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生きる意味を、知ろう。

哲学で生きる意味が分からない理由

あなたは哲学を学んだことがありますか?

生きる意味が一見分かりそうな分野に哲学があります。
生きる意味を知りたいと思って、哲学に関心を持つ人も多いと思います。
ところが実際に哲学を学んでみると、
どうも、生きる意味とは違う感じがしてきます。
一体どうしてなのでしょうか?

目的の問題

西洋哲学で生きる意味が分かりそうで分からない理由は、少なくとも2つあります。
1つには目的の問題、
もう1つは手段の問題です。

まず1つ目の目的の問題というのは、
西洋哲学の目的は、生きる意味を知るためではない、ということです。
確かに、西洋哲学の目的は真理を解明を探求することです。
ですが真理といっても、そもそもの目的が人生の真理を探究するためではなかったのです。

西洋哲学の起源

西洋哲学はもともと昔のギリシアで生まれたものです。

どうして生まれたのかというと、
哲学以前には、ギリシア神話がありました。
あの全宇宙や天気を支配している神、ゼウスとかが出てくる話です。
雷を武器に、宇宙を破戒することができて、
神々と人間の父という設定ですね。

このような神話というのは、何のためにあるのかというと、
世界や国の成り立ちを説明するためです。

例えばイスラエルでは、あの有名な最初に6日間で世界を創った神もありますし、
日本なら、国や神を生んだ、イザナギとイザナミもあります。
これらの神話は、世界を説明するのに、何でもありで自由自在に説明できるのですが、
問題点として、地域によって全く説明が違うという欠点があります。
そして、対立や争いが起きます。

よりよい世界説明を求めて哲学の登場

そこで、ギリシアの人が、
もっと、どこでも誰でも共有できるような世界説明の原理が欲しいと思ったわけです。

古代ギリシアの哲学者、タレスは
万物の原理は水である」と言いました。
今だったら、違うと分かりますが、
哲学の考え方としては、このように何かの根本原理によって、すべてを説明しようとするわけです。

17世紀のオランダの哲学者、スピノザだったら、絶対無限の存在者を原理とし、
ドイツの哲学者、ヘーゲルだったら、意識からスタートして全体を説明しようとします。

このように、神話もそうですが、
西洋哲学の目的は基本的に「世界説明」なのであって、
確かに近代になって、実存主義など、
人間の生きる意味は考えた人も、ほんの少しありますが、
答えは出ませんでした。

西洋哲学というのは、そもそも
そういう世界説明が目的のものなのです。
人間について考える哲学も生まれました。
ですが、哲学はあまりそういうことが得意ではないのです。

手段の問題

さらに、西洋哲学で生きる意味が分からない理由がもう1つあります。
それが手段の問題です。
それはどんなことかというと、哲学では、言葉によって真理を解明しようとする前提があるのです。

西洋哲学の伝統

西洋哲学では、伝統的に言葉によって、真理を解明しようとします。
だから『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」には、創世について、
はじめに言葉ありき
と記されています。

この「言葉」というのは、もともとロゴスなので、論理という意味もあります。
ですから、言葉や論理を原理としているのが西洋思想なのです。

このことから、言葉や論理を使って、真理に到達できるという前提で哲学は研究されています。
そんな哲学でも、さすがに有限な言葉や論理で、無限の真理に到達することはできないことがやがて分かってきます。
ですから、20世紀最大の哲学者の一人といわれるヴィトゲンシュタインも、このように言っています。

ウィトゲンシュタインウィトゲンシュタイン

たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、
生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。

(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)

天才的な哲学者でも、生きる意味は分からないのです。
さらにヴィトゲンシュタインは、
語りえぬものについては沈黙せねばならない
とも言っています。

哲学の決定的な見落とし

このように、言葉と論理で真理を探究しようという伝統から、哲学で見落とされているものがあります。

例えば哲学者で京都大学名誉教授の冨田恭彦氏の著作に、
人生の目的を論じた『柏木達彦の春麗ら』という本があります。
この本は、哲学者の柏木達彦が、学生と対話形式で、哲学を分かりやすく解説したものです。

この本によれば、哲学者の柏木達彦は、人生の目的の存在に懐疑的です。

理由を要約すれば、こうなります。
まず、人は誰も生まれた時点では人生の目的を知らないことを前提とします。
その場合、誰かから絶対的な答えを教えてもらっても、
その理解は自分の言葉の理解に依存してしまうし、
それが本当に究極的な答えであることにどんな根拠があるかが問題になってしまうから、
絶対的な人生究極の目的の存在に懐疑的だといいます。
実際にはこのように書いてあります。

(柏木達彦)「……誰かが、これこそ人生の目的とか意味とかについての最後の解答だということで、何かをわれわれに言うとするよね。
それが、かりにだよ、本当に究極的な、本当の解答であるとしても、
それを理解するさいには、われわれ自身のその時点での信念がその理解に関わることになる。
だから、その意味で、それをどう理解するかは、われわれ自身に責任があるということになる。」
(遠野君)「しかも、それが本当に究極の解答であると言うことに、どういう根拠があるのかが、問題なわけですね。」
(柏木達彦)「そうなんだ。ここに書いてあるとか、自分こそが神様だとか言われても、困るわけ。
それをすんなり信じ込めるなら、それはそれで、その気になれるだろうけどね。」

だから、現代の哲学者でも、生きる意味や生きる意味は分からないのです。

(柏木達彦)「自分って何なんだろう、なんで生きているんだろう、だよね。
そんな難しい問題は、僕にも答えられそうにないな。」
(遠野君)「でも先生は、哲学の先生でしょ?」
(柏木達彦)「そりゃ、一応はそうだけど。」

なぜこうなってしまうのかというところに、哲学の見落としがあります。
生まれた時点で人生の目的を知らないとすれば、
人生の目的は、言葉で伝達するしかないと前提しています。
ですが、それ以外にも方法があります。
それは、体験することです。

体験は言葉では表現できませんが、言葉で理解するのと、
体験や経験するのとでは天地雲泥の違いがあるのは誰でも知っていることだと思います。
それにもかかわらず、哲学には、言葉や論理で真理を追究する前提があるために、
言葉によらない体験などは、完全に抜け落ちているのです。

このような目的と手段という2つの理由から、
西洋哲学で生きる意味について学ぼうと思っても、
どうも違う感じがしてしまうということです。

ですから、カリフォルニア大学で哲学の教授をしていたフィリッパ・フット教授は、このように言っています。

現存の哲学者であれ、過去の哲学者であれ、この観念(人生の価値)を説明できた人を私は知らない。

哲学書を何百冊読んでも、
人生の意味や価値は、説明できないのです。

本当の生きる意味を知るには?

では、そもそも人生の意味の解明を目的としたものは、
何かあるのでしょうか。

それが、仏教です。
仏教は、目的と手段の点で哲学とは大きく異なります。

まず仏教の目的ですが、仏教を説かれたお釈迦様
最初から、老いと病と死を超えた、人生の解決を求めて
さとりを求め始められています。
仏教は、目的が、人生の苦悩の解決なのです。

そして、お釈迦様が到達された真理は、言葉を離れたものですから、
言葉で真理が説明できるという前提はまったくありません。
真理は言葉では説明できないものです。
これを離言真如りごんしんにょといいます。

ですが、言葉を使わなければ、真理を伝えることはできませんので、
言葉を尽くして真理を説かれているのです。
この言葉で表そうとされた真理を依言真如えごんしんにょといいます。

そのため、仏教でももちろん言葉は使われますが、
真理を体得するのは、体験によるものです。
真理に到達する手段としては、言葉と実践の併用なのです。
このように、目的と手段という2つの点で、西洋哲学とは大きく異なります。

まとめると、こういうことです。

目的 手段
哲学 世界説明 言葉、論理のみ
仏教 人生の解決 言葉、論理と実践

もちろん、西洋哲学が何か悪いということではありません。
世界説明を論理的に考え続けてきた歴史があります。
要は、あなたの目的に合わせて、適切に学ぶことが大切だということです。

では、もしあなたが、人生について知りたい場合、
仏教に教えられる本当の生きる意味とは、どんなものなのでしょうか。

この生きる意味を知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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