。
アナンダが力を失ったことを知ったリータが離れて行き、アナンダは力を取りもどします。

第5章 拝火殿

三迦葉の長兄、ウルヴェーラ・カッサパが登場します。
ウルヴェーラ・カッサパの顔は『火の鳥』に登場する猿田、ブラックジャックの先生の本間丈太郎です。
アナンダは、ウルヴェーラ・カッサパと対決して敗れ、死の淵を彷徨います。
そこへブッダがリータに連れられてやってきて、マーラと対決します。

第6章 カッサパの帰依

マーラに勝利したブッダは、アナンダを死の淵から救います。
カッサパもアナンダもブッダの弟子になります。
リータもしゃべれるようになり、ブッダの弟子になりますが、アヒンサーは逃亡します。

第7章 ワニの河

悪夢にうなされたアナンダに薬草をとってこようと、川の中州へ行ったリータがワニに囲まれます。
それを救いにブッダがワニの河に入って行かれます。
ブッダがワニに説法中、アヒンサーに捕まり、縛られて殴られます。
そこを切り抜けると、三迦葉の弟、ナディー・カッサパとガヤー・カッサパの2人とその弟子たちに象頭山(ぞうずせん)で説法することになります。

第8章 象頭山の教え

象頭山で、人間は煩悩の火が燃えており、それが大きくなって火に包まれるが、煩悩がなければ自然に生きられるという説法をして、ナディー・カッサパもガヤー・カッサパも弟子になります。

第9章 竹林精舎

ブッダがマガダ王国のラージャガハに到着すると、36歳のビンビサーラ王から大歓迎を受けます。
ビンビサーラ王は、在家の弟子となり、子供のアジャセ15歳から5年後に殺されるという予言に苦しみ、ブッダに悩みを打ち明けます。
ビンビサーラ王は、ブッダに竹林精舎を布施します。
アジャセは、お父さんに自分が殺すという変なを吹き込んだと思い込み、説法中のブッダを弓で殺そうとします。
ブッダを射た罪により、アジャセはビンビサーラ王から幽閉されます。

第10章 幽閉の王子

アジャセは、奴隷で架空の少女ユーデリカが世話をします。
ユーデリカはビンビサーラ王に国を滅ぼされて奴隷になった金髪の美少女で、アジャセは恋心を抱きます。
駆け落ちしようとしますが、ユーデリカは処刑され、アジャセはビンビサーラ王を恨むようになります。

【第6部】

第6部では、コーサラ国のルリ王子が、シャカ族の奴隷出身の母親から生まれたという苦悩と、それを怨みにシャカ族へ攻撃をしかける所へブッダがやってきますが、ついにはシャカ族が滅亡してしまう中での様々な葛藤が描かれます。
仏典ではブッダは何度も帰郷され、シャカ族が滅亡するのは晩年のことですが、ここではそれらをまとめて描かれています。

第1章 サーリプッタとモッガラーナ

病に伏したブッダは、アナンダに未来が見える人を探させます。
アナンダは、サーリプッタ(舎利弗)と出会います。
仏典では五比丘の一人、アッサジですが、ここではアナンダにアッサジが乗り移っています。
アナンダは、
あらゆる苦しみは必ずその原因から生まれる
ブッダはそれらの原因を説き明かされる
あらゆる苦しみは必ずとめることができる
ブッダはそれらのとめる方法を説き明かされる

というブッダの教えを伝えます。
するとサーリプッタはそれを真理だと驚嘆し、その友人のモッガラーナ(目連)と250人の弟子を連れて共にブッダのお弟子となります。

第2章 非難する群れ

ブッダはダイバダッタに教団を譲って欲しいといわれますが、叱り飛ばし、サーリプッタとモッガラーナを跡継ぎに指名します。
アナンダの夢にマーラが現れ、リータと結婚するように勧めますが、アナンダはブッダを選びます。
リータは、ブッダを毒蛇から守り、死んでしまいます。
ブラフマンが現れ、ブッダにもっと布教するように勧めます。

第3章 死の沼地

ブッダはアナンダだけを連れて、コーサラ国へ向かいます。
途中でヴィサーカーに再会します。

第4章 狂女ヴィサーカー

ヴィサーカーは、麻薬で気が狂っていましたが、ブッダの導きにより、回復します。

第5章 ルリ王子との再会

アヒンサーがブッダに襲いかかりますが、穴に落ちて死にます。
ブッダは故郷のカピラヴァストゥで、コーサラ国のルリ王子に再会します。
シャカ族はコーサラ国に征服され、強制労働させられています。
牢に入れられたお父さんのスッドーダナ王に十数年ぶりに再会します。
カピラヴァストゥの人々は3千人から8百人に減り、その生き残りにブッダが説法をすることになります。
その内容は、因果応報の因果の道理です。

第6章 意志と意志

ブッダは20年前に城を出たとのことなので、49歳です。
子供のラーフラと妻のヤショダラに再会します。
ブッダはルリ王子に一対一で何時間も話をします。
ルリ王子は、話が分からずにブッダをカピラヴァストゥから追放しますが、死んだらどうなるか気になってきます。

第7章 解放の日

ルリ王子は、ブッダに話を聞きに来ます。
やがてその意味が分かり、シャカ族を解放します。

第8章 ダイバダッタの陰謀

マガダ王国で幽閉されているアジャセは、20歳になっています。
ダイバダッタが5年間飲ませていた痲薬を突然やめ、ビンビサーラ王は禁断症状で苦しみます。
アジャセは王位につき、ビンビサーラ王を幽閉します。
ダイバダッタはアジャセの権力で竹林精舎のブッダの教団の指導者になりますが、4分の1しかついてきません。
ダイバダッタは象頭山(ぞうずせん)に拠点を構えますが、それもサーリプッタとモッガラーナにすべて連れ戻されてしまいます。

仏典では、2人は説法と神通力によって500人の弟子全員を連れ帰りますが、ここではブロッケン現象で後光が差したという科学的な描写がなされています。

第9章 ナラダッタ

ブッダはナラダッタの死を目撃し、自分の死を深く考えるようになります。

第10章 祇園精舎

スダッタ(給孤独長者)が、祇園精舎建立のためにジェータ王子(祇多太子)の樹林に黄金を敷き詰めて譲り受けるという比較的仏典の通りのエピソードです。

第11章 陥穽

ルリ王子は再び軍勢を率いてシャカ族を滅ぼしに向かいますが、ブッダがルリ王子と話をして一人で防ぎます。
ルリ王子は、王位を奪い、パセーナディー王を幽閉します。
コーサラ国に祇園精舎が建立されますが、ブッダの教団の繁栄を妬んだ外道が、ブッダを殺人犯にしたてあげます。

第12章 シャカ族の滅亡

ルリ王はブッダを擁護しますが、シャカ族がコーサラ国に戦争をしかけてルリ王の返り討ちにあい、滅亡します。
タッタも戦死します。

【第7部】

第7部では、ブッダ65歳頃から80歳でお亡くなりになるまでの話が急速に展開します。
仏のさとりは最高無上のさとりなので、それ以上のさとりはありませんが、ブッダはここでも新しいさとりを開き、その内容を霊鷲山で説法します。
そこには、生きとし生けるものの源はつながっているという手塚治虫の生命観が説かれます。
そして冒頭でも、ブッダが仏のさとりを開く時にも出てきた捨身供養が説かれ、慈悲の心で苦しんでいる人を救えば、やがて自分が助けられるという手塚治虫の描いたブッダのテーマの集大成が示される重要なところです。

第1章 悲報

ブッダは65歳以上になっています。
カピラヴァストゥから王舎城に逃げてきたスッドーダナ(浄飯)王やパジャーバティー(マカハジャバダイ)が、お弟子になります。
幽閉されていたパセーナディー(波斯匿王)は、脱獄してマガダ王国のビンビサーラ王に助けを求めに行きますが、すでに政権はアジャセ王に移っており、野垂れ死にします。
ブッダは、コーサラ国からマガダ王国に向かいます。

第2章 ダイバダッタ

ブッダがマガダ王国に到着すると、ビンビサーラ(ビンバシャラ)王は幽閉され、アジャセが王になっています。
これは、王舎城の悲劇をモデルにしています。
竹林精舎の仏教の教団は、ダイバダッタに乗っ取られています。
ダイバダッタは、4回ブッダを殺そうとしますが、失敗して自分が死んでしまいます。

第3章 アジャセ王の微笑

ダイバダッタの死にショックを受けたアジャセ王は病気になります。
アジャセ王の難病を長い時間をかけて治療したブッダは、すべての人が救われることを知らされます。
それを霊鷲山に登って人々に説き続けます。
これは何となく『法華経』を思わせますが、内容はまったく違い、冒頭の兎の捨身供養が繰り返されるオリジナルの内容です。
ビンビサーラ王には、大公妃が体に蜂蜜を塗って食事を運びますが、牢獄で死んで行きます。
本来は、この間に大公妃に対して『観無量寿経』が説かれているはずです。

第4章 旅の終わり

ブッダは70歳です。
サーリプッタとモッガラーナが亡くなり、モッガラーナからの手紙にブッダの命はあと10年という予言があります。
ブッダは旅に出て、チュンダからキノコの布施を受けます。
ブッダが危篤になった時、解放されたという弟子がいますが、アヌルッダから注意を受けます。
注意したのは大迦葉でもありませんし、アヌルッダは失明していません。
ブッダは最後に三宝を信ぜよ、怠ることなく精進せよ、と言い残されて、涅槃に入られます。
それから、ブラフマンと旅に出ます。

手塚治虫が『ブッダ』に描こうとしたテーマ

では手塚治虫は、『ブッダ』に何を描こうとしたのでしょうか。
ブッダ』連載中に、どんなことを描こうとしているのか答えたこのようなインタビューがあります。

手塚治虫手塚治虫

お釈迦様の教義とか本質といったものは、漫画にならないんですね。それを描くと、解説漫画になってしまう。
ぼくは、釈迦、つまりシッダルタをめぐる人間ドラマを描こうとしているんです。シッダルタのありがたさとか、シッダルタの教えよりも、人間そのものを掘り下げたい。仏陀の生きざまを、ぼくなりの主観を入れて描きたいのです。

(『コミックトム』1980年5月号)

このように手塚治虫は、お釈迦様が何を教えられたかよりも、創作された周りの人々や事件の中で、お釈迦様自身がどう生きるのか、というブッダの生き方を描こうとしているのです。
宗教性は少なく、登場するのようなものは、シッダルタのメンターの設定になっているブラフマンや、アナンダに取り憑いている悪魔くらいで、神通力には科学的な解説がなされている所もあります。

そんな中で、『ブッダ』のテーマになっているのは、「生命」です。
手塚治虫は、生まれる前のすべての生命のもとは一つで、死ねばそこへ帰っていくという生命観を描いています。
そこへ、この世のすべては関わりあっているという仏教の因縁の教えを加えながら、ブッダは殺生を否定し、差別や戦争に反対します。
そして、冒頭の兎の自己犠牲、アッサジの自己犠牲などが繰り返され、ブッダ自身も自分を犠牲にして他人を助け、自己犠牲によって他人を救うべきという利他的な生き方を推奨しています。

実際、読者に対してどういうことを訴えようとされているのでしょうか?という質問に対して、手塚治虫はこう答えています。

手塚治虫手塚治虫

自分のまわりには他人がいて、他人のまわりには社会があって、社会のまわりには世界がある。そういうふうな関連性を考えて、精一杯生きていく。そういうつながりを考えなければ生きていけないということですね。
(『コミックトム』1980年5月号)

このように、生命の源は一つということと、自己犠牲という、一貫したテーマを、手塚治虫の織りなす非常に面白いストーリー展開で描かれたのが『ブッダ』です。

ブッダ』の思想と仏教の違い

このように『ブッダ』は手塚治虫の才能のひらめく手に汗握る楽しい作品になっているのですが、手塚治虫自身が、仏典をゆがめたのではないかと後悔している部分もある、とこう語っています。

手塚治虫手塚治虫

ダイバダッタとアナンダ(正しくはデーヴァダッタとアーナンダ)については、作者は、もっとも極端な物語の改革を行った。そのために、正しい仏典がゆがめられたのではないかと悔やんでいる。
ダイバダッタの性格を現代青年のマキャベリズム(権謀術数主義)におきかえた設定は、成功だったと思っている。しかし、アナンダを人殺しの小悪党にしたてた改革は、すこし度が過ぎていたかもしれない。原典では、二人とも上流階級の出で、ブッダの徒弟に当たる人間なのだ。

(手塚治虫『あとがきにかえて ゴータマ・ブッダ実伝』)

このように、最初からフィクションを大いに入れるつもりだったのですが、それは後から後悔するほどだったのです。

そして、『ブッダ』によって、仏教を学ぶこともできないと手塚治虫はこのように言います。

手塚治虫手塚治虫

例えば、最近の映画"空海"。あれから仏教精神を学びとるのはむずかしいのであって"ブッダ"も同じ。学ぶのであればやはり、その前に仏典や専門書を読まれるのをすすめたい。
(「毎日新聞」1984年6月26日 横山真佳編集委員/出典:『手塚治虫のブッダ』)

確かに、手塚治虫のブッダは仏教とは違う内容が描かれています。
例えば仏教では、すべての生命の源が一つで、死ねばそこへ帰るわけではありません。
死ぬまでの行いによって、一人一人が次の世界へ生まれ変わって行きます。
これが輪廻転生です。

また、ブッダは晩年まで何回も悟りを開いていますが、お釈迦様が菩提樹の下で開かれた仏のさとりは、大宇宙最高の悟りなので、それ以上に悟るということはありません。

また、ブッダがピッパラの木の下で開いたさとりの内容を、人間が生きている意味は、あらゆるものにつながりがあるから、大事な役目をするために生きていると言っていますから、手塚治虫は、生きる意味は役目を果たすためのように考えていますが、仏教ではそうではありません。
手塚治虫にとって、生きる意味と生き方に区別はありませんが、仏教では何のために生きるのかという生きる目的と、どう生きるかという生きる手段は区別されますので、このあたりを仏教だと思ってしまうと重要なところで間違います。

手塚治虫の仏教観

連載終了後のインタビューでは、書き進むにつれて、手塚治虫は仏教に傾倒していったといい、ブッダの魅力についてこう語っています。

手塚治虫手塚治虫

ぼくには何よりも率直に言ってすごい哲学者だということです。いわゆる仏教の教えを説いた宗教的カリスマであるよりも、哲学者として偉大である。その深い広大な思想は歴史を超え、むしろ現代に生かさなければならない、じつは最も新しい思想だと思うのです。ブッダを書いて、ぼく自身いい勉強になりました。
(「毎日新聞」1984年6月26日 横山真佳編集委員/出典:『手塚治虫のブッダ』)

また、こうも言っています。

手塚治虫手塚治虫

仏教徒の数は日本でも、アジアでも崩壊してきているが、一方ではヨーロッパやアメリカでは関心を寄せる人が増えてきている。ただの物めずらしさではなく、どんどん仏教徒が生まれているのですね。それは仏教が、哲学・思想として膨大に広いものを持っているからでしょう。
(中略)
人間の哲学が小さく小さくなってゆく中で、これは広大で、現代が必要としている思想ではないか。これを持たないでは21世紀も22世紀もない。地球も人類も存在しないという気さえします。

(「毎日新聞」1984年6月26日 横山真佳編集委員/出典:『手塚治虫のブッダ』)

このように、12年間の連載の間に、手塚治虫は、すっかりブッダが好きになり、哲学・思想としても、歴史を超える広大なもので、現代に生かさなければならないと言います。

仏教は、本当の生きる意味を明らかにされた教えですので、手塚治虫も言うように、現代が必要としている教えです。
では仏教に明らかにされた本当の生きる意味とはどんなことなのか、どうしたらそれを果たせるのかについては、仏教の真髄ですので、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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