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生きる意味を、知ろう。

仏さまが助けてくれる苦しみとは

「苦しい…辛い…助けて!」
人間誰しも苦しい時があります。
しかし苦しみから逃げ回っていては、
苦しみはどんどん追いかけてきて、もっと苦しくなるばかりです。
逃げても解決にはなりません。
苦しみから目をそらさず、深い苦しみを直視することによって、
苦しみの解決が見えて来るのです。

では仏教が助けてくれるのは、どんな苦しみでしょうか?

すべての人の共有の苦しみ

まず、みんなが一番苦しいと感じていることはどんなことなのか、アンケートを採ってみたところ、以下のような結果となりました。

やはり一番は「お金が足りない」ことでした。
経済的な問題も大きいです。
そして2番目は、健康問題です。
これも大変苦しいことです。
生きていく時には、健康でお金もなければいけませんし、人間関係もうまくやらなければなりません。
それらを全部つつがなく取りそろえるのは、大変なことです。

生きるのが苦しい
と感じるとき、強い自殺願望などあるのは、うつ病やパニック障害などの精神的な病気の可能性があります。
病気や事故での苦しみは多くの人が受ける苦しみであることに間違いありません。

その肉体的な問題については、病院で医師と相談することで回復に近づき、苦しみを除けるでしょう。
仏教で説かれる苦しみは、肉体的な苦しみ(うつ病なども脳の病気の一種と言われるので肉体の病に含みます)ではなく、すべての人に共有されている苦しみです。

体がどれだけ健康でも、人は苦しみを感じています。
体はどこも悪くないのに生きるのが苦しい
これはどのような苦しみなのでしょうか。

このような苦しみはどうやって解決すればいいのでしょうか。

仏教で説かれる三苦(3つの苦しみ)

仏教では「一切皆苦いっさいかいく」と教えられ、すべてのものは苦しみであると説かれます。
これは「四法印しほういん」という仏教の基本的な教えの一つです。
四法印についてはこちらに詳しく解説してあります。
三法印(四法印)仏教の旗印を分かりやすく解説

ですが苦しみといっても色々な苦しみがあります。
仏教では、種類別に「四苦八苦しくはっく」という
8つの苦しみも教えられています。
四苦八苦については以下に分かりやすく解説してありますので、合わせてご覧ください。

四苦八苦しくはっく仏教での意味…絶対避けられない苦痛

四苦八苦は、苦しみの種類なのですが、
苦しみの深さについては、浅いものから深いものまで3つに分けて、
三苦さんく」を教えられています。

それが次の3つです。

三苦
  1. 苦苦くく
  2. 壊苦えく
  3. 行苦ぎょうく

ブッダは、表面的な分かりやすいものから初めて、
深くて根本的な苦しみを教え、
一時的ではなく、根本から苦しみを助けてくれます。

辞書にも以下のように出ています。

仏教は苦を、苦苦(duḥkha-duḥkha)、壊苦えく(vyayaduḥkha)、行苦ぎょうく(saṃskāraduḥkha)の3種(三苦)に分けて説明する。
<苦苦>は肉体的な苦痛を、<壊苦>は損失による精神的な苦痛を表し、一般に用いる苦の意味に近い。
一方、仏教は生まれたままの自然状態、すなわち凡夫ぼんぶの状態は迷いの中にある苦としての存在と捉え、そこから脱却して初めて涅槃という楽に至ると考えて、この迷いの世界のありさまを<行苦>と表現する。

これではわかりにくいと思いますので、わかりやすく意味を解説していきます。

1.現在苦しいと感ずる苦(苦苦)

まず1つ目の「苦苦くく」とは、
現在苦しいと感ずる苦」です。
嫌なこと、会いたくないことに直面する苦しみです。

夏になれば暑いですし、冬になれば寒いといって苦しみます。
事故に遭って怪我をすれば苦しいですし、
病気になって苦しむこともあります。
人から悪口や嫌みを言われて苦しんだり、
恋愛なら、片思いだと苦しくなります。
なぜあの人は振り向いてくれないのでしょうか。
経済的な問題でも苦しいものばかりです。
特に借金をかかえると苦しくなります。

これは、正常な感覚の持ち主なら、
誰しも感じる分かりやすい苦しみです。

この苦しみについては、
何も仏教ではなくても、
病気なら病院で治したり、
人間関係や仕事でも、色々なノウハウを学んで
苦しみを和らげたり、改善することができます。

ですが、これは対症療法ですので、
一時的な安らぎで、すぐにまた別の苦しみが起きてきます。
これでは根本治療ではありません。
仏教では、苦しみの根本解決のために、
さらに深い苦しみを教えられています。

2.楽しかったものがくずれる苦(壊苦)

次の「壊苦えく」は、
楽しかったものがくずれる苦」です。
苦苦くく」のように、いきなり苦しいわけではありません。
最初に出会ったときは、確かに楽しかったのです。
ところが、続けているうちに苦しみになります。

カレーが好きで、1週間の間、1日3食、毎食のように食べてみると
連続21回カレーです。
そこまで行くと、どんなにカレー好きでも、
他のものが食べたくなったりします。

他にも、好きな部活に入ったのに、
毎日毎日練習していると、だんだん苦しくなって、
休みの日を喜んだりします。

社会に出て、好きな仕事についたのに
終業時間が待ち遠しくなったり、
恋愛では、あの素晴らしい愛をもう一度、
と思ったりします。

これをブッダは、
苦しみの新しい間を楽しみといい、
 楽しみの古くなったのを苦しみという

と教えられています。

なぜかといいますと、
諸行無常しょぎょうむじょう」だからです。
諸行」はすべてのもの、
無常」は常が無い、続かないということです。

永遠に楽しいものはありませんから、
この世のすべては一時的な、儚い楽しみです。
最初は楽しいものも、一過性のことで、
結局は苦しみに変わってしまうのです。

盛者必衰じょうしゃひっすい」、
会者定離えしゃじょうり」といわれます。
どんなに栄えている人もやがては衰え、
大切な人ともやがて別れていかなければならないのです。

人生には、出会いの数だけ別れがあり、
楽しみの数だけ苦しみがあるのです。

ちなみにこれに関連して、好きな人や物と別れる苦しみである、
愛別離苦についてはこちらの記事をご覧ください。
愛別離苦の意味と失恋・死別の別れを克服し乗り越える方法

諸行は無常ですから、どんな人も避けられません。
人生は苦なり」ということです。

ところが、さらに深い苦しみがあります。

3.無常をなげく苦(行苦)

最後の「行苦ぎょうく」は、「無常をなげく苦」です。
なぜかというと、「行苦」の「行」というのは、諸行無常の「行」と同じで、この世のものすべてを「行」といいます。
この世のものすべては続かない、無常であることをなげく苦しみです。

無常をなげくということは、
まだ「壊苦えく」のように、楽しみはくずれていないのです。

ですから、苦苦や壊苦のように明快な苦しみではありません。
ですが人生にいつもつきまとっている、ぼんやりした苦しみです。
とりたてて不幸というわけではないけれど、どことなく喜べない。
何が足りないか分からないのに、何か物足りない。
そんな虚しい気持ちになります。

今は幸せでも、その幸せが続かないことが
分かっている苦しみです。

まったく苦しいように見えない、幸せに恵まれた人も、
特に仏縁深い人は感じる苦しみです。
これは、不安虚しさとなってあらわれます。

太宰治の感じていた行苦

たとえばお金や才能に恵まれ、
恋人にも困らなかった太宰治は、
弱虫は幸福をさえも怖れるのです
と言っています。

諸行は無常ですから、
幸福はやがてくずれることは、
これまでの経験上分かっているので、
くずれる前から不安に怯えるのです。

太宰治は他にも、
トカトントン』という短編を書いています。
『トカトントン』はこちらの青空文庫で無料で公開されています

主人公が何かで盛り上がってくると、
頭の中で「トカトントン」という音がして、
すべてがしらけてむなしくなってしまうのです。

最初に聞こえたのは、玉音放送の時でした。
太平洋戦争に負けたことが分かったとき、
周りは悲壮な空気に包まれたのですが、
どこからともなく「トカトントン」と音がして、
しらけてもうどうでもよくなってしまいます。

次に、主人公は小説を書いていて、
過去の文豪たちの作品を参考に、
どういう結末にしようかワクワクしながら考えます。
すると「トカトントン」と音がして
むなしくなってしまいます。

次は、政治運動に参加しても、
トカトントンと音がしてやめてしまう。
誰かと恋に落ちても、トカトントンと音がして、
終わりにしてしまう。

そして、この短編小説を書いているうちにも、
トカトントン・トカトントン……とさかんに音がしてきて
読み返さずに、とにかく書き上げてしまうという話です。

このように、仏縁深い人には、
苦しいときだけでなく、楽しいときにも、
何か、むなしくなってしまう心があるのです。
それが、行苦という無常をなげく苦です。

このように仏教には、苦苦、壊苦、行苦の3つの苦しみが教えられています。

三苦
  1. 苦苦くく」……現在苦しいと感ずる苦
  2. 壊苦えく」……楽しかったものがくずれる苦
  3. 行苦ぎょうく」……無常をなげく苦

ではこの中で、仏教で解決できる苦しみはどの苦しみでしょうか?

仏教が助けてくれる苦しみとは?

それは、仏教を説かれたブッダが、なぜ悟りを求められたのかという出家の動機を知れば分かります。
ブッダは一国の王様の子として生まれましたので、
出家される前、カピラ城というお城で、
将来は王様になれる皇太子として、
何不自由なく暮らしていました。

文武両道で、何をやっても連戦連勝、
欲しいものは何でも手に入り、
19歳で国一番の美女と結婚して、
かわいい子供にも恵まれて、
周りから見れば何もかもが順風満帆のように見えました。

ところがお釈迦さまご自身は、
少しも心が晴れませんでした。

なぜなら、どんなに健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、
やがてすべてに見捨てられるときが来る。
どんな幸福も続かないことを知っておられたからです。

そんな人間存在そのものの苦を
知っておられたお釈迦さまは、
どうしたら、崩れない本当の幸せになれるのかと、
さとりを求め始められたのです。

出家と苦しみの解決

そして、29才で出家されたブッダは、
私たちの想像もできない厳しい修行を6年間なされ、
35才で大宇宙最高のさとりである仏のさとりを開かれたのです。

そして、諸行無常の世界で、
どんな人も未来永遠変わらない幸せになれる道を
明らかにされました。

その教えを今日、仏教といわれます。

ですから、仏さまが特に助けようとねらいを定めているのは、
苦苦や壊苦というよりも、
一番根本にある、無常をなげく「行苦」です。
この苦しみの根本を解決すれば、
絶対変わらない、絶対の幸福になれるのです。

行苦の苦しみの対処法

ではどうすれば諸行無常の世界で変わらない幸せになれるのでしょうか?
瞑想をしても、物事への視点を変えても、他人を理解しても、執着を減らしミニマリストになっても、行苦の苦しみは解決できません。

これは仏教の真髄ですので、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。

苦しみは幸福の一里塚と思い、一層奮起しましょう。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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