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生きる意味を、知ろう。

生きる意味は自己実現?

よく、「生きる目的は自己実現」と言っている人があります。

この記事では
そもそも自己実現とは何なのか、
また、自己実現を果たした有名人の名言から
自己実現は生きる目的になるのか、検証します。

自己実現とは

自己実現というのは
やりたいことをやる」とか、
自分らしく生きる
夢を叶える」など、色々な言い方がありますが、
自分の中に眠っている能力を最大限に発揮して
仕事や趣味、スポーツで活躍することです。
ですから、多くの人が生きる目的ではないか考える、有力な考えの1つです。

マズローの欲求5段階説
マズローの欲求5段階説

自己実現という言葉は
1940年頃にドイツの心理学者ゴールドシュタインが提唱し、
その後、アメリカの心理学者マズローが
人間は自己実現に向かって成長するとして発展させました。
その自己実現までの段階を、5段階に分けたのが
欲求5段階説です。
図の低い段階の欲求が大体満たされると、
より高い段階の欲求へと進み、
自己実現に向かうというものです。

この理論は必ずしも現実に合うわけではないという批判もありますが、
大方のところ、このような傾向は多くの人に認められると思います。

こうして、色々な欲求を満たしてゆき、 最後の自己実現をすることが、 生きる目的なのではないかと思う人があるわけです。

ヴィクトール・フランクルの反論

ところが、有名なヴィクトール・フランクルは
幸せは求めれば求めるほど遠のいていくように
自己実現も求めれば求めるほど遠のいてしまうので
自己実現は生きる目的ではない
とマズローの理論を批判しています。

自己実現は、人間の究極目的ではないし、第一の意図でもない。

なぜなら、自己実現はそもそも、
夢中で自分らしく生きている時に無自覚になされていくものであって、
本人に自己実現が意識されるのは、生きる意味を見失った時だけだからだ、と言います。

当のマズロー本人も、この意見に肯定的です。

マズローマズロー

人生における使命を見失い、直接的、利己的、個人的に自己実現を求める人は
(中略)
実際には自己実現を達成できないというフランクルの考えに、私の経験は一致している。

(アブラハム・マズロー)

こうして言い出した本人も
やっぱり自己実現は人生の目的ではない
と認めているのですが、
その後も自己実現は根強い人気を誇っています。

では、本当のところはどうなのか、
実際にものすごい力を発揮して、自己実現をしているように見える人たちに
やってみた感想を聞いてみましょう。

自己実現は達成できる?

15世紀イタリア レオナルド・ダ・ヴィンチの場合

まずは、15世紀・イタリアルネサンスを代表する
万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチはどうでしょうか。

モナ・リザ
「モナ・リザ」

世界で最もよく知られている絵画の1つ
モナ・リザ」をはじめ、
彫刻や建築、発明、解剖学、植物学と
様々な分野で一流の業績を残しましたので、
かなり自己実現しているように見えます。


ところが、そのようなすばらしい作品や業績の数々に
本人はこう言って満足していません。

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチ

芸術に決して完成ということはない。
途中で見切りをつけたものがあるだけだ。

(レオナルド・ダ・ヴィンチ・出典:"Leonardo Da Vinci: The Greatest Inventor")

ということは、レオナルト・ダ・ヴィンチの作品は、すべて途中で見切りをつけた未完成品ということになります。
それでは満足などあろうはずがありません。

そして人生の最後には、こんな言葉も残しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチ

私は神と人類にそむいた。
なぜなら本来果たすべき仕事をやりとげられなかったからだ。

(レオナルド・ダ・ヴィンチ・出典:『ダ・ヴィンチ 芸術と科学の生涯』)

レオナルド・ダ・ヴィンチのような、あれだけの天才でも、
確かにフランクルやマズローの言うように
自己実現はできなかったようです。

17世紀イギリス アイザック・ニュートンの場合

17世紀、科学革命の偉大なる物理学者であり数学者であった
ニュートンはどうでしょうか。

天に輝く月や惑星も、木から落ちるリンゴも
あらゆる運動を統一的に説明したニュートン力学や、微分積分学を生み出し
現在の科学文明に大きな影響を与えました。
それにもかかわらず、晩年にこう言っています。

ニュートンニュートン

世間にどう映ったかは知らないが、私はただ、海辺でたわむれる子供のようなもので、時折、普通よりなめらかな小石か、きれいな貝殻でも見つけて喜んでいたようなものだった。
(中略)
眼前には到底未知の、真理の大海が広がっている。

(アイザック・ニュートン・出典:”Memoirs Of The Life, Writings And Discoveries Of Sir Isaac Newton”)

ということは、ニュートン力学は小石で、微分積分は貝殻でしょうか。
あれだけのことをやりながら、単なる子供の遊びで
まだまだ何もしていないようなものだと、本人は全く満足していないようです。
とても自己実現したとは言えないでしょう。

18世紀ドイツ ゲーテの場合

18世紀のドイツの文豪ゲーテもそうです。
20代で書き上げた『若きウェルテルの悩み』はナポレオンが7回読んだといわれ、
その後の作品にも、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトやメンデルスゾーンなど
著名な作曲家がこぞって曲をつけ、名声を欲しいままにしています。

ところがゲーテには、20代の頃から一生をかけて書き上げた大作『ファウスト』があり、
その中で人生を問うています。

一生を学問に捧げ、満足できなかったファウスト博士が
最後に魔術の道に入ります。
そこへ現れた愉快な悪魔、メフィストフェレスと
満足できたら魂を渡す契約で、若返って冒険の旅へ出ます。
まずは恋愛、次に権力、さらにはどんな英雄もひざまずく伝説の美女と
メフィストのどこか足りない魔法で次々と望みを叶えます。

あらゆる快楽の限りを尽くし、
最後には社会事業にも取り組みますが
どの瞬間も心からの満足はできません。
絶望はしなくても釈然とせず、
心に闇がかぶさって、方角が分からなくなり
理想を思い描いたまま死んでしまいます。

そんな作品を、生涯をかけて書き残したゲーテは
自らも恋多き人生を歩み、文筆活動によって名声を博しましたが、
晩年、友人のエッカーマンにこう語っています。

ゲーテゲーテ

75年の生涯で、一月でもほんとうに愉快な気持ちで過ごした時などなかったと、いっていい。
たえず石を、繰り返し押し上げようとしながら、永遠に石を転がしていたようなものだった。

(ゲーテ・出典『ゲーテとの対話』)

75年のうち、4週間も本当の幸せな時はなかったということです。
そのあとに例えられている、永遠に岩を転がし続けるのは、終わりがなく、苦しいだけですから
あれだけ活躍し、生前から高い評価を受けていながら
ゲーテ自身も、自己実現どころか、やはり満足さえできなかったようです。

18世紀日本 葛飾北斎の場合

ゲーテとほぼ同時代、江戸時代は化政文化の代表的な浮世絵師
葛飾北斎はどうでしょうか。

富嶽三十六景
「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

富嶽三十六景をはじめ、何万点もの作品を残し
ゴッホにも影響を与えて世界的に知られています。

ところが、88歳まで生きて、最期はこんな悔いを残しています。


天があと10年、いや5年の命を与えてくれたなら真に偉大な画家になれるのだが…。

富士山を遠景に、荒れ狂う海になすすべもなく翻弄される船、豪快に襲いかかる大波の砕ける波頭、
その瞬間を永遠に切り取ったたぐいまれな画力は、他人から見れば
それだけすごかったら、もう真に偉大な画家なんじゃありませんか?
自己実現しているじゃないですか
と言ってあげたくなりますが、本人にとっては満足できないようです。

19世紀イギリス チャールズ・ダーウィンの場合

19世紀のイギリスで、進化論を提唱した
ダーウィンはどうでしょうか。

当時、すでに科学革命や産業革命は起きていたのですが、
いまだにあらゆる生物は神によって創造されたと思われていた時代でした。
そんな中、ビーグル号で5年間かけて世界一周し、
やがて自然淘汰の革命的な理論で人々の意識に大転換を起こしました。

その後、73歳まで生きて、ニュートンの墓の隣に葬られましたが、
今日も多くの人にその名を知られ、現在の生物学の前提となっています。

それだけ卓越した力を発揮して人類に貢献し、どれほど満足できたでしょうか?
生前、このように言っています。

ダーウィンダーウィン

自分が真実の山をすりつぶして、一般法則をしぼりだす機械か何かになったような気がする。
(チャールズ・ダーウィン・出典:『悩む人間の物語』)

どうやら、かなりお疲れのようで
自己実現も満足もできないようです。

20世紀スペイン パブロ・ピカソの場合

20世紀初頭、キュビズムを創始したピカソは
征服者のように人生を歩み、力も、女性も、富も、栄光も手にしましたが、
そのどれにも満足できませんでした。

やがて仕事だけが自分の人生のようになると
毎日できが悪くなる」と言い、
目指す究極の絵からもかえって遠ざかっていくようでした。
それでも必死で仕事にしがみつき、絵を描き続けます。
十数万点という膨大な作品を作り、91歳まで長生きしましたが、
晩年にこんな言葉を残しています。

ピカソピカソ

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ。
「さあ、よく働いた。明日は安息日だ」と言える日は来ないのだ。

(パブロ・ピカソ・出典:『ピカソ 偽りの伝説』)

個性的で創造的な才能をどれだけ発揮しても、
自己実現したという満足はなかったようです。

現代日本 村上春樹氏の発言

現代の日本では、『ノルウェイの森』が400万部突破、
1Q84』は200万部突破と大ベストセラーとなり、
世界的にも評価されている村上春樹氏は、こう言います。

自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。
もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。
人は書かずにいられないから書くのだ。
書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。

自らの能力を発揮して大ベストセラーを書いても
何かに到達したと思えばそれは錯覚であり、
別に書くこと自体が楽しいわけではないと言っています。

確かに、これだけ歴史に名を残した天才たちが自己実現できないとすれば、
自己実現したと思うのは、何かの勘違いかもしれません。

そして、人々の生を垣間見れば見るほど、
それは、定まった場所を定まった速度で巡回しているメリー・ゴーランドのように
どこにも行けない無力感にとらわれるにもかかわらず、
我々はそんな回転木馬の上で熾烈なデッド・ヒートを繰り広げているようだと続けます。

まるで車の輪が同じところを果てしなく回るように
このように、ゴールのない道を果てしなく歩み続けて苦しんでいるありさまを、
仏教では「流転輪廻るてんりんね」と言います。
車の輪が同じところをぐるぐる回るように際限がないということです。

ゴールのない道を歩き続けなければならない理由

私たちはいつも、何かを求めて生きています。
お金があれば幸せになれるとか、
もっといい仕事につけば…
恋人があれば、子供があれば
車があれば、家があれば
体の調子が悪いところが治れば…というように
色々なものを求めて生きています。

そして、ただでは手に入りませんから
努力の末、手に入れます。
手に入れた時は嬉しいのですが、一時的で、すぐに慣れてしまいます。
すると、また次のものを求め始めるのです。

まるで車の輪が回るように
手に入れては慣れてしまい、手に入れては慣れてしまい、
求めているものは、少しずつ変わっていくのですが、
メリーゴーラウンドが回り続けるように、同じところをグルグルグルグル回って
本当の安心も満足もないのです。

このことをドイツの哲学者、ショーペンハウアーは、こう表現しています。

ショーペンハウアーショーペンハウアー

願望はその本性のうえからいって苦痛である。
その願望が達成されると今度はたちどころに飽きがくる。
目標はみせかけにすぎなかったからである。
所有は魅力を奪い去ってしまう。
そうするとまたしても願望や欲求が装いを新たにして出現することになるであろう。

(ショーペンハウアー)

そんなゴールのかげも形も見えない円周トラックを走り続けるように、
私たちは次々と現れる欲望を追い求め、流転輪廻を重ねるだけで、
どこまで行ってもどこにもたどりつきません。

やりたいことには限りがありませんが、
命には限りがありますから、やがて力尽きる時がやって来ます。
精一杯やったから、これでいいんだ
頑張っているから仕方ないんだ
と、思い込むしかありません。

このように、どれだけ自己実現を目指しても
死ぬまで自己実現したという満足もなく、限りなく歩き続けることになります。
人間に生まれてよかったという生命の歓喜を味わうには
一体どうすればいいのでしょうか?

この本当の生きる意味を知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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