因果応報(いんがおうほう)とは?

人生には、色々な楽しみや苦しみが起きてきます。
それらの楽しいことや、苦しいことは、どうして起きてきたのでしょうか。

その幸せや不幸を生みだしている法則が、仏教に説かれている
因果応報」です。

因果応報とは?

因果応報」とは、
因に応じて果が報う」ということです。

ですから因果応報とは、
たねまきに応じた運命がやってくるという
因果の道理のことです。
因果の道理は、「縁起」と言っても同じで、
縁起説」と言われることもありますが、
この因果の道理のことです。

では、因果の道理とはどんなことなのでしょうか?

仏教の根幹

因果の道理は、仏教の根幹です。
よく「仏教の中心思想は縁起説である」と言われたりしますが、
要するに、因果の道理は仏教の根幹ということです。

根幹」とは、根っこであり、幹である、
ということです。

仏教を木にたとえると、因果の道理は、根っこであり、
幹にあたります。

木には、枝が出て葉がしげり、花が咲いて、実がなります。
それは、根っこがあり、幹があるからです。
根っこや幹がなければ、木は枯れてしまいます。

お釈迦さまの説かれた一切経は、
七千余巻のたくさんのお経ですが、
その七千余巻の一切経を貫いているのが、因果の道理です。

仏教の根幹は因果の道理ですから、
因果の道理が分からなければ、
仏教は一切分かりません

どんなに『法華経』の意味が知りたいとか、
華厳経』の意味が知りたいとか、
般若心経』の意味が知りたいと思っても、
因果の道理が分からなければ、決して分かりません。
それだけ重要なのが、因果の道理です。

では、因果の道理とはどんなことなのでしょうか?

因果の道理の「道理」とは?

まず、因果の道理の「道理」とは、
三世十方を貫くもののことです。

三世」とは、過去、現在、未来のことで、
いつでも、ということです。
十方」とは、東西南北上下四惟(北東、北西、南東、南西)のことで、
どこでも、ということです。

いつでもどこでも変わらないものを道理といわれます。

ですから、昔も今も、今からも成り立つ
大宇宙の真理が、
「道理」です。

では、いつでもどこでも変わらない大宇宙の真理とは
どんなことでしょうか?

因果の道理の「因果」とは?

いつでもどこでも変わらない、
大宇宙の真理とは何かというと、
すべての結果には必ず原因がある
ということです。
これを「因果」といわれています。

もちろん、原因が分からないことはあります。
例えば、昔はなぜ伝染病になるのか分かりませんでした。
そのため、神の怒りだとか、魔女のせいだとか、
色々な原因を考えましたが、全部はずれでした。

しかしそれは、原因がないということではありません。

19世紀になると、科学が発展して、
伝染病の原因は病原菌だと分かりました。

原因が分からないことはあっても、
原因がないということは絶対にありません。

この世のことすべては、どんな小さな結果にも、
必ず原因があるのです。

特に仏教では、私たちがもっとも知りたい運命の
原因と結果の関係が教えられています。

運命の原因と結果には、どんな関係があるのでしょうか?

運命をつむぎ出す原因と結果の法則

それが、
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
のお釈迦さまのお言葉です。

これは、善いたねは、善い運命、
悪いたねは、悪い運命を引き起こす。
自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならない
ということです。

植物でいいますと、
アボカドのたねをまけばアボカドが出てくる、
柿のたねをまけば柿が出てきます。

アボカドのたねをまいて柿が出てきたり、
柿のたねをまいてアボカドが出てくることは
絶対にありません。

この「たね(因)」というのが、
行いのことですので、
善い行いは、幸せという運命を生みだし、
悪い行いは、不幸という運命を引き起こす、
自分の運命は、自分の行いが生み出すのだ

ということです。

因果応報」とは、
善因善果
悪因悪果
自因自果
という運命をつむぎ出す法則のことなのです。

因果応報のポイント

この因果応報というのは、
幸せがやってきたときには、よく分かります。
大学に合格したのは、自分が頑張って勉強したからだ
と思います。

お金が儲かったのは、自分が頑張って働いたからだとか、
難しい局面を乗り越える自分のアイディアがよかったからだ
と思います。

ところが、因果応報が分からないのは、
不幸が訪れたときです。

テストの点が悪かったときは、
自分の勉強不足とはなかなか思えません。
自分は頑張って勉強したのに、
先生があんな問題を出すからだと思います。

仕事がうまく行かず、損したときには、
自分は頑張って働いているのに、景気が悪いとか、
ライバル社が悪いと思います。

しかし、因果の道理は、道理ですから、
いつでもどこでも成り立つ大宇宙の真理です。
自分の都合のよいときだけ、
「自分が頑張ったからだ。因果応報は当然だ」と思って、
自分に都合の悪いときは、
「因果応報とはとても信じられない」と思うのは、
一貫していません。

自分の都合に関係なく、
因果応報は、いつでも成り立つ真理なのです。

運命の分かれ道

因果応報は、幸せが来たときには簡単に受け入れられますが、
不幸が来たときには、なかなか受け入れられませんから、
不幸がやってきたときに、自分のたねまきを反省できるかどうかが、
今後の運命の分かれ道です。

パートナーが不倫をしたとき、
相手が悪いと思いますが、接し方に問題があったり、
実は自分も不倫をしていたりするかもしれません。

自分をたなにあげて、相手だけ変えようと思っても、
事態が改善することはありません。

子供が言うことを聞かずに困っていたら、
実は自分も、親の言うことを聞いていないかもしれません。

因果応報、自分のたねまきの報いが現れているのです。

運命を生み出しているのは、善くも悪くも、自分の行いですから
都合が悪いときほど、自分のたねまきを反省して、
少しでもよりよい未来を生み出せるよう、
悪いことをやめて、善い行いをするようにしていきましょう。

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