自力と他力の違い

仏教には、自力の仏教と、他力の仏教があります。
小乗仏教は、全部自力ですが、
大乗仏教は、自力と他力があります。

この2つは一体どう違うのでしょうか?

自力の仏教とは?

世間では自力というと、
テレビゲームで攻略本を使わずにクリアしたときに
「自力でクリアした」と言ったり、
雪山で遭難したときなどに「自力で脱出した」と言ったり、
自分の力のことを自力といわれます。

ところが仏教で「自力」というのは、
単に自分の力ということではありません。
自分の力で苦しみから離れようとすることです。

ですから、自力の仏教というのは、
例えば、山にこもって滝に打たれたり、
座禅や瞑想をしたり、自らの修行によって、
心をコントロールして、悟りを目指す教えです。

自力の仏教の本質的な考え方

自力の仏教といっても色々な宗派がありますが、
それらの宗派に共通した、本質は、
私たちは果てしない遠い過去からの
煩悩のサビによって曇っているものの、
サビの底には輝く仏性があると思っていることです。

そのため、私たちがこの本当の姿を体得すれば、
煩悩即菩提、成仏できると考えて、
その仏性を磨き出すための修行をするという教えです。

それが座禅や瞑想であり、
それが心の整え方や心のコントロールとなります。

ただし、さとりを得るには出家は必須条件で、
出家して戒律を守り、難行苦行しても悟りを得るのは不可能なほど難しく、
ものすごい長期間がかかり、
在家の人になると100%不可能です。

他力の仏教とは?

他力というのは、世間で思われているような、
他人の力のことではありません。

阿弥陀仏のお力だけを他力といいます。

この他力の仏教では、
真実の自己は、煩悩でできた悪人で、
仏性などはないと教えています。

ところが私たちは、
何とかすれば幸せになれると自惚れているので、
仏教を聞いて、他力(阿弥陀仏のお力)によって
自惚れ心が打ち砕かれ、
真実の自己が知らされたとき、
変わらない幸福になれると教えられています。

この他力の仏教では、出家しなくても、
男も女も、すべての人が救われます。

それには、苦悩の根元を知り、
それを断ち切られなければなりません。
苦悩の根元については、
メール講座の最初にもらえる小冊子にまとめてありますので、
読んでみてください。

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