泥棒(偸盗)の報い

泥棒」というと、石川五右衛門やねずみ小僧次郎吉の、
他人の家に忍び込んで、金品を盗み出す、はでな泥棒を思い出しますが、
仏教では、「偸盗(ちゅうとう)」と言われる罪です。

石川五右衛門が辞世に
石川や 浜の真砂は絶ゆるとも 世に盗人の 種はつきまじ
と歌っているように、現代にも、さまざまな泥棒がいますが、
仏教では、一体どんな罪になるのでしょうか?

盗みの報い

仏教では、他人のものを盗むのは、大変重い罪で、
お釈迦さまの教団では、他人のものを盗んではいけない
不偸盗戒」という戒律があります。
お釈迦さまの教団でこれを破ると、追放されます。

また、次に人間に生まれ変わるためには
必ず守り通さなければならない
5つの戒律五戒の1つですから、
次に人間に生まれることはできなくなります。
これは、自業自得の因果の道理ですから、
他人に見つかったかどうかは関係ありません。

そして、殺生に加えて偸盗の罪を犯すと、
八大地獄のうち、少なくとも黒縄地獄よりも苦しい地獄に堕ちます。
色々な因縁によって、もしやがて人間に生まれることができたとしても、
お金に不自由します。

華厳経』には、もし偸盗罪を作ると、三悪道に堕すると説かれ、
もし人間に生まれることができたとしても、
貧乏であるか、財産を共有する社会で、お金が自由にならないと
教えられています。

能力に応じて働き、必要に応じてえるという共産主義の国で、
みんなが少しでも楽にたくさんもらおうとして、
みんなで貧しくなっていくようなものです。

日本のような共産主義ではない国でも、
少しでも楽をしてお金が欲しいと思っていたら、
一時的に一攫千金ができたとしても、長くは続かず、
すぐにお金に見放されますから、
やはり貧乏になってしまいます。

このように、色々の恐ろしい報いを受ける悪業ですが、
偸盗罪とは一体どんな罪なのでしょうか?

仏教の偸盗罪とは?

偸盗罪」とは、他人のものを盗むことです。

空き巣のように、他人の家に忍び込んで金目のものを
盗むだけが偸盗罪ではありません。
銀行強盗や、すり、車上狙いや置き引き、
賽銭泥棒、下着泥棒もそうですし、
駅の駐輪場での自転車泥棒や、
お店で万引きも、当然偸盗罪です。

他にも、駅の待合室などでパソコンの電源を使っている電気窃盗や、
会社のお金の使い込みはもちろん、
ペンやコピー機などの備品を私用に使ったりしても、
偸盗罪です。

他人のものは、糸くず一本、一円たりとも、
自分のものにしてはいけません。
米一粒、だまって食べてはいけません。

また、待ち合わせに遅れるのも、
相手の時間を奪っていますから、偸盗罪です。

偸盗は、別名「不与取(ふよしゅ)」とも言われます。
与えずして取る、ということで、
その分のたねまきをしないのに、結果を得ることです。

ですからお経には
己にふさわしからぬものを多く用い、又は食する」者は、
すでに盗みを働いたのだと教えられています。
仏教では、何も法律で罰せられる盗みに限りませんから、
法律上自分の所有物であっても自分にふさわしくないものを愛用すれば
偸盗罪なのです。

何とか楽をして、要領よく、
少しでもいい結果が欲しいと思い、
会社で働いている人なら、楽して給料が欲しいと思い、
上司なら、部下の働きを利用して結果を出したいと思います。
相続では、少しでもいいものが欲しいと争います。

仏教では、心を最も重くみますから、
手にかけて盗むのも恐ろしい悪ですが、
心で欲しいと執着したものは、もっと恐ろしい偸盗罪です。

仏教を聞くとどうなる?

仏教は、法鏡といわれ、
真実の自分の姿を映し出す鏡のようなものだと
お釈迦さまは教えられています。

鏡に近づけば近づくほど自分のすがたがハッキリ見えてくるように、
仏教を聞いて行くと、今まで知らなかった自分のすがたが見えてきます。

仏教を聞く前は、
自分は泥棒なんかしたことがない、そんなこと人間のすることか」とか、
泥棒は怖いね、どういう防犯対策をすればいいだろう」とか、
あいつ、泥棒猫め」と思っていますが、
仏教を聞けば聞くほど、自分の本当の姿が知らされて来ます。

真実の自分のすがたが知らされねば、
本当の幸福にはなませんから、
お釈迦さまは偸盗罪について、
このように教えられているのです。

ではどうすれば、偸盗罪を造るまま、地獄を逃れて
本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、
メール講座と小冊子にまとめてあります。

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