報復や復讐(目には目を)の報い

誰かにいじめられたり、嫌がらせを受けたとき、
怒りや怨みの心が起きてきます。
そして「いつか復讐してやる、報復してやる
と憎みます。

ところが、復讐や報復は、あなたに不幸を引き起こすのです。

限りなく続く報復の連鎖

私たちは、誰かに嫌がらせを受けたり、
都合よく利用されたり、
何かを奪われたりしたとき、
腹を立てたり、恨んだりして、復讐したくなります。

日本でも、『忠臣蔵』の大石内蔵助の敵討ちなど、
敵討ちが喝采されることもありますし、
ハムラビ法典にも旧約聖書にも、
目には目を、歯には歯を
と書かれているように、
これは紀元前の昔からの人間の自然な心情です。
誰しも、やられたらやり返したくなるのです。

ところが「目には目を」の精神では、
報復には報復を」となりますから、
報復は無限に連鎖して終わることがないのです。

実際、このような精神を持った
キリスト教とイスラムの対立は、
果てることなく報復を繰り返し、
多くの犠牲者を出しています。

ところが、2600年前に説かれた
仏教の教えからは、報復も復讐も出てきません。

報復や復讐についての仏教の教え

仏教では、私たちの運命は、
自分の行いが生み出すと教えられています。
これを「因果の道理」といい、
仏教の根幹として説かれています。

私たちの行いと、
生み出される自分の運命には、
善因善果
悪因悪果
自因自果

という関係があります。

善い行いをすれば、幸せ運命が生み出され、
悪い行いをすれば、苦しい運命が生み出されます。
自分のまいたたねは、自分が刈り取らなければならない
ということです。
私たちの運命は、いいのも悪いのも自業自得なのです。

この因果の道理からすると、
相手が私を苦しめたからといって、
報復のために相手に危害を加えると、
それは悪い行いですから、
自分に不幸な苦しい運命が生み出されてしまいます。

ブッダはこのように教えられています。
怨みに、怨みをもってせば、
つい
にもって休息を得べからず。
忍を行ずれば怨みをや
むことを得ん。
これを如来の法と名づく

(『法句経』)

報復は報復によって終わらず、
忍耐によって報復は終わる、
これが真実である、ということです。

相手が自分に嫌がらせをしたということは、
相手の悪い行いですから、因果の道理によって
相手は報いを受けて不幸な運命にみまわれるのです。
こちらで何かをする必要はありません。

嫌がらせやいじめを受けたときは、
忍耐するのが大切です。

この教えを守った有名な人が
法然上人です。

報復をやめた法然上人

法然上人は、現在の岡山県である
美作国(みまさかのくに)稲田庄の豪族、
漆間時国(うるまのときくに)の子として生まれました。
幼名を勢至丸(せいしまる)といいます。

ところが漆間時国は、かねてから仲の悪かった
源定明にふとしたことで大きな怨みを買います。

やがて勢至丸が9才のとき、
源定明は、軍勢を連れて時国に夜襲をかけたのです。
不意をつかれた漆間時国は、一人で源定明の軍勢と戦いますが、
奮戦むなしく、最後は討ち取られてしまいました。

この騒ぎに目を覚ました幼い勢至丸が駆けつけたときには、
すでに源定明の軍勢は引き上げた後で、
体中に傷を負って虫の息のお父さんが
横たわっていたのです。

事情を聞いた勢至丸は、歯を食いしばって涙を流し、
武士たる者が、寝首をかきにくるとは卑怯千万、
この怨み、やがて必ずはらしてご覧に入れます
」と
臨終の父親に敵討ちを誓います。

ところがそれを聞いた時国は、
「そなたの気持ちは嬉しいが
それは父の望むところでない。
これは自らのによる因果応報(いんがおうほう)なのだ。
もしそなたの敵討ちが成就したとしても、
敵の子は今度、そなたを敵とねらって、
敵討ちは幾世代にわたって絶えないであろう。
愚かなことだ。
もし、父の事を思ってくれるのなら、
出家して日本一の僧侶となって、
見事、父の菩提を弔ってくれ、
これがそなたへの最後の望みだ

と言いつつ死んでいきました。

時国の遺言は法然上人の心に深く刻み込まれ、
遺言に従って出家したのです。

13才で比叡山に登り、
43才のとき、
ついに浄土宗を開かれます。

もし仇討ちに人生を費やしていたら、
悲惨な人生になったことでしょうが、
お父さんの遺言通り、ブッダの教えにしたがわれ
歴史に名をとどめる高僧となったのです。

ではどうすればいいのでしょうか?

嫌がらせを受けた時、
目には目を」と復讐や報復するのは、
因果の道理が全然分かっていないのです。

まいたたねは、善いたねであろうが、
悪いたねであろうが
まいた人が報いを受けていきます。

悪意で嫌がらせをしてくるのは、
その人が結果を受けていくのですから、
復讐や報復、敵討ちという考え方は
因果の道理からは出てきません。

その人が悪いことやったら、
その人が結果受けるのが因果応報です。

やられたらやり返す」という世間の姿は、
因果の道理に反した次元の低い世間の迷いごとですから、
仏法者にあってはなりません。

ブッダは、
あしき友と交わるなかれ
いやしき人をも侶
(とも)とせざれ、
こころ清き友と交わるべし、
おのれにまされるを侶
(とも)とせよ
(『法句経』)
と教えられています。

を好む人には謹んで遠ざかり、
共に本当の幸せに向かう人に近づくべきなのです。

では、その本当の幸せになれる教えとは何かということは、
仏教の真髄ですが、メール講座と小冊子に分かりやすくまとめました。
ぜひ一度読んでみて下さい。

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