法相宗(ほっそうしゅう)とは

法相宗は、現在も残る仏教の宗派の1つです。
法相宗で教えられる唯識は、
仏教の基礎理論として昔の僧侶は全員学んだものでした。
一体どんな宗派なのでしょうか?

法相宗の本山、起源、お経

日本では、本山は、薬師寺と興福寺と清水寺でしたが、
清水寺は、1965年に北法相宗として離脱し、現在は、薬師寺と興福寺です。

開祖は、三蔵法師として有名な「玄奘(げんじょう)」が、インドの唯識を
中国に伝え、その弟子の「窺基(きき)」と通称される
慈恩大師・基が開いたのが法相宗です。

拠り所とするお経は、『解深密経(げじんみっきょう)』です。
法相宗という名前も『解深密経』の「一切法相品」から
名付けられたものです。

法相」とは、一切諸「」の性「」(しょうそう)を明らかにする
という意味で、「一切諸法」とはすべてのもの、
性相」の性とは真理、相とは現象のことです。
すべてのもののありのままのすがたを明らかにするということです。

なぜ私たちは苦しむのか

法相宗では、私たちが苦しみ、六道輪廻しているのは、
因縁がそろって一時的にあらわわれているものに対して
世界も私も実際に存在する」という迷いにとらわれた幻を見て、
煩悩をおこすからだと教えています。

この、迷いにとらわれて見えている幻を
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)」といいます。
そして、因果の道理にしたがって、因縁がそろってあらわれる
ありのままの現象を「依他起性(えたきしょう)」
真実の本性を「円成実性(えんじょうじっしょう)」といいます。

この遍計所執性・依他起性・円成実性の3つを
三性(さんしょう)」といいます。

この3つの関係をわかりやすくするために
よくいわれるたとえが、
夜道を歩いていると、しげみから蛇がこっちを見ているのを見つけて
びくっ」と驚いたのですが、よく見ると、
麻縄がおちていただけでした。

この蛇に見えたのが遍計所執性、
よく見たら麻縄だったのが依他起性、
麻縄の本質である麻が円成実性です。

このように、遍計所執性という幻にとらわれ、
煩悩を起こして苦しんでいる私たちに、
ありのままのすがたを教えるため、
法相宗ではあらゆる存在を100の要素に分けて、
五位百法」を教えます。

あらゆる存在の要素

五位百法(ごいひゃっぽう)」の「五位」とは、
1.「心王(しんのう)」、
2.「心所(しんじょ)」、
3.「(しき)」、
4.「不相応(ふそうおう)」、
5.「無為(むい)」の5つのカテゴリーです。

心王」とは、唯識では、私たちの心を
阿頼耶識を中心とする8つに分けて教えています。

心所」は、精神作用で、51種類あります。
」は、物質的な要素で、11種類です。
不相応」は、心でも精神作用でも、物質的存在でも無為でもない、
その他の要素で、24種類です。

これらが「依他起性」で、これらのこの世の一切は、
私たちの行いを業力として蓄えている
阿頼耶識によって生み出されたものだ
と教えられているので、唯識といわれます。

そして、最後のカテゴリーの無為は6種類あり、
これが「円成実性」です。
これらの5つのカテゴリーの各要素の合計が100あるので、
五位百法」といわれます。
」とは存在の要素のことです。

このように、阿頼耶識からこの世のすべてが生じるので、
仏教の自業自得には寸分の狂いもなく、
これを「頼耶縁起(らやえんぎ)」といわれます。
頼耶」とは阿頼耶識のことで、
縁起」とは因果の道理のことです。

その分析は精密を極めており、
このサイトでは阿頼耶識のところで分かりやすく解説してありますが、
本当に勉強しようとすると、大変難解です。
桃栗三年柿八年」になぞらえて、
唯識三年倶舎八年」といわれるほどです。
しかも、学問によって知識をえて理解を深めるだけでは、
これらを体得して、さとりをうることはできません。
当然ながら、修行が必要です。

法相宗の修行とは?

円成実性の真如を体得するために、
法相宗を開いた慈恩大師基は、

五重唯識観という5つの瞑想をまとめています。

1つ目で、遍計所執性の幻が捨てられ、
2つ目から4つ目で、依他起性が深められ、
5つ目で円成実性だけが現れます。

ただ日本では解脱貞慶が、
依詮・廃詮の中道観法をまとめて、
それに置き換えられていきました。

依詮」とは言葉に依って考え、
遍計所執性の幻を捨てる方便の瞑想であり、
廃詮」は、言葉を離れ、思念を止めて真理に入る
瞑想のことです。

さとりを得る才能に5通り

ただし、これらの修行は、法相宗では、
できる人とできない人があります。
これを「五姓各別(ごしょうかくべつ)」といわれます。

声聞の悟りのたねだけを持つ「声聞定姓(じょうしょう)」
縁覚(独覚)の悟りのたねだけを持つ「独覚定姓
菩薩の悟りのたねだけを持つ「菩薩定姓
これら2つ以上のたねを持ち、どの悟りを開くか分からない
不定(ふじょう)定姓
悟りのたねを持たず、どんな悟りも開けない「無性有情
の5つです。

これでは、どうやっても助からない人があるため、
法相宗の徳一と、
すべての人が仏のさとりをえられると教える
天台宗の最澄が論争したりしています。

そして、自分がこの5種類のうちどれなのかは、
実際に修行をしてみないと分かりません。

ではどれ位の期間、修行が必要なのでしょうか?

修行の期間

法相宗では、仏のさとりを開くまで、
修行にかかる時間は、「三阿僧祇劫」といわれます。
」は4億3200万年、
阿僧祇」は10の56乗ですから、
その3倍です。

これは気の遠くなるほどの長期間ですが、
仏のさとりというのは、それほどものすごい悟りなのです。

それは可能なの?

そのため、法相宗を開いた慈恩大師基は、
西方要決』という本を著して、他力の仏教を勧め、
一番最後には、
今の時代は、声聞、縁覚、菩薩の三乗の教えを学ぶことはできるが、
さとる手立てがない。

迷いの世界に安らぎはない。智慧が広く、利他心のある人は、
長い時間をかけてさとりを開くこともできるだろう。
しかし、愚かで行の浅い者は、地獄餓鬼畜生で苦しむことになる。
必ずこの迷いの世界を離れて阿弥陀仏極楽浄土を願うべきである
と書いてあります。

日本の修行方法をまとめた解脱貞慶も、死ぬ1カ月前に、
予が如き愚人、観念に堪えず。
予は深く西方を信ず。
」(『観心為清浄円明事』)
とあります。修行ができなかったので
阿弥陀仏の他力に救われたいということです。

では、他力に救われるにはどうすればいいかというと、
仏教の真髄である、苦しみ悩みの根本的な原因を知り、
それを断ち切られなければなりません。
苦悩の根元については、
メール講座の最初にもらえる小冊子にまとめてありますので、
読んでみてください。

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