殺生(せっしょう)とは?

殺生」とは、大阪では、ひどいことや無慈悲なことを「そんな殺生な」と言いますが、
仏教では、大変恐ろしい罪で、地獄行きのたねまきです。
寿命も縮まります。

殺生とは一体どんな罪なのでしょうか。

殺生とは

殺生とは、生き物を殺す罪です。

人間を殺すのが恐ろしい罪なのは、たいていの人はすぐ分かると思いますが、
仏教で教えられる殺生は、人間を殺すだけではありません。
なぜなら仏教では、すべての人は、生まれ変わり死に変わり、
六道(ろくどう)」という6つの迷いの世界をへめぐっています。
その生まれ変わりする世界には、
鳥や動物や魚、虫などの畜生界もありますから、
仏様のまなこからご覧になると、
すべての生命は同根
で、上下はないからです。

人間の命だけが尊いとするのは、人間の勝手な言い分で、
牛もニワトリも魚も虫も全部入ります。
どんな小さな生き物でも、殺せばそれは殺生罪です。

牛が屠殺されるときに涙を流すのも、
ニワトリが首を絞められてバタバタもがくのも、
魚が船の甲板にあげられてピチピチはねているのも、
虫を捕まえようとすると、サーッと逃げるのも、
死にたくないからです。
どんなに人間を恨んでいるか知れません。

もしウルトラマンのように、
宇宙から人間よりも強くて賢い高度な生命体が現れて、
自分たちの命だけは尊く、あとの生き物は食べてもいい」として、
私たちの家族や私たち自身を殺して食べ始めたら、
恐ろしい極悪怪獣で、誰も容認することはできないでしょう。

ちょうどそのように、殺生罪は、大変恐ろしい罪ですから、
仏教では、地獄行きのたねまきだと教えられています。

こうなると、ほとんどの人は、
小さい頃に虫を殺してしまったり、
夏の夜に蚊が飛んできたのでつぶしてしまったりして、
もはや手遅れだと思います。

ところが中には、
危なかったー、私は虫も殺せないし、蚊も殺してないから、
 地獄には行かずにすんだ

と思う人もあるかもしれません。

では、生き物を殺していなければ、殺生罪ではないのでしょうか?

殺生の3通り

仏教では、殺し方によって、殺生に3通り教えられています。

1「自殺(じさつ)」
2「他殺(たさつ)」
3「随喜同業(ずいきどうごう)」
の3つです。

1.自殺とは

最初の「自殺」とは、首を吊って死ぬような、
自ら命を絶つことではなくて、自分が直接生き物を殺すことです。

子供が田んぼや用水に行くと、ザリガニを釣ったり、
カエルを捕まえて殺してしまいます。
また、夏になると、林に行って、セミやカブトムシを捕まえて、
秋になると、トンボやコオロギを捕まえてきては、
殺してしまいます。
大人になっても、蚊やハエ、ゴキブリがいると、
反射的に殺してしまいます。
車で高速道路を走ると、ナンバープレートやバンパーのところに
たくさんの虫がこびりついて死んでいます

このように、自ら生き物を殺すことを自殺といいます。

2.他殺とは

次の「他殺」とは、自分は直接殺さなくても、
他人に命じて殺させる殺生を「他殺」といいます。

私たちは、肉や魚をスーパーで買ってきて食べますかが、
ほとんどの人は、直接殺しているわけではありません。
実際に殺しているのは、肉屋さんや魚屋さんです。

しかし、もし魚や肉を買って食べる人がいなければ、
肉屋さんや魚屋さんは、商売が成り立ちませんから、
殺生をすることはありません。

肉屋さんや魚屋さんに、牛や豚を殺させているのは、
肉や魚が好きで、買って食べている私たちですから、
自分で直接殺さなくても、肉や魚を買って食べれば、
他殺」の殺生罪を犯していることになります。

もちろん中には
私は動物愛護のためにベジタリアンですから大丈夫です
という人もあるかもしれません。
確かにベジタリアンは、肉は食べないと思いますが、
お米や野菜は食べると思います。
実はお米や野菜をつくるとき、農家の方は、
農薬やその他のもので、たくさんの生き物を殺しておられます。
たとえベジタリアンでも、農家の方に沢山の生き物を殺させている
他殺の殺生罪は免れないのです。

3.随喜同業とは

3番目の「随喜同業」とは、
他人が殺生しているのを見て楽しむ心があれば同じ殺生罪になります。

例えば、牛を食べながら「おいしいおいしい」と思ったら、
牛を自分が殺したのと同じ罪になります。

実際、霊長類の脳の中では、ミラーニューロンという脳神経が発見されています。
ミラーニューロンとは、鏡のように、
誰かがやっているのを見ただけで活性化してしまい、
自分がやっているのと同じに感じてしまう脳神経です。
誰かが殺生をしているのを見ただけで、大変危険なのです。

台所にゴキブリが出ると、
奥さんは、「キャーッゴキブリ、あなた早く殺して!
と言って、旦那さんに頼みます。
旦那さんが、ゴキブリを追いかけて、見事殺すと、
子供が「お父さんやったやった」と喜びます。

この場合、旦那さんは、自殺という殺生罪、
奥さんは、他殺という殺生罪です。
見て楽しんでいた子供は随喜同業の殺生罪ですから、
一家そろって殺生罪です。

殺生罪を造らない人いる?

このような、3通りの殺し方のどれもが殺生罪となりますと、
私たちは、どれだけおびただしい殺生罪を造っているかわかりません。

スリランカや東南アジアで、出家して修行している
テーラワーダ仏教の僧侶でも、
自覚がないだけで、同じことです。
野菜を作るときでも、どれだけの生き物を
殺しているか分かりませんし、
肉を食べたいと思えば心で殺生をしているのです。

このように、すべての人は殺生罪を造っている、ということです。

殺生罪を造るまま救われる方法

もし殺生罪によって地獄に堕ちて助からないとすれば、
すべての人は一人として助かりません。

誰も救われないのであれば、仏教を説かれた意味がありませんので、
真実の仏教には、そんなおびただしい殺生をせずには生きられない
深い業をかかえた私たちが、そのまま、
六道輪廻の根本原因を抜いて、
この世から永遠の幸せになれる道が説かれています。

ですから、無益な殺生は慎まなければなりませんが、
肉を食べずに健康を害して仏教を聞けなくなってしまうより、
肉を食べても、それで頑張って仏教を聞けるようなら、
そのほうがいいのです。

ではどうすれば迷いの根本を抜いて、本当の幸せになれるのか、
ということについては、分かりやすいように
メール講座と、小冊子にまとめておきました。

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