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禅宗とは

禅宗は、仏心宗ともいわれ、現在の日本では、鎌倉時代に伝えられた臨済宗と曹洞宗、江戸時代に伝えられた黄檗宗が残っています。
仏心宗とは、文字や経論に依らずに、仏心を悟ることを旨とする宗派です。

文字や経論によらないとすれば、どのようにして悟りを得るのか、禅宗は一体どんな宗派なのか、解説します。

禅宗とは

禅宗について、参考までに辞書をみてみましょう。

禅宗
ぜんしゅう
中国と日本の仏教の一派。禅、または坐禅を宗とする人々の集まりで、<禅仏教>ともいう。
坐禅の仕方そのものは、紀元前250年頃の『シヴェーターシヴァタラ‐ウパニシャッド』や紀元100年頃の『バガヴァッド‐ギーター』に説くヨーガの技術と、今日の禅宗各派で行われる坐禅儀の説とのあいだに大きな違いはないようであるが、そうした禅の実践に基づいて歴史的に生みだされる世俗の思想と文化には、民族の風土と時代によって千差万別の展開がある。

禅宗は、坐禅によって悟りを開こうとする宗派の総称で、禅宗という宗派が単独であるわけではありません。
日本では「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」が禅宗にあたります。

禅宗の総本山

禅宗は、禅を行う宗派の総称なので、各宗派ごとに総本山があります。

臨済宗の本山

日本に臨済宗を伝えたのは栄西で、本山は、最大宗派の妙心寺派の妙心寺、一休さんや宮本武蔵の沢庵で有名な大徳寺など、たくさんあります。

一休さんについては下記をご覧ください。
一休さん(一休宗純)とは?生涯・とんちの逸話・実話と改宗の謎

曹洞宗の本山

日本に曹洞宗を伝えたのは道元で、本山は、永平寺と總持寺です。

黄檗宗の本山

黄檗宗を伝えたのは隠元で、本山は万福寺です。

このような禅宗はどのような教えで伝わっているのか、まずはどういう教えなのか特徴をみていきましょう。

禅宗の教えを分かりやすく説明

禅宗の禅とは、心を集中する瞑想のことで、禅定とか三昧ともいいます。
禅定は、八正道の1つでもあり、六度万行の1つでもありますから、仏教ではとても大切なものです。

ところが、中国で、普通とは異なる方法で禅定を用いる禅宗が成立しました。
経典や文字に依らずに、さとりを伝える」というのです。
このことを「教外別伝 不立文字」といいます。
文字を使わず、教えのほかに別に伝えます。
または「以心伝心いしんでんしん」ともいいます。
前述したように禅宗を「仏心宗」ともいわれるのは、仏の心を、以心伝心で伝えるからです。

ですから、さとりを得るための拠り所となる経典を禅宗では定めません。
それでなぜ仏教といえるのかというと、お釈迦さまから代々以心伝心でさとりが伝えられてきたからだ、と言います。

禅宗の伝え方として分かりやすいのが、「拈華微笑ねんげみしょう」という説話です。

拈華微笑ねんげみしょう

あるときお釈迦さまが霊鷲山りょうじゅせんにて、黙って金波羅華こんぱらげという花をひねられました。
その場にいたたくさんの人たちは、
一体どういうことだろう?」と目を白黒させていたのですが、一人、迦葉かしょうだけが微笑しました。

これを「拈華微笑ねんげみしょう」といい、このとき、正しい法がお釈迦さまから迦葉へ以心伝心されたといいます。

その後、インドでは28人の祖師に順次以心伝心されていきました。
有名なところでは、迦葉の次が阿難、14番目に龍樹りゅうじゅ菩薩が入っています。
そして28番目が、ダルマさんである菩提達磨ぼだいだるまです。

禅宗がどのように伝えられたのか、開祖から順にみていきます。

禅宗の開祖

禅宗という宗派は明確にありませんが、禅の教えを最初に伝えたのは、当然お釈迦さまということになります。
なぜなら禅宗も仏教だからです。
お釈迦さまの教えでないものは、仏教ではありません。

インドで伝えられて、中国で禅を弘めるきっかけになったのは、菩提達磨大師(ダルマさん)と言われています。

中国初祖・ダルマさんは壁に向かって9年間

インドの二十八祖であると同時に中国の初祖となる達磨さんは、インドから中国へやってきました。
ダルマの座禅は、外に何かの対象を立てるのではなく、自分の心を見つめます。
心の本性は清浄であり、如来である」として観ずるので、「如来禅」といわれます。

ダルマは、壁に向かって9年間、この座禅を行ったことから、
面壁九年めんぺきくねん」といわれ、ダルマの座禅を「壁観へきかん」ともいわれます。

その結果、ダルマは手足が腐ってなくなってしまい、現在の選挙などで使うダルマの人形は、手も足もありません。

それほどまで壮絶な修行をしたのですが、仏のさとりは開けませんでした。
大体さとりの52位の30段程度だったといわれます。

菩提達磨大師については下記をご覧ください。
菩提達磨大師(だるま)の歴史・伝説・手足が腐る面壁九年の逸話を紹介

中国の2番目の祖師・慧可えか

慧可断臂図
(出典:京都国立博物館「慧可断臂図えかだんぴず」)

ダルマが中国で修行しているときに
弟子にしてください」と言ってきたのが、有名な慧可です。

最初、ダルマの門前に手をついて
どうか弟子にしてください
と入門をお願いしたのですが、ダルマは慧可をちらっと見ると、
そなたなど仏道修行の器ではない
ピシャリと戸を閉めて門前払いしました。

翌朝、ダルマが目を覚まして戸を開けると、雪がしんしんと降り積もる中、昨日弟子にして下さいと言った青年が頭を下げていました。

一晩中、「どうかお願いします」と、手をついてお願いしていたのです。
それを見たダルマは、
お前まだいたのか。お前みたいな者が進める道ではない、帰れ帰れ
と追い返しました。

また次の日ダルマが戸を開けると、まだ手をついてお願いしていました。

ダルマが、「ダメだといったらダメだ。
お前は仏道を求めるのにどれ位の覚悟がいるか分かっているのか?
お前には無理だ
」というと、慧可は、持参の短刀で左腕をねもとから切り落とし、右腕でつかんで、ダルマに差し出して、
このような覚悟です。どうか弟子にしてください
とお願いすると、
よしそれなら入れ
と言って弟子にしてもらえました。

これは「慧可断臂えかだんぴ」といって、仏法の重さをあらわす有名なエピソードですから、今日でも禅宗では、新しく入門した人が庭詰めを行う儀式があります。

こうして、慧可も壮絶な修行を行い、やがてダルマから慧可へ以心伝心して慧可は中国の禅宗の第二祖となります。
その後、中国の禅宗の宗派が分かれていきます。

中国の禅宗の宗派・五家七宗

その後、中国の5番目の弘忍から、北宗禅と南宗禅の2つに分かれています。

日本の天台宗の最澄や、真言宗空海も、北宗禅の系統の以心伝心を受けていたといわれますが、やがて北宗禅は以心伝心が途絶えました。

南宗禅の分裂

南宗禅は、その後、「五家七宗ごけしちしゅう」に分かれています。
五家七宗」とは、
潙仰宗いぎょうしゅう、臨済宗、曹洞宗、雲門宗、法眼宗の五家、
臨済宗に黄竜派と楊岐派ようぎはが出たので、合わせて七宗です。

やがて宋の時代になると、臨済宗と曹洞宗が中心となりました。

日本にも江戸時代までに大体すべての禅宗が伝えられましたが、現在残っているのは、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つだけとなりました。

禅宗の方法・祖師禅

ダルマから数えて、中国の8番目が、南宗禅の馬祖道一ばそどういつです。
その禅風は、日常生活そのままが禅であり、日常生活の中にさとりを見いだし、さとりを日常生活に活かすという現在日本に伝えられた禅宗の基礎を築いた人です。
有名な「平常心是道」なども馬祖道一の言葉です。

師匠である禅師の生活そのままがさとりの表れですから、禅宗によってさとりを目指すには、お釈迦さまからの以心伝心を代々受けついでいる師匠の僧侶を探して弟子入りし、
何かの経典を学ぶのではなく、師匠の日常生活をお世話しながら、師匠の言動そのものを手本として参禅します。

達磨の禅を如来禅と名付けたのは、華厳宗の宗密(唐代の僧侶)でしたから、禅宗では、仏教の一般的な禅定を「如来禅」と言い、こうして師匠から以心伝心で伝えられてきた禅宗の禅を、「祖師禅」といいます。
禅宗の教えでは、如来禅は祖師禅よりも低次なものとみなされ、祖師禅を重要視されているのです。

さらに具体的に禅宗の修行のあり方を見ていきましょう。

禅宗でさとりを求めるには

禅宗でさとりを求めるには、出家は必須で、特に曹洞宗の道元禅師は、出家しなければ救われないし、在家で戒律を守るよりも、出家して戒律を破るほうがまだまし、と言っています。

慧春えしゅんの求道

例えば曹洞宗で有名な室町時代の尼僧に、華綾慧春かりょうえしゅんがあります。
小田原に最乗寺の開山、了庵慧明の妹で、絶世の美女でした。
ある時、生死の一大事を知らされて、お兄さんの了庵のもとに行き、仏門に入れて頂けないでしょうかと頼みました。
ところが慧明は、慧春の菩提心を尊く有難く思いながらも、あまりにも美しいので、他の僧侶の修行を妨げることを恐れて、出家を許せませんでした。
ことは後生の一大事ですから、慧春は必死に懇願します。
しかし、1人の妹の為に多くの人々を地獄に墮とすことは忍びないと、慧明はどうしても許しませんでした。
そこで慧春は何かを決意して山を降ります。そして、
顔の美しいのがよくないというのなら、醜くなれば許してもらえよう。
どんなに大切にしていても50年か100年の肉体だ。
その肉体の為に未来永劫の大事を失ってはならない
」と覚悟し、真っ赤な焼火箸を縦横に自分の顔にあてたのです。
硫酸をかけられた以上に、見るも無残に焼けただれた化物のような形相で、再び山に登り
これでもお許し下さいませんか
と慧明の前にひれ伏しました。
さすがの慧明も、ようやく出家を許したとわれます。
それからの慧春の仏道修行は、峻烈を極めました。
そしていよいよ臨終となった時も、
私は火によって出家したのだから、火によって死のう
といって薪を沢山積み重ね、それに火をつけて自らその上に坐禅しました。
そばに見ていた老僧が「どうだ熱いか 」と尋ねると「なまぐさ坊主の知るところではない 」と言い放ち、火の中に死んでいったと伝えられています。
そこまでやっても、仏のさとりには達しないのです。

そもそも中国の禅宗の開祖といわれる達磨が、手足が腐るほど修行しても仏のさとりには達しなかったといわれます。

自力修行の難しさ

このような以心伝心を受けている師匠の僧侶を見つけるのは非常に難しく、見つかったとしても、出家して住み込みで師匠の生活の世話をしながら言われる通りに修行する自力の難行道です。
達磨や慧可が手足を失っても悟れないところからも分かるように、在家の人にはできない、極めて困難な道です。

しかしお釈迦さまは、手足を失っても悟れない難しい教えだけでなく、すべての人が本当の幸せになれる道を教えられています。その、どんな人でも苦しみを離れられる、仏教の真髄については、以下のメール講座と電子書籍にまとめておきました。
今すぐ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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