キューブラー=ロス・死の受容モデル

キューブラー=ロスは、スイス生まれのアメリカの精神科医で、死にゆく人と面談し、「死の受容モデル」または「キューブラー=ロスモデル」という死にゆく過程を5段階に分けたモデルを提唱しました。
仏教でも、臨終には三段階あると教えられています。
それぞれどんなプロセスなのでしょうか?

キューブラー=ロスとは

エリザベス・キューブラー=ロス(1926-2004)は、スイス最大の都市、チューリッヒで生まれました。
父親から反対されましたが、医学の道を志し、1957年にチューリッヒ大学医学部を卒業しています。

1958年にアメリカからの留学生、エマニュエル・ロスと結婚してニューヨークに渡り、働きながら勉強を続けます。
ところがそこで見た終末期の死にゆく患者への対応にショックを受けます。
やがて子供ができて医学研修生が続けられなくなったため、精神科の研修生になります。

1963年にコロラド大学で精神科医になり、1965年にはシカゴ大学医学部の講師になります。
そして、死にゆく人の証言を使ったセミナーを発展させて、1969年、43歳の時に『死ぬ瞬間』という本を書きます。
ここに、終末期の患者が、死を宣告されてから死の受容に至るまでの5段階のモデルを提唱したのです。

1970年代になると、死後の世界に関心を持ち、1977年頃から、カリフォルニアに終末期の患者のケアをするホスピスを作り始めます。
1980年代には、エイズにかかった子供たちのホスピスを作りたいと考えますが、感染を心配した付近の住民と摩擦を起こして実現しませんでした。

1995年、脳梗塞で半身不随になり今度は自分が療養生活を余儀なくされます。
2004年にアリゾナの施設で78年の生涯を閉じました。

死の受容の5段階モデル

キューブラー=ロスの最大の功績は『死ぬ瞬間』で発表した「死の受容モデル」という死んで行く人の心のプロセスを5段階に分けたモデルです。
キューブラー=ロスはシカゴの病院で、200人以上の終末期の患者と面談し、それを録音して分析しました。
そして終末期の多くの人がたどる心のプロセスを、死の受容の5段階モデルにまとめたのです。
死ぬ瞬間』によれば、それは1否認と隔離、2怒り、3取引、4抑うつ、5受容の5段階です。

1.否認と隔離(孤立化)

200名以上の終末期の患者は、ほとんどが末期疾患の告知に対して、
違います、私は違います。それはありえない
と否認します。

診断が間違っているとか、患者の取違い、診断機器の故障と考える人もあります。
そして、別の医師にかかって、診断し直してもらったりします。
中には死ぬまで否認を続け、次の段階に移らない人もあります。
やがて診断を受け入れても、時々否認が現れたり消えたりします。

私たちは、自分の死を受け入れられないのです。

また、「隔離」というのは孤立化することです。
本人は「自分は病気ではない」と思っているのに、周囲は本人を、「病気を否定している人」「少しおかしい人」と思っているため、考え方が合いません。
周りの人は、本人と接しにくくなり、接する人や時間が減っていきます。
そのため、本人はますます孤独になっていきます。

しかし、死ぬまで否認する人はまれで、ほとんどの人は今から死にゆくことを部分的に受け入れていきます。

2.怒り

否認を維持できなくなると、次にやってくるのは、怒りや羨望や怨みです。
そして
なぜ私がこんな病気にかからないといけないんだ
どうしてあの人じゃないんだ
と思います。

この段階に入ると、少しでも気に入らないことがあると、何でもかんでも八つ当たりして怒りちらします。
テレビをつけると元気な人がしゃべったり歌ったり踊ったりしているので、イライラします。
医師や看護師、見舞いに来た人など、元気な人を心の中で羨ましく思い、「自分がこんなに苦しんでいるのに、なぜあんなに平然としていられるんだ」と、一挙手一投足がみんなシャクの種で、無意味な言い争いを始めます。

特に、これまでビジネスで成功をおさめ、金持ちで他人を自分のいいなりにしてきた人は、その統制力を病気で失い、医師や家族の言うことを聞かなければならなくなります。
それを認めることができず、腹を立て、最後まで戦おうとしますが、それでも死と戦って勝つことはできません。
怒りによって、孤立化はますます深刻になるばかりです。

死はどんな人にも平等に訪れます。
今までお金や財産、地位や名誉などをたくさん手に入れた人ほど、最も多くのものを失い、絶望的な孤独を感じるのです。

3.取引

次に、キューブラー=ロスによれば、あまり知られておらず、期間の短い取引の段階に入ります。
これは、に何かの申し出をして取引をしようとする段階です。

キューブラー=ロスはそれを子供の例にたとえます。
友達の家で一泊したいと言って、親にダメだといわれると、子供は地団駄を踏んで怒ります。
自分の部屋に閉じこもって鍵をかけ、怒りを表しますが、やがて怒ってもダメだと気づくと、別のアプローチを考えます。
今週ずっとお利口でいて毎晩皿洗いもするから泊まりに行かせて
と親と取引するのです。

ちょうどそのように、周りの人や神に怒っても、意味がないことが知らされると、神と取引しようとするといいます。
子供の結婚式までなどの少しの延命と引き換えに、それからの生涯を神に捧げるなどの約束をするのです。

4.抑うつ

病気が長引くにつれて、色々な苦しみが増えてきます。
何度も手術を受け、体は衰弱し、怒りは喪失感に変わって行きます。
元気だったときの容姿も失われ、経済的な重圧も加わります。

最初は少し贅沢ができましたが、だんだん必要なものだけとなり、やがて自分の持ち物を手放さなければならなくなります。
働いていた人でも仕事を失い、マイホームを売ることになったり、子供の学費が出せなくなったり、多くの希望が実現不可能になります。
子育てのお金がなくなれば、子供をどこかへ預けなければならなくなります。

こうして抑うつ状態になりますが、キューブラー=ロスは、抑うつを2つに分けています。
1つ目は、すでに失われたものによる「反応抑うつ」、
2つ目は、これから失われるものによる「準備抑うつ」です。

この段階に入ると、自分の人生を振り返り、一体どんな意味があったのだろうという生きる意味の探求を始めます。
これは現在では、スピリチュアル・ペインと呼ばれる、生きる意味についての苦しみです。
肉体の苦しみなら医学で対処できますが、スピリチュアル・ペインは現代の医学でもどうにもなりません。

5.受容

こうして死の5段階のプロセスを通る十分な時間と周りの手助けがあった場合、受容という段階に到達すると、キューブラー=ロスは言います。

すでに自らの怒りを吐き尽くし、すっかり衰弱し切って、自分の運命に怒りも抑うつも覚えない状態です。
それは絶望でもなく、かといって幸福でもありません。
長い旅立ちの前の最後の休息のようなものです。

もう誰かの訪問を喜ばず、話したい気分でもなく、そっと一人きりにしておいて欲しいと思います。
放棄や諦めのような状態です。
これをキューブラー=ロスは「デカセクシス」とも言っています。
精神分析では、特定の対象に心のエネルギーが向けられた状態を「カセクシス」といいますが、それから離れたことを「デカセクシス」と呼んだ造語です。

一生涯働いてきて苦労も経験し、子供を育て、自分の責任を果たして人生の終着駅に差し掛かっていると感じる中老年の人は早くこの段階に達し、それ以外の人も、周りからの理解を得られれば到達できると言います。

死の受容の5段階モデルの反対意見

こうして『死ぬ瞬間』で、死のプロセスを提唱したキューブラー=ロスは、生涯で1万人以上の死にゆく人に寄り添い、愛によっては、死はもっともすばらしい経験となりうると主張してきました。
ところが、今では色々な反対意見が出されています。

例えば、キューブラー=ロスのまとめた段階は、非常に狭い主観的な解釈であるというものです。
確かに、受容をいいものであるとして、そこに向かわせようとしています。
また、死にゆく人の反応は、観察する人の接し方を反映している可能性が高いため、他の人が確認できないというものです。

また、5つの段階のそれぞれの定義が不十分で、その段階を通っているのかどうか、客観的に確認できないとも言われています。

そして、一番は、キューブラー=ロス自らが、晩年になって、自分の業績を、時間の無駄だったと言っていることです。

ドイツの新聞社のインタビュー

日本の心理学者の河合隼雄は、キューブラー=ロスと2回対談し、すばらしい人柄に感心したと言います。
ところが、脳卒中で倒れた後、ドイツの新聞、シュピーゲルがインタビュー取材をして書いた記事の内容はショッキングなものだったとこう書いています。

キューブラ・ロスは孤独であり、今は誰にも会いたくない、夜になって泣き声の聞こえてくるコヨーテや鳥こそが自分の友人だと語る。
死んでいく自分を受容することは、実に難しい。それには「真実の愛」が必要だが、自分にはそれがない、と彼女は言う。
インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、精神分析は時間と金の無駄であった、とにべもない返事がかえってくる。
彼女の言葉は厳しい。
自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。
今何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのだ
」(河合隼雄『平成おとぎ話』)

NHKのインタビュー

このように、自分が脳梗塞で半身不随になり、寝たきりの終末期の患者になると、自分の仕事は間違っていたと自覚し始めたのです。
ドイツのシュピーゲルだけでなく、日本のNHKもキューブラー=ロスにインタビューしてこのような証言を聞いています。
NHK「苦しむ患者を助けてきたのに、なぜ自分を救えないのですか?
キューブラー=ロス:「いい質問ね。
私はおかしくなっているんではなくて、ただ現実を直視しているだけ。
むしろ頭はさえてるわ。
だって今の自分に満足なんて、そんなフリはできないわ……

NHK:「あなたは自分を愛するべきと本に書かれてますね
キューブラー=ロス:「いや、それにはふれないで。愛の話なんてしたくないわ
NHK:「なぜですか?
キューブラー=ロス:「気分が悪くなる。
自分自身を愛せって?よく言ったもんだ。大嫌い。私の趣味じゃない

そのNHKで放送されたインタビューの模様は、以下のビデオにも引用されています。


(NHK「ETV特集」第76回 最後のレッスン ~ キューブラー・ロス 死のまぎわの真実 2004年12月25日(土)放送)

このように、キューブラー=ロスは、死を受容することはできず、自分のモデルに意味はないと、自ら否定しているのです。

なぜあれだけ愛によって死を受容できると死にゆく人を励ましてきたのに、自分は死を受容できないのでしょうか?

死が受容できない理由

死にゆく人に寄り添ってきたキューブラー=ロスの立場は、常に、見送る側でした。
死ぬ瞬間』には、患者がこういう段階になったらこういう対応をしなければならない、ということばかり書かれています。
自分がこういう段階になったら、どういう対応をしなければならないということは一つも書かれていないのです。
いつも周りの人として、他人の死を観察してきたのでした。
ところが他人の死は、自分の死とはまったく違います。

それはちょうど、動物園で見た虎と、ジャングルで出会った虎のような違いです。
動物園で見た虎は、確かに怖いことは怖いですが、間の柵によって、自分は守られています。
しかし、ジャングルで虎に出会ったらどうでしょうか。
間に自分を守るものは何もありません。
あっという間に近寄ってきてとびかかられてしまいます。
その驚きや恐怖は、動物園とは比較にならないのです。

キューブラー=ロスは生涯をかけて、自分の死とは別のものを研究していたので、いざ自分が死んでいかなければならないとなった時、それは何の役にも立たなかったのです。

しかしながら、学問や科学の世界では、他の人にも確認できる客観性を求められるので、本当の意味で死について研究することはできないでしょう。
しかし、仏教では、自分が死んで行くプロセスについて、3段階で教えられています。

仏教の臨終の3段階

仏教では、私たちの死んで行くプロセスを、私たちの心が死んで行く段階として教えられています。
それというのも仏教では、私たちの心は1つではなく、8つあると教えられているのです。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識の8つです。

最初の5つは、眼、耳、鼻、舌、身の感覚器官のようですが、そうではありません。心です。
1つ目の「眼識(げんしき)」とは、色や形を見分ける心です。
2つ目の「耳識(にしき)」とは、音を聞き分ける心です。
3つ目の「鼻識(びしき)」とは、匂いをかぎ分ける心です。
4つ目の「舌識(ぜっしき)」とは、甘い、辛い、酸っぱいなどの味を感じ分ける心です。
5つ目の「身識(しんしき)」とは、寒い、暖い、痛い、快いなどを感ずる心です。 これらの5つの心を「前五識(ぜんごしき)」といわれます。

6つ目の「意識」は、前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心です。
ちなみに心理学でいわれる深層心理などもここに入ります。

7つ目の「末那識(まなしき)」とは、執着する心です。
8つ目の「阿頼耶識(あらやしき)」とは、生まれる前から、生まれ変わり死に変わりを繰り返し、死んだ後も続いていく永遠の生命です。
これが私たちの本心です。

これらの8つの心が死んで行くプロセスを仏教では、3つに分けて教えられています。
1つ目は、心明了位の臨終、
2つ目は、身体愛法位の臨終、
3つ目は、心不明了位の臨終です。

まず私たちが、死んで行く第一段階は、「心明了位(しんみょうりょうい)の臨終」です。
これは前五識が死ぬ臨終です。
心明了位」の「」とは意識のことで、まだ意識は明了でハッキリしている段階という意味です。
意識はありますが、目は見えなくなり、耳も聞こえなくなり、真っ暗な中で、何も聞こえず、周りの人とコミュニケーションがとれなくなります。
キューブラー=ロスが観察していたのは、まだ面談できますから、仏教ではまだ臨終のプロセスには至っていない段階です。
そこでどんなに死を受容しているように見えても、安らかに、眠るがごとく死んだように見えても、本当の臨終はこれからです。

次の第二段階は、「身体愛法位(しんたいあいほうい)の臨終」です。
これは意識が死ぬ最も苦しい臨終です。
すでに周囲とのコミュニケーションの方法はないので、この苦しみは、周りの家族などからは分かりません。
今まで一生をかけて追い求めてきたお金も家や土地などの財産も、成し遂げた業績や名誉も、家族とも別れて、最も愛着を持っている自分の肉体とも離れて、たった一人で真っ暗な世界へ旅立って行かなければなりません。
死んで行く時に何のあてにもならないものばかりを求めてきたことに後悔し、死んだらどうなるのだろうと、次に行く世界についての不安にかられて苦しみます。
臨終の一番苦しい段階です。

最後の第三段階は「心不明了位(しんふみょうりょうい)の臨終」です。
この心も意識のことで、意識はすでに死んで不明了の状態で、阿頼耶識が次の世界を生み出して転生します。

こうして私たちは果てしなく、生まれ変わり、死に変わり、苦しみ迷いの旅を続けて行かなければならないと仏教では教えられています。これを輪廻転生といいます。

仏教の対処法

ところが仏教で、このような臨終の三段階を教えられているのは、この死の問題を解決することができるからです。
仏教では、永遠に苦しみ迷いの旅を続けなければならない根本原因を明らかにされ、その原因をなくすことによって、
人間に生まれてよかった」と人生に大満足できる本当の生きる目的を教えられています。

それは仏教の真髄ですが、小冊子とメール講座にまとめてありますので、今すぐ以下から読んでおいてください。

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