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生きる意味を、知ろう。

自分は生きてる意味がないと言う人の心理

自分は、生きてる意味のない人間だ
自分は人生のはずれくじを引いてしまった

このように言う人があります。
ですが、本当にそんな人があるのでしょうか。

生きている意味がないと感じる人

これについて、気になるデータが出ています。

首都圏の大学生六〇〇名に意識調査を行い、 (一九九七年大正大学調べ)とんでもない結果が明らかになってきた。
「何となく満たされないものを感じることがある」学生は、 全体の81%」

また、『日本村100人の仲間たち』には、次のようにあります。

「こんなに恵まれているのに、日本村では年々、若い人たちの自殺が急増しています。
25~39才の死因のトップは、自殺です。
村では、「ただ何となく不満」という人たちが増えています。
4割の人がそう思っています。
かといって、その原因を聞いても、本当に何が不満というわけでもないのです。

日本は、世界的にも恵まれた国なのに、
自分の生きる意味が分からない人が増えているのではないでしょうか。

あなたもそのように感じることはありませんか?

たとえば、周りの人とうまくコミュニケーションが取れず、
なかなか友達ができなかった時、
教室の片隅で一人でいる自分は、とっても希薄。
他の人は友達がたくさんいていいけれど、自分はいない。
どうせ自分なんか誰からも必要とされていないんだ
と思ったりしないでしょうか。

また、みんな活躍して、クラスがサッカー大会で優勝して喜んでいるのに、
自分はメンバーにも選ばれないで、
それを遠くから離れて一人で見ている自分は、居場所がない。
みんなはスポーツができるのに、自分は運動神経がゼロ。
そんな時、「どうせ自分なんかいてもいなくても同じだ
と思わないでしょうか。

あの人は、あんなに人気があるのに、自分にはない。
この人はこんな取り柄があるのに、自分は何の取り柄もない。
はずれくじを引いてしまった。 
自分なんかどうせガラクタだもの。
 誰からも必要とされていないのだから、居ても居なくてもいい。
 生まれて来なければ良かった。
 生きるだけ嫌な思いをするだけだ

と思ってしまいます。

ですが、誰しもこんな思いに駆られる可能性があります。

今まで、会社では部長と言われ、皆から尊重されて、
自分は価値のある人間だと思っていた人が、退職する。
すると、誰からも部長と呼んでもらえない。
勤めていた時は、たくさん来ていた年賀状も、今はかなり減ってしまった。
そうなったら、「自分って必要とされていない人なのか
と落胆しないでしょうか。

 

道ですれ違っても、かつての部下は挨拶もしてくれない。
こんな時、「自分って居ても居なくてもいい存在だ」と感じるものです。

また職場では、自分の居場所が見出せない、お父さんが、
せめて家に帰った時くらいは、自分の居場所がほしいと思って帰宅します。

ところが

父帰る 茶の間の子供ら 部屋帰る

というサラリーマン川柳がありましたが、
家でも自分の居場所がない、家族にも必要とされていない、
そんなお父さんは多いのではないでしょうか。

そんな時、
自分の存在は透明だ、
 誰からも必要とされていない、
 居ても居なくてもいい、
 こんな自分は、すぐにゴミ箱行きとなるはずれくじのような人間だ

と思うのです。

当たりくじが分かる時

ところが、生きる意味を知れば、
自分が、はずれくじというのは間違いで、
大変な当たりくじであったと分かります。
たとえ人気があろうがなかろうが、友達がいてもいなくても、
スポーツができようができなかろうが、才能があろうがなかろうが、
そんなことには全く関係なく、
生きている一人一人に重要な生きる意味、目的があるのです。

その生きる意味や目的が大事だからこそ、
その目的を果たすための命が大事になってくるのです。
すべての人、一人一人に生きる意味があります。
決してはずれくじではありません。

天上天下唯我独尊

仏教では、天上天下唯我独尊といわれます。
これは、ただ自分だけが偉いといわれている言葉ではありません。

天上天下」とは
大宇宙広しといえども、ということです。
唯我独尊」とは
われわれ人間にしかできない、たった一つの尊い使命がある。
生きる目的が一人一人にある、ということです。

その生きる目的がハッキリすれば、
勉強も仕事も健康管理もこのためだと、
すべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。
病気がつらくても、人間関係に落ちこんでも、競争に敗れても、
大目的を果たすため乗り越えなければ」と生きる勇気が湧いてくるのです。

生きる意味がないのと、
生きる意味が分からないのとでは、
全く違います。

当たりくじが当たりくじだと分かるのは
当選番号を聞いた時です。
聞いてはじめて分かることです。
同じように、生きる目的があるということを聞かせてもらわなければ、
そんな意味ある命だとは分かりません。

その生きる意味を知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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