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生きる意味を、知ろう。

生きた証を残すために生きる

自分が最後死んでしまうとすれば
自分が生きた証が残ればいいのではないか、
いや、何とか生きた証を残したいと思います。
自分が生きていたことを証明するため
人の記憶に残るため」という人もありますが、
作品や影響、思い出を残すのが生きる目的ではないかというものです。

では早速、トップレベルに生きた証を残し、人々に影響を与え、
多くの人の記憶に残っていると思われる人に聞いてみましょう。

多くの人々に影響を与えた著名人の言葉

ここで気をつけなければならないのは
他人にとってではなく、
本人にとって、生きる意味があるかどうかが大事
ということです。

他人から誉められても一応嬉しいのですが、
自分が「えっ何それ?」みたいに関心のないことだったらつまらないですよね。

それではまず、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する天才の登場です。

16世紀イタリア ミケランジェロ・ブオナローティの場合

ダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築などの様々な分野で
偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは
生前から高い評価を受けており、
史上、最もすぐれた芸術家の一人として多くの作品を残しています。

私たちからすれば、大変な生きた証が残されていますから
これはミケランジェロ自身にとって、すばらしい生きる意味だったのではないでしょうか。

ところが本人は、晩年、芸術に対して
深い幻滅を告白しています。

ミケランジェロミケランジェロ

いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなした
あの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。
人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを。

(ミケランジェロ/出典:『老い』)

後世にあのようなすばらしい作品を残しても
本人は、芸術に人生を捧げたのは、迷妄であり、誤りであり、
その情熱や欲望は、災いの源泉であったと後悔しているのです。

17世紀日本 松尾芭蕉の場合

江戸時代は元禄文化、俳聖と言われ、世界的に知られる松尾芭蕉が
最後、病に伏し、死の4日前に詠んだのがこの有名な句です。

松尾芭蕉松尾芭蕉

旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
(松尾芭蕉)

この時芭蕉は、早く治してまた旅に出たいという夢を語ったのか、
それとも死期をさとり、50年の旅のような人生を
夢か走馬灯のように思い巡らしていたのか。
死がすぐそこまで迫る中、一体何を見たのでしょうか。

その時立ち会った弟子の『笈日記おいにっき』によれば
芭蕉は、俳諧の道を志してより
花鳥風月に心をかけるのは迷いであると、かねがね聞いてはいたが、
死を前にしてその通りだったと知らされ、
もう生前の俳諧を忘れようとしか思わないとは」と
繰り返し繰り返し後悔したとあります。

松尾芭蕉松尾芭蕉

この後はただ生前の俳諧をわすれんとのみおもうはと、
かえすがえす悔やみ申されし也。

(松尾芭蕉/出典:『笈日記』)

たくさんの名句を残し、日本人なら誰でも知っているような松尾芭蕉も
臨終に後悔しているのです。

18~9世紀 ナポレオン・ボナパルトの場合

古い社会体制が行き詰まり、フランス革命が勃発する混乱の最中、
破竹の勢いでヨーロッパを席巻し、英雄といわれたナポレオンは
絶頂期には皇帝にまで上り詰めます。

ところが、ロシア遠征に失敗して栄光の座から転落し、
最後はセント・ヘレナ島に幽閉されてしまいます。
ナポレオン法典を制定し、あれだけ生きたあかしを残しても
6年間の苦悩に満ちた生活の末、失意の中で生涯を閉じました。

生前、このような言葉も残しています。

ナポレオンナポレオン

人生は取るに足らない夢だ。
いつかは消え去ってしまう……。

(ナポレオン・ボナパルト/出典:『ナポレオン伝』)

19世紀イタリア ジュゼッペ・ヴェルディの場合

音楽の世界にもあります。

椿姫」「アイーダ」といった名作を残した
19世紀を代表するイタリアの作曲家ヴェルディは
晩年、シェイクスピアを原作とする歌劇「オテロ」や「ファルスタッフ」を完成し、
好評を博しました。
当時の人たちにとっても、私たちからしても
すばらしい作品群が残されています。

ところが本人は、晩年、健康が著しく衰え、
そんな自分の状態に、すっかり憂鬱になってしまいました。
1901年、80歳になった死の年に、こう書いています。

ヴェルディヴェルディ

わたしは生きているのではなく、
ただ草木のように存在しているだけだ…
わたしはもうこの世に何もすることがない。

(ジュゼッペ・ヴェルディ/出典:『老い』)

あれだけの作品を残し、世界的な名声も得たのに
少しも嬉しくなさそうです。
せっかくすばらしい作品を残したのに
それが自分にとって意味が見出せなくなってしまったのです。

20世紀フランス クロード・モネの場合

睡蓮
「睡蓮の池と日本の橋」

フランスの印象派の画家クロード・モネは
日本好きだったことでも知られています。
スイレンの池にかかる、日本風の橋の絵を多く描いたり、
着物を着た奥さんをモデルにした
ラ・ジャポネーズ」という綺麗な絵もあります。
異国のすばらしい作品に深く感動して、技術を取り入れたいと思ったのでしょう。


晩年には画家として高く評価されていたのですが、
だんだん自分の絵画の価値について根底から疑いを持つようになり、
自分の絵を破いたり燃やしたりするようになりました。

最後にはこう言っています。

モネモネ

私の人生は失敗に過ぎなかった。
私に残されたなすべきことは、
私が消える前に、すべての作品を破壊することだ。

(クロード・モネ)

他人からは、生きた証を残したとしか思えませんが、
本人としては、全く生きた意味が感なじられなかったのです。

20世紀スペイン パブロ・ピカソの場合

スペイン出身、フランスで活躍したピカソもそうでした。
落札額が100億円を超すこともある絵画を描きましたが、
晩年になると、自分の絵に確信が持てなくなります。

「傑作なのかクズなのか分からない」と疑問を持ち始め、
そのむなしさを打ち消そうと、ますます激しく仕事に打ち込みます。
ところが最後には、このように言っています。

ピカソピカソ

すべて終わった。
絵はわれわれが信じていたようなものではなかった。
それどころか正反対だった。
(中略)
誰にも何の役にも立たないではないか。
絵、展覧会──それがいったい何になる?

(ピカソ/出典:アリアーナ・S.ハフィントン『ピカソ 偽りの伝説』)

死んでいく時には、あのような多くのすばらしい作品は
何の役にも立たなかったということです。

20世紀日本 夏目漱石の場合

日本の文豪・夏目漱石も同じです。
吾輩は猫である』『坊っちゃん
草枕』『三四郎
それから』『こころ』と
あれほどの名作を残しながら
死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、こう記されています。

夏目漱石夏目漱石

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。
(夏目漱石『硝子戸の中』)

このように、人生の最後は
それまで自分の生きる意味だと思ってきたことすべてが光を失い、
自分の生きた証などに満足できないのです。

それでも生きた証が残ればいい?

もし満足できなくても
生きた証を「残す」ことが生きる意味だとすれば、
生きた証が残らなければ、生きる意味はないことになってしまいます。

あなたの作品や思い出は、しばらくは残ると思いますが
それはやがて必ず消えてしまいます。
結局は、何も残らないのです。

心理学者の諸富祥彦氏も
分かりやすく解説しています。

たしかにあなたが死んでも、あなたの思い出はしばらく他の人の心に残るでしょう。
歴史に名を刻むような人物であればなおさらです。
しかしその幸運も永遠には続きません。
何と言っても、「人類はいつか消えてなくなる」のですから。

地球の寿命さえも、あと50億年と言われていますから
たかだかそれまでのことです。
地球資源を使えば使うほど、環境を破壊すればするほど
人類は早く終わってしまうでしょう。

そうなれば私たちの生きた証は、すべて消えてしまいます。
せっかく人生かけて何かを残したのに、
それはしばらくのことで、やがてなくなってしまうのですから
仮に、最初からあなたが存在しなかったとしても何も変わらない
ということになります。

人生は夢・幻のようなもの

仏教ではさらに、宇宙や人類が消えてしまうどころか
それらを含めた人生自体が
夢のようなものだと教えられています。

一切有為うい法、夢幻泡影むげんほうえいのごとし。
(漢文:一切有爲法 如夢幻泡影)

すべてのことは、夢や幻、泡や影のように儚いものだということです。

夢の中にも、夢の中の宇宙があり、
夢の中の人類も歴史もあるでしょうが、
夢が覚めればすべて消えてしまいます。
どんなに夢の中に、そこにいた証を残しても
夢から覚めた時、一体何の意味があるでしょうか。

豊臣秀吉の辞世

太閤まで上り詰めた豊臣秀吉は、このような辞世の句を詠んでいます。

露と落ち 露と消えにし 我が身かな
  難波のことも 夢のまた夢

我が身」というのは、秀吉自身のことです。
当時の社会の最下層からスタートして日本中を駆けめぐり、
才能と努力で、ついには天下統一を果たした英雄です。

そんな彼の人生も
夏の朝、葉っぱの上で光る朝露が、
日が昇る頃にはつるりと落ちて消えてしまう
そんな儚いものであったと、その臨終の心境を告白しています。

難波のことも夢のまた夢」というのは
難波」というのは、大阪のことですから
天下をとり、大阪を中心に極めた栄耀栄華も
死んでいく時には、夢の中で夢を見ているような、
儚いものでしかなかったと、寂しくこの世を去っています。

死ぬのはまだ先だと
目の前の欲望に駆られている時は現実のように思えても、
最後本当に死ぬ時には、夢のまた夢と消えてしまいます。
今まで必死で成し遂げたことも、かき集めてきたものも、すべて置いて
たった1人で真っ暗な後生へと旅立っていかなければなりません。

結局、自分の欲望に酔ったように引きずり回されて、
夢のように死んでいく、酔生すいせい夢死むしで終わります。
そんな夢のように消えてしまうものが、本当の生きる意味と言えるでしょうか。

人生は夢のように、最後、生きた証はすべて消えてしまいます。
このように、夢のように消えてしまう人生で、
一体何をすれば本当に生きた甲斐があるのでしょうか。

この生きる意味を知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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