大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)の違い

仏教には、小乗仏教と、大乗仏教の二つがあります。
では、ブッダは小乗仏教と大乗仏教の2つの教えを説かれたのかといいますと
ブッダは1人ですから、2つの教えを説かれたのではありません。

ではなぜ仏教に2つの教えがあるのでしょうか?

小乗仏教とは?

小乗仏教は、部派仏教とか、テーラワーダ仏教ともいわれます。
現在は、スリランカを中心に、東南アジアに広まっている仏教です。

小乗仏教といわれるのは、
小乗」とは、小さな乗り物ということです。

なぜ小さな乗り物といわれるのかというと、
小乗仏教の場合は、出家した人は、
まず瞑想などの自分の修行をすることを優先して、
自分がさとりをひらくまでは他人を救おうとはしないからです。

出家していない人は、僧侶の集まりに布施をして、僧侶修行をサポートします。
しかし自分も修行しない限り救われるわけではありません。
出家して修行した人しか救われない、小さい乗り物のような教えなのです。

ブッダの説かれた仏教は、
どんな人でも救われる、大きな乗り物のような教えです。
これを「大乗仏教」といいます。
では、大乗仏教とはどんな教えなのでしょうか?

大乗仏教とは?

大乗仏教とは、日本に伝わって現在残っている宗派は、
華厳宗も、法相宗も、天台宗も、真言宗も、禅宗も、浄土宗も、浄土真宗も、
すべて大乗仏教です。

大乗」とは、大きな乗り物ということで、
すべての人が救われる教えを大乗仏教といいます。

大乗仏教の教えに一貫する特徴は、「自利利他」です。

自利利他」の「」とは幸せになることですから、
自利利他」とは、自分が幸せになるままが他人も幸せになるということです。

分かりやすくいえば
儲かるとか得するということですから、
自分が儲かるままが、同時に他人が儲かることになる。
他人を儲けさせるままが自分の儲けになる、ということです。

自分が幸せになったら、こんな幸せになって
自分だけ独り占めしてしまったらもったいないと
人に伝えずにおれませんし、他人を幸せにするままが
自分が幸せになるということです。

自利のままが利他になる、
利他のままが自利になる、
これが自利利他です。

それで、大乗仏教の人が行う「六波羅蜜」には、
小乗仏教の人たちが行う「八正道」にはない、
布施」が一番最初にあるのです。
布施とは、他人に親切することで、他人を幸せにするままが自分が幸せになるということです。

それが本当の仏教です。

小乗仏教と大乗仏教の最大の違い

小乗仏教でも、もちろん利他は教えられています。
小乗仏教の最高のさとりである阿羅漢のさとりを開いた人は、
人を救おうとします。
では、大乗仏教の自利利他とどこが違うのかというと、
大乗仏教の自利と利他は一体のもので、自分が幸せになると同時に他人も幸せになりますが、
小乗仏教の場合は、まず自分が幸せになってから、他人を幸せにしようとする点にあります。

これは大乗仏教が自分と他人を同時に幸せにするのに対して、
小乗仏教では自分の幸せが先で、他人の幸せは後ですから、
自分が幸せにならなかったら人のことはかまっていられない
他人よりも自分が幸せになるのが優先
ということになります。

世間でも、自分が儲かることばっかり考えて
人のことを全然考えていない人は、儲かるはずがありません。
自分のふところに入れることばかっかり考えて
相手に喜んでもらおうという心がないのです。

自分のことばっかり考えている人は
必ず破滅の道をたどりますので、
幸せになれるはずがありません。

このような利己的で、自己中心的な考え方は、仏教ではありません。
これを「我利我利」といいます。
我利我利」とは、我が利益、我が利益と書きますように、
自分のことしか考えていないということです。

これが、ひっそりと小乗仏教の根底を流れている精神です。

このように、小乗仏教と大乗仏教の違いは色々ありますが、
その中で一番特徴的なのが、その精神です。
つまり、
小乗仏教は、我利我利の教えであり、
大乗仏教は、自利利他の教えである

ということなのです。

なぜこんな大きな違いが生まれたのでしょうか?

なぜ小乗仏教と大乗仏教の違いが生まれたのか

ブッダの教えは、本来、すべての人を幸せにする教えであり、
我利我利の教えでないのは当然のことです。

そのブッダのすべての人を幸せにするという真意が分かった人たちが
ブッダの本心を正しく伝えられた教えが「大乗仏教」です。

ところが、ブッダの本心が分からずに、聞き誤って、
小さな乗り物のようにしてしまった仏教を「小乗仏教」といいます。

ですから「小乗仏教」は、ブッダの本心を聞き誤って、
ブッダの本当の心を伝えていない仏教です。

小乗仏教は、
自分さえ助かればよい」という我利我利の教えですから
仏教を聞いていても、自分さえ聞いていればいいと思って、
あまり伝えようとしません。

それではすべての人が救われませんので、
小さな乗り物にたとえて「小乗」仏教といわれます。

ところが本来の仏教は、自分が聞いたら、
必ず人に伝えずにはいられなくなるものです。

すべての人が救われる教えが真の仏教ですので、
大きな乗り物に例えて「大乗」仏教といわれるのです。
仏法を他人に伝えて幸せに導くままが、自分の幸せになる、
自利利他大乗仏教の精神であり、それが仏教精神です。

そして、自利利他の道を行くのが菩薩であり、
菩薩道というのは、自利利他の道なのです。

菩薩道とは?

菩薩道とは、自利利他の道です。
本当の幸福を教えられた仏教の話を他の人にするままが
自分の仏縁になります。

実際、聞き学んだことを自分の口で話してみると、
相手が理解されるか分かりませんが、自分の理解が深まるのです。
また理解していないことは話ができませんので
分かっていなかったことが知らされます。

ですからまた仏教を聞いて人にお話しします。

そうすると他の人に本当の幸せを伝えるままが
自分が幸せになることになります。

そして自分が幸せになったら、
他人にもその幸せを伝えずにおれない。
これが、自利利他の菩薩道なのです。

大乗仏教の精神は、自利利他です。

イギリスの有名な歴史学者、アーノルド・トインビーは、
人類の将来は?」と聞かれ、こう答えています。

歴史家は過去のことは語るが、未来は語らない。
もし21世紀に、どのような人間が要請されるかという質問なら、
答えられる。それは大乗仏教の精神です

日本の仏教は、聞き誤って伝えられた小乗仏教ではなく、
正しく伝えられた大乗仏教です。
他人を活かし、自分も生きる、
自利利他の菩薩道を進ませて頂きましょう。

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