大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)とは

大乗非仏説」とは、大乗仏教は釈迦の説かれたものではない、という説です。この主張を信じている人は、たいてい大乗仏教を否定します。一体何を根拠に、大乗仏教は釈迦の説かれたものではないと主張するのでしょうか?
また、その反論はあるのでしょうか?

大乗非仏説とは

大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)とは、大乗仏教が、釈迦の説かれた教えではない、という説です。
大乗仏教」とは何かというと、「大乗」とは、大きな乗り物のことですから、大乗仏教とは、大きな乗り物のよう仏教ということで、すべての人が救われる教えです。
それに対して「小乗仏教」といわれる教えがあります。「小乗」とは、小さな乗り物のことで、まず自分の悟りを目指す教えです。
他人を後回しにして自分が助かろうとするのは自己中心的ですから、聞き誤って伝えられている教えです。
他人を救うと同時に自分が救われる自利利他の大乗仏教が、すべての人が救われる教えであり、本来の仏教なのです。

この小乗仏教と大乗仏教のうち、日本に伝えられ、現存している仏教の宗派は、すべて大乗仏教です。その日本の仏教である大乗仏教は、釈迦の説かれた教えではないという主張が大乗非仏説です。
このように主張する人は、大乗仏教を否定しますので、奈良仏教の法相宗華厳宗も、平安仏教の天台宗真言宗も、鎌倉仏教の禅宗浄土宗浄土真宗も、日本の仏教はすべて釈迦の説かれた教えではないと日本の仏教を否定する主張です。

大乗非仏説を主張する人は、どんな人たちがいるのでしょうか?
その歴史的な経緯を見てみましょう。

大乗非仏説の歴史

インドの大乗非仏説

大乗非仏説は、仏教が説かれたインドでもありました。
しかし、小乗仏教とされた部派仏教の論書で、大乗非仏説を主張した文献はほとんどありません。ようやくお釈迦さまから千年ほど経過した5世紀以降の『アビダルマディーパ(阿毘達磨灯論)』という説一切有部という部派の論書に出てきます。

もっと昔からインドに大乗非仏説があったらしいことは、インド仏教についての中国の文献に記されています。例えば6世紀にインドから中国にやってきた真諦(499-569)という僧侶の『部執異論疏』です。
そこには、仏滅後200年、つまり紀元前400年頃に、大衆部という部派で、『華厳経』『涅槃経』『勝鬘経』『維摩経』『金光明経』『般若経』などの大乗経典を引用していたといいます。ところが大衆部の人でも、これらのお経を信じる人と信じない人がおり、信じない人は、『般若経』などの大乗経典など存在しないとか、それらは仏説ではないと言っていた、と記されています。
他にも、5世紀以降の複数の中国の文献に、大衆部に大乗経典が伝えられ、その中に大乗非仏説があったと記されています。

テーラワーダ仏教の大乗非仏説

このインドの大乗非仏説に関連して、現代でもテーラワーダ仏教の人たちは、大乗仏教を釈迦の説かれたものではないと言って否定します。
その理由は、5世紀にスリランカでテーラワーダ仏教の僧侶、ブッダゴーサが、テーラワーダ仏教のお経の範囲を確定したからです。それがパーリ仏典です。
そのため、テーラワーダ仏教の人は、自分たちが定めた文献は、すべて釈迦の説かれたもの、それ以外はすべて、釈迦の説かれたものではないと主張するのです。
ところがブッダゴーサは、それまで4部にまとめられていたお経を、自分の思想的根拠となる文献を加えるために、お経の形式ではなくお経の解説の形式の文献を加えて、4部のお経を5部に増やしています。また、お経や戒律なども改変した形跡があるので、そのブッダゴーサが5部に決めた以外のお経が釈迦の説かれた教えではないと断言できません。
5世紀にはまだ口伝で伝えられていて、その後に書き残されたお経も十分考えられるのです。

中国の大乗非仏説

中国では、5世紀頃から、インドからやってきた部派仏教の僧侶たちが大乗非仏説を唱えたと伝えられています。
その内容は、大乗仏教で、大宇宙にたくさんの仏がおられると説かれるのを信じないとか、大乗経典は龍樹菩薩の宗派の作った経典だから信じない、というものでした。
しかし中国では他人を後回しにして自分が救われようとする小乗仏教よりも、すべての人が救われる大乗仏教が広く受け入れられたので、大乗非仏説は問題にされなくなりました。

日本の大乗非仏説

日本の大乗非仏説は、第1段階として、江戸時代に神道の富永仲基が言いだし、平田篤胤が排仏思想にして、明治時代の仏教弾圧につながります。
第2段階で、明治時代に、西洋の後発の仏教研究に影響を受けた学者である、姉崎正治と村上専精が再び主張を始めたというのが大まかな歴史です。
それらの人々はどんなことを主張したのでしょうか?

富永仲基(とみながなかもと)

日本では、江戸時代の神道を信じていた町人、富永仲基(1715-1746)が30歳の時、『出定後語(しゅつじょうこうご)』で大乗非仏説を唱えました。
富永仲基の説は、「加上(かじょう)」の説といわれ、古いものに何かを追加して新しいものが作られたという考え方です。実際には古いものから何かを削除して新しいものが作られる可能性もあるので、必ず追加すると断定することはできません。
出定後語』には、お釈迦さまが、バラモン教の上を行くために、バラモン教のに、七仏を追加して仏教を開いたと書いてあります。そして、それの上を行くために、後世の人がさらに般若を追加して大乗仏教ができたとしています。特に根拠もなく、お釈迦さまはバラモン教を否定されていますので、間違いです。そして『出定後語』を書いた翌年、31歳の短い生涯を終えました。

平田篤胤(ひらたあつたね)

やがて『出定後語』に影響を受けた神道の平田篤胤(1776-1843)が『出定笑語(しゅつじょうしょうご)』を著し、仏教を批判します。
それは、確かに大乗非仏説ですが、小乗仏教も半分以上は釈迦の説かれたものではない、とこう書いています。
大乗の経々はもとより、小乗、阿含部も、ともに釈迦の入滅後、迦葉・阿難の輩が三蔵を結集したる時より、遥か後の世人の書いたもので、其内小乗阿含部の経々は、先に記したるもの故、十の中に三つ四つは、実に釈迦の口から出たるままのこともあれど、大乗といふ諸の経共は、凡て全く後人の釈迦に託して、偽り作ったものに違は無いでござる
さらにお釈迦さま自体、断食や臨終のありさまをあまりに情けないとか、インドの人は色が黄黒く下品だと言います。
さらに法華経を批判し、天台宗を開いた智者大師といわれる天台大師を、「愚者大師」と言うべきだと悪口を言います。

逆に、バラモン教の評価は高く、バラモン教の神である梵天に対して「梵天王と申すは、即ち皇産霊神の御事をかく申伝えたものでござる」と言っています。

復古神道を作った人ですので、単に神道の立場から仏教を口汚くののしったポジショントークですが、これが明治維新のときの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教の大弾圧につながって行くのです。

姉崎正治(あねざきまさはる)

明治時代になると、ヨーロッパに留学して、文献に根拠を求める西洋の実証主義的な文献学を学んだ宗教学者の姉崎正治(1873-1949)が、1899年に『仏教聖典史論』で、大乗非仏説を唱えました。紀元前2世紀頃から、新しい思想が起こり、それをお経として書き表したのが大乗仏教という主張です。
根拠は、17世紀のチベット仏教の僧侶、ターラナータの書いた『仏教史』に、「大乗を喜びこれを唱うる者四方に蜂起しぬ。これらの大教師大徳は皆各等流三昧地に入りて、直接に聖観自在或は秘密主或は文殊師利、慈氏等に大乗の法を聴きぬ」とあることです。これは、大乗仏教を喜んでいた人たちが、瞑想に入って、観音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩に大乗の教えを聞いたということです。
これは経典を新しく創作したとは書かれていません。お経が書き残されてから1500年以上経ってからのこの記述が、経典を創作した証拠になるのでしょうか?
口伝で伝えられた通りに瞑想したら、瞑想中に大乗の教えを聞いたという意味かもしれません。
姉崎正治は、他にも立証不可能な「根本仏教」という想像上の概念を考え出しています。
仏教思想の非科学的なるは、その大乗仏説論をもって最となす」と言っていますが、姉崎正治の説も非科学的です。
しかし、当時は珍しいヨーロッパ帰りで、東京大学で講義をしていた姉崎正治の説は注目を集めてしまいました。

村上専精(むらかみせんしょう)

続いて、浄土真宗の僧侶であった村上専精(1851-1929)が、1903年に『大乗仏説論批判』で、大乗非仏説を唱えます。『大乗仏説論批判』では、インド、中国、日本の様々な大乗非仏説を列挙した後、大乗仏教は歴史的には釈迦の説かれたものではない5つの理由を挙げています。
1つ目は、大乗の教えとは真如であり、真如とは言葉を離れたものなので、釈迦が説いたというのは自己矛盾であるというものです。もしそれなら後から誰かが創作して言葉にしたとも言えませんので、この説も自己矛盾です。
2つ目は、大乗経典の中には、応身(おうじん)という肉体をもった仏だけではなく、目に見えない仏の本質である法身(ほっしん)が説いたというお経があるから、大乗仏教は釈迦が説いたのではない、というものです。それなら応身の釈迦の説いた『法華経』などの大乗経典はどうなるのか、議論が大雑把です。その上、もしそうだとすれば、釈迦よりも仏のさとりにほど遠い、後世の人が創作したというのは、もっとあり得ない話になります。
3つ目は、大乗経典の説かれた場所がマガダ国の耆闍崛山(ぎしゃくっせん)または霊鷲山(りょうじゅせん)といわれる山が多いから釈迦の説かれたものではない、というものです。これは意味不明な上に、耆闍崛山で説かれた小乗経典の『阿含経』や、祇園精舎で釈迦が説かれた大乗経典の『阿弥陀経』もありますので、論理がいい加減です。
4つ目は、お経の編集会議の「結集(けつじゅう)」について、小乗経典については明確に記されているものの、大乗経典については記されているものが少ないというものです。これも大乗経典はすべて後世の創作とするには、根拠薄弱です。
5つ目は、大乗経典を伝えたという人の名前に複数の異なる説があるから、というものです。これも、複数のグループで、それぞれ異なる経典が伝えられている可能性があるので、特に根拠になりません。

こうしてみると、この明治時代の説は、5つとも現代的には根拠にならないものばかりです。
このように大乗経典は釈迦が説かれたものではなく、後世の人が創作したものだという大乗非仏説には、よく確認すると、実は根拠はないのですが、村上専精が東京大学教授だったために、何を言っているのか分からないけど、結論はきっと正しいのだろうとみんな信じてしまったのです。

こうして権威に負けて、内容を調べずに大乗非仏説を信じてしまった人たちが根拠もなく断言するため、現代でも仏教学を中途半端に学んで、受け売りで大乗非仏説を主張する人が未だに残っているのです。

もしそういう人がいたら根拠を尋ねてみてください。
すると、しどろもどろで言葉につまり、大したことは答えられません。または関係のないことを言い始めます。
なぜなら大乗非仏説には、もともと根拠がないからです。
そもそも、経典に限らず、昔誰かが書いた文献が、創作して書かれたのか、記憶を思い出して書かれたのか、客観的に証明できる証拠などないのです。

大乗非仏説の反論

このような大乗非仏説の通り、もし大乗経典は、釈迦の後に誰かが創作したものだとすれば、それは誰だというのでしょうか?
お釈迦さまの後、最もすぐれた僧侶である龍樹菩薩や、無著菩薩、天親菩薩なども、大乗経典を釈迦の説かれた教えとして尊く受け止めておられますので、龍樹菩薩や無著菩薩、天親菩薩以上の高僧でなければなりません。
ところが、龍樹菩薩や無著菩薩、天親菩薩以上の偉人は、インドの歴史上、まったく見当たりません。そんな優れた人物が存在して、経典まで創作しながら、一切名前が残らないということがあるのでしょうか?それこそ不自然なことです。

逆に、もし小乗経典が釈迦の説かれたものであるとすれば、大乗仏教の教えは釈迦の説かれたものと証明できます。
なぜなら小乗経典といわれる『増壱阿含経』には、
世尊の所説おのおの異る。
菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く。
人尊く六度無極を説く、布施持戒忍辱精進智慧

と説かれているからです。
六度」とは、大乗仏教で説かれる六度万行であり、六波羅蜜のことですから、『阿含経』にも大乗の教えが説かれているのです。
このように、大乗の教えを釈迦が説かれていることは明らかなのです。

本当の仏教の教えとは?

ではそもそも仏教とは何なのでしょうか?

仏教とは、仏の教え、仏の説かれた教え、ということです。
仏とは、約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまのことです。
35歳で仏のさとりを開かれたお釈迦さまが、80歳でお亡くなりになるまでの45年間説かれた教えを仏教といいます。

その釈迦の説かれた教えは、当初口伝で伝えられ、やがてお経に書き残されました。
その数は、漢訳経典だけでも、一切経七千余巻といわれます。
またパーリ仏典、サンスクリットの仏典、チベット語のお経なども現存しています。

釈迦の説かれた教えがどんな教えなのかを知るには、現存するお経からしか知ることができません。
これらのお経を根拠に、釈迦の説かれた教えを知るしかないのです。

特に、漢訳、パーリ語、サンスクリット語、チベット語のお経の中でも、最も古く、豊富に現存しているのが、漢訳経典です。
その漢訳経典を釈迦が説かれたものではないと否定したら、釈迦の説かれた教えは分からなくなります。大乗非仏説というのは、そういうしょーもない意見なのです。
そんなことを未だに言っているのは日本の人たちだけで、現代では、世界的に最も注目を集めているのが漢訳経典です。

釈迦の教えを知るには

では、どうやって釈迦の教えを知ればいいのでしょうか?
西洋の実証主義の歴史学では、文献や、そこに表れた語句、その語源や文化などから経典成立の歴史を考えようとします。
しかし、それでは仏教の教えは分かりません。
なぜなら、仏教の教えは、すべての人が直面する「自分の死」という問題を解決して、生きているときに本当の幸せを体験することが目的だからです。

それは、頭で理論を学ぶだけでなく、実践が伴わないと本当には理解できません。
理論と実践が両方ないと分からないのは、料理でも同じです。
例えばレシピにある、「塩を小さじ3杯」を理解するために、塩の語源や、文化を調べても分からないでしょう。
それよりも、実際にレシピ通り料理を作ったほうが、レシピの理解が深まります。

仏教も、私たちが本当の幸せを体験する道を教えられたものなので、知識だけでは絶対に分かりません。
実際に教えの通り進んで行き、本当の幸せになることによって、釈迦の教えが本当に分かるのです。
釈迦の説かれた教えは、いつの時代、どこの国でも変わらない真理です。
例えば、私たちは必ず死んで行くというのは、すべての人に言えることです。
それは大乗非仏説を唱えている人も同じです。

大乗非仏説の平田篤胤の最期

かつて大乗非仏説を唱え、複数の書物で激しく仏教を非難した平田篤胤は、最後、重い病気にかかります。
今度こそ助かりそうもないと分かると、一つ気がかりでならないことが出てきました。
そこで、最後に近くの弟子たちを退け、妻を枕元に呼び寄せて、不安を打ち明けます。
自分は今まで仏教を排斥し、非難し、色々と罵倒して来た。
だが、仏教では三世因果ということを説いている。
今私はこの体になって死期の近いのがはっきりして来ると、もし仏教で説く三世因果が実際にあるとすれば、自分は死んだらどうなるだろうと思うと、不安と恐怖を禁ずることができない

平田篤胤の妻は、それを聞いて驚き、やっと分かってくれたと喜びました。
それというのも、実家が仏教の家だったため、お嫁にくるとき両親から、
平田家は神道の家だから、決して家族に目立つように仏教の話をしたり、仏像を礼拝してはならないよ。
でも心の中に常に仏様を忘れないようにね
」と言われたのを覚えていたからです。

平田篤胤の妻は「ようこそお気づきくださいました」と言って、何とか夫を助けようと、枕元でお経を読み始めます。
平田篤胤は、お経のお言葉に聞き入り、やがて息を引き取ったと言われます。
その後、平田篤胤の葬式は仏教の寺院で行われています。

元気なときは、口汚く仏教をののしった平田篤胤も、いよいよ自分の臨終となると、不安で不安で居ても立ってもいられなくなったのです。もう自分が死ぬ間際となったら、今まで神道を教えてきた過去の主張や世間体なども気にしていられません。
それは、自分の死は、知識の問題ではなく、深い人間性の問題だからです。
仏教には、その自分の死の問題を解決して、本当の幸せになれる道が教えられているのです。

ではどうすれば死の問題を解決して、本当の幸せになれるのかという、本来の仏教の教えは、メール講座と小冊子にまとめてありますので、今すぐご覧ください。

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