大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)の違い

仏教には、小乗仏教と、大乗仏教の二つがあります。
小乗仏教は、部派仏教とか、テーラワーダ仏教ともいわれます。

では、お釈迦様は小乗仏教と大乗仏教の
2つの教えを説かれたのかといいますと
お釈迦様は1人ですから、
2つの教えを説かれたのではありません。

ではなぜ仏教に2つの教えがあるのでしょうか?

小乗仏教とは?

小乗仏教の「小乗」とは、小さな乗り物ということです。

お釈迦様の説かれた仏教は、
どんな人でも救われる、大きな乗り物のような教えです。

ところが、お釈迦様の本心が分からずに、
お釈迦さまの教えを聞き誤って、
小さな乗り物のようにしてしまった仏教を、
小乗仏教といいます。

ですから「小乗仏教」は、
お釈迦様の本心を聞き誤って、
お釈迦さまの本当の心を伝えていない仏教です。

大乗仏教とは?

それに対して、大乗仏教とは、
大乗」とは、大きな乗り物ということで、
すべての人が救われる教えを大乗仏教といいます。

お釈迦様の真意が分かった人たちが
お釈迦様の本心を正しく伝えられた教えが、
「大乗仏教」です。

小乗仏教と大乗仏教の違い

小乗仏教と大乗仏教の違いは色々ありますが、
その中で一番特徴的なのが、
小乗仏教は、我利我利の教えであり、
大乗仏教は、自利利他の教えである

ということです。

小乗仏教は、
「自分さえ助かればよい」という我利我利の教えですから
それではすべての人が救われませんので、
小さな乗り物にたとえて「小乗」仏教といわれます。

それに対してすべての人が救われる教えが真の仏教ですので、
大きな乗り物に例えて「大乗」仏教といわれるのです。
仏法を他人に伝えて幸福に導くままが、自分の幸せになる、
自利利他の教えを大乗仏教といいます。

ですから、大乗仏教の人が行う「六度万行」には、
小乗仏教の人たちが行う「八正道」にはない、
布施」が一番最初にあります。

我利我利の教えとは?

我利我利」とは、我が利益、我が利益と書きますように、
自分のことしか考えていません。
「自分さえ助かればいい」
「自分が助からなかったら人のことなんかかまっていられるか」
という考え方です。

ですから、仏教を聞いていても、
自分さえ聞いていればいいと思って、
あまり伝えようとしません。

このような利己的で、
自己中心的な考え方は、仏教ではありません。

仏教は、自分が聞いたら、
必ず人に伝えずにはいられなくなるものです。

世間でも、自分が儲かることばっかり考えて
人のことを全然考えていない、
そんな人が儲かるはずがありません。

自分のふところに入れることばかっかり考えて
施そうという心がないのです。

自分のことばっかり考えている人は
必ず破滅の道をたどりますので、
幸せになれるはずがありません。

自利利他の教えとは?

それに対して「自利利他」とは
」とは幸せになることです。

分かりやすくいえば
儲かるとか得するということですから、
自分が儲かるままが、他人が儲かることになる。
他人を儲けさせるままが自分の儲けになる、
ということです。

他人を幸せにするままが
自分が幸せになるということです。

また、自分が幸せになったら、
こんな幸せになって
自分だけ独り占めしてしまったらもったいないと
人に伝えずにおれないのです。

自分が幸せになったら人に伝えずにおれない。
人を幸せにするままが自分が幸せになる。

自利のままが利他になる、
利他のままが自利になる、
これが自利利他であり、菩薩道です。

そうでなければ、本当の仏教とは言えません。

菩薩道とは?

本当の幸福を教えられた仏教の話を他の人にするままが
自分の仏縁になります。

実際、聞き学んだことを自分の口で話してみると、
相手が理解されるか分かりませんが、自分の理解が深まるのです。
また理解していないことは話ができませんので
分かっていなかったことが知らされます。

ですからまた仏教を聞いて人にお話しします。

そうすると他の人に本当の幸せを伝えるままが
自分が幸せになることになります。

そして自分が幸せになったら、
他人にもその幸せを伝えずにおれない。
これが、自利利他の菩薩道なのです。

大乗仏教の精神は、自利利他です。

イギリスの有名な歴史学者、アーノルド・トインビーは、
「人類の将来は?」と聞かれ、こう答えています。

「歴史家は過去のことは語るが、未来は語らない。
もし21世紀に、どのような人間が要請されるかという質問なら、
答えられる。それは大乗仏教の精神です

日本の仏教は、聞き誤って伝えられた小乗仏教ではなく、
正しく伝えられた大乗仏教ですので、
自利利他の菩薩道を進ませて頂きましょう。

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